視覚の科学
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近年の視方向研究の展開
草野 勉
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2018 年 39 巻 4 号 p. 113-116

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1. はじめに

3次元空間を適応的に行動する上で,空間内に散在する物体と自己との位置関係や複数の物体間の位置関係,すなわち距離や方向を把握することは重要である。視覚的に提示される対象の方向の知覚は視方向とよばれ,距離知覚と並んで視空間知覚の代表的なトピックのひとつである。古典的な研究では,光点など単純な視覚刺激を用いて視方向に関する理論が構築されてきたが,近年,その理論はより複雑な刺激において妥当性が検証され,拡張されてきている。本稿では,そのような試みをおこなっている研究を紹介する。

ある対象の視方向を予測する際にしばしば言及され,妥当性が検証されている古典的な理論として,Wells-Heringの視方向原理1)がある。本稿では,紙幅の都合でこの原理については要点だけを記述するので,原理の詳細については他の文献24を参照されたい。視方向原理の定式化にはいくつかのバリエーションがあるが,本稿では主に下野3)の記述に準拠し,注視対象と眼の結節点(nodal point)とを結ぶ線を視軸,両眼の視軸が交差する空間中の点を凝視点,結節点と対象とを結ぶ線分を視線とよぶ。視方向原理は,以下の4つの下位原理に分類される。1)サイクロプスの眼の原理:視方向は,両眼の中心付近(サイクロプスの眼,cyclopean eye)を原点として判断される。2)共通軸の原理:視軸上の対象は,凝視点とサイクロプスの眼とを結んだ線分(共通軸)上に知覚される。3)複視あるいは単眼の原理:対象が視軸上になく,両眼においてその対象の視線と視軸とのなす角(網膜上における中心窩に対する対象の網膜像の位置)の差(すなわち網膜像差)が大きい場合,その対象は両眼融合されず,左右眼における視線と軸とのなす角の分だけ共通軸から偏位した2方向に知覚される。また,対象が単眼のみに提示される場合(単眼刺激)では,その対象は,視線と視軸とのなす角の分だけ共通軸から偏位した方向に知覚される。4)融合の原理:対象の網膜像差が小さい場合,刺激は両眼融合され(両眼単一視),左右眼における視線と視軸とのなす角の平均分だけ共通軸から偏位した方向に知覚される。

これらの原理にもとづいて視方向が決定されるためには,対象の眼球位置情報と網膜上の像の位置情報が必要である。すなわち,サイクロプスの眼と凝視点との位置関係を知るためには,頭部に対する両眼の眼球位置情報が必要になる。また,対象の視線と視軸とのなす角は,具体的には網膜上の対象の像の中心窩に対する位置情報として視覚系に入力される。したがって,対象の視方向は,視方向原点の位置,対象の網膜像位置,さらに両眼の位置の3つの情報をもとに予測できることになる。しかしながら,近年の研究では,視方向はこれらの情報以外の要因によっても影響を受けることが示されている。本稿では,そのような研究の一部を紹介し,それらの知見がどのように統合されうるかを考察する。

2. 視方向原理の妥当性に関する近年の研究

近年の視方向原理の妥当性に関する研究は,主に以下の3つに分類することができる。すなわち,1)サイクロプスの眼の仮定の妥当性,2)単眼の原理の例外現象,および,3)融合の原理の例外現象である。本節では,このうち2)3)について,近年の動向を紹介する。なお,1)については,サイクロプスの眼の原理で仮定されているサイクロプスの眼の位置が両眼間のほぼ中央に固定されたものであるかどうか,ひいてはサイクロプスの眼の概念が妥当であるかどうかについての議論5,6)があるが,本稿では紹介を割愛する。

3. 単眼の原理の例外現象

単眼の原理の例外現象として,単眼刺激の視方向が3次元空間文脈によっては視方向原理から逸脱したものとなることを示す研究結果が報告されている。たとえば,Erkelensら7)は,左右眼で同一のランダムドットパターンを提示し,それらの両眼融合を保ったまま正中線に対称に同一量左右反対方向に移動させると同時に,一方の眼に提示されるランダムドットの上に単眼刺激を提示し,ランダムドットとともに動かした(図1)。その結果,単眼刺激はランダムドットとともに同一視方向を保っているように(静止して)知覚された。視方向原理によれば,ランダムドットは左右眼で左右反対方向に等量移動しているため,視線と視軸とのなす角の両眼間平均がゼロとなり,共通軸上にありつづけることが予想される。したがって,予想と一致する知覚が得られたことになる。しかしながら,単眼刺激は,視線と視軸とのなす角の分だけ共通軸から偏位して知覚されることが予想されるため,視軸上に位置し続けない限り,単眼刺激の視方向は移動とともに変化して知覚されるはずである。彼らは,単眼刺激が視軸上にない場合でも単眼刺激が両眼刺激とともに同一視方向上にあり続けることを示し,この現象を単眼刺激が両眼刺激の一部として扱われたためであると解釈し,単眼視方向の両眼捕捉(binocular directional capture)と名付けた。Shimonoら8)も,単眼刺激の視方向が周囲の両眼刺激の影響を受けて視方向原理の予測から逸脱する現象を報告し,単眼刺激が両眼刺激のなかに提示される場合,単眼刺激には奥行き情報がないため,両眼刺激の規定する奥行きが単眼刺激に与えられ,その結果,単眼刺激の視方向が決まるとする両眼表面−デフォルト仮説を提案した。これらの研究は,両眼刺激の水平網膜像差による3次元空間定位が,単眼刺激の視方向に影響することを示したものといえる。

図1

前額平行面上で左右眼で反対方向に同期運動するステレオグラム。右眼に提示されるランダムドットに単眼刺激が含まれ,ランダムドットとともに運動する。

一方,両眼刺激の水平網膜像差にもとづく3次元空間定位の影響ではないと考えられる単眼刺激の両眼捕捉現象も報告されている。Hariharan-Vilupuruら9)は,垂直網膜像差を持つ(左右眼で凝視点に対する垂直位置が異なる)ランダムドットパターンを提示し,一方の眼に与えるランダムドットパターン上のみに単眼刺激を提示した際の,単眼刺激の垂直視方向を測定した。単眼の原理によれば,単眼刺激の視方向はランダムドットパターンの垂直網膜像差の影響を受けず,提示眼における視軸と視差のなす角の大きさだけ,共通軸から偏位した方向に知覚され続けるはずである。しかしながら,実験の結果,単眼刺激の視方向は,ランダムドットパターンの垂直網膜像差の関数として変化した。実験で用いた垂直網膜像差は奥行き知覚の手がかりとしては機能しないため,この結果は,ランダムドット面の3次元空間定位にともなって単眼刺激が定位されることによるものではなく,ランダムドットが両眼単一視(allelotropia)される際に,単眼刺激が両眼刺激の一部として扱われたことによるものであるとされ,単眼刺激の視方向の両眼捕捉現象には,単眼刺激の3次元空間定位による成分と,両眼単一視にともなって生じる成分とが存在することが示唆された。

上述の研究は,刺激としてランダムドットや線分などの刺激を用い,その刺激特性についての検討はドット密度などに限られていた。Raghunandanら10,11)は,単眼刺激の輝度コントラスト極性や空間周波数などの特性を操作することで,輝度によって定義される網膜上の刺激の位置信号が貧弱な時に両眼捕捉現象が生起しやすいことや,非線形的な位置処理過程が両眼捕捉現象に関与することを示唆する結果を報告している。

4. 融合の原理の例外現象

融合の原理の例外現象として,両眼刺激の視方向が必ずしも両眼における視線と視軸とのなす角の平均とはならないことを示す研究結果をあげることができる。それらは,両眼に提示される刺激の輝度や輝度コントラストなどに差がある場合と,3次元空間文脈に影響される場合とに分けることができる。

両眼に提示される刺激のコントラストに差がある場合,両眼融合された刺激の視方向は視方向原理が仮定する単純な平均ではなく,重みづけ平均になることが,多くの研究によって示されている。たとえば,Mansfieldら12)は,コントラストの高い刺激の位置情報が視方向に大きな影響を持つことを示した。図2のステレオグラムでは,上下の縞刺激が左右眼で左右反対方向に等量ずれているので,融合の原理によれば,網膜像位置が左右眼で平均化された結果,上下の縞刺激は同じ視方向に(一直線に並んでいるように)知覚されることが予想される。しかし,実際には,上の刺激は下に対してより左寄りに知覚される。この位置関係は,よりコントラストの高い左眼の縞刺激により近い位置関係である。彼らは,コントラストが融合像の視方向に影響する事実と,網膜位置情報の信頼性に関する知見から,それぞれの眼に与えられる網膜位置情報が信頼性によって重みづけされたあと平均化され,融合刺激の視方向が決定されるとする加重平均モデルを提案した。同様に,Dingら13)は,垂直方向に正弦波状に輝度が変調する(水平な明暗のパターンからなる)刺激を,両眼で位相をずらして提示し,両刺激のコントラストの違いが,両眼融合後に知覚される正弦波の位相に及ぼす影響を測定した。その結果から,彼らは,それぞれの眼に与えられた像のコントラストエネルギーによって,他の眼に提示された像の信号の利得が2段階で調整されるモデルを提案した。これらのモデルは,両眼における網膜位置情報が単純に平均化されるのではなく,刺激の特性によって重みづけられることを示している。

両眼刺激の周囲の3次元空間文脈が,その視方向に影響をあたえることがKusanoら14)によって示されている。彼らは,両眼刺激の背景に,水平大きさ像差(horizontal size disparity)によって垂直軸周りの3次元的傾斜(slant)をシミュレートしたランダムドット面を提示し,シミュレートした傾斜と両眼刺激の水平網膜像差が,両眼刺激の視方向に与える影響を検討した。その結果,両眼刺激の視方向は,背景の面の左右辺のうち,両眼刺激の水平網膜像差により近い像差を持つ辺の方向に偏位することを示した。この現象は,上述の両眼刺激の逸脱現象とは異なり,両眼刺激間のコントラスト等の違いによるものではなく,3次元的な空間文脈に依存する新たな逸脱現象であると考えられる。彼らは,水平大きさ像差によってシミュレートされた奥行きが他の奥行き手がかりとの競合によって過小評価される際に,水平網膜像差による両眼刺激の定位も影響を受けた結果,両眼視方向が変化した可能性について言及している。

図2

Mansfieldら12)によって使われた刺激の模式図。左眼に提示される像の上側の縞模様のみコントラストが低くなっている。心理学評論,20134)より引用。

5. 網膜上の位置情報と眼球位置情報との統合

上述の通り,視方向原理では網膜上の対象の像の位置だけではなく,眼球位置情報も視方向の決定に影響することが仮定されている。Sridharら15)は,融合の原理には,網膜位置情報の平均化だけではなく,眼球位置情報の平均化も仮定されることを指摘した。たとえば,輻輳眼球運動によって左右眼が反対方向に等量移動した時,視方向原理では左右の眼球位置情報が平均化され,視方向が一定に保たれることとなる。このとき,左右の眼球運動は視方向に等しく影響する(等しい重みづけで平均化される)ことが仮定されているが,測定の結果,約半数の観察者において,眼球位置の変化が視方向知覚に与える影響が左右眼で異なることを見出した(観察者間で平均をとると視方向原理の予測と一致する結果が得られる)。さらに,Sridharら16)は,視方向判断における左右眼の眼球位置情報の平均化の際の重みづけが,片眼に提示される像のボケ(blur)によって変化することを報告している。

6. むすび:画像の特性を考慮した視方向原理の修正の可能性

これまで述べた通り,Raghunandanら10,11)は,単眼視方向の両眼捕捉現象の強度が刺激の空間周波数などの特性に依存して変化することを報告している。また,Sridharら16)の研究は,左右の眼球位置情報の重みづけが,提示される刺激の特徴によって変化しうることを示した。これらの研究は,視方向原理をより精緻化させるために,画像の特性を踏まえた研究が行われる必要性を示唆していると考えられる。一方,上述した両眼間の網膜上の位置情報の結合に関するモデルは,画像中の刺激のコントラスト比による重みづけや画像全体のコントラストエネルギーによる利得調整など,非常に精緻化されデータに対して高い説明率を持っているが,眼球位置は固定されていることが前提となっているため,眼球位置情報の重みづけに対する影響については考慮されていないと考えられる。今後,提示画像の特性が,網膜上の位置情報や眼球位置情報の処理,および両者の統合による視方向判断過程に与える影響を評価できるモデルを構築することが,視方向原理の予測力を高める上で必要になると考えられる。

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© 2018 日本眼光学学会
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