2009 年 15 巻 p. 39-53
環境ガバナンスの実践に伴い人間社会が統治・編成されていく過程には見過ごしてはならない重要な側面がある。それは,環境ガバナンスの推進が特定の知のあり方を特権化したり,逆に無力化する側面である。今日の環境ガバナンスに先行した中央政府による自然資源管理は,為政者による操作を容易ならしめるような知の生成と強化を伴った。文脈を捨象することで成り立つ形式知は,統治を支える知として特権化され,人間がその場に応じて文脈を読み取る暗黙知の地位は低下を強いられてきた。現在の民主国家では,説明責任や透明性への圧力から,公共政策を特定個人の利益追求のためにあからさまに利用することは難しくなった一方で,政策選択を正当化する基準として「効率」や「技術的優位性」が幅を利かすようになった。それがかつての「統治」過程と同じように,人間の経験に基づく知のあり方を隅に追いやる効果をもつことはほとんど看過されている。環境社会学の重要任務の1つは,知の階級性がもたらす効果を検証し,近代科学が軽視してきた暗黙知や判断の役割を回復することにある。