土木史研究
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玉川上水の江戸市中における構造と機能に関する基礎的研究
神吉 和夫
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1993 年 13 巻 p. 177-191

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抄録

玉川上水は武蔵野台地の開発と江戸の都市用水の供給を担った1654 (承応3) 年創設の一大用水である。本稿では、江戸市中の配水区域の地形と江戸時代中期から幕末にかけての玉川上水の江戸市中における構造と給水形態に関する史資料を用い、江戸市中における玉川上水が水工構造物としてどのような構造をもつか、また、水の配水先、給水形態からその機能が何かを明らかにしようと試みた。玉川上水の江戸市中での配水区域は江戸城、大名屋敷、武家屋敷など武士階級の居住地が大部分を占め、玉川上水は生活用水、泉水用水、防火用水、濠用水、下水用水等の多機能施設であった。台地に位置する江戸城、大名屋敷では生活用水としての機能は低い。武蔵野台地と同様、江戸市中でも、幕府が幹線を建設し、その分水として大名屋敷への給水が行われ、分水口断面が重要な計画要素である。1722 (享保7) 年の玉川上水の青山・三田・千川の三上水への分水の廃止は、玉川上水の構造と機能からみて、武蔵野新田の町人請負開発を募集する幕府の決意を不要都市用水の廃止で示したもので、江戸市中の防火用水としての機能の限界から、都市用水としての必要性が低くなったことが背景にあると思われる。

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