土木史研究
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岐阜県白川村の「大牧橋」について
昭和初期における大支間3ヒンジRCアーチ橋
山根 巌
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1994 年 14 巻 p. 237-244

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抄録

岐阜県白川村の大牧橋は、1939年 (昭和14年) 秋に完成した3ヒンジ開側式RCアーチ橋であるが、日本土木史 (大正元年から昭和15年まで) によれば、支間長の74mは、当時のRCアーチ橋としては日本最大支間長であった。土木技術誌「土木工学」には、当時の岐阜県土木部長、平川保一の「大牧橋」工事報告が記載されているが、日本では稀な3ヒンジ構造を採用しており、鉄骨構造を採用しながら、吊橋を吊支保工として使用しており、設計及び施工上独特の工法を採用している。この橋は、1956年 (昭和31年) 関西電力「鳩ヶ谷ダム」建設により、ダムの死水域に水没してしまっている。
ここでは、この橋が建設された背景や、設計方針が、スイスの構造技術者マイヤール流である事、前述の独特の施工法を採用した理由を、当時の三大RCアーチ橋を比較して検討する。更に、この様な独特の工法のアーチ橋の設計者が、当時の日本における先進的な橋梁設計者である、増田淳である事を傍証し、施工者についても調査した結果を報告する。

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