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Vol. 60 (2017) No. 2 p. 137-140

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http://doi.org/10.1241/johokanri.60.137

この本!~おすすめします~

この本! おすすめします 情報通信と犯罪対策とのせめぎあいの原点から:情報社会における「安全」を求めて

逆探知できない誘拐事件?

子どもが誘拐された……蒼白な顔をして犯人からの連絡を待つ親,録音機をセットし緊張する現場の刑事たち,そして電話の着信。刑事がささやく。「できるだけ会話を引き延ばしてください」。通話後,現場の指揮官が叫ぶ。「逆探知はどうなっている!?」……刑事もののドラマや映画ではおなじみの場面であるが,そのリアリティーはさておき(多くはアナログ回線時代の古いイメージである),ここでは「誘拐捜査で逆探知は可能」ということが当然の前提とされている。

しかし,実は,わが国のそう遠くない過去,誘拐のように子どもの生命が今まさに危機にひんしている状況でも,「逆探知」という捜査手法を採ることは決して当たり前のことではなかった。通信の発信元の探知は,いかなる状況でも,「通信の秘密」を侵害するのでできない,と解釈されていた時代があったのである。

時は昭和38(1963)年にさかのぼる。東京オリンピック前夜であり,コミックや映画で話題を呼んだ『三丁目の夕日』の時代設定ともなったこの頃,東京都台東区において「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件」が発生した。わが国における初めての本格的な営利誘拐事件であった。この事件捜査において,当時の日本電信電話公社は,当初,「通信の秘密」を理由に,発信元の探知には協力できない,という姿勢であったとされる。その後,警察当局の強い要請により,内閣法制局の法制意見注1)まで得て,逆探知が可能という解釈に変更された,という経緯がある注2)

「通信の秘密」と,捜査と予防を含めた「犯罪対策」の必要性との「せめぎあい」は,現代のICT社会となってからも,スパムメール対策,マルウェア感染端末の特定などさまざまな場面で顕在化し,その都度,「逆探知はできない」的なリジッドな解釈が,徐々に柔軟な解釈へと変更されてきているが,そのような「せめぎあい」の原点に,「吉展ちゃん事件」があるのである。

組織内の葛藤と人間ドラマ

ところで,「吉展ちゃん事件」といっても,今日では知る人は少ないであろう。しかし,当時は,日本国中が注目した大事件であった。その概要を知ることのできる比較的新しい書籍として,当時,事件取材の渦中にいたジャーナリストが,後日明らかになった事実も含め改めてまとめ直したのが,中郡英男著『誘拐捜査:吉展ちゃん事件』(集英社,2008)である。

「逆探知」から話を始めておいてこのようなことを申し上げるのも気が引けるが,この本で逆探知の件に触れられている部分はほんのわずかであり,この本の本当の面白さは,事件捜査をめぐる警察組織内部の葛藤や,刑事たちの人間ドラマ,そして真犯人の人間像にある。

たとえば,当時の捜査陣は,身代金受け渡しという犯人検挙に絶好の場面において,現場の判断ミス等から,犯人を捕り逃がしたうえで身代金も奪われるという大失態を犯してしまったが,その捜査失敗の事実を公表せざるをえなくなったとき,できるだけ捜査側のミスをぼかす方向で発表したこと。厳しい批判を展開するメディアへの対応に苦慮する幹部。有力容疑者(後に真犯人と判明)がいったん「シロ」とされた後で,新しい捜査陣が行った同人の再捜査をめぐり,旧捜査陣との間で起こったメンツも絡んだ激しい対立。頑強に否認する容疑者を時間的にぎりぎりの瞬間で自供に追い込んだ職人気質の刑事。他方で,その刑事の頑固な態度にとまどう幹部たち。刑事たちの功名心と嫉妬が入り交じった複雑な心情が垣間見えるエピソード……これらの内容は,警察組織に限った特別なものではなく,現在の企業や官庁といった組織に場面を移し替えて想像してみても,危機管理,組織管理などの諸点で相通じるものが多い。また,真犯人の生い立ちから,犯行に及ぶ経緯,受刑者となってからの改悛(かいしゅん)に至るまでの人間としての実像も併せ,興味深く読める書籍であると思う(なお,吉展ちゃん事件に関するノンフィクションとして,本田靖春著『誘拐』(筑摩書房,2005)もお薦めしておく)。


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『誘拐捜査:吉展ちゃん事件』,中郡英男著,集英社,2008年,1,700円(税別)現在,品切重版未定, http://www.shueisha-cr.co.jp/CGI/book/detail.cgi/0048/

通信機器の向こうの犯罪者

さて,吉展ちゃん事件の犯人は,脅迫電話の声が録音され,それが公開されたことが事件解決のきっかけとなった。サイバー犯罪の時代となっても,通信機器の先には必ず生身の人間がいて(そして機器のこちら側にも生身の捜査官たちがいて),その人間との対決が犯罪捜査の要となることは,電話の場合と同様である。

そして,その生身の人間のプロフィールや,犯人を通信機器の先から現実空間にあぶり出す手法は,やはり時代を反映するのである。そこで,現代のICT社会において,通信機器の先に潜む犯罪者の実像をリポートした書籍を紹介したい。

まず,いわゆる「ハッカー」に関するものを1点。「インターネットの自由」「情報の自由」を信奉する「アノニマス」という実態不明のグループが,自らの主義主張に反すると断じた組織や個人に対し,DDoS攻撃によってサーバーをダウンさせて損害を与えたり,個人情報の「晒(さら)し」によって社会的抹殺を謀る,といった事件は,ICT社会ならではの現象であるが,その実態を,メンバー本人への丁寧な取材で追っているのが,パーミー・オルソン著,竹内薫訳『我々はアノニマス:天才ハッカー集団の正体とサイバー攻撃の内幕』(ヒカルランド,2013年)である。ネット上に現れる彼らの過激な言動と,その人間としての実像とのギャップが,現代のサイバー空間に潜む荒涼とした光景を想起させ,わが国で多発している「炎上」事案を盛り上げているネット住民たちにも,相通じるものがあるのでないか,と想像させるものがある。また,彼らの実態を解明摘発した米FBIの捜査手法は,割り出しに成功したアノニマスのメンバーを,取引により「協力者(情報提供者)」としたものであったことも,本書では触れられており,今後のわが国のサイバー犯罪捜査においても参考となるであろう(なお,アノニマスのような主義主張に基づくタイプではなく,主に金銭目的の犯罪者もサイバー空間には多数生息しているが,その実態は必ずしも明らかになっていない。サイバー空間の奥底のディープな犯罪実態を垣間見せてくれる書籍として,セキュリティ集団スプラウト著『闇(ダーク)ウェブ』(文藝春秋,2016)を挙げておく)。


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『我々はアノニマス:天才ハッカー集団の正体とサイバー攻撃の内幕』,堀江貴文序文・監修;パーミー・オルソン著;竹内薫訳,ヒカルランド,2013年,2,000円(税別)http://www.hikaruland.co.jp/products/detail.php?product_id=295

ネットで求婚?~イスラム過激派による女性リクルート

次に,現代社会の大きな脅威の一つであるイスラム過激派に関するものを1点。イスラム過激派の活動においても,ジハード思想のプロパガンダ,テロリストのリクルート,テロ実行の打ち合わせや指示等にサイバー空間は大きな役割を果たしているといわれているが,「イスラム国」の「ジハーディスト(聖戦士)」が,スカイプを通じ,欧州女性にアプローチする実態を,自らを「おとり」としてリポートした記録が,アンナ・エレル著,本田沙世訳『ジハーディストのベールをかぶった私』(日経BP社,2015年)である。実際に会ったこともなく,Facebook上だけで知り合った女性(同書の著者)に対して,スカイプの会話を通じ,執拗(しつよう)にイスラム国への渡航と結婚を要求してくるネットの先のジハーディスト…。イスラム国は,戦士たちの配偶者要員として,インターネット等を通じて欧州在住のイスラム教への改宗女性をリクルートしているといわれており,現実にイスラム国への渡航を決行する欧州女性が現れている。ここでも,サイバー空間の新たな闇をうかがい知ることができよう。


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『ジハーディストのベールをかぶった私』,アンナ・エレル著;本田沙世訳,日経BP社,2015年,1,800円(税別)http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/books/P50910.html

ICT技術の発展と捜査側の対抗手段

また,同書においては,ジハーディストとのネット上の通信が,フランスの治安当局によって継続的に監視されていたことが記述されている。筆者は,在フランス日本国大使館に警察アタッシェとして勤務していた経験があるが,現地の治安機関関係者は,テロ対策のために広範な通信傍受やネット監視を行うことは当然,という立場であった。「日本ではどうしているのか」との質問に対し,「通信傍受法は一応存在するものの,制定時のイデオロギー的反対論が強く,あまりに要件が厳格なものになりすぎて,ほとんど活用できていない」旨を説明すると,「よくそれでテロ対策ができるものだ」「日本はそれだけ平和だってことかねえ」となかば驚かれ,なかばあきれられたりしていたことを思い出す注3)

通信機器・通信手段の発達にしたがって,通信機器の先にいる犯罪者を突き止めるための手法もまた高度にならざるを得ないが,そうした犯罪対策の必要性は,観念的な人権論やイデオロギー的議論では理解できない。現実に犯罪者側がどのような手法を使っているのかを,具体的にイメージしたうえで,対抗手段の適否について考えていただきたいと思う。誘拐事件でも逆探知すらできなかった,という時代に始まった情報通信と犯罪対策とのせめぎあいは,新たな通信機器やそれを利用した犯罪手口の発達に伴い,今後も続いていくであろう。

素朴な正義感こそ原点

ところで,筆者が警察を志望した一つのきっかけは,東京都足立区綾瀬で1988年に発生した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」であった。「こんな理不尽なことがあってよいのか」という素朴な正義感が,犯罪と対決する法執行機関での仕事に携わろうというモチベーションになったのだが,過去から現在に至るまで,弱者の生命を奪ったり,いたぶったりするという卑劣な行為は,リアル空間でもサイバー空間でも,残念ながら絶えることはない。弱者の生命を奪う一つの典型は子どもの誘拐殺人であるが,吉展ちゃん事件はおそらくはわが国における初めての例である。また,1988年の女子高生殺人にみられる「いたぶり」を楽しむかのような犯罪者の心情は,ネット上での「晒し」やリベンジポルノ投稿などを平然と行う者の性向と相通じるものがあるように思われる。私もそうであるが,警察で犯罪と闘っている者が,たとえば通信傍受やネット監視などの「有効な武器」が欲しい,と考えるのは,時として誤解されがちな「国家による国民監視」のような話ではなく,純粋に,弱者の人権を侵害する犯罪者を野放しにしてはならない,という正義感であることをご理解いただければ幸いである。

今後の「情報社会」と「犯罪対策」のせめぎあいの是非を考えるに当たって,今回ご紹介した書籍は,読者の皆さんの何らかの役にたつのではないだろうか,と考える次第である。

執筆者略歴

  • 岡部 正勝(おかべ まさかつ) mokabe@sfc.keio.ac.jp

慶應義塾大学総合政策学部教授,武蔵野大学法学部客員教授。1990年東京大学法学部卒,警察庁入庁。在フランス日本国大使館一等書記官等を経て,2014~15年まで,警察庁長官官房に設置されたサイバーセキュリティ担当の初代参事官として,警察のサイバーセキュリティ対策全般を統括。2015年より慶應義塾大学総合政策学部教授として出向し,サイバーセキュリティ,社会安全政策を講じるとともに,小中高の児童生徒に対し,同じ「デジタルネイティブ」世代の大学生が,ネット上の危険や情報モラルについてわかりやすく教える「サイバー防犯ボランティア研究会」を主宰,首都圏を中心に多数のボランティア活動を実施している。

本文の注

注1)  わが国の法令は,すべていずれかの省庁が所管し,有権解釈を行っている。ただし,各省庁において解釈に疑義が生じたり,関係省庁間で解釈をめぐる争いがある場合には,内閣法制局に質疑を行い,その意見を求めることがある。内閣法制局「意見事務・審査事務について」参照 http://www.clb.go.jp/info/about/work.html

注2)  本稿は,「通信の秘密」をめぐる法解釈の議論に深入りするものではないが,興味のある向きは,以下を参照願いたい。なお,諸外国においては,通信内容以外の部分(インターネット通信におけるヘッダ情報など)の保護の程度は低く,通信先や発信元も含めたすべての情報を手厚く保護しようとするわが国の「通信の秘密」の解釈は,外国との比較では例外的なものである。

情報セキュリティ大学院大学「インターネットと通信の秘密」研究会「インターネット時代の『通信の秘密』再考」(2013年6月) http://lab.iisec.ac.jp/~hayashi/20130608Report.pdf

通信の秘密研究会 高橋郁夫 「『通信の秘密』の数奇な運命(要旨)」(総務省) http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/policyreports/chousa/next_generation/pdf/080523_2_si8-7.pdf

注3)  『平成26年版 警察白書』(https://www.npa.go.jp/hakusyo/h26/honbun/pdf/04_tokushu.pdf)36ページによれば,2013年のわが国における通信傍受令状の発布件数は64件(人口10万人当たり約0.05件)であるのに対し,2012年,米国では約3,400件(同約1件),英国約3,400件(同約6件),ドイツ約2万4,000件(同約29件)等と大きな開きがある。また厳密には,わが国の通信傍受法は,犯罪が起きてからの捜査に関する「司法傍受」を定めるのみであるのに対し,欧米諸国は,通常,上記の件数に現れた司法傍受のみならず,テロ組織の実態解明などのための「行政傍受」(安全保障傍受)を広範に認めており,テロ計画の事前の摘発等に,大きな役割を果たしているといわれている。

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