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Ars Electronica: redefining the relationship between Art and Society
Dominique CHEN
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2017 Volume 60 Issue 7 Pages 534-536

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本書を読むべき人々

「アルスエレクトロニカ・フェスティバル(Ars Electronica Festival)」とは,オーストリア・オーバーエスターライヒ州の州都で人口約20万人の地方都市,リンツで毎年行われている芸術祭である。最先端の科学技術の研究プロジェクトとともに世界中からアーティストも集まってくる国際的なフェスティバルである。第1回の1979年は地元のアーティストや作家といった民間人によって企画されたように,市民発祥のムーブメントとしても知られる。世界から多様な領域の専門家が集い,市内各所で行われる展覧会やパフォーマンスと並行してカンファレンスが開催され,次世代の創造についての議論が行われている。評者は2007年と2008年のプリ・アルスエレクトロニカのデジタルコミュニティ部門の国際審査員を務め,2017年Future Innovators SummitのFuture Humanityチームに招聘(しょうへい)されており,その他にもNTT InterCommunication Center(ICC)のアーカイブ担当者としてリンツには何度か足を運んでいる。

コンピューターを使った芸術表現領域を指すいわゆるメディアアートの世界,もしくはインターフェース工学に従事する人間にとって,アルスエレクトロニカは最も有名な固有名詞でありながら,メディアアートが盛んといわれている日本においては一般的にもいまだによく知られているとはいいがたい,不思議な存在である。本書はその意味で,アルスエレクトロニカの成立の歴史を,その主催者であるリンツ市という行政機関の背景もふんだんに紹介しながら包括的に解説しようとする,日本語で書かれた初めての一般書籍である。

著者はアルスエレクトロニカがなぜ,そしてどのように作られたのかということを,リンツ市,オーストリア,そしてヨーロッパという地域の時代背景から経済要因まで,丁寧に説明している。この詳細な記述は,地域創生のためにビエンナーレやトリエンナーレが乱立しているといわれる日本の自治体の当事者たちにとっても,本質的な文化行政に取り組むための参考になるだろうと思う。特にリンツ市が運営する公的な企業という特殊な組織形態や,常に先進的かつ現代的な研究テーマのために資金を調達し,投資を行い,企業と連携し,人材を育ててきた努力に関する記述は,日本だけでなく,世界中のコミュニティーの現場で参考にできる箇所が多い。こうした点からも本書は,メディアアートの世界で表現を行っている,もしくは行おうとしているすべての人に目を通してほしいし,さらには,真に先進的な運動を起こそうと考えているオーガナイザーやコミュニティーデザイナーにもぜひ読んでほしいと思う。

一点,補足的な批評を付け加えるとすれば,本書はアルスエレクトロニカの説明に努めるあまり,アルスエレクトロニカそのものや,アルスエレクトロニカの周辺で変化してきたメディアアートの世界に対する批評的な視座に欠けていることが挙げられるだろう。つまり,アルスエレクトロニカの軌跡を通して,芸術表現がどのように変化してきたかという問題である。もちろん,これを論じることは容易なことではないし,それだけで1冊の本で論じきれるかもわからない。本書に対してそれを求めるのが難しいとすれば,それは本書と並行して議論されるべき問題だといえる。

『アルスエレクトロニカの挑戦:なぜオーストリアの地方都市で行われるアートフェスティバルに,世界中から人々が集まるのか』,鷲尾和彦著,協力:アルスエレクトロニカ,博報堂,学芸出版社,2017年,2,000円(税別),http://book.gakugei-pub.co.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-2641-2.htm

芸術の非・社会性

アルスエレクトロニカの運営努力は,官民一体の事業として40年近くも継続してきたことや,商業的なパブリシティーや収益化とカッティングエッジな研究を両立させてきたことなどからも,成功モデルとしてとらえられることが多い。同時に,それはヨーロッパ,そしてオーストリアという地域の特殊性も手伝って可能となっている現象であり,そのまま日本にインポートして成立するモデルではないことも理解しなくてはならない。評者が思うに,彼我を分け隔てる最も大きな壁は,公共性という概念の社会的な共通理解の違いである。

アルスエレクトロニカに限らずヨーロッパには,現行のシステムを無批判に是とせずに,社会的課題を正面から議論し,代替案を作り出そうとする気質が強い。そこにあるのは歴史に対する強靭(きょうじん)な意識とでも呼べるものである。たとえば毎年ベルリンで開かれるTransmediale(トランスメディアーレ)というフェスティバルは,メディアアート作品展示とパフォーマンスが行われるが,それ以上に議論を交わす場が設けられている。テーマはアーティストの社会的意義や商業的なメディアテクノロジーに対する批評,そしてメディアアートの歴史の批評的な記述などである。

ここでいう批評とは単なる批判ではない。批評とは対象の構成要素を含むシステム全体が進化するために,歴史の反復を回避するためにも,新規な表現と過去の表現を結ぶパターンを記述することだ。メディアアートの歴史においては,メディアそのものの本質を批評的に表現しようとする作品と,工学的に新規なメディアシステムのデモンストレーションの両方を,整合性のある共通の基準で評価することが困難であり続けてきた。芸術の歴史における新規は工学においては既知かもしれないし,その逆もまたしかりである。

たとえば現代美術(contemporary art)と呼ばれる世界には,作品を制作するアーティストと鑑賞者の関係性が美術館やギャラリーといった専用の展示空間の中で確立されている他,ギャラリーやコレクター,オークションなどのステークホルダーを中心とした市場経済の構造も確立されている。メディアアートにおいては,作品はそもそも不可視のソフトウェアやWebサイトであったりして,パッケージとして売買されたり,アーカイブされたり,作品の組成を記述したりすることが難しいといわれてきた。メディアアートを,芸術と工学というそれぞれ自律した成果基準を同時に抱えようとする領域として定義すれば,それは構造的な必然であったといえる。特にインターネットテクノロジーの躍進が目覚ましかった2000年代から今日までの間,日進月歩でメディア技術が発展する中,それらを活用した大小の表現が世界中で爆発的に生まれていく全容を把握することは技術的にも不可能に近いことであった。

芸術と社会を結ぶパターンを探す

それでも歴史を記述する意義は失われていないし,むしろ増大しているともいえる。巨視的に考えれば,長い年月を経ることによってアーカイブが成熟し,歴史の反復や不要な車輪の再発明も回避されていくだろうし,歴史を記述するためのアーカイブの方法論もまた進化するだろう。しかし,時代の細やかな情緒が工学や経済の趨勢(すうせい)に還元されることに正しくあらがわなければ,芸術もまた数の論理にいつのまにか屈してしまうことになりかねない。

その意味ではアルスエレクトロニカとは,単純な技術礼賛に陥らない価値基準が生きている場として,現代においていまだ希有(けう)な存在であるといえる。そこで受賞する作品は必ずしもグローバルにわかりやすいものや,すでにメジャーなものに決して限定されていないからだ。その意味では,アルスエレクトロニカの運営には,単純な工学主義にも芸術至上主義にもくみせずに,その中間にある絶妙なバランスを取ろうとしている志向性が感じられる。換言すれば,矛盾する要素同士をつなげようとする困難な思考を続けようとする意思があるように思える。評者は,技術の恒常的な発達を注視しながらも,技術からこぼれ落ちる芸術や文化の価値にも同等かそれ以上の注意を向け続けることによってしか,未来の文化を構想することはできないと考えている。このような複雑な態度は,わかりやすさ,つまりマスへのスケーラビリティーが最優先の価値としてとらえられがちな現代においてはなおさら困難であるわけだが,この潮流も文化の成熟に至るまでの過程である可能性を思えば,芸術と技術を統合する道筋は見つかるはずだろう。

40年近くの醸成の時間を経たアルスエレクトロニカから今日私たちが学ぶことがあるとすれば,まさにこの未来の道筋を作るための文体の蓄積であるといえる。そのアーカイブを採掘するためにも,本書を通してアルスエレクトロニカという事業の構造と歴史を知ることが大きなヒントとなることは間違いない。その探究の先に,企業と芸術,行政と文化,そして個人と公共の関係性の未来が改めて再定義されることを評者は願ってやまない。

執筆者略歴

  • チェン, ドミニク dominick.chen@gmail.com

博士(学際情報学),早稲田大学文学学術院・准教授。NPOコモンスフィア(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事,株式会社ディヴィデュアル共同創業者。IPA未踏IT人材育成プログラム・スーパークリエイター認定。NHK NEWSWEB第四期ネットナビゲーター(2015年4月~2016年3月)。2016年度,2017年度グッドデザイン賞・審査員兼フォーカスイシューディレクター。

 
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