この論考においてはルソーの『孤独な散歩者の夢想』の第二および第五の散歩に見られる、時間が静止し、存在と外界の区別が曖昧になる至福の時を分析する。 充溢した幸福としての「絶対性」は、そこから身を引き離したときにふり返ってしか意識できないものであり、それゆえ、現実社会での至福の時は、「絶対性」から目覚める瞬間、あるいは「絶対性」に入ろうとする狭間の時間にしか存在しないの ではないか。存在が時間感覚を失い「死」に接近する絶対的な時と、そこからの「生」への覚醒を描く描写は西洋文学のなかでヴァレリーの「海辺の墓地」やカミュの『異邦人』にも見いだせるが、ここではルソーの絶対的時間と、覚醒時の幸福の描写を、それらの作品との比較で分析し、その特徴を探る。