日本体育学会大会予稿集
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第70回(2019)
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基調講演
福澤諭吉とスポーツ
山内 慶太
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p. 12

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抄録

 福澤諭吉は、慶應義塾の25年史である「慶應義塾紀事」において、慶應義塾のカリキュラムの特色について、「本塾の主義は和漢の古学流に反し、(略) 西洋の実学(サイヤンス)を根拠とするもの」と記し、次いで「身体の運動は特に本塾の注意する所」「塾中に病者の少なきは、(略) 運動法の然らしむものならん」と記した。

 このように、慶應義塾における教育の実践において運動を重視していたが、その背景には以下の諸点を挙げることが出来る。

 第一に、健康の為の身体活動の重要性を良く認識しており、自らも、日常の生活で実践する人であったことである。福澤は、晩年においても、朝の散歩、午後の米搗きや居合抜きが日課で、欠くことがなかった。そして塾生の健康にもマメに注意を払う人であった。

 第二に、福澤は個人の独立を重視していたが、その独立を支える要素として、身体の健康を重視し、活溌な精神、活溌な智力を支えるためにも身体を積極的に鍛える必要を強調していたことである。しかも、乳幼児期からの発達段階に応じた教育の中での運動の在り方を考えていた。「先ず獣身を成して後に人心を養え」という言葉が端的に示すように、まずは「身体の発育」から、そして「精神の教育」、次いで「読書推理」と徐々に比重が移っていくように考えていた。

 第三に、各要素のバランスを重視したことである。健康な身体は独立の人を支える一要素であって、これが全てではない。従って、全国の学校で体育を重んじすぎる傾向が出て来た時には、時事新報に「体育の目的を忘るゝ勿れ」(明治26年3月22日)と題する社説を記した。そこでは、世間の「体育熱心家」を見ると身体の発育が人生の大目的となってしまっており、腕力抜群の称号を得られればそれで全て終わりとでもいうような感があると批判した。

 このような福澤の姿勢を基に、慶應義塾では小学校から大学まで一貫教育を構成する各段階でその発達段階に応じてスポーツが盛んに行われて来たが、慶應義塾のスポーツには、上記の認識に加えて、福澤の教育観が強く影響していることも加えておきたい。すなわち、福澤は科学的な精神である「実学」の精神と、立場や年齢を超えて、独立した個人として尊重しあう関係を大切にすると共に、塾内ではその点が崩れないように細心の注意を払っていた。

 当日は、このような福澤の体育観・スポーツ観について詳しく述べると共に、最後に、超高齢社会における健康の維持増進、スポーツ界におけるハラスメント等の不祥事の予防、等の諸課題に照らして今日的な意義を指摘したい。

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© 2019 一般社団法人 日本体育学会
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