東京工業大学
2019 年 54 巻 3 号 p. 367-374
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本論は、京浜電鉄が明治後期に開設した、羽田運動場の設置基本構想と設計思想と整備、運営内容を分析し、その社会的位置づけを目的とする。当該時期の運動場の大半は学校に立地し、一般市民に開かれた総合運動場は僅少であった。そのなかで羽田運動場は、一部のエリート学生だけではなく、労働者層等一般市民に開かれたものであった。また、観覧席設置の手段などを用いて、スポーツ競技観戦や法人運動会開催の機会を羽田運動場は提供していた。
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