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この本! おすすめします 日本(人)にとって,科学とは?
佐倉 統
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2018 年 60 巻 10 号 p. 757-760

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日本に科学の土壌は根付いていないか?

日本と日本人にとって,科学ってなんなんだろう?

日本は西洋の科学を導入して近代化に成功し,さまざまな失敗も繰り返しつつ,発展してきて,結構いい線まできた。だけど今,日本の科学技術は急速にその勢いを失いつつある。大きな曲がり角を迎えているようだ。今後どうしたらよいかを考えるために,日本の科学の経緯と特徴を冷静に把握しておく必要があるはずだ。

こういう話題のときによく聞かれるのが,「日本には科学が文化として根付いていない」という言説だ。合理性より人間関係や既得権益がものをいう社会なんだ,と。

実はこのような批判は,ずいぶんと前からなされている。たとえば,エルヴィン・フォン・ベルツ。明治期に西洋医学の導入で主導的な役割を果たしたドイツの医師で,1876(明治9)年から1902(明治35)年まで東京帝国大学医学部の教授を務めた注1)。その彼が,自身の日本在留25年を記念した式典での講演で,日本人はベルツらお雇い外国人教師から科学的な精神を学ぼうとはせず,科学の「成果」のみを手に入れることに性急であると批判しているのである(『ベルツの日記』注2))。

そうかもしれないな,と思う反面,土壌から丸ごと移植するなんてことはできないんじゃないか,とも思う。それって,言語や宗教や価値観も含めて,文化システムをすべてコピーしなければならないはずだ。そんなことをしたら,国や文化の独自性自体がなくなってしまう。

そのとおりだ,「科学は,なんらかの母胎の中で育ったのだし,日本には日本なりのそのなりゆきがあるはずだ」(『日本の科学思想』p. iii)と主張するのは,科学史家の辻哲夫(1928-2012年)だ。京都大学大学院で物理学を専攻した後,科学史に転向し,寡作(かさく)ながら独自の視点からの切れ味鋭い著作を残した。この先,彼の著書,『日本の科学思想』をひもときつつ,「日本(人)にとって科学とは何なのか?」を,考えてみたい。1973年に出版されたこの本は新書版で決して大著とはいえないが,その内容が高水準であることは,同年に毎日出版文化賞を受賞していることからもうかがえる。

なお,辻はマルクス主義的唯物史観に立脚しているが,ぼくはこの見方は歴史の分析枠組みとして有効ではないと思っている。ただ,それはそれとして,日本の社会や文化が「科学」とどう向き合ってきたのかをつまびらかにした彼の功績は評価されるべきだとも思う。ぼくたちが学ぶべき多くのことが,そこには含まれているから。

『ベルツの日記(上)(下)』,トク・ベルツ編:菅沼竜太郎訳,岩波書店,1979年,品切れ,(上)https://www.iwanami.co.jp/book/b246450.html,(下)https://www.iwanami.co.jp/book/b246451.html
『日本の科学思想:その自立への模索』,辻哲夫著,中央公論社,1973年.,絶版だったが2013年にこぶし書房から再刊され,現在はそちらが入手可能。

日本の科学の特徴3つ

日本の科学導入の特徴について,辻がこの本で述べている結論は,大きくは以下の3つである。

第一に,科学の導入は明治期になって短期間で行われたのではなく,数百年におよぶ長い期間を要していること。第二に,西洋近代科学が力学(機械論)を基本モデルとしているのに対し,日本の科学導入では医学がその役割を担っていること。第三に,日本の科学は普遍的な法則を追求するのではなく,職人技を極める「術」としての側面が強いこと。

以下,順にみていこう。

まず第一の点。科学の導入は明治になって頑張ってエイヤッと達成できたものではない。17世紀からの試行錯誤の歴史があり,「十九世紀のほぼ百年間は,そのために費やされた」(p.7;同書中公新書版の該当ページ数,以下同じ)。それは,近世日本の自然観と,西洋近代科学がもっている自然観との折り合いをつける思想的格闘の歴史でもあった。「科学・技術が,たんなる模倣文化として定着,自立することはありえない」(p.5)。重要なのは,日本人が西洋近代科学をどう把握し,理解し,自分たちのものにしていったか,である。

その理解の進行過程を,辻は科学用語の翻訳状況を分析することで再現する。翻訳とは,「日本語をつかい,日本語の思考法にしたがった,学問的知識の再構成にほかならない」(p.11)。科学の思考方法や論理構造は,それまでの日本人にはまったくなじみのないものだった。それゆえ,それらを翻訳し,理解するには長い時間を要したのである。

では,その結果再構成された日本の科学とは,どのようなものだったか。第二の論点である。もともとの「西欧の近代科学の原型となったのは力学であった」(p.40)。ニュートンによる統一的力学体系であり,その根底には「原子論・機械論・素朴実在論の発想法が根強い素地となって介在している」(p.40)。しかしこのような力学(機械論)は,日本にはついぞ登場しなかった。日本では儒教や仏教を背景にした自然観が主流だったため,「自然の中に普遍法則の存在を想定するような発想法が,ついに育」(p.48) たなかったのである。「日本人は結局,機械を根源的な描像として,自然を,人間を,社会を理解しようとする発想には,いっさい関心をもたなかった」(p.116)。

力学の代わりの基本モデルとなるのが,生命体である。たとえば,江戸時代後期にからくり人形の詳細な機構解説書『機巧図彙(からくりずい)』注3)を著した細川頼直。辻哲夫によれば,細川が「いわんとした機械の製作・発明の極意は,つまり,生きものの動きをつぶさに観察し,機転を働かせてその動きを巧妙に再現しうるように,機械仕掛を考案せよということなのであった」(p.124)。

このことが第三の論点──日本の科学は統一的な理論追求ではなく,「術」と分かちがたく結びついている──につながる。機械を生命体としてとらえる見方は,今のトヨタグループの創始者である豊田佐吉をはじめとする明治以降の機械工や職人たちにしても同様であった。彼らの「技術は,機械を物質の塊りとしていきなり分解するのではなく,生きものを観察するときのように,あくまでも外から全体像を凝視する姿勢にささえられている。したがって機械の内部機構も,運動学の理論的帰結を実現させたものではなく,全体の調和のとれた生命体の内部組織とみられるであろう。たとえば,機械の修繕・改良は,生命体の治療をおこなうことにも似てくる」(p.128)。こうして,機械技術と医術が近づく。「日本特有の『学術』の観念」(p.61)の形成である。これはまた,近年に至っても「科学」と「技術」がしばしば同一視され,「科学技術」と総称されがちな状況の根源でもあろう。

歴史的産物としての科学

以上が辻哲夫による,日本の科学の特徴の分析である。ここで冒頭の問いにもどる。果たして日本社会には科学は根付いていないのか? 日本は科学的思考ができない国なのか?

そのとおり,と言いたくなることは多々ある。福島の原子力発電所事故など典型ではないか。科学技術の粋ともいうべき原発を,合理的かつ機械論的に管理運営することが,日本人にはできなかったのである。

この点については,拙著『「便利」は人を不幸にする』でも論じた。この本は,科学技術の進歩発展がぼくたちの生活を豊かで便利にしてきた一方で,人々の心理的な幸福感はそれに応じた程度には必ずしも満たされていない状況に,何か突破口を開けないかと思って書いたものだ。特に東日本大震災とそれに続く原発事故を踏まえて,日本はどのような社会を構築していくべきなのか,そこでの科学技術はどのような役割を果たすものなのか,いろいろな人たちとの対話を通して考察した。

この本での日本の科学技術に関するぼくの見立ては,辻哲夫の分析を下敷きにしている。すなわち,日本の科学は,機械論的自然観を根底にもつ「西欧近代」型の科学とは異なっている,というものだ。たしかに西欧近代科学は根付いていないかもしれないが,ぼくたちの先達は,別のものを根付かせた。原発事故についていえば,機械論的合理主義が生み出した原発のような巨大システムを整然と管理運営することは,日本人には不向きかもしれないということだ。日本人が得意とするのは,生命体として全体が把握できる規模のシステムであり,それはおそらく,原発よりもう少し小さい複雑さが限界なのだと思う。

ベルツの批判にはこう応えよう──たしかに私たち日本人は,近代科学を産んだヨーロッパの文化土壌は導入しませんでした。しかし,科学を日本の土壌に適合させ,この土壌で豊かな実りをもたらすように品種改良することには,それなりに成功しました。これが私たちの「科学技術」です。「科学」ではないかもしれないけれど。

科学技術は歴史的な産物であり,システムである。その多様な成立条件や経緯を無視して近視眼的にシステムの一部だけを変えても,うまくいかない。そのことを,辻の著作は明確に教えてくれるし,昨今の日本の科学技術の惨状が端的に象徴している。

『「便利」は人を不幸にする』,佐倉統著,新潮社(新潮選書),2013年,1,100円(税別)http://www.shinchosha.co.jp/book/603726/

執筆者略歴

  • 佐倉 統(さくら おさむ) sakura@iii.u-tokyo.ac.jp

1960年東京生まれ。京都大学大学院 理学研究科博士課程修了。理学博士。東京大学大学院 情報学環教授,理化学研究所 革新知能統合研究センター チームリーダー。もともとの専攻は進化生物学だが,その後,科学技術と社会の関係についての研究考察に専門を移し,人類進化の観点から人間の科学技術を定位する作業を模索継続中。著書:『科学の横道:サイエンス・マインドを探る12の対話』(中公新書),『「便利」は人を不幸にする』(新潮社),『人と「機械」をつなぐデザイン』(東京大学出版会)など。

本文の注
注1)  ベルツが赴任したときは「東京大学」だった。東京帝国大学の名称の変遷は以下のとおり。1877年東京大学→1886年帝国大学→1897年東京帝国大学。

注2)  お雇い外国人の目から見た,明治日本の近代化の過程が詳細に記録されている。本文で言及した彼の演説は上巻p. 239。

注3)  国立国会図書館のデジタルコレクションに収載されている。細川頼直. 機巧図彙 2巻首1巻. 須原屋市兵衛, 1796(寛政8)年, 3冊. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2568591

 
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