抄録
城下町都市では近代化に伴い濠の多くが埋め立てられた。埋め立ては概ね受容されたが、反対の世論もあった。本研究は小田原町を事例として濠の埋め立ての是非をめぐる議論の構図を明らかにすることを目的とする。小田原町は二つの学校を城址で新築するため、神奈川県と協議して敷地不足を濠の埋め立てで対応する計画をたてた。それに対し市民団体は、城址を史跡として保存することを主張し、学校の城址外側での建築と濠の保存を主張して盛んに反対運動を行った。地元の元老たちは両者の仲裁のため調停者として活動した。議論は数ヶ月におよび、神奈川県が当初の計画を変更し、城址に二つの学校を建築するが濠の埋め立ては中止されることで決着した。