2023 年 38 巻 3 号 p. 60-61
心理学は単なる行動の説明にとどまらず、その予測や制御にも関わる学問である。一方、心理学者のテーマ設定には好みがあるかもしれない。前者の「説明」に力を注ぐ研究者もいれば後者の「予測・制御」といった実践に関心を向ける研究者もいるだろう。この点でいえば、本書は、産業・組織心理学のよき一般書であると同時に、(個人ではなく)社会環境に対して後者の、すなわち実践的にアプローチしてみたい社会心理学者への誘いの書である。
社会と個人の相互影響の過程を説明しようとする社会心理学者が、さまざまな社会課題に実践的なアプローチをとる場合、大別して、個人への介入と社会への介入の二つの視点をとりうる。そして、現状では相対的に前者の視点に基づく研究が充実しているといえるだろう。自律性、(特性的)レジリエンス、自己制御、楽観性、バイアスといった諸概念に基づく研究成果は、今や多くの人が知るところである。
しかし、このようなアプローチには、問題の個人化や心理主義化に加担してしまう危険性が伴う(Cabanas & Illouz, 2019 高里訳 2022)。例えば、組織で働く者が、業務に必要な資源(例えば、購読可能な学術誌数)を削減されたにもかかわらず、今まで以上の成果(例えば、執筆論文数)をあげるように求められたとしよう。このような状況で、組織成果の規定因として、構成員(例えば、研究者)それぞれの根性(粘り強さ)や自己管理にだけ着目することは、組織成果のあがらない責任を個人の能力・スキル不足への焦点化(「腐ったみかん」化)させることで、組織の責任を不問に付す見方を促しかねない。つまり、個人への介入アプローチには、いつのまにか新自由主義的な自己責任論に加担してしまう可能性がある。
だが、冒頭に述べたように、そもそも社会心理学には、個人ではなく、その個人を取り巻く社会環境への介入を提案する潜在能力もあるはずである。社会もまた個々人の言動によって作られ維持されており、それゆえ変容可能なものと捉えた上での対処案の提供である。にもかかわらず、個人への介入を志向しているかのような研究が多いのは、一つに社会環境への介入の困難さ(研究コストの大きさ)にあると評者は考えている。要は、手間がかかるように感じられて敬遠されているのではないか、ということである。
もしそうなら、本書を読むと、それが杞憂であることに気づかされるだろう。必ずしも社会環境への介入は難しくなく、むしろ場合によっては現場からそれが求められる魅力的な研究領域、としての産業・組織心理学が浮かび上がるはずだ。構成員による組織パフォーマンスを維持する上での組織、会社、職場、リーダーが、どうあり、どう変わるべきかという社会介入的アプローチが、主題の多くを占めるからである。
本書はその中でもリーダーシップを中心に、組織に生じる問題とプロセスを解説し、次善策を提示していく形式をとる。第1章では、妬み感情をキーワードに、社会的比較をめぐる問題について展開される。第2章では、チーム内で上司と部下との関係性が異なる「温度差」について議論が進む。第3章では、不満の特徴や活用法から、上司による賞罰のあり方について解説がなされる。第4章では、上司の地位が上司自身にもたらす影響や、部下から上司への影響過程について説明される。第五章では、上司と部下との信頼関係が崩れた場合の影響や対応に焦点化して、研究知見が紹介される。
本書の特徴の一つは、豊富でリアルな事例を伴う点にある。一般ビジネス書ゆえに紹介される情報は全体としてかなり絞り込まれているものの、著者の関わった経営再建中のJALでの調査結果や、列車脱線事故後のJR西日本で行われた研究プロジェクトの話題、あるいは(言葉の通じない)スペイン生活をある一単語で切り抜けた著者の体験談など、多様な事例がちりばめられつつ論が進む。
重要なことは、本書で取り上げられ、変わるべきだと論じられる対象が、従業員や組織構成員個々の特性や能力というよりも、上司と部下との関係性であったり心理的安全性という組織風土にある点だ。つまり、従業員個人ではなく、彼ら彼女らの社会環境への介入の提案が本書の基底にある。この点で、本書は(個人ではなく)社会環境への介入を志向する社会心理学者にとって誘いの書にもなっている。
むろん注意しなければならないのは、本書での論点にもまた、問題を個人化・心理主義化する危険性があるということである。取り上げられた組織の問題の原因・責任が、単なる管理者個人の力量不足として捉えられしまう懸念は拭えない。企業のコストカットの余波を受けて(前の世代は受けることのできた)管理者向けの研修を受けることもできず、(自分の仕事に手一杯で余裕のない)上司からの支援も見込めない管理職に対して、本書は、部下達が優れた成果をあげられないのは「あなた個人の管理能力の不足にこそ原因がある」と誤読される懸念はある。組織現場に精通した著者がこの懸念に鈍感だとは思えず、紙幅の制限といった事情ゆえだろう。本書であまり取り上げられていない、組織の人事・教育システムやトップマネジメントのあり方については、他の産業・組織心理学の書籍(例えば、産業・組織心理学講座シリーズ(2019,北大路書房)や芳賀(2020))でフォローされるとよい。
社会環境への実践的なアプローチのありようを考える上で、産業・組織心理学の社会との関わり方は、たとえ組織を直接の研究対象としなくとも多くの示唆に富む。本書はこのことを端的に理解させてくれる良書である。