2014 年 2014 巻 624 号 p. 624_103-624_122
第二次世界大戦終戦時,わが国の生保相互会社は第一,千代田,富国の僅か3社に過ぎなかったが,戦後まもなく発生した相互会社化の波により16社へ急増した。戦後の相互会社化は世界的にも稀有な事象であるが,その理由については諸説あるものの,いまだ定説を得るに至らず十分な解明がされていない。とりわけ財閥系生保の相互会社化の理由として比較的有力視されてきたGHQ(連合国最高司令部)指導説には,裏付けとなる客観的資料の欠如という弱点があり,GHQ指導説否定論者の根拠となってきた。
こうした中,本稿は,米国のエドワーズ財閥調査団報告書および国務・陸軍・海軍三省調整委員会文書(SWNCC302/2修正文書)によって,財閥系生保の相互会社化が米国政府の財閥解体政策の一環であった事実を明らかにした。これにより,GHQが財閥系生保の相互会社化を導いたとするGHQ指導説は定説となり得る要件を具備したといえる。