日本重症心身障害学会誌
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シンポジウム2:いのち輝く生活を多職種と協働で支える看護の専門性を考える
福祉職と協働でくらしを支える看護のありよう
窪田 好恵
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2019 年 44 巻 1 号 p. 73-74

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抄録

Ⅰ.はじめに 重症心身障害児(者)(以下、重症児(者))施設には、医療法による病院機能と児童福祉法による施設機能の2つを併せ持つという場の特性がある。そのため、そこで行われている看護には福祉職との協働の仕方に特徴があるといえよう。重症児(者)施設は、設立以来、長年にわたって看護師不足が続いてきた。西藤らは、重症児(者)施設に就職して3年以内の看護師の離職率が41.9%であったと報告1)している。就職してもすぐに辞めていく看護師と長年にわたって就労している看護師がいるが、その差異は、福祉職との協働にも関連するのではないかと考える。本稿では、立命館大学大学院先端総合学術研究科博士論文2)の一部を加筆修正し、重症児(者)のくらしを支える看護師は、福祉職とどのように協働し、なぜくらしを支える看護を継続できているのかを述べる。 Ⅱ.対象・方法 対象:重症児(者)施設に1~41年間の勤務経験がある看護師16名 方法:インタビュー調査による語りを一次データとして、KJ法により帰納的に分析し、カテゴリー化した。さらにその結果を重症児(者)施設の歴史的背景を踏まえながらマトリックス分析3)した。 Ⅲ.結果・考察 看護師16名のインタビューの結果を帰納的に分析すると、11のカテゴリーと次の6つのコアカテゴリーが生成された。〈職場選択の動機〉〈看護の場の特性〉〈職業的アイデンティティの揺らぎ〉〈就労継続を支える肯定感〉〈重症児(者)看護の基盤となるもの〉〈看護の再定義〉である。さらに、研究対象者を縦軸にカテゴリーを横軸にして歴史的背景と関連させてマトリックス分析を行うと、看護師の就職した時期により1970年代までの第一世代、1980~2005年までの第二世代、2006年以降の第三世代の3つの世代に分類できた。その理由は、戦後の社会的背景や法の整備による重症児(者)を取り巻く環境の違い、法整備による職員配置等の違い、入所している重症児(者)の重症度と年齢の違いなど、看護の対象者が変化したことである。 1.看護の場の特性 重症児(者)施設における〈看護の場の特性〉は、福祉職との協働の仕方が一般病院とは異なっている。それは福祉職と職種の境界のない援助方法により、補完的に日常生活援助を繰り返していることである。また、観察力や洞察力を必要とし、成長・発達の可能性を信じながら、わずかな反応を手掛かりにして生涯にわたってケアを行っているところに特徴がある。 第一世代の看護師3名は、入所者全員が小児である時代に、「みんなで一緒に」「家族のように」保育士らと一緒に試行錯誤で援助を行ってきた。時に福祉職との対立もあったが、「楽しかった」と感じている。第二世代の看護師5名の時代は、入所者の年齢が成人に達するようになり障害の程度も重度化した。この世代の看護師にはロールモデルがいて、たとえば「運動会の実行委員長」であったり、「ある雪の日にベランダで雪だるまを作って子どもたちを喜ばせた看護師」であったりする。第二世代の看護師たちは、「看護は生活の支援」であり、福祉職との協働の仕方を当たり前と捉えていた。 2.就労継続を支える肯定感と職業的アイデンティティの揺らぎ 第一世代、第二世代の看護師には〈職業的アイデンティティの揺らぎ〉はなく、〈就労継続を支える肯定感〉があった。一方、第三世代の新人看護師8名は、〈職業的アイデンティティの揺らぎ〉を感じていた。その理由は、重症児(者)施設では、一般技術を習得する機会が少ないことや、職場文化に馴染みにくいことである。そのために、福祉職と協働するメリットを感じていても、それを肯定的に受け止めることが難しく、先輩や上司の支えがないと感じた新人看護師は離職を決意していた。他方、先輩や上司の支えがあると、〈就労継続を支える肯定感〉に変化していた。 3.看護の再定義と関連する要素 看護師の業務は、法的には診療の補助業務と療養上の世話である。しかし、看護の歴史を辿ると、看護師のアイデンティティが揺らいだ時期があった。野島は、第二次世界大戦後、多くのパラ・メディカルの出現により、看護師たちは機能の独自性を持たない看護の立場が揺らいだことをきっかけに、V・ヘンダーソンをはじめとした看護理論家たちにより、看護の本質は日常生活や人間関係にあるとする看護論が提唱されたと報告4)している。今回の看護師たちも同様に、一般病院で行っている非日常である診療の補助業務よりも、くらしの場における日常生活援助こそ看護であると捉えている。 上野は、「経験の再定義とは、新たなカテゴリーによって自分自身の経験が別の意味を与えられることを言う」5)と定義している。本稿で〈看護の再定義〉と概念化したのは、一般病院とは異なる、重症児(者)看護を経験した看護師たちの看護が、再定義されたと考えるからである。第一世代の看護師と第二世代の看護師は、くらしの中の〈看護の再定義〉が容易に起きていた。しかし、第三世代の看護師は、医療の機能分化にあわせた教育を受けているため、診療の補助業務ができないことで看護師としてのアイデンティティが揺らいでいる。近年入所者の重度化により、日常生活援助を行うロールモデルの姿を見る機会が少なくなった。さらに、長い期間に醸成された職場文化への適応や福祉職との協働の仕方にも困惑していた。こういったことが〈看護の再定義〉を起きにくくしていると考える。 しかし、どの世代の看護師にも共通することがある。次の2点である。1点目は、「障害児(者)との接点」や「くらしの中の看護が好き」という〈職場選択の動機〉が明確なことである。2点目に、〈重症児(者)看護の基盤となるもの〉として、重症児(者)への愛情や使命感を感じ、一人ひとりの人生に寄り添っていきたいという思いがある。〈就労継続を支える肯定感〉に変化していた第三世代の看護師も同様であり、〈看護の再定義〉が起きつつあると考える。 重症児(者)施設に勤務する看護師は、福祉職と職種の境界なく、補完的に日常生活援助を繰り返す看護を、「これでいい」と了解できれば〈看護の再定義〉が起きる。〈看護の再定義〉が起きれば就労継続し、起きなければ離職に至ると考える。近年、高齢化が進み、医療政策は「病院完結型」から「地域完結型」へとシフトし、治療する医療から病気や障害を持ちながら生活する人々を支える医療へと転換していく時期であるといえる。福祉職と協働する重症児(者)看護のありようは、常に医療を必要とする人のくらしをより良いものにすることや、医療・福祉はどのように連携を行うことが望ましいかということに示唆を与えるものであると考える。

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