哲学者の故今道友信氏は弊誌50周年記念号の記事「情報倫理」(http://doi.org/10.1241/johokanri.50.649)において,インターネット上のやりとりを,神話の「隠れ蓑」の実現,と表現しています。
「互いに名前も素性もまったく知らせることもなく,メールアドレスやニックネームだけで情報を交わし,それをもとにしてさまざまの形の具体的行為にも及ぶ」からです。科学技術がこれまで実現できなかった唯一の魔法術である「隠れ蓑」。それが実現したことによって,「おのれを隠し通して常に人びとを脅迫し,不特定多数の相手に向けて許されない商いごとを語りかけること」ができるようになったと述べています。
今道氏は情報倫理教育が不可欠であるとしています。情報倫理の基本として自己規制だけでは不十分であり,「『人間の生命は自他ともに一回性現象であり,自己の行為は歴史的事実として世界に刻印される』という事実を意識せしめる教育は絶対に必要である」と述べています。「『情報次元におけるリセット可能性は現実の世界ではありえない』という「行為の歴史的一回性の重み」に言及しています。
あれから10年がたち,科学技術はさらに進歩を重ねました。科学技術の取り組みは,今や人間存在の根源に関わる哲学的な検討と無関係に行うことができないところまできています。わたしたちは,いま技術がどこまで進んでいるのか,何が課題となっているのか,どんな危険があるのかを知らずに過ごすことはできなくなりました。
今号は情報に関連した科学技術について,取り組みの現状と課題を解説する記事が並んでいます。ここで取り上げた各種の最新技術は,いずれも以前は不可能であったことを可能にする技術です。
前述の今道氏は,哲学を「おのれの魂の世話」と呼んでいます。「すべては人間として『よく生きる』ための憧憬(あこがれ)から湧き出る」という氏の結びの文言を,折に触れかみしめています。(KM)