大村はまの単元学習には劇化や演劇活動が取り入れられているものが見られる。その実践の記録は大村の著作にあるだけではなく、生徒が記録した「学習記録」にも残されている。本研究では、鳴門教育大学附属図書館所収の「学習記録」にある台本を考察対象の中心として、大村の劇化指導の展開と変遷、及びその理由について明らかにした。
大村の劇化指導は戦後すぐと定年間際のそれぞれ3、4年の間に集中して行われ、その間に当たる27年間には行われていない。唯一既成の台本を演じた放送劇「須川おろち」の実践があるのみである。戦後すぐの実践では教科書教材の場面をシナリオに書き直して発表させているが、それらには教材の理解に留まらない演出の姿勢が認められた。定年間際の単元では学習材に多様性があり、発表の活動もインタビュー(劇)、放送劇、人形劇などをより生徒に委ねた発表会の形式で展開させていた。「須川おろち」は大村の劇化単元の変遷をつなぐ実践として位置づけることができる。「須川おろち」で展開された放送劇を大人数で行う演劇活動のありようが、大村の劇化指導におけるその後の生徒一人ひとりの力を伸ばす学習方法、学習発表会の取り組みにつながっていったと言える。