紙パ技協誌
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大昭和製紙鈴川工場の悪臭問題の歴史
白石 昌春室伏 力
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1980 年 34 巻 6 号 p. 399-405

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抄録

1. 悪臭対策以前の状況
鈴川は, 北に富士山, 南は駿河湾に面した静かな農村であった。昭和12年, 内地で最初のクラフト工場が建設されたが, 工場の規模は拡大され, 他の産業も立地し, 工業地帯と変った。
公害問題は, 当初粉じん, 次いで田子の浦港のヘドロ, そしてクラフト工場の悪臭が問題となった。
2. 新施策
鈴川工場は, 1971年に新たなポリシイを決めた。
(1) 鈴川工場は公害を出していることを認識する。
(2) 隣接住民との対立を最小にすべく努力する。
(3) 最も効果的な部分より設備改善を進める。
(4) モニターを置いて潜在的な公害原因を探知する
(5) 公害の発生源, 量と, 住民に対するインパクトを調査する。
3. 工程の改善
(1) 悪臭ガスの集合と, キルンとRBでの燃焼。
(2) 排水の蒸気加熱真空型ストリッピング。
(3) RB関係の改善。モードースクラバーの設置, 無臭化ボイラーの設置。大昭和一荏原 (D-E プロセス) の設置。
4. 隣接住民の工程改善に対する反応
ガス集合は, 悪臭減少の評価が出たが, 3~6カ月後には, 悪臭が元にもどった, と言われた。鼻が鋭くなったためである。ストリッピングも評価が高かったが, 同じく3~6カ月後には元にもどった, と言われた。回収ボイラーについては反応が出なかったが, 工場の態度は好感が持たれた。
重要なのは緊急時に濃い悪臭物質が流れた場合, 無臭に馴れた住民にインパクトが大きい点である。
鈴川工場は, 1971年以来, 40名のモニターを配置し, 粉じん, 騒音, 悪臭, 振動のデータを集めている。工場はこれをもとにして, 設備改善を進めたが, その結果が良くモニターの記録に表われた。
悪臭に対する感覚は, 悪臭物質が1/10になって, 1/2になったと感ずると言われる。鈴川工場の悪臭物質は, 1972年と比較して, 8.7%以下であるが, 未だ隣接居住者は, 悪臭が消えたとは思っていない。

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