2020 年 87 巻 p. 32-40
本稿は、昭和31年度頃の増淵恒吉の授業実践の変容と、そのことの歴史的な意味について明らかにしたものである。
昭和30年代前後は、経験主義・総合主義の国語教育が反省され、能力主義・系統主義の国語教育へと転換していった時期である。そのような時期に、増淵は、それまでの生徒の研究発表を軸にした方法から、教師の発問を軸にした方法へと授業の進め方を変えている。
このことの背景には、当時の文学教育に対する増淵の立場と、同時代の国語教育界全体の動向があった。本稿で明らかにした増淵の変容は、戦後転換期の国語教育の動きと並走するものとして位置づけることができる。