視覚の科学
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インタビュー
佐々木洋先生に聞く
川守田 拓志
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2018 年 39 巻 3 号 p. 70-74

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Abstract

この度,金沢医科大学眼科主任教授の佐々木洋先生にお話しをお伺いする機会をいただきました。ARVO 2018に参加し,ハワイの青空の下,心地よくインタビューさせていただきました。私に降り注いでいた紫外線に対処することの重要性を強く認識し,それ以上に佐々木先生の白内障と水晶体研究への情熱を強く感じる機会となりました。話の豊富さと奥深さに惹き込まれ,あっという間に多くの時間が過ぎました。基礎から臨床,原因と予防,そして未来まで,ためになるお話を皆様と共有できればと思います。

Q: 佐々木先生が医師を志したきっかけを教えてください。

A: きっかけは,祖父も父も眼科医という環境だったため,自分も医者がいいかなと思ったからです。自分は人が死ぬことに対してあまり対応できないと思ったので,眼科だったら人も死なないし自分の生活も守れるし親もやってきたものですから,バランスを考えて眼科医を志しました。大学に残って研究しようとは思っておらず,最初は開業したいと思っていました。

Q: 今では眼科の中でも水晶体と白内障研究に情熱を注がれていますよね。

A: 自分でも不思議です。大学時代の友達も会うたびに何でこんなになっちゃったのと言われます(笑)。大学時代はあまり真面目な方ではなかったですね。学生という,世の中の役に立っていない立場が嫌で,早く医者になって貢献したいと思っていました。なので,最初から研究をしていたわけではないですし,眼科医になってちゃんと臨床ができるようになればいいなと考えていました。

Q: 実際に眼科医になられてから,戸惑った事や理想と違ったことはあったのでしょうか?

A: そういったことはあまり無かったです。金沢大学を卒業してから自治医科大学に入ったのですが,自治医大は卒業生が直接そこの医局には入れないので外から来る人たちばかりの教室で,すぐに馴染むことができました。逆に,外の人たちに負けたくないという気持ちもありました。当時はオーベン・ネーベンと言っていましたが,1つ上の先生と,5つか6つ上の先生とのチームで,ジュニアレジデントの2年間を過ごしました。そこで1つ上の先生に「先生は今日から僕の家来だからね」と言われました。当初は家来か…と思いましたが,その先生も私に教える義務があったわけでは無いのに色々と教えてくださるので,自分は雑用も含めてしっかりやらなければと思って頑張りました。自分は,何もわからず患者さんに迷惑をかけることもありましたので,何年間かは家来でも奴隷でもいいから口答えせずやろうと決めました。これが最初に決めたことですね。そして,この決めるというのは大切なことだと思っています。私は,言われたことを嫌な顔をせずやったことで成長することができたのだと思います。言い訳とかしたくなりますけれど,そういうのは一切無しにしました。

検診に協力してくれたムヒンビリ大学の研修医

Q: 当時から白内障に興味を持たれて,研究をされていたのでしょうか。

A: 当時は,違いました。オーベンの伊野田繁先生は網膜硝子体が専門で,硝子体手術をずっと拝見させていただきました。その頃はあまり自分では執刀できませんでしたが。直接のオーベンの先生以外にも何人かの先生に付く機会がありまして,白内障と網膜剥離の手術は清水昊幸教授に教えていただきました。清水先生は網膜剥離の大家で白内障手術も上手にされていました。ぶどう膜炎は大原國俊先生と大久保彰先生,角膜は澤充先生と水流忠彦先生に教えていただきました。なので,色々なものを見せていただく機会があって,バランスよく勉強することができました。白内障を専門的にやっていたわけではなく,手術も他の先生と同じように水晶体嚢外摘出術を週1件やらせてもらう程度で,決して上手な方ではありませんでした。

Q: そこから水晶体と白内障がご専門になったきっかけは何なのでしょうか?

A: 1987年に大学を卒業して,91年からアメリカのオークランド大学へ2年間留学していました。そこのEye Research InstituteのトップでARVOの会長もされていた水晶体研究の大家であるヴェンカット・レディ(Venkat Reddy)教授とフランク・ギブリン(Frank Giblin)教授の下で水晶体の酸化ストレスの研究をしていました。そこが水晶体研究に関わった原点になります。留学するまでに私は水晶体の研究も一切やらずに行ったので,技術も知識も無く英語もできない状態でした。そこで色々学んで,研究のテクニック等も全てそこで覚えました。他に日本人が2人いたのですが,私のいたラボは私とアメリカ人の数名で一緒に研究していて毎日英語漬けでしたので,それがよかったと思っています。

最初の3か月は大変でした。言葉も分からず,妻と6か月の子供と一緒に行ったので苦労もありましたが,慣れたころにはすごく楽しかったです。最高の2年間でした。実験は臨床と違って患者さんへの責任はないので,自分で好きなように実験を組み立てて,好きな時間にやっていました。もし失敗してしまったらまたやり直せばいいので。そのように留学先では自由にやっていましたね。

Q: 留学のきっかけは何だったのでしょうか?

A: 留学してみたいと思っていたのですが,自治医大ではあまり留学する先生はいませんでした。自分だけで留学先を探してくるのは大変なので父に相談してみたら,水晶体研究の関係で父がレディ教授と親しかったので紹介してもらいました。

Q: 留学先では,どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

A: 白内障の基礎研究だけで,臨床は全くしていませんでした。今思うと,ゼロからのスタートでしたが,論文を筆頭で2編,共著も入れると3編書きましたし,今でも関連する研究を続けています。それが無かったら白内障の基礎研究もわからなかったと思うので留学してよかったと思います。今は教室に基礎研究専門の久保江理先生がいるので,私は疫学や臨床研究をメインでやっています。しかし,基礎研究の知識がある上で研究をしていると様々な角度から見れますし,疫学などにもとても役立っています。また,私は今までに様々な国を訪れて,約1万人の外国の方の眼を,角膜や水晶体,網膜に至るまですべて自分で診察してきたので,人種によって眼の構造が異なっているということがわかりましたし,その経験はとても大切な財産にもなりました。

Q: 疫学研究をはじめたきっかけを教えてください。

A: 当時は,疫学に興味を持っていたわけではありませんでした。1996年に自治医大から金沢医大に移った時に,金沢医大の新しいプロジェクトとして,紫外線と眼の病気(白内障がメイン)に関する環境省の研究がはじまったところでした。そして,私が,シャインプルークカメラと徹照カメラを使って天空紫外線レベルの違う地域での白内障を同じ基準で調べることになりました。基礎研究は行っていましたが,疫学も知らないし,白内障の分類に関する知識もなかったので,そこから勉強して始めたんです。一番初めにアイスランドに行って,その次シンガポールに行って,紫外線の強いところと弱いところを調査して,そのあと石川県門前町と,合計3か所の比較研究を行いました。眼の紫外線の被ばく量は問診から眼鏡や帽子をどうしてるかなど聞きながら後ろ向きに調査して,住んでいた地域の天空紫外線量から過去に浴びてきた眼部総紫外線被ばく量を計算して白内障との関係を調査しました。その結果,やはり紫外線を浴びてない人は白内障が少ないことがわかりました。アイスランドとシンガポールとの比較では,白内障になる人は15年くらいアイスランドの人のほうが遅かったのでこんなに違うかと驚きました。当初は,人種も違うからその影響などもあるのか,と最初は思いました。また,半信半疑なところもありましたが,白内障だけではなく翼状片など別の病変もみていて,翼状片はもともと紫外線と関係していると言われていたのですが,アイスランドでは1042人中2人しかいなかったんです。しかも,とても小さく瞼裂斑みたいな。それがシンガポールへ行くと10数パーセントと,すごくたくさんの人が翼状片に罹患していました。それってやはり関係があるのかなと思いました。シンガポールでも屋内にいた人やサングラスをかけている人は発症が少なかったので,紫外線はやはり関係するなと思いました。自分で実際にみたので,それから興味をもって,自分で別のスタディーを組んでやりました。そのあと,JICA草の根技術協力事業での研究を2003年の始めのころから開始しました。中国の貧困の農村部を選び,青森県より少し北の緯度にある遼寧省,東京と同じ緯度の太原,ハワイと同じ緯度の海南省の3か所で,中国人の眼科医の教育と疫学調査を行いました。毎年2週間程度違う場所に行って,スタディーをしました。海南省に行ったときすごく白内障の人がいてびっくりしました。ハワイと同じ紫外線量なのにですよ。シンガポールどころじゃないくらいいたのですが,眼鏡は全然かけていないし,帽子は被っていたのですが,帽子だけじゃやはり駄目なんですよね。翼状片も多くて,約7割の人が罹患していました。そのとき紫外線って怖いなと。日本にいると紫外線に関して対策しようとかあまり本気で考えないですよね。しかし,私は,紫外線が本当に失明に関係しているのを目の当たりにして,発展途上国で紫外線の強い地域は特に気をつけなければいけないと分かりました。しかし,これを広めるにもなかなかエビデンスもなさすぎるので,もっと研究をしていかないといけないなと思っています。また,さらには子どものときから浴びた紫外線が将来の病気に関わるということを証明していかないといけないと思って,今子どもの調査も始めています。長く診なければいけない,子どもが病気になるまで何十年もかかるわけで,そこは生きている間にそんなことはできないから,いろんな方法でやろうと思って常に研究はしています。今までやってきたことも一般にはなかなか伝わらないというか,啓発もずいぶんやっているんですけど,なかなか眼科の中で一般にならないのは,とてももどかしいですね。

Q: 今,注目しているものは紫外線の他にどのようなものがありますか?

A: 白内障の危険因子としては,紫外線と強度近視の関係ですね。近視が強い人は,圧倒的に核白内障と後嚢下白内障が多い。核白内障になりやすいのは,硝子体の液化が早く起こる強度近視眼では硝子体の中のアスコルビン酸レベルが低くなり,水晶体を還元できなくなるためです。酸化ストレスで核白内障は起こるのだと思います。また,危惧しているのは,紫外線との関係がありますが,強度近視でレーシックを受けた方です。レーシックしていない近視の人はコンタクトレンズや眼鏡をかけているじゃないですか。レーシックを受けるとコンタクトレンズも眼鏡も使わなくなり,そのうえ強度近視眼では眼軸が長いために眼瞼から出ている人が多いので被ばくしやすく,屋外生活時間の長い人ではすごい量の紫外線を浴びることになります。つい最近このリスクを調べたのですが,短・普通眼軸と長眼軸の人たちの中で,紫外線を普通に浴びている群とすごく浴びている群に分けました。長眼軸で紫外線をすごく浴びている人は短・普通眼軸かつ普通に紫外線を浴びている人に比べて約20倍核白内障にかかりやすいということがわかりました。レーシックをすると白内障が早いという説があるじゃないですか。多分それって本当だと思いますね。屋外での眼部被ばくとの関係をからめて研究すればもっとしっかりと結果が出るのかなと思います。レーシックをやった人も外に出たらサングラスぐらいかけておくべきかと思います。

近視がすごく増えているので,これから40代で白内障になる人が増えてくると思います。まだまだエビデンスが少ないから研究も進めなければいけないのですが,サングラスをかけてデメリットになることってないと思います。バイオレットライトをカットして近視が進むと困るけど,老視や白内障は予防できます。今,バイオレットライトによる近視進行予防効果の可能性は注目されていますが,長波長紫外線だけを選択的に透過するコンタクトレンズや眼鏡を使うことで,それ以下の波長の紫外線をカットするみたいな形で,近視進行と白内障の予防ができるというようなエビデンスが出てくればいいかなと思います。成人ではICLなどを入れてもUVをカットするのでいいかなと思います。

Q: 世界からみて日本人に多いなど,強度近視のほかに特徴的なこととかありますか?

A: 日本といっても土地や気象環境によって全然違います。今すごく興味を持っているのは温度です。温度が高いと眼内温度も上がって,それによってAGEができたり,タンパクの変性が起こったり,ラセミ化が早く起こるといったことに興味を持っています。湿度が高いと眼からの蒸発がしにくくなり,熱がこもるので,これが白内障に関係していると私は思っています。なので,そのあたりの証明をしたいなと考えています。疫学調査で,同じ紫外線レベルで温度の高い所と低い所での調査を予定しているので,いずれ温度との関係も分かると思います。

タンザニアや海南省の貧困農民の疫学調査をすると日本は本当に恵まれているなと感じます。調査から帰ってきて,石川県の外病院の外来にいると眼がゴロゴロするとか,かゆいとか症状の軽い人が山ほど来ます。これは過剰医療だなと思いました。途上国での疫学調査で視力が0.1もなく,そのうえ水も電気もない環境でも明るく元気に生活している人を見ると,日本が恵まれすぎていて違和感を覚えます。自分で対処できるようなものでも病院に行くような習慣がついてしまっているためですね。必要な医療をやるようにすればもう少し変わるかなと思います。国民皆保険で1割,2割負担すればどんな病気でも見てもらえますし,日本では白内障で失明するなど普通では考えられません。海外では失明原因の3割以上が白内障ですから。発展途上国ではNeedless Blindness(不必要な失明)をなくそうという考えがありますが,そういった視点が日本にはありません。苦言みたいになってしまいましたが,日本が恵まれていることを自覚していないということです。

Q: タンザニアでそこまで眼が悪くなってしまっているのは,何か原因があるのでしょうか?

A: 私が行ったタンザニアの農村部は,みんなガリガリに痩せているわけではなく恰幅のいい人もいましたので,多少栄養バランスは悪いにしても低栄養で白内障になっているのではないでしょう。一方,紫外線が影響していることは間違いないと思います。人種が違ったとしても紫外線の多い地域は白内障が多いですから。今までの疫学では皮質白内障の1割~2割は紫外線と関係していると言われていますが,そういったもののスタディーは中等度緯度以上のあまり紫外線が強くない地域,日本でいうなら東京や北海道の疫学調査ばかりになります。一方で紫外線の強い地域での調査を見ると圧倒的に核白内障が多くなります。ある閾値があって,それ以上を浴びると一気に核白内障が増えると思うのですが,そのような地域は往々にして気温も高いので,その条件もクリアしないといけません。核白内障で核が固くなると老眼になりますし,眼鏡を持っていないために近方視力が0.4以下の方ばかりですから,遠くも見えない近くも見えない状態になってしまいます。平均寿命が50歳くらいなので,40歳くらいに白内障が始まって60歳くらいでかなり見えなくなるはずですが,その頃には多くの方は亡くなってしまいます。しかし,現在では内科医療が非常に発達してきているのであと20年もすれば平均寿命が延びて70歳くらいにはなると思います。そうなるとみんな失明です。中央アフリカ,西アフリカなどで物凄い数の失明者が出ると思います。医者の数は少ないですし,今のうちから予防しておかないと大変なことになると感じています。

Q: 先生の考える予防の中で特に強調したいのはやはり紫外線のカットでしょうか。

A: そうですね。できれば子供のころからの対策が必要だと思いますが,そのエビデンスがあまりないのが現状です。

今,私は沖縄の西表島で調査をしていますが,タンザニアでは瞼裂斑と紫外線の関係についても調査しました。瞼裂斑は大人になったら罹患しやすくなりますし,紫外線だけが原因ではないと言われていますが,タンザニアでは小学校1年生の9割に初期の瞼裂斑がありました。紫外線カメラで350nmの光で計測すると瞼裂斑の部分が励起されて見えます。石川県の子どもでは4年生くらいから少し出始めて,6年生でも16%くらい,それが西表島では6年生の80%ですから。同じ人種で同じ機器を使ってもこんなに違うのは,天空紫外線量の差と関係があるとしか思えません。翼状片も久米島では40,50歳以上の3割いると言われていますし,私たちが鹿児島県の喜界島で行った調査でも50歳以上の3割が翼状片になっていました。また,核白内障もすごく多かったです。大人がそのような病気になっているのは子どものころからの紫外線による障害の蓄積が原因になっていると考えています。子どものうちからの予防が一般的になれば老眼や白内障になる年齢が遅くなり,翼状片にならなくて済むようになると考えています。皆ならなくても良い病気になってしまっているのが現状ではないでしょうか。エビデンスさえあれば,ある程度の予防は可能であると考えていますし,それを当たり前にしたいです。現在は,小学生用の安価なサングラスを作っていて,ランドセルといっしょにサングラスをかけて学校に行くくらいのエビデンスを作っていきたいと思っています。現在は沖縄県での前向き調査もしていて,3年間前向きに保護した人と保護していない人でどう変わるかというスタディーを,コンタクトレンズも含めてやろうと計画中です。紫外線の強いところで調査をしなければ差も出にくいですからね。

薬物療法はラノステロールなど話題になり,これまで多くの追試が報告されていますが,今のところ白内障治療に有効とは言えないようですね。私の教室でも研究していますし,ARVOでも発表がありましたが水晶体の基礎研究の先生方が水晶体の再生を含めて様々な研究をしています。将来的には(すべての白内障は無理かもしれませんが)核白内障や後嚢下白内障だけでも進行を抑えたり,混濁を元に戻したり,老視を防止したりするのが可能な時代が来ると思っています。それに向かって頑張っていくつもりですが,臨床研究や疫学研究もやらなければなりませんから,欲張りすぎないようにしたいと思います。

Q: 白内障治療の未来について,有望視しているものは何でしょうか?

A: 直近ではextended depth of focus(EDoF)レンズですね。発展途上国では白内障手術で単焦点IOLで近くが見えなくなっても老眼鏡を買うという文化が無く,眼鏡屋も無いので。そんな人たちのために安いEDoFレンズがあると非常に有用だと思います。乱視への許容性が大きい,低加入EDoFがあると,途上国でも比較的安全に使用できると思います。単焦点IOLでも,安価な眼鏡を適切に使用することで見えるようになるということの教育も必要です。本年2月に「紫外線から眼を守るEyes Arc」というNPOを立ち上げました。途上国への医療支援や啓発も設立目標の一つであり,将来的には安価なEDoFレンズの開発や安価な眼鏡の普及にも関わりたいと考えています。安い100円眼鏡みたいなものでも十分に役に立つので,眼鏡をかけると見えるということを知らない人たちに,それを当たり前にしてあげたいと考えています。

あとは水晶体の再生です。子どもの手術に関してはCCCを小さくして中を取ったらまた再生したという話もあります。再生するためにどうすれば良いかという研究もされていますから,水晶体の再生が将来の目標になってくるかなと考えています。そして,そこに少しでも関われればうれしいなと思います。

Q: 2019年に第55回日本眼光学学会(石川県金沢市にて開催予定)を会長として主催されますが,どのような会にしたいとお考えですか?

A: アジャスタブル眼内レンズの話は,日本ではあまりされていませんが,一つの新しい仕事だと思います。なので,それを話してくださる先生を探しています。私自身がずっと視機能についてやってきたので,水晶体や有水晶体眼内レンズ,白内障の話から多焦点も含めた視機能をテーマとしてやってみたいと考えています。多焦点やEDoF,様々なレンズや遠近両用眼鏡・コンタクトレンズなどの老視矯正の視機能の話とか,屈折矯正もそうですし,加齢や明視域や白内障手術眼,瞳孔の話もシンポジウムで組めたらと思います。

また,本年の眼光学学会では,人工知能(artificial intelligence: AI)の話が出てきていると思いますが,そのAIでの診断は網膜や糖尿病,角膜疾患で使われています。私たちも白内障カメラでAIによる診断を試みていますが,今後,急激に進歩する分野ですので,今年度に引き続き,各分野の先生をお呼びして最新のお話を聞けたらと思います。学会のスケジュール的に時間も限られるので色々組み込むのは難しいかもしれませんが,光や電波などの電磁波にも興味があるので,放射線や電波,紫外線や赤外線と眼の病気との関わりや川守田先生がされているような光学シミュレーションの話も上手く組み込めたら嬉しいですね。

視能訓練士の方も大勢参加して下さっているのですが,視能訓練士は単に検査するだけではなく,疾患を予測してから医者に渡せるくらいまでできると,患者さんにとってメリットがあると思いますし,診断から治療方針決定にまで関わる視能訓練士の仕事として,角膜,水晶体や網膜,緑内障などのそれぞれの分野の視能訓練士の方に何か話していただけたらとも考えています。

Q: 佐々木先生,あふれ出る情熱とロジカルな展望に感銘を受けました。本日は貴重なお話ありがとうございました。

 
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