土木史研究
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岡崎文吉の治水思想に関する考察
許士 達広品川 守久米 洋三
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キーワード: 岡崎文吉, 石狩川, 自然主義
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1991 年 11 巻 p. 61-72

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抄録

石狩川治水の基礎を築いた岡崎文吉の治水思想は、岡崎自身が「自然主義」と自ら称した、自然の蛇行河川の特性を保護し、かっ応用しようとするものに集約される。これは洪水防御と同時に舟運を増進するため、河道の澪筋の維持を重視したもので、水衝部を保護し、河道の安定化を図るためのコンクリート単床ブロックの開発を伴った。また石狩川の改修計画に於いては、洪水のみを分岐させる放水路を用いて、自然の低水路の維持と洪水氾濫の防止の両立を図っている。
この背景には、
(1) 当時の石狩川の舟運が活発であったこと。
(2) 石狩川自体が全くの原始河川に近く、当時の経済力や機械力に見合った施工では、実施による弊害を克服できないと考えられたこと。
(3) 岡崎文吉が海外視察を行ったころの欧米では、河道切替による舟運への悪影響等から、フランスを中心に自然状態の流路形態を重視する理論の主張が強まってきていたこと、などの状況があったと考えられる。
しかしながら大正6年に至り、岡崎文吉自らが、「石狩川治水事業施工報文」の中で放水路案から捷水路案への変更を報告している。
これについては維持土の問題等いくつかの理由が考えられるが、結果的に石狩川の治水対策は洪水調節や河道維持の面等から大きな成功を収めている。この変更により、岡崎が当初理想とした自然主義は、一見生かされることなく終わったように思われるが、砂州の形状を考えた河道計画などの岡崎の思想は、現在の改修にも示唆するところが大きく、現代の石狩川に生き続けているといえる。

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