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Vol. 60 (2017) No. 4 p. 290-292

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http://doi.org/10.1241/johokanri.60.290

この本!~おすすめします~

この本! おすすめします 社会が技術を発達させる:「紙の歴史」からみたイノベーション

日本発のイノベーションがない,画期的な技術で市場を興せないか――。

日本の産業界の行方を議論するとき必ず,「画期的なモノ」や「イノベーティブな技術」が議論される。まるで,それさえあれば,一挙に経済が活況を取り戻し,「あなたも私も元気になれる」といわんばかりに。

しかし,テクノロジーにだけ焦点を当てても意味がない。「画期的なモノ」や「空前の技術」があったとしても,社会や市場との関係が問題となる。『PAPER紙の世界史:歴史に突き動かされた技術』によると,「テクノロジーが社会に影響を与える」というのは誤解であり,むしろ「社会が技術を突き動かす」という。紙の起源からハイテク製紙に至る約2,000年の「紙の歴史」をたどる本書は,イノベーションを考える際のヒントを提供している。


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『PAPER 紙の世界史:歴史に突き動かされた技術』,マーク・カーランスキー著;川副智子訳,徳間書店,2016年,2,400円(税別),http://www.tokuma.jp/bookinfo/9784198642969

『神曲』は羊皮紙に書かれた

本書の魅力は,常識を揺さぶり,歴史の新しい見方を提示していることにある。

たとえば,製紙のメカニズムについて。木材や織物をセルロース繊維にまで分解し,水で薄め,その液体を網ですくことで,繊維がより合わさって薄い「紙」ができあがる。人類は紙の作り方を経験的に知っていたが,フランスの化学者アンセルム・パヤンが1838年にセルロースを発見するまでは,紙ができあがる科学的なプロセスは謎だったという。

また,私たちは歴史の時間に「紙は蔡倫(さいりん)が西暦105年に発明した」と教わったが,どうやらそれは間違いであるらしい。さらに古い無数の紙が,中央アジアの砂漠地帯で,考古学調査団によって発見されている。乾燥した地域で発見されたということは,中国の中心部の湿地帯でもずっと以前に紙が作られた可能性がある。紙が中国で栄えたのは,早くから官僚統治機構ができていたためだ。ニーズがあったのだ。

では,紙はどうやって,他の地域に伝播(でんぱ)したのか。

東西交流史上,有名な事件が751年に起きた。唐とイスラムの「タラス河畔の戦い」でイスラム軍に破れ,捕虜となった唐の兵士(紙すき工)が,製紙法をイスラムに伝えたのである。当時,イスラム世界では官僚体制が発達し,文書を記録するニーズが高まっており,中国の製紙法がアッバース朝などの官僚体制に役立ったと本書はいう。

ヨーロッパが紙を使い始めるのは,もっと遅く,12世紀のこと。意外にも,ダンテが『神曲』を執筆し始めた14世紀初頭のイタリアでは,紙が普及しておらず,『神曲』は羊皮紙に書かれていたほどだ。それまで,欧州の人たちは紙を知らなかったのか?

紙に目覚めるのが遅かった

そんなことはない。実に1,000年以上にわたり,紙の存在を知りながら,欧州では文書記録には羊皮紙を使っていた。その間,イスラム商人は欧州域で紙を売ろうとしていたのに,である。「ヨーロッパ人の生活は効率的な書写媒体を必要とするほど知的で文化的な段階に達していなかった」(p. 128)ためだとカーランスキー氏はいう。

後に,大量に紙を必要とする,数学や化学などの進んだ学問がイスラム教徒によってもたらされるまで,欧州域では「羊皮紙で十分」だったのだろう。社会的要請が生じて,古い技術(羊皮紙)では,やって行けないことに気づき,ようやく紙というテクノロジーを取り入れた。ヨーロッパの人たちは,紙に目覚めるのが遅かったのだ。

製紙以外の分野で,社会がテクノロジーを動かす典型例を,宗教改革にみる。「活版印刷術がなければ,宗教改革はなかった」といわれることが多いが,本書では,真逆の説明をする(第10章「印刷と宗教改革」)。

「宗教改革があったからこそ,印刷はあの時代に,あの場所で発明されたのだ。つまるところ,ヨーロッパ人は印刷機の製造法も,金属の彫り方も,鉛の鋳造も,彫られた像にインクをつけて刷る方法も,ずいぶんまえから知っていて,その気になれば,いつでも可動活字で印刷を始められた。世情の混乱や新しい思想や変化への欲求が沸き返っているドイツで印刷が発明されたのは偶然ではない」(p. 230)と述べる。

グーテンベルクを褒めすぎ?

私はかねてより,グーテンベルク(1398年頃~1468年頃)を歴史上の偉人としてもち上げるのはいかがなものかと感じていた1)。「活版印刷術なくして宗教改革なし」は言い過ぎではないか。グーテンベルクを褒めすぎていないか。

神学者マルティン・ルター(1483年~1546年)がやむにやまれぬ思いから『95か条の論題』を公にし,教会に抗議したのが1517年。命がけのルターの活動がきっかけとなり,改革の嵐が欧州を覆った(ちなみに2017年は「宗教改革500年」となる)。歴史現象としての「グーテンベルク」はうまく宗教改革に寄生したようにみえる。

第1に,印刷術の発明はグーテンベルクによるものではない。「中国4大発明」に羅針盤,火薬,紙に並んで「印刷術」が入っており,畢昇(ひっしょう)が1041年頃,粘土を固めて「陶版」による印刷術を開始した,と世界史の時間に習う。金属活字を1文字ずつ組むのがグーテンベルクの「活版(可動式)印刷」(1455年頃に登場)であり,この点にこそ新規性があるという人がいるが,実は高麗(こうらい)では1250年頃に銅製の活字が作られ,1403年には李(り)朝の活字鋳造所が設置された。

第2に,グーテンベルクには同業者がおり,一定水準の印刷術が存在していたことがわかっている。彼はライバルから最先端技術を盗んだという説もあるほどだ。

グーテンベルクには改良者としての才はあったのだろう。すなわち,インクになじみやすい合金を開発したこと,印刷に適した油性インクを開発したこと,さらに,ぶどう搾り機を応用してプレス式の印刷台を考案したことだ。

重要なのは,活版印刷の技術は,ルター側の活動パンフレットの印刷に使われる一方で,ルターが批判した教会側の「免罪符」の印刷にも使われた点にある。つまり,印刷術はルター側を支援したが,カトリック勢力にも便益をもたらした。

そもそも,グーテンベルクとルターとでは,存命期間に重複がなく,年齢差が85もある。1517年の時点でグーテンベルクの印刷術はすでに60年以上経過していた。ルターが社会的な活動を始めた段階で,カーランスキー氏がいうように印刷技術が浸透しており,いつでも技術を使える状況があったのだ。

デジタル時代の「紙の優位性」とは

技術が社会に受け入れられ,社会が技術を育てていく過程について,日本の経営学者の論考がカーランスキー氏の説を裏付ける。一橋大学名誉教授の伊丹敬之氏は『イノベーションを興す』2)の中で,イノベーションとは,(1)筋のよい技術を育て,(2)その技術の市場への出口を作り,(3)社会を動かすという一連の「社会的プロセス」であるとしている。伊丹氏が例に挙げる日本語ワープロ,宅配便,回転寿司,スマホなどのイノベーションは,カーランスキー説に合致する。

最新の製紙事情について,ハイテク化,大規模化する中国の製紙業界に注目する(第18章「アジアへの回帰」)。日本の読者へのサービスか,「日本には紙によく似た食品がある」(p. 433)として「海苔」を挙げている。寿司を巻いたり,おにぎりに用いる海苔だ。確かに,海苔は手すきの紙の製法と同じだ。

情報のデジタル化が急速に進む中で,「紙」にはどのような未来が待ち受けているのだろうか。目下のところ,カーランスキー氏は,包装用の紙と段ボールが勝利を収めていることを指摘する。デジタル時代の「紙の優位性」として「折り曲げられること」「寿命が長いこと」を挙げ,「電子メールにはハッキング,不正アクセス,改ざんという危険がつきまとうが,紙にはその心配がない」としている。紙に載せる情報の安全性が高いことを指摘し,「古い技術は死なない」ことを強調する。

本書の巻末の年表は素晴らしい(これだけでも手にする価値あり)。しかし,本書は493ページもの大作なのに,索引がないのはつらい。

著者のカーランスキー氏は1948年生まれ。ニューヨーク在住のジャーナリスト。著書に世界的にベストセラーになった『塩の世界史:歴史を動かした小さな粒』『鱈:世界を変えた魚の歴史』などがある。

執筆者略歴

  • 宮武 久佳(みやたけ ひさよし) hisamiyatake@gmail.com

東京理科大学大学院 イノベーション研究科教授。日本音楽著作権協会(JASRAC)理事。共同通信社記者・デスクを経て,横浜国立大学教授,米ハーバード大学ニーマンフェロー(Nieman Fellow),2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会報道部長などを歴任。最近刊は『正しいコピペのすすめ:模倣,創造,著作権と私たち』(岩波書店)。

参考文献

1)  宮武久佳. “発明と名誉の微妙な関係:グーテンベルクは偉いか”. 知的財産と創造性. みすず書房, 2007, p. 97-110.
2)  伊丹敬之. イノベーションを興す. 日本経済新聞出版社, 2009, 229p.
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