2011年3月11日に日本を襲った大震災,すなわち「3.11」は,複合苛酷災害である。だからこそ,「3.11」をめぐって無数の問いが提起されてきたが,それらは集約的に「3.11までの体制でよかったのか」と表現しうる。今,問われているのは,ある原発再稼働の是非だけではなく,「『3.11体制』を再稼働すること」の是非である。では,環境社会学はこの問いにどう答えるのか。本稿では,解答のための一戦略として,「3.11までの体制でよかったのか」という問いを,「環境社会学にとって『被害』とは何か」と再定義して考察する。なぜなら,被害把握こそがもっとも急がれるべき課題であるからだ。被害を矮小化しようとしたり,そもそも被害などないのだとする動きが出てきているなか,あらためてわれわれ環境社会学者が積み重ねてきた被害の実態を語る方法とその成果を示すことが必要である。他の学問分野が語る「被害」が,われわれのフィールドでの感触と大きく異なると感じられる今だからなおのこと,環境社会学にとっての被害を語ることは,学問的にも社会的にも大きな意味をもつ。いまだ明らかにされていない被害を明らかにし,語られていない被害を語るためにも,あらためて被害について再考することが求められている。この作業は,他の社会諸科学との協働をも可能にしてくれるにちがいない。本稿は,そうした協働に向けた粗描の試みの1つである。