Journal of Information Processing and Management
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How do we define "information"?: (10) Beyond the informatic turn
Toru NISHIGAKI
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2018 Volume 60 Issue 12 Pages 887-890

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著者抄録

インターネットという情報の巨大な伝送装置を得,おびただしい量の情報に囲まれることになった現代。実体をもつものの価値や実在するもの同士の交流のありようにも,これまで世界が経験したことのない変化が訪れている。本連載では哲学,デジタル・デバイド,サイバーフィジカルなどの諸観点からこのテーマをとらえることを試みたい。「情報」の本質を再定義し,情報を送ることや受けることの意味,情報を伝える「言葉」の役割や受け手としてのリテラシーについて再考する。

連載の最終回は,「情報学的転回」を取り上げる。20世紀に社会的価値観の変容をもたらした「言語学的転回」を踏まえ,情報学的転回は情報という概念を中心にして知の枠組みそのものを変える。AIブームに沸くいま,改めて真の情報教育の必要性を説く。

本稿の著作権は著者が保持する。

情報を根底から問いかける

『情報学的転回』1)という本を私が書いたのは,もう10年以上前,2005年のことだ。ご存じの方も多いだろうが,情報学的転回(informatic turn)という用語は,20世紀初頭の「言語学的転回(linguistic turn)」を踏まえた,新たな変化を指している。

直観的には,1990年代半ばに話題を集めたマルチメディア化に対応しているといってもよい。以前,書籍雑誌,テレビ,ラジオなどは,技術的にはそれぞれ別々の独立したメディアだった。だが,コンピューターによって文字,画像,音声,動画などをすべてデジタル情報として統一的に扱うマルチメディア技術が,社会や文化の様相を抜本的に変えてしまった。わかりやすい例として,多機能携帯電話の普及を挙げておこう。さらに,2000年代後半,テレビの地上波デジタル放送によって,テレビ番組を携帯電話やパソコンの画面で視聴することが可能になったことも身近な変化だった。

つまりコンピューターで処理できるデジタルな「情報」が人間同士のコミュニケーションの基層を担うようになったこと,それが技術革新のもたらした情報学的転回の最もわかりやすいイメージである。書籍や新聞などの印刷文字言語によって近代がつくられたというのはメディア史の常識だが,言語をふくむ包括的概念として「情報」が登場したのである。

だがここで注意しておこう。実は情報学的転回とは,決して,単なるコミュニケーション技術革新だけの問題ではない。それは,人間の思考のもっと深い次元に関わっている。われわれの世界観や人間観,さらにそれらを支える知の枠組みそのものの変容なのだ。要するに,情報という概念を中心にして人間の思考がガラガラと組み直されるのが,情報学的転回というものなのである。

さて,残念ながら2000年代,この言葉はあまり人々の口に上ることはなかった。たぶんその理由は当時,デジタル情報とは理系のコンピューター用語だと見なされ,情報技術は文系の社会的な活動にそれほど直接には影響しないと思われたためだろう。しかし,2010年代後半の今,AI(人工知能)技術の急速な発展とともに,そんな悠長なことはいっていられなくなった。入社試験や勤務査定にAIが用いられ,多様な職場で頭脳労働者が首を切られてコンピューターに置き換えられると予測されているのだ。誰もがいやでも情報学的転回に向き合わねばならない時代になったのである。

言語学的転回とは何だったのか

さて,慌てふためく前にここで冷静に振り返っておこう。20世紀の言語学的転回とは何だったのだろうか。まず,学問的には,これは英米系の分析哲学の分野で盛んに唱えられた主張である。特に米国哲学界の大御所リチャード・ローティの編集した『言語論的転回(邦訳)』という書籍2)によって有名になった(なぜか分析哲学の世界では「言語学的転回」ではなく「言語論的転回」と呼ばれることが多いのだが,原語は「linguistic turn」で同じ)。これを平たくいうと,もの(対象)が先にあってそれに名前のラベルが貼ってあるのではなく,まず言葉があってそれによって世界が立ち現れる,という哲学的な考え方なのだ。以前は,世界の中に実体としてのもの(対象)があって,その性質や関係を正確に認識し,記述することが哲学の課題だった。だが,そうではなく逆に,表現された言語の側から思考を組み立てていくべきだというわけだ。確かに言葉の網目によってわれわれは対象をとらえる他ないのだし,こういう思考の逆転を「転回」といっても構わないだろう。かつてヴィトゲンシュタインが格闘したように,「まず言語ありき」なのである。記述された言語命題の緻密な論理的分析を重んじるのは,現在も英米系哲学の主流となっている。

とはいえ歴史的には,「まず言語ありき」という考え方を始めたのは,むしろ独仏などの大陸系の思索者だったのだ。言わずと知れた近代言語学の祖,ソシュールである。仏語だろうと英語だろうと日本語だろうと,あらゆる言語は,その構造(語彙や文法など)により独自の方法で世界を分節化し,もの(対象)を析出させる。だから世界は相対的に立ち現れ,記述されることになる。これが構造主義であって,ソシュールによる構造言語学の誕生は19世紀後半のことだった。だが,その影響は言語学にとどまらず,構造主義(ポスト構造主義)哲学,文化人類学,社会学,政治学などに及び,およそ20世紀後半の社会思想を席巻したのである。

きっかけはレヴィ=ストロースの構造主義人類学にあったといえるかもしれない。これによれば,有色人のいわゆる未開社会の言語・文化も,西欧白人のつくった近代社会の言語・文化も互いに相対的であり,どちらが絶対的に優れているとはいえないことになる。まさに根本的な文化批判だった。

西洋の伝統的世界観では神が世界をつくったのだから,神の論理秩序に基づく普遍的概念が存在し,その正しい認識が真理追求だと見なされていた。神の威力が衰えた近代になっても,そういう考え方自体は進歩主義のうちに受け継がれ,白人たちは有色人の言語・文化は遅れており教化啓蒙(けいもう)しなければならないと思い込んでいたのである。だが,構造主義思想はこういう不遜な白人中心主義に冷水を浴びせかけた。地球上のさまざまな言語・文化は独自の価値をもっており,それぞれの多様な世界観を尊重しなくてはならない。21世紀現代社会を貫く多元的価値観は,このような歴史的背景の下に成立したのである。

つまり言語学的転回は,巨大な社会的価値観の変容をもたらしたのだ(哲学だけの話ではないので,言語論的転回ではなく言語学的転回という訳語の方が妥当だろう)。

AIブームは何をもたらすか

情報学的転回とは,言語学的転回をさらに一歩推し進めるものである。言語がコミュニケーションの支柱であるのは事実としても,人間社会のコミュニケーションは,表情や身ぶり,それらを伝える画像や映像などによっても行われている。特に非西洋ではその傾向が強い。それらを扱うのが情報学だとすれば,情報学的転回という用語は,21世紀グローバリゼーション時代のキーワードとして極めて適切なものではないだろうか。それは,インターネット資本主義を基に欧米の価値観を一方的に拡大していくのではなく,むしろインターネットを手段として地球上の多様な文化を交流させ,持続的な地球社会をもたらそうと画するのだ。

しかし,である。果たして,現在のAIブームは情報学的転回を促進しているのだろうか。私には逆に,今のAIは,欧米の価値観に追随しながら言語学的転回以前に立ち戻ろうとしているようにみえてならない。これを杞憂(きゆう)といい切れるのか。

よく知られているように,現在のAIブームをもたらしたのは深層学習というパターン認識機能である。脳神経モデルに基づくこの技術は,理論的にはそれほど新しいものではないが,以前はコンピューターの計算能力が低くて実用にならなかった。2010年代に入ってこれが実用化され,ビッグデータ処理に有用だとして評判が高いのである。画像・映像・文章など各種パターン認識処理の効率向上への期待は大きい。インターネット経由で流入するデータ量は,とても人間が処理できるレベルではないからだ。深層学習の技術的特徴は,事前にパターンの特徴を人間が与えなくても自動的に分類を行えるという点にある。よく知られているのは,2012年のGoogle社による「猫認識」の実験で,これはYouTubeの映像から抽出した約1,000万の画像からAIが猫の顔を自動認識したという。こういった成功例から「今やAIは概念を学習する能力をもった」と吹聴するAI学者さえ出現した。しかし,この発言は明らかに言語学的転回を無視した妄言に他ならない。

深層学習AIが学習した「概念」とはいったい何だろうか。実はAIは,単に統計処理によって外見上の形式的分類を行っただけで,猫という生物的概念を認識したわけではない。だが,「AIが概念を学習した」というとき,暗に仮定されているのは,「機械が普遍的概念を獲得した」ということなのだ。これはまさに言語学的転回以前への後戻りに他ならない。

絶対的・普遍的概念など存在しない,というのがソシュールの主張した構造主義だったのである。それなのに,コンピューターを絶対神にしてよいのか?――いや,AIの自動分類の後で人間が調整すれば大丈夫だ,という反論が出てくるかもしれない。だが,行われる分類の調整が,もし英語の分類に基づいてなされるなら,それはまた新たな反構造主義・欧米文化追随主義への回帰となってしまうだろう。

情報学的転回を目指して

深層学習を中心としたAIがビッグデータ処理に有用なことは確かだ。そのことにケチをつけるつもりはない。だが,欧米の価値観に従うAIに社会的判断を丸投げするなら,科学技術立国や経済大国の名が泣く。21世紀にAIを活用していくには,単なる技術的な専門知識だけでなく,広く文理にわたる知識を基に直観を働かせる必要がある。ではいったい,どうすればよいのか。

まずは,本格的な情報教育が不可欠だろう。ここでいう情報教育とは,決してコンピューター・プログラミング教育だけのことではない。情報という概念を根底からとらえ直し,人間が生きていく必須条件を見極め,コンピューターによるその支援方法を問いかけていく知的作業が求められているのである。

執筆者略歴

  • 西垣 通(にしがき とおる) nisigaki@tku.ac.jp

情報学者。1948年生まれ。東京大学工学部計数工学科卒,工学博士。東京大学大学院情報学環教授などを経て現在,東京経済大学教授。東京大学名誉教授。文理にまたがる基礎情報学の確立を目指す。『デジタル・ナルシス:情報科学パイオニアたちの欲望』(サントリー学芸賞,岩波書店),『マルチメディア』(テレコム社会科学賞,岩波書店),『基礎情報学(正・続)』(NTT出版),『ビッグデータと人工知能:可能性と罠を見極める』(中央公論新社)など著書多数。

参考文献
  • 1)  西垣通. 情報学的転回:IT社会のゆくえ. 春秋社, 2005, 247p.
  • 2)  Rorty, Richard. ed. The Linguistic Turn: Recent Essays in Philosophical Method, University of Chicago Press, 1967, 393p.
 
© 2018 The Author(s)
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