北里大学一般教育紀要
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原著論文
女子職業教育の拡張とロシア帝国の女子職業教育政策
畠山 禎
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2018 年 23 巻 p. 21-48

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抄録

  帝政末期ロシアにおける女子職業教育の拡張は、帝国政府が「大改革」を断行した1860年代から80年代にかけて始まり、90年代以降、本格化した。この間、政府はどのような女子職業教育政策を展開したのだろうか。
  1890年代前半まで、女子職業教育に対する政府の関心は総じて低かった。1884年、国民教育省はМ・С・ヴォルコンスキーを委員長とする女子教育改革特別委員会を組織した。委員会は女子職業学校規程案を作成した(規程案は国家評議会の承認を得ることができなかった)が、その主たる目的は、女子を対象に熟練労働者を養成することや家庭生活にかんする実用的な知識・技能の訓練を行うことよりも、教育の身分制原理を維持することに置かれた。下位身分・階層出身者の女子ギムナジアや女子プロギムナジア1への入学を制限する一方、彼女たちの就学先として女子職業教育機関を整備しようとしたのである。
  商工業が急激に成長した90年代末、初等学校の就学率が上昇し、卒業生の進学志向も高まっていく。技術・教育・慈善その他の団体や職業教育活動家が女子職業教育機関を相次いで開設していく。これらを背景に、女子職業教育の有用性を見いだした政府は政策を転換し、女子職業教育事業に積極的に参画するようになる。政府は、さまざまな団体や個人によって開設されてきた教育機関を統制し、その形態や組織を体系化しようとする。こうして、政府が教育の基本方針を決定し、教育機関の監督や運営費の補助を行い、民間の団体や個人が教育機関を創設し、運営するという機能の分担が確立していく。
  女子職業教育の拡張は、このような国家と社会との関係性のもとで実現したのである。拡張の原動力になったのは、自らの裁量と自己資金で教育機関を創設し、運営していった「非国家セクター」であり、政府はとくに財政面では限定的な役割しか果たさなかった。とはいえ、政府の政策からは、女子職業教育システムを自らの方針に沿って整備して女子職業教育事業を活発化させることで、下位身分・階層出身女性という社会的マイノリティーの生存を保障し、生活を改善させようとする意図がうかがえる。

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