本研究は戦後間もない1946年8月に設立された観光技術家協会の活動内容などを明らかにすることを目的としている。これまでの研究では観光技術家協会は殆ど言及されず、存在が認識されていなかった。協会は50名ほどの建築家、造園家、工芸家から構成されており、観光施設を中心とする魅力的な観光地の創造を目的として結成されていた。主な活動は、観光施設の提案や計画業務の請負、展示会等の開催による観光に対する理解促進などであった。中心的な会員の観光に対する論理を見ると、建築家として村田は施設を中心とした自然との調和を意識していた。造園家としての西川(孝)は空間を統べる役割を果たそうとしていた。工芸家としての西川(武)は空間よりも土産品の開発などに重きを置いていたが、組織としての活動は観光施設の設計論の域を出ず、観光地の空間に関する計画技術は殆ど言及されなかった。各技術者が自身の職能の延長に観光を捉えており、観光地のためにどう職能を活かすかという観点に欠けていたと言える。そして協会の活動は設立からわずか7年ほどで停滞した。その理由としては組織運営上の財政的課題、観光に対する社会の理解不足であった。