環境社会学研究
Online ISSN : 2434-0618
論文
大規模開発事業の見直しにおける補償的受益と受苦者のアイデンティティ――諌早湾干拓事業における泉水海漁民を事例として――
開田 奈穂美
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2013 年 19 巻 p. 158-173

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抄録

本稿では,2007年に工事が完了した諌早湾干拓事業における泉水海漁民と彼らが属する漁業協同組合に注目し,事業による漁業被害を受けている彼らがなぜ事業推進を表明していたのか,その理由を分析した。先行研究において,被害を受けるにもかかわらず事業推進を唱える人々の主張は,多くの補償を得るためという功利的側面からのみ説明されるか,個人や共同体の生活を再建するためというアイデンティティのよりどころとして理解されていた。筆者は先行研究の事例が補償のスキームと生活再建のための論理が補完的な関係にあったことを指摘したうえで,本事例においては泉水海漁民にとって補償を受けることと被害回復のための方策を取ることが両立不可能な状態にあったことを明らかにした。そして漁協が補助事業等の補償的受益から抜け出せなくなり,事業が完了した後にも漁場回復のための方策が取れなくなってしまうロック・イン状態に陥った状況を分析した。さらに,漁協の方針に逆らうかたちで事業完了後に事業見直しを求めて訴訟を起こした漁民たちは,事業が実施される前の豊かな海をアイデンティティのよりどころとして,自らの海を元に戻すように企図していることを指摘した。本稿は,事業完了後も被害を受け続ける人々にとって,補償を受けることと被害からの回復が両立しえないような状況で生活を再建することが困難な場合が存在することを示すものである。

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© 2013 環境社会学会
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