日本東洋医学雑誌
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『医断』・『斥医断』-天命説を中心として-
青山 廉平
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2003 年 54 巻 2 号 p. 287-303

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抄録

『医断』は吉益東洞の医説を, 門人の鶴田元逸が集録したが, その刊行を見ずに死亡したので, 同門の中西深斎が改補し, 「虚実」の編を追加して, 宝暦九年 (1759) 刊行されたものである。
東洞の独創的医説を強烈にアピールした, センセーショナルな著述で,「司命」「死生」以下「元気」「脈候」「腹候」「臓腑」「脛絡」「引経報使」「鍼灸」「栄衛」「陰陽」「五行」「運気」「理」「医意」「痼疾」「素難」「本草」「修治」「相異相反」「毒薬」「薬能」「薬産」「人〓」「古方」「名方」「仲景書」「傷寒六経」「病因」「治方」「禁宜」「量数」「産褥」「初誕」「痘疹」「攻補」「虚実」の37論よりなり, 東洞の思想を端的に記載している。
この書が刊行されて三年後に, 畑黄山が『斥医断』を著して,「鶴氏の編する所, 吉益子の医断を読むに書を廃して歎ず。大息す可きもの三, 流悌を為す可き者の二, 其の佗理に背き道を傷りし者, 偏ねく挙ぐること難し。云々」と慨歎し, 全編43章にわたって,『医断』の各論をとりあげ, 東洞の説にはげしい論駁を力口えた。以後,『医断』の「死生」論における天命説を中心として, 賛否両論にわかれ, はげしい論戦が展開された。堀江道元『弁医断』, 田中栄信『弁斥医断』, 小幡伯英『弁医断評説』, 加屋恭安『続医断』などの書物も出版されて, 江戸時代最大の医説論争が長く尾を引くこととなった。
いま,『医断』・『斥医断』の二書の一端をとりあげて, 江戸時代に行われた医説論争の一面を窮うこととする。

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