接着は文字どおり境界領域の科学技術で,それだけにいろいろな立場から勝手なことを言える楽しさがある.その楽しさにつられて,我田引水の議論がますます盛んであるが, そのことが実は接着の科学を発展させてきた原動力でもある.百家争鳴,百花斉放はどんな社会でもいいものだ.だがそういう議論も群盲象をなでる式で,象とはフロシキのようなものだと言ったり,壁のようなものだと言ったり,柱のようなものだと言ったりしていたのでは,かえって真実を失なうおそれがある.それぞれを正しく位置づけて, 象の全体像が浮びあがるように交通整理をすることが必要である.この小論はそんな役に立つことを願って書かれたが,他の筆者との重複を避けてふれなかった部分もあるし,もっと論ぜられるべきなのに論じられていない側面もあって,接着の全体像を描いたと言いきれないのが残念である.しかしともかく,接着にはいろいろな側面があるものだという印象があとに残れば幸いである.