近年, 顎顔面口腔領域の各種疾患に合併した嗅覚障害, 手術, 放射線治療などに継発したり, あるいは, 特発性に発生する嗅覚障害が問題とされるようになってきた。特に, ここ数年, 増加の一歩をたどる交通事故による顎顔面領域の受傷者中に, 嗅覚障害を訴えるものがふえつつあり, その客観的検査および臨床生理学的研究は, 臨床的にも, また, 社会的にも, 必要性を増してきている。
従来の嗅覚検査法および臨床生理学的研究においては, 嗅覚の有無あるいはそれらの障害の程度の判定は, 被験者の主観的応答に頼っており, 賠償神経症などの混在が予想される臨床検査には適さない憾みがあった。そのため, 最近, 判定を被験者の主観的応答にたよらず, 嗅刺激に対する1あるいは2種の生体反応を記録し, 他覚的判定を行なう方法が考案されつつある。もし, より多種類の生体反応を・同時に記録できれば, 嗅覚をより明確に, 客観的に把握できると考えることができるであろう。
このように考え, 著者は, 嗅刺激に対する生体反応として, 脳波, 呼吸曲線, 眼球運動, 電流性皮膚反射, 耳下腺活動電流および心電図の6系統を同時記録し, それを定量的に分析し, 嗅覚を客観的, 定量的に把握することを目的として, 本研究を行なった。
先に, 本教室で開発した上野式嗅刺激装置により, サイアミン・プロピル・ダイサルファイド6濃度, 酢酸4濃度, コーヒー1濃度およびバニラ1濃度の各匂い物質を, 健康男女各10名計20名の被験者に与え, 前述6系統の生体反応をポリグラフにより同時記録した。解析は, 刺激前30秒間 (PREと略す) , 刺激中30秒間 (ON効果) および刺激後30秒間 (OFF効果) を各々の匂い物質について行なった。各生体反応変化の出現率およびON効果とOFF効果について, 総合的に比較検討すると, 呼吸曲線 (ON効果40.7%>OFF効果18.1%) >脳波 (ON効果37.8%>OFF効果14.7%) ≒眼球運動 (ON効果30.3%>OFF効果19.1%) ≒電流性皮膚反射 (ON効果34.0%>OFF効果13.8%) >耳下腺活動電流 (ON効果28.9%>OFF効果7.8%) であった。なお, 心電図では, 波形の変化は認められず, 心拍数の増加あるいは減少が, わずかに認められるにすぎなかった。