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図書紹介
図書紹介 『EPUB戦記:電子書籍の国際標準化バトル』
仲俣 暁生
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2016 年 59 巻 9 号 p. 644

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  • 『EPUB戦記:電子書籍の国際標準化バトル』
  • 小林龍生著
  • 慶應義塾大学出版会,2016年,四六判,260p.,3,000円(税別)
  • ISBN 978-4-7664-2363-1

本書は長年にわたり日本語文書や書物の電子化・標準化に取り組んできた第一人者による貴重なメモワールである。タイトルにある「EPUB」はその象徴であるが,記されているのはそこに至るまでの,1980年代以後の長い道のりである。

日本における書物の電子化は,まずデスクトップ・パブリッシング(DTP)の形で始まった。最初の章は著者が在籍していたジャストシステムが開発した,国産初の本格的な日本語DTPソフトSuperDTP「大地」がもたらした,書物史における革命的な変化を物語る。いまでこそ書物の組み版をパソコン上で行うことは日常化しており,それ以外の方法はむしろ特殊といえる。書物として定着させる文字情報をデジタル化し,そこに書式を付与して「組み版」するDTPという技術の登場は,本書のメインテーマである電子書籍を語るうえで欠かせない前史である。

第2章では,2000年前後に当時の通産省の呼び掛けに応える形で出版業界を挙げて行った,電子書籍コンソーシアムによるブックオンデマンド総合実証実験の顛末が語られる。当時,著者はこのプロジェクトチームの事務局の取りまとめを任されていた。「電子書籍」という耳慣れない言葉は,この実験によって一般化したが,プロジェクト自体はさしたる成果を挙げることなく終了した。DTPの時代を振り返るときの軽やかさに比べ,この時代について語る筆者の言葉は重く,苦い。

本書のタイトルにある「EPUB」の国際化をめぐるエピソードが語られるのは第3章である。日本語の組み版ルールは世界的にみても特殊かつ煩雑なものの一つだが,書物の電子化が進む時代には,そのルールは国際的に認知され,共有されなければならない。あたかもEPUB3の仕様を決める重要なタイミングで,日本の電子書籍関係者はどのように行動し,そこに日本語組み版のエッセンスを盛り込むことに成功したか。前章の苦々しいトーンは,このクライマックスに至るための伏線ともいえる。

なぜなら,EPUB3として結実した電子書籍の国際規格と競合するかたちで,日本独自の「交換フォーマット」が策定され,こちらを国際標準としようという流れが同時に起きていたからだ。EPUBか,交換フォーマットか。この両者の対立は,電子書籍をめぐる一種の「思想戦」でもあった。政府+出版業界+ハードウェアメーカーの思惑は後者にあったが,電子書籍の規格を国際標準で定めるとはいかなることか,という命題をめぐる思想において,前者は後者をはるかにしのいでいた。EPUB3に日本語組み版の考え方が盛り込まれたことで,日本における電子書籍の将来は九死に一生を得たといえるだろう。

本書の最終章は,こうした経験を踏まえたうえで,著者の書物観が語られる。いま目の前にあるKindleやKoboといった「電子書籍」についての議論ではなく,聖書や和本の時代の「書物」まで振り返りつつ,その未来を構想するという長い視野にたった立論は,昨今の「電子書籍」をめぐる議論にはない奥行きをもっている。

(マガジン航 仲俣暁生)

 
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