日本漢方の特色の一つに,臨床における腹診の活用を挙げられる。これまで多くの漢方医学書が腹診についての所見を述べてきたが,それらの文献同士を比較検討の上での統一された見解が構築されているとは言い難い。本研究では昭和期以降の漢方医学書を用いて医療用エキス製剤147処方の腹診所見について検討した。その結果,同一処方の腹診所見を抽出しても,文献を記した著者の見解は様々であった。さらに,後世方に含まれる安中散と香蘇散に注目し検討したところ,これらの腹診所見は出典元の中国書から引用ではなく,我が国で経験的に蓄積されていったと考えられた。こうした経験知の過程において,流派のような限られた交流や特定の著書が参考にされることにより,腹診所見の相違が形成されたと考えられる。腹診所見についての見解が統一されることにより,伝統医学の有用性に関する研究は進展し,我が国の漢方医学の独自性をもたらすと考えられる。