情報管理
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視点
視点 不確実性の共有から始まる学びについて
高澤 有以子
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2018 年 60 巻 11 号 p. 814-818

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1. はじめに

本連載の第1回「包括的思考で考える社会と情報通信技術」1)では,筆者の担当教科であるSocial Aspects of Information Technologyについて書いた。そこでは,情報通信技術が社会に与える影響を多面的に考え問題提起していく訓練をどう実践しているか紹介した。第2回「米国における協働学習とアクティブラーニング」2)では,引き続きこの担当授業の実体験を基に,学習者と指導者の間に限らない,指導者間または学習者間での学びについて,協働学習とアクティブラーニングに関連づけて解説した。連載最後となる第3回の本稿では,第2回で触れた「知識のトランスファー」注1)と「コントロールのトランスファー」注2)に関連づけて,「Shared uncertainty:不確実性の共有」3)という視点を紹介し,現在のインターネット環境を題材に,不確実性の二面性について考察を行う。

2. 知識とコントロールのトランスファー

前回,演習授業での「知識とコントロールのトランスファー」は,主体的学びの根幹となる2つの柱――(1)自発的知の創造化を楽しむ発想力と思考力,(2)コミュニケーション能力――を養うことにつながると説いた。知識とコントロールのトランスファーは,発問と応答の反復によって活発となるため,指導者と学習者の間で双方向のコミュニケーションを行える状況が前提条件となるからだ。選択肢の中から回答を選ぶクローズ型の問いかけ(Closed-ended question)は,短時間で完結できるメリットがあるが,一方通行のコミュニケーションに終始してしまいやすく,知識とコントロールの譲渡は起こりにくい。反対に,オープン型の問いかけ(Open-ended question)は,双方向のコミュニケーションが起こるまでには,段階的なプロセスを踏むことが必要となるだろう。

確かな知識がすでに存在し,その知識を再認識するかのようなやりとりは,学びを機械的な作業に似せる。このような環境の下では,知の創造を楽しむ体験が得られないか,あるいは新しい知識が形成されても,それを言語化する機会のないまま,個人に内在した状態でしか存在しえない。この場合,学習者にとって知識のトランスファーはあったといえるが,自らの学びを主導するために不可欠なコントロールが譲渡されることはない。新たに取り込んだ知識を,すでに有する知識と比較したり,関連づけたりしながら,新たな展開へつなげるために外在化していく全過程こそが,主体的な学びである。知識のトランスファーに加えてコントロールのトランスファーが実施されて初めて学びが活発となる。「正解」と呼ばれるような確かな知識を,知のあるべき正しい姿として認知することは,学びの本質となる知の追求とは異質なものにしてしまいかねない。後述のように,不確実性の存在を認めることが情報・知識の獲得への意欲を促し,主体的な学習プロセスにつながっていく。知を追求するということは,対象である知がまだ見ぬ不確かな何かである状態から,学習者自らのコントロールの下,探求していくことに他ならない。続いて,不確実性の共有から始まる学びについて,挙例しながら詳述していく。

3. 不確実性の共有:Shared uncertainty

3.1 不確実性が与える広がり

「ミロのヴィーナスを眺めながら,彼女がこんなにも魅惑的であるためには,両腕を失っていなければならなかったのだと,ぼくは,ふとふしぎな思いにとらわれたことがある」

清岡卓行は『手の変幻』の「失われた両腕:ミロのヴィーナス」の章でこう述べている4)。ミロのヴィーナスは,その彫刻作品として表現されている曲線美を含めた作品全体から,当時の彫刻技巧を知るうえで貴重な文化遺産で,そのドラマチックな発掘過程でさえ魅力的な芸術作品である。だが,清岡は,ミロのヴィーナスの美を象徴しているのが,失くした両腕にあると説く。「大理石でできた二本の美しい腕が失われたかわりに,存在すべき無数の美しい腕への暗示という,ふしぎに心象的な表現が,思いがけなくもたらされた」からこそ,両腕のないこの不完全なままのミロのヴィーナスとして,これだけ長い間多くの人を魅了していると説く。確かに,ヴィーナス像はその完全体がもっていた特定の美こそ失ってしまったが,欠けて残った姿の,全体像が見えてくるようで見えてこない不確かさが,妙に大きな広がりでもって見る者の心をつかんではなさない。目の前に映る事象のもつ不確実性を許容し,共有することで,何かしらの広がりを可能にすることができる。

3.2 情報行動学における不確実性

情報行動学における不確実性とは,人間が知覚可能な事象や事柄に対して,自身の知識や情報との間に生じる隔たりに感じる何かしらの感情・気持ちであり5),その際に認識する必要な情報や不足している知識がはっきりしない状態を示す。情報行動プロセスにおいては,得られる情報の質や量によって不確実性が変動するため,不確実性は感情的障害ともなりえ,迅速な情報収集を行うために必要な方針決定や,適切な情報を精査する状況判断にも大きな影響を与える6)。これらの性質から,不確実性に関する理解はネガティブなものが多いが,実は情報検索・情報探索(以下,情報行動)のきっかけを作り出す重要な要因という側面もある。不確実性が存在するとき,人はそれを取り除こうとする。情報行動学での不確実性のとらえ方に従えば,清岡の指摘するミロのヴィーナスの失われた両腕に象徴される,不完全な美術品においては,その欠陥がもたらす「はっきりしない何らかの情報・知識の不足」がトリガーとなり,見る者の情報行動を誘うのである。また,Kuhlthau7)によると,情報行動のきっかけとなった問題への理解を深めようとする欲求が刺激されることで,問題解決に向けて必要な取り組むべき課題を明確にしようと行動し,さらなる情報行動へのモチベーションが高まる。これにより,情報行動プロセスが主体的な学習プロセスとリンクして発展していくのだという。Shared uncertaintyの発想は,不確実性がもつこのような特性に注目することで,一般の理解と本質的に矛盾することなく,不確実性のポジティブな効果を積極的に評価していく。

3.3 ソーシャルな空間における不確実性

時代とともに,情報行動のホームベースが,図書館やデータベースのような特化した空間からオープンでソーシャルな空間へと移行していった2000年代になって,日常生活に密着した情報行動プロセスが注目され始めた。情報行動の場が多様化するとともに,情報行動によって不確実性が軽減された際の,情報内容に対する満足度が上昇し,かつ,取り組んでいる問題・課題への理解度が増すという共通認識がある7)。また,情報行動は基本的に一人で始まるが,このように不確実性と隣り合わせで進展するため,問題の複雑さと相まって,幅広い情報源を巻き込む傾向にあると報告されている8)9)。そのため,情報行動における不確実性は,さまざまな情報問題の源として指摘されている。

情報の不確実性が問題となる最たる例が,災害時や緊急事態における情報行動だ。幅広い情報源が存在し,かつ速報性の高いインターネットやソーシャルメディア上では,情報量の爆発的増大や,デマ・流言による混乱も避けられない。だが一方で,不確実性の存在が明白であったからこそ,個人それぞれがもち得た情報や知識が不確かであっても提供し合い,不完全な状態を補い合うことで当意即妙なコラボレーションを成立させていった例もある。

3.4 不確実性の共有が導くコラボレーション

2011年の東日本大震災では,フィンランド在住の日本人女性たちが,液体ミルク合計1万2,000個を6回に分けて12の異なる被災地に運搬し,各地域に散らばる乳幼児を抱えたお母さんたちに直接送り届けることができた。始まりは,この女性たちが,Twitterやブログ上で訴えたメッセージだった。「この便利な液体ミルクで,電気もガスも止められた日本の被災地で赤ちゃんを抱えているお母さんやその家族を助けたい」。その時点では,フィンランド航空の協力を取り付けた,という情報以外何もなかった。それでも,ネットで拡散された,この女性たちの明確な目的と確かな情熱は,多くの人の共感を呼んだ。女性たちは,液体ミルクを海外から緊急災害援助物資として届ける方法も,輸出入に関する書類審査も,Twitterのハッシュタグの使い方も素人だと吐露していた。同時に,被災状況が刻一刻と変わっていったため,報道や情報が混乱し,被害エリアも拡大していくという中で,液体ミルクが本当に届くのかさえ,本人たちが一番疑心暗鬼であった。

当時のTwitterで,女性たちは日本にいる他のユーザーたちに情報提供や液体ミルクに関する理解を日本に広めてほしいというリクエストをしていた。こうした問いかけに対する返答は,未確認情報から人づてに聞いた話,個人的知見や経験談,さらには,ミルクの成分に関する質問,女性たちがミルク製造会社の社員ではないかといった問い合わせにあふれていた。にもかかわらず,多くの人が入れ代わり立ち代わり,目に見えない被災地のお母さんたちへの思いに共感しながら,フィンランド在住の日本人女性たちを応援し続けた。結果として,成田空港から被災地まで運んでくれるドライバーを紹介してもらい,被災地域内で確実に液体ミルクを必要としている人に直接配布できるボランティアまで見つけることができた。

この実例においては,不確実性のポジティブな面が効果的に発揮されたといえる。つまり,最初から何も決まっていない中で,誰が誰に指示するわけでもなかった。曖昧で不明瞭なところに魅力を感じ,そこに興味をもった人たちが集まり,不確実性の排除も制御も行われることなく実行されていった10)

3.5 不確実性の共有からはじまる学び

不確定な情報,曖昧な知識があふれるインターネット環境では,非効率的な情報収集や,迅速な意思決定の妨害として不確実性が問題となっている。一方で,より確実で迅速な情報提供,情報拡散の基盤となるよう,ネット上から不確実性を抑制できるよう情報を統一化する動きや,大規模情報処理技術による不確実性を取り除くアプローチが解決策として認知されている。これは,不確実性を減らすことだけにフォーカスしすぎてはいないか。

不確実性をすべて排除するアプローチでは,不確実性のもつ目にみえないポジティブな面までも制限してしまう。災害時におけるSNSやネットの役割として,被災地外からの情報サポート体制が限定的ではあるが速攻性をもって立ち上がり,また地域に密着した情報提供やメッセージのリレーによってタイムリーな対応を可能にしているケースも多く報告されている。フィンランドの例が示すように,あらゆる不確実性を許容し共有していくことで,デマや誤認情報が存在する情報環境の中でも,リテラシーをもって一人ひとりが取捨選択して情報行動を展開していくことは可能ではないだろうか。この不確実性がもつポジティブな側面とネガティブな側面の相反する潜在的相互作用は,インターネット環境が与える大いなる可能性を秘めているような気がしてならない。

清岡が認めているように,失われた両腕を復元し,ヴィーナスの原型をとらえようとする試みは正当であり,正しい知識への追求ととらえることができる。だが,復元案をもとに表出される完全なるヴィーナス像は,あるべき姿=確かな知識として結論づけることで,新たな知の創造への展開を狭めてしまうのではないか。これは,インターネットに広がるさまざまな法規制の動きにも関連してくる。

2017年12月,米国連邦通信委員会が「ネットワーク中立性」の原則撤廃案を発表し,新たな「インターネットのあるべき姿」が政府によって確定される動きが始まった11)。一方で,インターネットのインフラであるアルゴリズムは,法律よりはるかに不透明だ。にもかかわらず,アルゴリズムは,法整備の気配はなく,逆に,目にみえない力で物理的にも環境的にも,ある一部のステークホルダーに有益な制約を作り出し,一般社会生活を独自に支配しているという懸念も広がっている12)

4. おわりに

ありとあらゆる不確実性とともに進化しているインターネット環境では,不確実性の共有に何かしらの希望を感じる。確信のもてない情報でも,頼りない知識であっても,共有することで,学びのメカニズムである知識のトランスファー,コントロールのトランスファーがどこかで作動し,清岡のいう「あるとらえがたい神秘的な雰囲気」によって微妙な全体性をつくりだすのではないだろうか。何がデマで,どれが不確かな情報かを自ら判断できるスキルや知識が今後ますます必要となる。こうした個人が養うべきリテラシーを自ら考え鍛えるチャンスが奪われるようであってはならない。

執筆者略歴

  • 高澤 有以子(たかざわ あいこ) aikot@illinois.edu

2008年9月よりイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 情報科学大学院研究科博士課程在籍。ミシガン州立大学 農業天然資源学部卒業,ミシガン大学 情報大学院情報学修士課程修了。専門は,情報行動とコラボレーション,災害支援と情報通信技術,スモールデータ。主な研究課題は,情報検索プロセスにおける学びのメカニズムの解明。

本文の注
注1)  ここで意味する「知識」は,単純に,知ること,認識・理解することであり,言語化される知と言語化されず個人の内に存在する知の両方を含む。「知識のトランスファー」とは,さまざまな形態の対話を通じて知識を展開すること,言語化されていない知識を違う形に変えて表現・表出すること。

注2)  ここで意味する「コントロール」とは,提供する知識や情報の所有権や発問者・発言者としての支配権・管理権のこと。「コントロールのトランスファー」とは,知識の展開や情報の利用を提供者が誘導・支配しないこと。また,反対にそうした支配権・管理権を他者に委ねること。

参考文献
 
© 2018 Japan Science and Technology Agency
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