2016 年 31 巻 3 号 p. 210-211
ぼくらの関心を援助行動に向けさせたキティ・ジェノヴィーズ事件が起きてからほぼ50年が過ぎた。この間にこの領域で多種多様で数多くの研究がなされてきたにもかかわらず、この研究分野の全体を展望するハンドブックは公刊されることはなかった。(社会心理学や児童心理学のハンドブックにはこの問題を扱った章が含まれてはいる。)本書はこの意味で、長いことその出現が期待されてきたものといえる。
編者たちによる2つの章(1と34/章の番号)に囲まれた32の章(執筆者は63人)は、4つのセクションに分けられている。このセクションの中で3つは、これまでの研究がとり上げてきた関係性のレベル(マイクロ・メゾ・マクロ)での分類であり、残りの1つは今後の研究動向についてのものである。まずはその目次を紹介してみよう。
この分野の研究として初期にとり上げられたのは、援助行動の状況的要因についての実験社会心理学的な分析(1)であった。その後1970年代の初めからは、子どもの援助行動を問題にした発達心理学的研究(5・6)が盛んになってくる。「反社会的行動」との対比で「向社会的行動」という言い方が用いられるようになったのもこの時期からで、その際には分与行動と寄付行動を含めてこうした言い方がされるようになっている。その段階でも社会生物学的考察がなされることが多かったが、80年代末になると進化心理学(2)、今世紀に入っては行動経済学(4)での研究が目立ってきた。またそこで問題にされる行動の種類の点でも広がりが見られ、たとえば社会心理学の基本的問題とされてきた協力なども、近年では向社会的行動として議論が進められてきている。その際にはそれを対人行動(25)とするだけでなく、集団内協力と正義(26)、集団間協力(27)の問題とすることが多くなっている。
こうなってくると、「相手に対する援助/援助をする側にコストがかかる/報酬を目的とはしない/自発的な行動」(菊池,1983)といった当初の時期の限定的な定義では、うまく処理ができなくなってきている。本書での定義は「相手の利益になる行為」(1)というややゆるいもので、具体的には援助行動や利他性、ボランティア活動、協力行動など広い範囲の行動がその内容とされている。本書の編者の一人(シュレーダー)はその共著論文(Penner, Dovidio, Piliavin, & Schroeder, 2005)で、この種の行動をマイクロ・メゾ・マクロの3つのレベルに分類することを提案していて、その分類法は今回も使われている。マイクロ・レベル(2~12)では、向社会的傾向の起源とその個人差の原因が問題にされる。メゾ・レベル(13~22)では、特定の状況の文脈での対面的な相互作用がとり上げられる。マクロ・レベル(23~28)としては、集団とより大きな組織の文脈の中で生じる向社会的行動(ボランティアや協力)に焦点があてられる。この3つのレベルは相互に重なり合い、しかも独立したものとされているが、実際にはいくらかの混乱が含まれているようにも見える。たとえば文化をマイクロ・レベルのもの(10)とするのは、向社会的傾向の個人差を論じるという意味ではうなずけるが、文化がそれにとどまらないマクロ的な性格をもつことは忘れてはならないだろう。またこの種の行動が文脈の影響を強く受けることが、マイクロ(8)・メゾ(16)の2つのレベルで問題にされてもいる。編者たちはこれが単なる分類ではなく「多レベル的な接近法」(Dovidio, Piliavin, Schroeder, & Penner, 2006; Penner et al., 2005)であるとしているが、その利点が今回はうまく示されていないように見える。これはこの研究領域が広がったことと関係しているのかもしれない。
今後の新しい方向(IV)として関心がもたれるのは、援助行動や英雄的な救助、集合的な暴力への対処について積極的な立会者(active bystander)の役割が強調されていることである(33)。ここでいう立会者は傍観者と訳されることがあるように、その受動的な性格が問題とされることが多かった。この章ではこの概念に積極的な側面を付与することが必要であるとして、その際には「われわれ」から「かれら」へと包括的なケアを及ぼすことと道徳的勇気をもつこととが欠かせないとしている。また、それを支えるものとしてコンピテンス(有能感と実行力)、役割取得力、コミュニティで周辺的な立場にあることを問題にしている。
最近ではfMRIなどの脳画像法を用いた研究がいろいろな領域で試みられているが、向社会的行動の研究でもこの種の興味深い試みは多いといえる。本書でも索引にはこの点についての項目(向社会的行動の神経系生物学・神経科学など)は含まれてはいるものの、期待のもてる方向として一つの章を立てて論じることがあってもよかったと思われる。もちろんこの領域の研究の現状については、まだ「脳よりも心」(Satel & Lilienfeld, 2013)の段階だといった批判的な評価があることは事実である。しかしそうしたことを含めて、この分野の研究の現状を論じる章があればおもしろい議論が展開できたかもしれない。
ともあれ本書は、向社会的行動に関心をもつ研究者あるいは関心をもとうとする学生に、この研究分野の広がりを示してくれることを含めて、基本的な情報を与えてくれる一書である。またぼくにとっては、自分が作った訳書の著者たち(6・13・14)の名前を執筆者の中に見出すことができ、自分の選択が間違っていなかったことを確認させてくれた本でもある。