情報管理
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視点
視点 包括的思考で考える社会と情報通信技術
高澤 有以子
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2017 年 60 巻 3 号 p. 196-200

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1. はじめに

米国の大学院では,通称「ABD」という非公式の称号がある。All But Dissertationの略称で,簡単にいえば,博士号取得まであと一歩,博士でも学生でもないが,一応,技量としては,専門分野を開拓していく認定を所属研究科が与えた博士見習い,といった立場だ。ABDでのデメリットは,自身の研究プロジェクト以外の研究に参加しづらいことだ。ABDの優先順位は博士論文のための分析・執筆を終わらせることなので,他人のプロジェクトに首を突っ込んでいると,その研究成果を学会発表や学術誌掲載等といった実績で証明しない限り,指導教官からは止めの突っ込みが入る。はたまた学部長との廊下での立ち話で,軽はずみに博士論文以外のプロジェクトの話をすると,「発表,楽しみにしているよ,博士論文のね!」と痛いリマインダーをいただく。

逆に,ABDでのメリットは,学内で担当教科をもつことによって,実地訓練を積むことになるため,博士号取得後のための準備にもなることだ。講義資料や授業課題作成・学生指導を行いつつ,専門分野のアップデートが即時に可能な教職は,他の研究プロジェクトへ参加し時差のある研究成果を待つことよりも,学部長を含めた内部から支持を受けやすいのだ。つまり指導教官のお墨付きもあるので,たとえ博士論文未完成の立場でも,かなり抑えられた罪悪感で引き受けることができるのである。しかも,担当可能な科目が必修教科と関連するとなると,重宝される。

そんな背景もあって,筆者は,現在ABDという立場ではあるが,2017年5月で約3年半目の教職を迎える。これが,今の筆者の立場である。ABDの置かれる現状や意味合いは,米国内でも各大学内,専門分野で異なるであろう。しかし,ここは「視点」である。ABDという曖昧な立場を有効活用させていただくことにする。したがって,以下は,イリノイ大学情報科学大学院(研究科)に所属するABDの私的観察・実地経験に基づいて,担当教科である“Social Aspects of Information Technology”について論じていきたい。

2. 社会と情報通信技術“Social Aspects of Information Technology”

情報通信技術の発展により,「情報」だけでなく,ヒト・モノ・コトまでも今までにないスピードとスケールで動かすことができる現在,われわれは日常,何らかのネット技術・携帯用機器を用いて,さまざまな恩恵を受けて社会生活を営んでいる。これらを可能にしているのがInformation & Communication Technology(ICT)である。このICTという現代語が含意する「情報通信技術」とは,社会基盤と技術基盤の相互作用に基づく進化とともに存在している。インターネット技術は,その一例にすぎない。たとえば,ネット技術と関わるか否かによらず,絵文字,図表(電子的・物理的),書物(電子書籍・物理的書籍),ゲーム(盤面・電子),QRコード,無線機,そしてグラフィティや古代壁画なども,すべてICTといえる。つまり,ICTとは,どの時代にも存在してきた,社会に根ざしているアーティファクトである1)

では実際に,どのようにICTが社会に根ざした存在であるか,関連する社会問題から考察する。最近では,個人情報漏えいや,プライバシー侵害,デマや捏造(ねつぞう)された情報による混乱などが挙げられる。こうした2017年現在の状況について,Webの生みの親であるSir Tim Berners-Leeはネット環境における3つの問題点を指摘している2)

(1)個人情報の管理権が,個人ユーザーではなくサービス提供者・プロバイダー側に帰属することが常態化している点。これは,ネットサービスを利用するユーザー側にとっても,サービスを通じて簡単にいつでもどこでも情報検索ができ,店舗情報や,商品価格の比較やその評価を他の消費者の意見として情報を集めることができる利便性を享受できることから,個人情報の管理権を提供することによって,サービス規約に合意せざるを得ないのだが,各ネットサービスとの相互運用のために必要な「第三者」との連携が介入するといったことへの説明が明確ではなく(実際,誰も読まないであろう長さの契約文が提示される),ユーザーも何の疑念もないまま,そうした利用規約に同意するよう執り行われている問題がある。また,個人ユーザーは,誰にどの情報がいつ共用されているか知ることができない状況であるにもかかわらず,サービスの利用許可が必要なために,サービス規約に同意するのが慣例となっている。さらに問題なのは,プロバイダー側はユーザーに特化した情報提供サービス向上の名の下に,政府と協力して,あるいは単独でわれわれユーザーのオンラインでの振る舞い一つ一つを監視できるよう整備している。こうしたネットサービス,特にソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)や検索サイトを介在したニュースサービスの爆発的な普及は,

(2)誤った情報も簡単に拡散してしまうという問題が生じている。プロバイダー側に膨大に蓄積される個人データを一極集中的に保存できるため,フィルターバブルにみられるアルゴリズムによる情報源操作によって,ユーザー好みの情報を提供し,関連リンクへのクリックを促すよう意図的に操作している。それはつまり,個人ユーザーの何気ないワンクリックに付随する情報付加価値を利用した個人情報の転売行為であり,かつ,個人ユーザーの感情に訴えかけるようなショッキングでエキサイティングな情報をあえて提供するといった偏った誘導を行っているため,デマや誹謗(ひぼう)中傷に満ちた内容の情報までもが,無警戒に共有され,その結果,まるで飛び火のごとく,あらゆる情報が簡単に拡散してしまう。実際に,

(3)2016年の米国大統領選挙では,ソーシャルメディアを使った政治宣伝や広告媒体による有権者獲得戦略など極めて巧妙な選挙運動が行われ,フェイクニュース問題にみられる広告活動に有利な情報操作が可能となった。こうした現状は,ネット・Webの基本的使命である,「ネットユーザーなら誰もが平等に主権をもつ」という理念に反しており,開かれたWebであるべきネット環境での組織的不均衡なインタラクションが増長傾向にある注1)

また,ICTが社会に根ざしたアーティファクトであるという定義を満たすもう一つの社会現象として,働き方とICTの関係がある。オートメーションやコンピューター化による既存業務の自動化や,近年における人工知能を搭載したロボット導入による人員置き換えへの不安も取り上げられている3)4)。クラウドソーシングによるサービス提供の裏で,配車サービス,ウーバー(Uber)にみられる労働環境や,アマゾンメカニカルターク(Amazon Mechanical Turk)のようなクラウドワーカー・マイクロタスク業務の低賃金化,労働の買いたたきの現状が指摘されている5)。米国大手ビジネス特化型SNS・LinkedInのCEO,Jeff Weiner3)は,第4次産業革命の到来として,「多くの仕事が消滅し,やってくるその変化は新たな労働を創造するよりずっと速いスピードで現実化してくる。したがって,オートメーションやロボットに取って代わられる労働者たちや,これから社会人になる学生たちの未来は,既存の,SNSを最大限利用することによって切り開かれ,求められるスキルや知識は,彼らが想像する以上の速さで変化していくだろう。LinkedInのようなSNSの有用性はますます高くなり,労働者たちにとってSNSは,ジャストインタイム方式の労働条件を適時適切に得られる重要なリソースへの窓口となる。つまりSNSは,労働者にとって,そのとき必要なスキルや知識を得る活路を見いだすために必要不可欠なものとなるだろう」と発言している注1)

こうした実例から,ICTが社会基盤と技術基盤の相互作用に基づく進化とともに存在し,また使い手となるユーザーが使いこなしていく過程とともに構築されていくアーティファクトであり,また,社会全体に関わる複雑な問題でもあることが,はっきりと理解できる。では,こうしたICTに絡んだ社会問題を読み解くには,どんな思考力やアプローチがあり,どんな教育を提供できるのだろうか。

その一つの例が,INFO202である。

3. “Social Aspects of Information Technology”: INFO202とは

筆者が担当しているINFO202注2)という授業では,上記に述べた社会問題を踏まえて,ICTと社会の構成要素をさまざまな実例とともに論考している。「情報社会」や「社会システム」といった固定された側面からみていくのではなく,ICTが社会と技術の発展と切っても切れない要素であるからこそ,それを取り巻く環境の社会的,経済的,文化的側面だけでなく,人間を含めた複雑な相互作用の関係性をひもとき,考え抜くために必要なツールとして包括的視点を育てること,各生徒が,実体験を踏まえて,授業で取り上げる時事問題を検証し,社会とICTに関する新たな理解をつくり出していくことを目標としている。たとえば,学生が日常使用しているInstagramやFacebookを具体例に置き換えて,Zuboffが提唱した「情報パノプティコン」6),Grosserによる情報の数量化・数字化が施す「グラフォプティコン」7)といった理論を用いて考察している。個人情報,プライバシー,監視,知的財産権,コピーライトとコピーレフト,労働の法整備やシェアリング経済の仕組み,情報通信機器の製品ライフサイクルなどをテーマごとに取り上げ,異なる分野の実証研究から導き出された理論や概念,議論の仕方を取り入れながら授業を行っている。

3.1 大学総合カリキュラムの中での位置づけ

では,INFO202をより大きな枠組みでとらえてみるために,大学内での位置づけを考察する。

INFO202はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校での教養課程で必修となる社会科学・行動科学群の中の一つで,必修単位を満たす教科となっている。また,所属する学系以外の副専攻としてインフォマティクスを登録した場合の必修科目でもある。そのため,新入生を除いた全学部生対象に開講されている。総勢120名の学生の顔ぶれは,各学期とも,2年生から4年生まで,見事に多種多様である。所属学部も,全学部から来ているといっても過言ではない。ファイナンス,会計,経済,統計,保険数理,コンピューター工学,音楽,広告,生物化学,ビジネス,農業,英文学,コミュニケーションという具合だ。筆者が教え始めた2012年からこうした特徴に変化はみられない。毎学期の登録状況が受付人数の120を超えることを加味すると,人気は安定していると判断できる。

3.2 学問としての位置づけ

また,学問としての位置づけも面白いので紹介したい。INFO202という名称は通称で,正確な登録授業名は,「インフォマティクス」「情報科学・図書館情報学」「メディア・コミュニケーション学」といった3つの異なる名称が用いられている(番号表記は各名称共通。英語名は,Informatics, Information Sciences/Library & Information Sciences, Media and Cinema Studies)。インフォマティクス副専攻を設立する準備段階から携わってきたLori Kendall教授によると注3),当初はコンピューター工学・コンピューター科学の学生と図書館情報学を副専攻にしている学生向けの必修カリキュラムとして作られたという。2008年頃に開講してから,他学部からの要望もあって徐々に,現在の3つの異なる学系にまたがる必修科目になったそうだ。

この10年の間に,こうした小さな変化が起きた理由として第一に考えられるのは,今まで区切られていたまったく異なる学問において,時代の流れとともに,Social Aspects of Information Technology的な思考力とスキルに,さまざまな学科に所属する学生が共通してもち合わせるべき価値が見いだされてきたからと解釈できる。つまり,INFO202の授業は,基礎学力として認知された科目であるといえるし,このICTを取り巻く全体像を俯瞰(ふかん)できる思考力は,日常生活を送るうえでも今後ますます必要となる基礎能力,次世代リテラシーであるといえる。

4. 日本におけるSocial Aspects of Information Technology

日本での,インフォマティクスに帰属するSocial Aspects of Information Technology的授業は,どのような位置づけがされているか,インフォマティクスという言葉を中心に一般検索サイトを頼りに調べてみた。すると,ここで,大きな言葉の壁にぶつかった。筆者の知識・言語能力・検索リソースの限界はさることながら,検索キーワードとして用いた,インフォマティクスや情報という単語からでは,INFO202に該当する学科・学問の名称やコンテンツを検索結果からでは確認できなかったのである。そこで気づいたのは,日本語での「情報」はとても汎用(はんよう)性の高い名詞である一方で,英語での“information”は,専門性が高い名詞である。たとえば,Weblio英和・和英辞典では,「情報」を含む例文として,情報機関:intelligence agencies,お得な情報:valuable information,お[買い]得情報:special dealsという結果が提示された。これら例文からわかるように,「情報」とinformationという英語名詞の意味は,各言語によって異なった意味合いをもっている。そのため,学科・学問の名称に使われる「情報」=informationと単純に理解しようとすると問題が生じる。実際に,「情報学」=Information studyというのは正確ではないし,Informaticsが正確な「情報科学」とはならない。だが,本稿では,この言葉の壁問題を認識したうえで,また,言語的意味または直訳が,正確に学科・学問の名称として反映されているわけではないことを認識したうえで,さらに,筆者の独断でINFO202と関連する分野と仮定して,「情報」と「社会」というキーワードに限定して改めて調査を進めた。

文科省が提供している学科系統分類表によると8)11),「情報」と名のつく学科名が,社会科学分野では40種,人文科学では10種,理学では18種,工学では104種見つかった。一方で,「情報」と名のつく学科名の中で,「社会」も含む学科名は,5種:「社会情報学」「社会システム情報学」「情報社会学」「情報社会政策学」「社会情報システム」であった。最初の4種すべては,社会科学分野に,最後の1種は工学分野に属しており,かつ,これら5種すべては,「法学・政治学関係」「商学・経済学関係」「社会学関係(社会事業関係を含む)」にあてはまらない,「その他」という中分類に帰属している。

この学科系統分類表から推察できることは,2つある。まず一つは,「情報」が共通してどの分野でも必要な学問領域であり,各学部・学科において必要となる主題であること,またもう一つは,INFO202:Social Aspects of Information Technology的授業は,各分野にちりばめられて存在していると推察する。この「情報」という名称がほぼすべての学術エリアにちりばめられているという点を踏まえて浮かぶ疑問は,それにもかかわらず,「社会と情報通信技術」に関する学問が,確立された基礎として統合されていないのでは,というものである。

では,この側面がもたらす意味は何か。もしも「情報」を学ぶうえで必要なリソースが分散しているとすれば,一つの教育目的のための体系的枠組みをつくって集まる努力さえなされれば,基礎教養としての「情報」学,日本特有の「情報」学の存在がみえてくるはずではないだろうか。日本を離れて約20年,そのほとんどを米国の州立大学・情報大学院で過ごしてきた筆者には,日本における「情報」学の未来は,とても興味深い。

翻って,米国ではどうだろうか。教育省が発行する学科インデックスの中で,「インフォマティクス」はどう存在しているのか。Social Aspects of Information Technologyとの関係性は。Social Aspects of Information Technology的思考力を養うには,実際の授業はどう組み立てられているのか。次回の考察課題とする。

※高澤氏の「視点」は,10月号,2月号に続きます。

執筆者略歴

  • 高澤 有以子(たかざわ あいこ) aikot@illinois.edu

2008年9月よりイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校情報科学大学院研究科博士課程在籍。ミシガン州立大学農業天然資源学部卒業,ミシガン大学情報大学院情報学修士課程修了。専門は,情報行動とコラボレーション,災害支援と情報通信技術,スモールデータ。主な研究課題は,情報検索プロセスにおける学びのメカニズムの解明。

本文の注
注1)  筆者意訳

注2)  INFOはInformaticsを,200番台の数字は2年生以上を対照とした授業であることを表している。

注3)  Professor Lori Kendall, University of Illinois at Urbana-Champaign, Graduate School of Information Sciences. 筆者との対面インタビュー実施。

参考文献
 
© 2017 The Author(s)
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