抄録
1990年代以降、先進諸国では「アクティベーション」や「ワークフェア」といった理念の登場とともに雇用政策と福祉政策の再編成が行われてきた。このような動向は、政治経済学の分野では「福祉国家の再編」の議論として関心が注がれている。
日本においては2000年代以降、「生活困窮者自立支援法」の成立に見られるように、「自立」理念のもとで、一方では就労へのインセンティブを高めることを基調とした福祉・雇用政策の再編が行われてきた。しかし他方では、「障害者自立支援法」からの改題を経て成立した「障害者総合支援法」のように、「年齢」「身体障害」「精神障害」などの複数のカテゴリーを一括し、当事者の意思や特性に配慮した空間における、創意工夫並びに何らかの生産に関与する活動の尊重を理念とした「総合」的な支援のあり方が模索されてきた。
上記のような、「障害」という語彙並びにカテゴリーが制度的に登場したのは、「生活保護法」「児童福祉法」「身体障害者福祉法」といった所謂福祉三法の成立、そして「母子福祉法」「老人福祉法」「知的障害者福祉法」を加えた福祉六法の成立に代表されるが、諸社会保障・福祉制度が形成された当該時期(1940〜1960年代)に、政策審議過程の水準において「障害」がいかに定義され、どのような制度的対応が模索されていたのかは、先行研究において十分に検討されてはいない。
本報告では、日本の諸社会保障・福祉制度に関する政策提言機関である「社会保障制度審議会」の役割に着目し、上記の審議会を構成した社会集団並びに論者が、「障害」をどのように定義していたか、またそれらへの制度的対応をいかに議論していたか整理・検討することで、日本における「障害」というカテゴリー並びに福祉供給のあり方に関する歴史的特徴を明らかにすることを目的とする。
申告すべきCOIはない。