「負の遺産」という言葉は、過去から現在に受け継がれるもののうち、なんらかの否定性を帯びたものを表すが、その含意は用いる主体や用いられる文脈によって多様である。大別すれば、この言葉には現在に否定的影響をもたらし続けるがゆえに清算されるべき過去の状況という意味(負のレガシー)と、人々に多大な犠牲や災禍をもたらし、その道徳的・教訓的価値ゆえに継承されるべき過去の出来事という意味(負のヘリテージ)の二つがある。戦争や近代工業のように、同じものがある文脈では負のレガシーとされ、別の文脈では負のヘリテージとされることもある。本稿では、負の遺産という語の多義性を、否定性を帯びた社会的記憶の多様性を表す感受概念として捉え、メディアや日常生活世界におけるその語の用いられ方を分析する。まず、負の遺産の意味を負のレガシーと負のヘリテージとに区別したうえで、その意味の時代的な変化を新聞記事の分析をつうじて辿る。さらに、負の遺産が社会のなかでどのように記憶/忘却されるかを、三池炭鉱をめぐる集合的記憶の分析をつうじて論じる。これらの議論をふまえて、負の遺産が公共的記憶になるための条件について考察するのが本稿の目的である。