土木史研究
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外国人技術者らによる明治期東京港計画についての技術上の問題
寺中 啓一郎石川 淳
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1996 年 16 巻 p. 351-360

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抄録
幕府は安政5年 (1856年)、不平等な内容の多い日米修好通商条約を結び、横濱、神戸、新潟、長崎、箱館の五港を開港した。東京を隔てること8里の横濱港は日本の主要輸出入港として殷賑を極めていた。しかし横濱港輸出入物資の6割から7割は東京を経由するものであった。同じ湾内にあり、しかも首都である東京に海港の必要性が叫ばれはじめた。このため行政側は明治13年 (1880年)、東京府市区取調委員会を発足させ築港計画の具体的な検討に入った。この際、当時のお雇外国人工師ムルデル、デレーケおよび佛国海工監督官ルノーらの築港計画に意見を聴取している。本論では、「築港計画案の意見書の中に見られる築港技術上のいくつかの問題」をとりあげ、考察を加えるものである。
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