1993 年 13 巻 p. 321-330
明治期のわが国の鉄道用橋梁として主力を占めたものは、プレートガーダー (鈑桁) であって、径間15ftから80ftに至る領域は、これが主力を占めており、早くから標準設計 (定規と称した) が確立していた。しかしながら、その中でも主力を占める官鉄に関するものはかなり詳細が解っていたが、それ以外の私設鉄道のものや、全部を通じての架設状況などは系統的な記録に乏しい。そこで、かなり現物が減少してきたとはいえまだそれが存在するうちに、実証的な裏付けをもとに一連の研究を行って行きたいと考えるもので、今回はその導入部とし概説を述べるものである。