1991 年 11 巻 p. 131-142
明治期に設計・製作されたトラス桁の歴史と現状を述べてきたこのシリーズの最終回として、日本人の手になるトラス桁について述べる。トラス桁の設計・製作は長らく外国人技術者の手によって行われてきた。標準桁が制定されていたこともあって、1909年以前は、日本人が設計したものはごく少ない。1880年代のものとしては、平井晴二郎による北海道入船町陸橋と原口要による官設鉄道の上路トラスがある。関西鉄道では1895-7年に白石直治、那波光雄の二人が英国流のトラス桁を設計した。宮設鉄道では杉文三設計の日川橋梁の上路トラス (1903年) があるのみで、あとは1910年以降の100ftクラスのものが数例あるくらいである。鉄道院が発足すると既存幹線の橋桁更新が急務となり、橋梁設計を専門とする部署が設けられ、新示方書による統一あるトラス桁の設計が精力的に行われるようになり、その後の発展につながって行く。明治末に相次いで電気鉄道が開業するが、電車荷重で設計した軽快な国産のトラス橋梁が各地に見られるようになる。