2019 年 54 巻 3 号 p. 1343-1350
本研究は、戦後の旧都市計画法下における熱海市における風致地区をめぐる議論とその運用について明らかにするものである。戦前期、内務省主導で指定された風致地区は戦後、県と市が開発許可等の権限を持って運用された。1950年代以降、市街地周辺の風致地区はしばしば民間事業者による開発対象地となった。熱海市議会は当初は風致地区を守ろうとする意向があったものの、県行政の判断によって翻弄され民間施設が次々に風致地区内に建設されていった。こうした風致地区内での開発の結果、1960年代は市議会が積極的に風致地区の範囲変更や風致地区内の市有地売却と開発誘導に取り組んでいった。戦前は国が観光客である国民の利益として熱海の風致景勝を評価しており、守るべき風致の価値が明確であった。対して、戦後は市街地周辺の風致地区は観光客を迎え入れるための重要な資源であるとの議論も少なからずあったものの、それ以上に観光産業の誘致や開発を重要視した。それは、県や市や市議会が観光客である国民の利益よりも地域の経済的な利益を優先したこと、言い換えれば県や市や市議会は観光客の利益を代弁しきれなかったと言える。