ベネズエラは、経済成長率が4年連続マイナス、インフレ率が4万パーセントを超えるなど、想像を絶する厳しい経済状況に直面している。本稿では、ベネズエラの厳しい経済状況を図表によって明示的に示し、その背景要因について概説する。マイナス成長については、国際石油価格の下落の影響も大きいものの、チャベス政権期からの国家介入型経済政策がもたらしたマクロ経済の歪みの蓄積や生産部門へのダメージが重要である。ハイパーインフレや対外債務という切迫した問題も、チャベス期から始まった著しい財政肥大に原因があり、マドゥロ政権の経済運営のみならず、チャベス期からの経済政策そのものに原因があると考えられる。
ベネズエラは近年政治経済的にきわめて厳しい状況に直面している。政治的には、2015年に反政府派が圧倒的過半数を支配する国会が誕生したことが契機となり、政権維持のためにマドゥロ大統領は権威主義化を深めている[坂口2018]。2017年7月の制憲議会選挙、および2018年5月の大統領選挙のふたつの選挙はいずれも憲法の規定に基づかず、また確実に与党候補が勝利するような制度的デザインや状況のもとで実施されたもので、憲法秩序や民主主義原則に反するものであった。そのため反政府派勢力はいずれの選挙もボイコットし、その結果全議席を政府派が支配する制憲議会が設立し、マドゥロ大統領が再選された。これらの選挙については、実施前から憲法秩序や民主主義原則に反するとして国際社会から厳しく批判され、選挙後には米国、カナダ、EUおよび「リマグループ」と呼ばれるラテンアメリカ14カ国をはじめ、日本を含む多くの国が選挙そのものの正統性と結果を認めない立場を表明している1。リマグループ諸国は選挙結果に抗議して大使を召還し2、米国、カナダ、EU諸国などはマドゥロ大統領をはじめ政府要人に対する渡航禁止や自国内の資産凍結、経済制裁などの措置を強化している。
経済的には、4年連続のマイナス成長、4万パーセントを超えるハイパーインフレ、食糧や医薬品などの基礎生活財の不足が国民を苦しめている。国民(とくに貧困層の人々、病気を抱える人々、子どもたちなど)の健康状態にも影響が出ており、隣国のコロンビアやブラジルには、食糧や医薬品、医療サービスを求めて2年間で150万人ともいわれる人々が流出している3。
マドゥロ政権は、このような厳しい経済危機は、米国による「経済戦争」によるものであるという主張を繰り返し、経済政策を見直す気配はない。一方、日本を含む海外メディアがベネズエラの経済成長率低下に注目するようになったのは石油価格が下落して以降であり、当初は、ロシアなどと並べて国際石油価格の下落が産油国経済に与えるダメージという文脈で報道されることが少なくなかった。しかし石油価格のみに注目すると、ベネズエラの経済危機の本質を見誤ると筆者は考えている。
ベネズエラでは以前は中央銀行法がインフレ率や経済成長率の定期的公表を義務付けていたが、2014年にマドゥロ政権は大統領令により同法を改正し、公表義務を廃止したため、それ以降マクロ経済データは公表されなくなった。中央銀行以外にも、エネルギー省、財務省をはじめその他の政府機関も近年は経済指標を公表していない(または公表が数年遅れている)。そのため、近年の経済指標については、中央銀行に代わり国会(反政府派が過半数を支配)が独自に計算して発表するようになった数値4、IMFやOPECといった国際機関、EIU5をはじめとする国内外のシンクタンクの推計値などに頼らざるを得ない状況にある。
ベネズエラの経済危機は現在きわめて深刻な事態に陥っているにもかかわらず、政府がマクロ経済データを公表していないため、実態を理解するのは容易ではない。そのため本稿ではまず、現在の経済危機の深刻さと全体像を中期的傾向のなかで把握するために、政府発表指標が未公表の部分を外部機関の推計指標で補完のうえ図表化して確認し、その背景やそれを取り巻く状況について概説する。
まず経済成長率の推移をみてみよう(図1)。経済成長率は2013年第1四半期に0.8%に低下したあと低下傾向を続け、2014年第1四半期以降現在にいたるまで4年にわたり連続マイナス成長を記録している。とくに2016年~2018年は3年連続の2ケタ連続マイナス成長となっており、わずか3年で経済は約4割縮小というきわめて厳しい状況にある6。
(出所)GDP成⻑率は、2012-1014年までは中央銀⾏(BCV)ウェブページ発表の四半期データ。2015年以降は中央銀⾏はデータを公表していないため、EIU(2018)の年推計値(2018年は予測値)。⽯油価格は2014年まではOPEC Monthly Oil Market Report 各年⽉号、2015〜2017年以降はBP(2018) 、2018年は⽯油省ウェブページのブレント価格(2018/6/18-22)より。筆者作成。
(注)2014年までのGDP成⻑率は四半期ごとの数字をそれぞれの最終⽉として表⽰。参考までにIMFは2015年が-6.2%、2016年-16.5%、2017年-14.0%、2018年は-15.0%との推計値・予測値を2018年4⽉に発表しており、EIUの値と⼤差ない(IMF [2018]、なおIMFは7⽉には2018年予測値を-18.0%に引下げた[Werner 2018])。⽯油価格はいずれもブレント価格、2017年ドル価格で計算。なお、ベネズエラバスケット価格は通常ブレント価格より1バレル当たり8〜10ドルほど安い。
図1では経済成長率に国際石油価格の推移を重ねて表示している。そこで示されるのは、1バレル100ドル前後またはそれ以上と高止まりしていた石油価格が大きく下落するのは2014年第4四半期(グラフでは2014-12表記)であるが、経済成長率はそれよりも1年9カ月前に1%前後に下落し、9カ月前の2014年第1四半期(2014-03)にはすでにマイナス5.2%に落ちこんでいた。石油価格を経済成長率の説明要因とすると、この時期に経済成長率(従属変数)の低下が石油価格(独立変数)の低下に先行していることの説明がつかない。加えて、石油価格は2016年以降再び上昇を始め、2018年6月には約75ドルにまで回復している一方で、経済成長率はさらにマイナス幅を広げている。これらからは、石油価格の低下がベネズエラ経済に大きな打撃を与えていることは疑いがないものの、それだけでは成長率の低下を説明できず、むしろそれ以外の要素も大きく影響していることが示唆される。
なお、チャベス期(1999~2013年)を通して石油価格は変動が大きく石油収入に大きな影響を与えたが、チャベス、マドゥロ期を通じて石油価格と経済成長率の間には明確な相関性が見られない[坂口2016, 130図4-1参照]。これは、石油価格の影響を否定するものではなく、それ以外にも経済成長率を規定する重要な要因が存在することを示していると考えられる。
経済活動縮小の原因として、筆者は政府の不適切な経済政策を指摘してきた[坂口2016]。具体的には、(1)低く設定された価格統制が企業の生産インセンティブをそいでいること、(2)政府による企業の国有化や接収が増加し、私的所有権や投資の法的保護がない状況で国内外からの投資が冷え切っていること、(3)外貨不足によって輸入投入財が著しく不足しており、それが理由で生産を縮小・停止せざるを得ない企業が少なくないこと、(4)国内需要が冷え込んでいること、などである。(1)~(3)はいずれも政府の国家介入型経済政策に起因しているが、いずれもチャベス政権期の政策路線をマドゥロ政権が踏襲または拡大しているものである。
図2は、国内総生産の構成要素の変化(それぞれ1999年を100とする)を示している。まずマドゥロ政権下(2013~2018年)の5年間でベネズエラ経済が4割以上(147.9→83.4)縮小したこと、そして2018年は1999年と比べても10ポイント以上低い水準にまで縮小していることがわかる。つぎに、2013年以降のマイナス成長の背景として、固定資本形成と民間消費の縮小が著しいことが指摘できる。これは経済縮小の要因として上述した投資と民間消費の冷え込みがいかに厳しいかを示している。また政府支出も2014年以降縮小傾向にあるが、固定資本形成や民間消費の縮小ほどではない。
(出所)1999-2014年は中央銀⾏(BCV)ウェブページ、それ以降は中央銀⾏がデータを公表していないためEIU[2018]の推計値(2015〜2017)および予測値(2018年)より。筆者作成。
(注)2008〜2014年は暫定値。国内総⽣産の要素には上記以外に純輸出がある。しかしこの元データはボリバル建て(1997年ボリバル価値)で表記されており、公定為替レートが著しく実勢レートとかい離している状況で、どの為替レートで換算するかという問題が⽣じるため、純輸出については表記していない。
2000年には1日当たり290万バレルであったベネズエラの産油量はチャベス政権下で240万バレル前後まで縮小し低迷していたが、2017年以降産油量の縮小が加速している(図3)。2018年5月の日産量は139万バレルでOPECの生産クオータ197万バレルの7割しか生産できていない[Díaz 2018]。石油開発・生産のためのリグ(やぐら)は、2014年には221基が機動していたのが[MINPET 2014, 149]、2018年5月にはわずか35基しか動いていない[Díaz 2018]ことからも、石油生産活動が大きく低迷していることがうかがえる。石油価格は2017年以降回復しているが、産油量の縮小によってベネズエラは価格上昇の恩恵を享受することができていない。
(出所)産油量はOPEC, Monthly Oil Market Report の各年⽉号より。⽯油価格は2016年まではBP(2018), それ以降はOPEC, Monthly Oil Market Report 各年⽉号より。筆者作成。
(注)産油量はOPECが⽉報に採⽤するセカンダリーソースのデータ。政府データより約30〜40万bpd少ない。なお、過去2年の急激な減少を⽰すため、2017年以降は四半期ごと、2018年は毎⽉のデータを使⽤し、⻘線で各時期を区分した。⽯油価格はブレント価格。
チャベス政権期からマドゥロ政権期にかけての産油量低下の背景は、ひとことでいえば、国営ベネズエラ石油(Petróleos de Venezuela, S.A.: PDVSA)が経営合理性ではなく政治的利害によって経営されるようになったことである[坂口2010]。能力主義の人事から政治的任用によって石油産業や企業経営の経験をもたない軍人を国営石油企業PDVSAの総裁に据えたこと、PDVSAから国庫への拠出金拡大や財政支出を賄うためのPDVSA社債の発行などによりPDVSAの財務状況が著しく悪化し、新規開発投資のみならず既存油田のメンテナンス投資もできていないこと、資源ナショナリズムを反映して欧米先進国を中心とした外国企業との石油事業を国有化・接収したこと、PDVSA経営の目的を石油開発・生産からボリバル革命(チャベス政権の政治経済変革)の推進へと転化してPDVSAに多くの社会政策(「ミシオン」と呼ばれる)を直接・間接的に担わせたこと、などである。
それらに加えてマドゥロ政権下の産油量の急速な縮小には、あらたに以下の特殊な状況が影響している。第一に、サプライヤーやサービス会社(掘削など石油開発・生産にかかる作業を請け負う企業)へのPDVSAの支払いが滞っており、そのため彼らがオペレーションをしばしば中断していることである。第二に、超重質油の希釈用の軽質原油を輸入できなくなっていることである。超重質油は比重が重く、そのままでは通常の製油施設を使えない。そのために事前に製油施設で精製可能なレベルに改質する(アップグレード)ことが必要になるが、そのプロセスが滞っている。そのためPDVSAはベネズエラ産の超重質油をアフリカ産などの比重の軽い原油を輸入して希釈することで市場に出してきた。しかし近年の外貨不足で希釈用原油が輸入できなくなっているため、産油量が低迷しているのである。
第三に、PDVSA人事の混乱である。2017年以降マドゥロ政権は、ラミレス(Rafael Ramírez)、デルピノ(Eulogio Del Pino)、マルティネス(Nelson Martínez)ら、いずれもPDVSA社長とエネルギー大臣を兼任し、チャベス・マドゥロ両政権下で石油産業を支えてきた人物を汚職やサボタージュの容疑で逮捕し、かわりに石油産業や企業経営の経験のない軍人をPDVSA社長に任命した。マドゥロ政権はそれ以外にも過去1年で150人を超える役職員を汚職容疑で逮捕している7。一方ハイパーインフレでPDVSA労働者の実質賃金も大きく目減りしており、その結果5万人近い職員(2016年末の約3分の1に相当)がPDVSAを離職している8。
産油量の低下に加え、2018年5月にはPDVSAは石油輸出を困難にする特殊な事態に直面した。チャベス期に石油事業を接収されたコノコ・フィリップス社が国際仲裁裁判所(International Court of Arbitration)に訴えていた補償金支払いについて、20億ドルの支払い命令が下されたのである。これをもとに同社はカリブ海諸島(アルーバ、キュラソーなど)にあるPDVSAの精製施設や輸出ターミナル、停泊中のタンカーなどを差し押さえるよう各国政府に求め、すみやかに実行された。差し押さえ命令はそののち解除されたものの、PDVSAとしては今まで通りそれらの島にあるターミナルを使って輸出することに慎重にならざるを得なくなっている。
チャベス期から上昇傾向にあったインフレ率はマドゥロ政権下で著しく加速しており、2015年には3ケタ、2017年には4ケタ、そして2018年にはついに5ケタのハイパーインフレ状態に突入した(表1)。国会の独自発表によると(注4参照)、2018年6月インフレは月率128.4%、過去12カ月換算では46,305%に達した9。インフレ率は急加速しているため時を追うごとに文字通り「ケタ違いに」上昇し、IMFは7月23日にはインフレ予測値(表1)をさらに2ケタ引上げ、2018年末時点には100万%になるとの驚くべき予測値を発表している[Werner 2018]。
(出所)2014年までは中央銀⾏(BCV)ウェブページより。2015年以降はIMF(2018)とEIUの推計値(2018年はそれぞれの予測値)を併記。筆者作成。
(注)インフレが急加速しているため年平均値と年末値で⼤きな差が出ている。IMFの2017年の年末推計値は2,818.4%、2018年の年末予測値は12,874.6%(IMFは7⽉に2018年末予測値を100万%に引上げた[Werber2018])。
ベネズエラの現在のハイパーインフレはラテンアメリカでは既視感(デジャブ)を覚える。1980年代にはブラジルやアルゼンチンなど多くの国々がハイパーインフレに悩まされたが、現在のベネズエラのハイパーインフレの原因は、それらとほぼ同じであるといえる。根本的原因は財政赤字の拡大であり、それを補てんするために政府の圧力を受けて中央銀行が貨幣を増発し、それが通貨価値の下落をもたらしている。また、著しい外貨不足や危機的な国家経済への不信感から現地通貨ボリバルへの信頼が著しくそこなわれ、それがドル買いや資本逃避をあおり、通貨価値を下げるという、インフレ・為替下落スパイラルに陥っているのも、1980年代のラテンアメリカ諸国と同じである。現在のベネズエラではこれに加えて、食品をはじめとする基礎生活物資など広範な財の欠乏もインフレ要因となっている。
図4は財政赤字がチャベス期後半以降(2009年~)大きく拡大していることを示している。注目されるのは、石油価格が1バレル100ドル前後と高かった2011~2014年にかけて財政赤字幅が拡大していることである。ベネズエラの財政収入の半分近くが石油収入であることを考えると、いかに財政規律のたがが外れていたかがわかる。2015年以降は石油価格が大きく下落したこともあり、財政赤字はGDP比で20%前後ときわめて大きい。
(出所)財政⾚字(GDP⽐)は2011年までは財務省より。それ以降はデータが公表されていないためEIU[2018]の推計値より、筆者作成。
(注)⽯油価格はブレント価格、2017年ドル価格で計算。
チャベス政権以来ベネズエラ中央銀行は独立性を失い、政府のコントロール下におかれている。2003年にチャベス大統領が中央銀行に「10億ドルぐらいいいじゃないか」と要求したことが象徴的だが[Falcón and Noguera 2016]、それ以降チャベス、マドゥロ両政権は中央銀行法を幾度にもわたって改正することで、中央銀行の人事を掌握し、介入を深めていった。政府の圧力のもと中央銀行が貨幣流通量を拡大させてきたことは、表2からも確認できる。経済が3年連続マイナス2ケタ成長となり貨幣需要は縮小しているはずのところ、中央銀行は年率数千%の勢いで貨幣供給を拡大しており、ハイパーインフレになるのは自然のなりゆきであろう。
(出所)中央銀⾏(BCV)ウェブページのデータより筆者計算。
(注)2018年は6⽉22⽇までの過去12カ⽉。
インフレが加速する一方で、紙幣が市中で不足するという事態を招いている。高額紙幣が発行されたもののハイパーインフレに追いつかず、デノミ実施予定も延期されているため、日常の現金決済用の実物紙幣が足りない状況が続いている。ATMで現金を引き出しても最大でも数ドル相当の金額しか紙幣が引き出せない。
そのような状況で、必要に迫られて興味深い展開が見られる。新しい電子決済サービスの急速な拡大である。2014年にベネズエラで誕生したVippoはテキストメッセージが送れる携帯電話(スマートフォンでなくてもよい)さえあれば店先での支払いができるサービスだが、紙幣不足のなか急速に広まった。Vippoに登録した店や企業はVippo番号をもち、買い物やサービスの代金を支払う客は携帯電話のテキストメッセージで店のVippo番号と金額をVippoにメール送付すると、同社が代理決済をするというものである10。治安が世界最低レベルに悪いベネズエラでは[坂口 2017]、銀行で現金を引き出すことは危険をともなうが、Vippoは現金を引き出す必要がないため、治安面でもメリットがある。
チャベス大統領は政権後期に、肥大する財政支出をまかなうために、ドル建ての国債およびPDVSA社債を大量に発行し、また中国からの借入れを拡大した。マドゥロ政権は現在それらの支払いに苦しめられている。現在国債とPDVSA社債を合わせた残高は約600億ドルで、それ以外に中国(200~250億ドル)、ロシアなど各国政府や国際機関への債務も加えると対外債務残高は1400億ドルになると推計される11。国債、PDVSA債の元本・金利の支払いだけで毎年100億ドル前後となるが(図5)、一方で石油輸出収入の縮小と毎年の債務支払いなどによって外貨準備高が大きく縮小し(表3)、100億ドルを切るという危機的状況にある。加えて、上述したコノコ・フィリップス社に対する石油事業国有化に対する補償金支払い命令など、複数の国有化案件に対する補償金支払いの裁定が出されている。
(出所)Prodavinci(http://especiales.prodavinci.com/deudaexterna/)もとはBloomberg, Kapital Consultoresより。
(出所)EIU(2018)より抜粋。
(注)2017年はEIU推計値。
マドゥロ政権はデフォルト回避を最優先課題とし、輸入を最小限に制限することで(それが国内の食料、医薬品の欠乏をもたらした)外貨を対外債務支払いにあててきた。また、PDVSAの米国子会社Citgoの株式を担保にしてPDVSA債を新規社債とスワップする、そして残り半分の株式を担保にロシア国営石油会社から借入れをするなど、考えられうるかぎりの策で対外債務支払い義務を果たしてきた。しかし2017年ごろからはそれらの支払いおよび中国やロシアからの借入れ金の支払いにも遅延が出始め、現在では多くの債務の支払いがすでに遅延している。それでも債権者による国外資産の凍結や差し押さえが始まっていないのは、今までは遅れながらもマドゥロ政権が債務支払いを続けてきたため、債権者らがまだ司法手続きにふみきっていないためである。中国やロシアは新たに資金を貸し出すことには慎重だが、支払い猶予には応じてきた。
2017年後半から今年にかけて債務支払いをさらに困難にしているのが、米国トランプ政権による経済制裁措置である。2017年7月末の制憲議会選挙が憲法秩序と民主主義に反するとして批判していたトランプ政権は、同選挙が実施された直後に、アメリカ人やアメリカ企業がベネズエラ政府や国営企業が新規に発行する債券(国債やPDVSA社債)の取引に関わることを禁止したのである。その結果、新規債権とのスワップによる債務再編が困難になった。さらに2018年5月の大統領選挙についても同様に批判し、実行した場合は制裁措置を拡大すると警告していたが、選挙翌日にはその言葉どおり制裁措置を拡大し、石油の売掛債権など第三者が発行する債券(たとえば、石油バイヤーがPDVSAに石油代金の支払いに関して発行する売掛債券など)の取引にアメリカ人・企業が関与することを禁じた。2017年の米国による制裁措置では、政府やPDVSA発行の債券のみが対象となっていたが、2018年5月にはそれにベネズエラをめぐる第三者発行の債券も加えたということである。というのも、国債やPDVSA債の借換えが困難になったベネズエラは、制裁の迂回策として石油の売掛債権など第三者発行の債券の取引を使って外貨を入手していたからである。
紙幣不足のなか現金決済に代わる新たな電子決済サービスが民間部門から生まれていることは先述したとおりだが、それに加えて、通貨に対する信用の下落や著しい外貨不足という問題への対応策として、仮想通貨の取引が拡大している。近年ベネズエラでは急速に市民の間でビットコインのマイニング(コンピューターを使って仮想通貨を支えるブロックチェーンに関する膨大な計算作業を行う対価として仮想通貨を受取ること)やビットコインを使った取引が拡大をみせている。ビットコインの週間取引量は2016年1月から2018年7月に20倍以上に拡大した12。ベネズエラでは電力が政府の価格統制で低く設定されているため、電力消費が大きいマイニング作業を安価に行うことができる。そのためビットコインを獲得して収入源とする人が増えた。ハイパーインフレ下での紙幣不足および外貨不足下において、国内外の決済手段としてビットコインが使われているのである。日本では投機対象としての性格が強いビットコインだが、貨幣制度や外貨管理制度が崩壊しているベネズエラでは、重要な決済手段として拡大している13。
一方、同様に外貨不足に悩む政府も2018年2月に、対外的決済手段の代替策として仮想通貨ペトロ(Petro)を発行した。これは、外貨不足および米国からの経済制裁を回避するために考案され14、1ペトロの価値はベネズエラ原油の国際価格に裏付けされており、国内外通貨で売買できる。政府はペトロの総発行数を1億ペトロと設定し、先行販売では投資家を惹きつけるために60%もの割引価格で3840万ペトロを販売した。127カ国の8万人以上が購入し、政府は50億ドル以上を集めたと政府は発表している15。同様に金の国際価格に裏付けされたペトロ・ゴールド(Petro Gold)も発行している。
しかしこれらついては懐疑的な見方も多い。ブロックチェーンを利用しているが一方で国家が発行・管理していること、そしてその国家が国内外から信用が低いためである。石油価格で裏付けされるとはいえ石油や金と交換できるものではなく、ペトロの価値はあくまでも投資家の信用に基づく。またペトロが外貨の代替となりうるには国際決済で広く使われるようになる必要があり、マドゥロ政権はインドなど複数の国に石油輸入代金をペトロで支払えば輸入代金を30%割引くことなどをもちかけたが、賛同は得られていない[Jacob and Seth 2018]。また米国はペトロ発行を受けて、ペトロ取引も経済制裁措置の対象とした。
財政収入の半分近くが石油収入によるベネズエラでは、国際石油価格の下落が国家経済に与える影響は大きい。しかし本稿で見てきたように、石油価格のみからベネズエラ経済の窮状を説明することは困難である。ベネズエラ経済がゼロからマイナス成長に転じたのは石油価格がいまだ高止まりしていた時期で石油価格下落に先行していたため、因果関係の説明がつかない。また、ベネズエラ同様に石油依存度が高い産油国は多いが、ベネズエラほどの経済危機に陥っている産油国はないことからも、石油価格のみからベネズエラの経済危機を説明できないと考えられる。石油価格の下落がマドゥロ政権下のベネズエラ経済に大きな影響を与えたことは確かだが、それに加えて、チャベス期以来の国家介入型経済政策が生んだマクロ経済の歪みや生産部門へのダメージの蓄積が経済縮小の重要な要因になっているというのが、本稿の主旨である。インフレや対外債務も秩序なき財政肥大をまかなうための貨幣増発や債券発行の急拡大が原因であり、政府の経済運営に原因がある。マドゥロ政権は、仮想通貨の発行などによってインフレや外貨不足に対応しようとしているが、財政の見直しや国内生産活動を立て直すための国家介入型経済政策の根本的な見直しがなければ、経済危機からの脱却は困難であろう。
経済状況はきわめて厳しく、好転する見込みは今のところ見えない。状況が好転するためには経済政策の見直しが不可欠であるが、マドゥロ政権下ではその可能性はきわめて低い。石油価格が上昇しても産油量、輸出量が縮小しているため石油収入の拡大も見込めない。短期的には、すでに事実上デフォルトに陥っている対外債務に対して債権者がどう動くのか、あるいは中国やロシアが債務危機回避のために、自らの債権の支払い猶予だけでなく新たな資金を融資してくれるのかがかぎになろう16。2017年から債務の支払い遅延が起こり始めたが、遅れながらもマドゥロ政権は対外債務支払いを最優先にして支払いを続けてきたため債権者はいまのところまだ司法手続きや海外資産の差し押さえ要求などの措置をとっていない。債権者とすればデフォルト問題を顕在化させて司法手続きに入れば、自らの債権がどれだけ回収できるか不明という問題に直面するが、今のところ遅延を容認すればマドゥロ政権は債務を支払ってきているため、支払い遅延に目をつぶっているという状況である。しかし支払い遅延は部分的なものから徐々に広がってきており、今までのように遅れながらでも支払い継続が可能かという点について債権者が疑いを持ち始めれば、海外資産の差し押さえなど問題が顕在化する可能性がある。
このままでは経済社会状況はますます厳しくなる。貧困世帯の割合は、2014年の48.4%から87.0%にまで急拡大し17、政権への不満も高まっている。過去4年多くの抗議行動や政権交代をめざした運動に多くの市民が参加してきたが、それらはいずれも権威主義化したマドゥロ政権によって抑圧されてきた。一方では市民の不満や抗議行動を政権交替に結び付けられなかった反政府派政党や政治リーダーに対する不満も高まっており、それが反政府派市民の間で政治的無力感を生んでいる。過去2年間は、若者を中心に貧困層までも含めて陸路隣国コロンビアやブラジルをはじめとする南米諸国に脱出する人が急増し、ベネズエラ人の流入問題は南米諸国にとっても社会経済的問題となっている。コロンビアやブラジルの国境の街では流入したベネズエラ人のための保護施設やキャンプが設置され、公立病院にはベネズエラ人患者があふれている。マドゥロ政権が国際社会からの食料や医薬品などの人道支援を受入れないため、それら隣国に支援物資が届けられている。
過去2年で最大150万人と推計されるベネズエラ人が国外に脱出しているが、それは選挙において多くの反政府派の票が失われたことも意味する。2017年以降マドゥロ政権は明らかに憲法秩序や民主的選挙の基準を逸脱し、確実に与党候補者が勝利するかたちの選挙を行うようになっている。反政府派勢力もそのような不公平な選挙への対応や反政府派内の勢力争いで内部対立を繰り返しており、一枚岩になれていない。このような状況では、選挙を通して民主的に政権交代が行われる可能性は、きわめて小さくなっていると考えられる。そして政権交代がなければ経済の回復も見込めない。
政権交替があるとすれば、経済危機のさらなる悪化やそれに対する不満から市民の大規模な抗議行動が暴力的混乱状態に発展し、そのような状況下で軍や政権などチャベス派内部から離反者が出てマドゥロ大統領を退陣に追い込むなど、政権内部からの崩壊が唯一考えられる道であろうか。また対外債務の支払い遅延に対して債権者が司法手続きを取り始め、海外資産の差押さえが始まると、石油輸出ができなくなり政権維持は不可能となるだろう。それらが政権交代につながったとしても、現在の厳しい経済状況では、新政権の経済運営はきわめて難しいものになることが予想に難くない。
(2018年7月5日脱稿、IMF予測について7月24日に加筆)