2019 年 35 巻 2 号 p. 26-40
2018年コロンビア大統領選挙は、FARCとの和平合意後に実施された最初の大統領選挙であった。当初は和平合意履行の是非が争点になるのではないかとみられていたが、実際は和平よりも急進左派の是非にたどり着いた。これまでみられなかった左派の躍進はコロンビアにあって注目すべき現象であったが、左派候補が勝利するには至らなかった。
その背景には、歴史的に急進的な政治を好まない国民の意識が挙げられる。また、既成政党の組織票が力を失う一方で、SNSはまだ十分な影響力を獲得していない。今回の大統領選挙の背景には、このような政治の変化があったのではないか。政党離れは進行しており、右派・左派に関わらず、カリスマのある候補が出現すれば、将来的に大統領選挙で勝利する可能性もあると考えられる。
コロンビアで自由党(Partido Liberal Colombiano)と保守党(Partido Conservador Colombiano)による二大政党政治が崩壊したのは2002年のことであった。自由党員であったアルバロ・ウリベ(Álvaro Uribe)元アンティオキア県知事が自由党の党内選挙を拒否して同党を離れ、市民運動「コロンビア第一」(Primero Colombia)から立候補、第一回投票で過半数を獲得して当選した。二大政党をはじめとする既存政党以外の勢力から立候補する政治リーダーがメイン・プレーヤーとなる選挙の幕開けであった。
今次選挙でも、これまでコロンビア政治の中心的役割を果たしてきた二大政党が候補擁立に苦労した。2015年の憲法改正により大統領の絶対再選禁止が規定され1、サントス大統領(当時)の後継者はこれまで大統領職を務めたことのない人物が担うことは決まっていた。ヘルマン・バルガス(Germán Vargas Lleras)副大統領は大統領選挙を見据え、2017年5月に職を辞した。しかしバルガス副大統領はサントス大統領の後継者としての色を消すために和平合意慎重派としての立場を示していたため、国民統一党(Partido Social de Unidad Nacional)内で支持を集められずに、同党から候補に擁立されることがなかった。そのためサントス大統領の後継者となるべき同党の候補が不在となったのである。
このようななか実施された2018年大統領選挙では、ウリベ元大統領の後継者である中道右派候補、急進左派候補、アウトサイダー候補、既成政党の候補、二大政党の候補、というラインナップとなった。これらの候補のなかで、何が有権者の投票先を決める要因となったのか。
本稿では、2018年コロンビア大統領選挙を総括しつつ、今次選挙の結果につながった背景について考察し、コロンビアの政治を取り巻く状況を概説する。
まず、コロンビアの大統領選挙制度について簡単にふれておく。コロンビア大統領選挙は,4年ごとに行われる。被選挙資格は、30歳以上の生来のコロンビア人である。公職についている者が立候補を希望する場合、大統領選挙第一回投票日の1年前までに辞職しなければならない。また、有権者の署名を通じた新党登録のためには、前回大統領選挙における有効投票数3%以上の署名が必要であるが、有権者は複数の政党への署名が可能であり、ハードルは比較的低い。
第一回投票で、いずれの候補も有効投票の過半数を獲得できない場合、上位2名の候補者による決選投票が3週間後に行われ、より多くの票を獲得した候補者が次期大統領として選出される。
ちなみに今回の選挙では、49の団体が新党登録を申請し、そのうち11団体が署名を提出、そのうち8団体の登録が認められた。前回大統領選挙時は登録申請を行ったのは14団体、署名を提出したのは2団体、登録が認められたのは1団体であったことを考えると、新党からの立候補が目立つ選挙となった。
(2) 主要政党の位置づけ次に、今回の選挙に参加した主要政党について簡潔に述べる。
ウリベ元大統領を中心とする中道右派政党。開放的な経済や企業支援を基本とし、治安改善のための政策に重点をおく。左派ゲリラ組織のコロンビア革命軍(Fuerza Armada Revolucionaria de Colombia: FARC)和平合意反対派の急先鋒であり、この点では保守党と同調する。
二大政党の一翼である右派政党。宗教的保守派の面があり、中絶、同性婚および養子縁組に反対の立場をとる。治安政策に関しては、ウリベ政権以来、テロリズムとの闘いを推進してきた。
とくに首都ボゴタ市でプレゼンスのある中道左派政党。政治の透明性、教育政策、多様性を重視する。
複数の左派グループが集まって結成された左派政党。民主主義と国家主権の深化の達成を通じた政治、社会構造の転換をめざす。
今回の選挙に参加するために署名を集め登録された急進左派政党。民主主義、社会の多様性、人権・生命の尊重、社会包摂を推進する政策を掲げ、市民参加型政治をめざす。
ドゥケ候補が大統領選挙への出馬を明らかにしたのは2017年6月のことであった。同氏は、ウリベ元大統領の顧問を務めたことはあったが、それまではアンデス開発公社(Corporación Andina de Fomento: CAF)や米州開発銀行(Inter-American Development Bank: IDB)で勤務するテクノクラートであった。唯一の政治経験といえば、2014年にウリベ元大統領が所属する民主中道党から出馬し当選した上院議員のみである。
上記の理由から、民主中道党の党内選挙では、2014年大統領選挙に副大統領候補として同党から出馬したカルロス=ホルメス=トゥルヒージョ(Carlos Holmes Trujillo)元内務大臣、元米州人権裁判所長官の息子であるラファエル=ニエト(Rafael Nieto)元内務・法務副大臣、ギジェルモ=レオン=バレンシア(Guillermo León Valencia)元大統領の孫でありウリベ派のパロマ・バレンシア(Paloma Valencia)上院議員、初代情報技術・通信大臣でウリベ元大統領の政策継承を謳うマリア=デル=ロサリオ・ゲラ(María del Rosario Guerra)上院議員という華々しい経歴を有する党内候補のなかで、ドゥケ候補は当初目立たない存在であった。しかし、民主中道党の党内候補選出プロセスとして2017年11月から12月にかけて実施された世論調査(世論調査の最下位を落選とし、計3回の世論調査を実施)のなかで、ドゥケ候補は徐々に頭角を現していった。2017年11月29日、4名の党内候補2によるテレビ討論会が放送されたが、ドゥケ候補のバランスの取れた的確な回答ぶりは、他の候補を上回るものであった。12月10日に行われた3回目の世論調査でドゥケ候補は大きく得票を伸ばし、トゥルヒージョ元大臣とニエト元副大臣を抑えて党内候補に選出された。
(出所)各候補の発言をもとに筆者作成。
(注)各連合の◆印は各候補の所属政党を示す。
民主中道党は、候補選出のプロセスとしてもう一段階用意していた。党の求心力であり和平合意反対で同調するウリベ元大統領(民主中道党)とパストラーナ元大統領(保守党)の間での合意により、両党の党内候補から統一候補を選出する選挙を実施することを決定していたのである。この予備選挙には民主中道党のドゥケ候補に加え、保守党からマルタ=ルシア=ラミレス(Marta Lucía Ramírez)元国防大臣およびアレハンドロ・オルドーニェス(Alejandro Ordóñez)前行政監察庁(Procuraduría General de la Nación)長官が出馬した。この予備選挙は2018年3月11日に実施された国会議員選挙と同時に行われ、希望者は民主中道党員に限らず誰でも投票用紙を求めさえすれば投票できるというものであった。1位となった候補が大統領候補、2位となった候補が副大統領候補となるというルールを公表し、3月11日に臨んだ。
同様のメカニズムは左派候補であったペトロ候補と政治運動グループ「市民勢力」(Fuerza Ciudadana)のカイセード(Carlos Caicedo)候補の間でも適用された。有権者は予備選挙への投票を希望する場合、中道右派予備選挙である「コロンビアのための予備選挙」(Gran Consulta por Colombia)の投票用紙か左派の予備選挙である「和平のための社会包摂予備選挙」(Consulta Inclusión Social para la Paz)の投票用紙のいずれかひとつに投票できるシステムとなっていた。この予備選挙を通じて、各候補はプレゼンスを高める機会を与えられただけでなく、予備選挙への投票は任意であるため、その参加者から比較的コアな支持層の数や傾向を知ることができたのである。
(2) グスタボ・ペトロ(Gustavo Petro Urrego)「ペトロを大統領に」(Petro Presidente)(「思いやりのコロンビア」と「先住民・社会代替運動」(Movimiento Alternativo Indígena y Social: MAIS)の連合)候補コロンビアでは二大政党制による政治の疲弊、寡頭政治を進める政治家と市民の意識の乖離、汚職の蔓延などを背景として、二大政党の内外で市民の政治参加を訴えるグループが登場した。1990年には学生を中心に新憲法の制定を求める「7枚目の投票用紙」(séptima papeleta)と呼ばれる運動が起こった。これは、1991年に実施される上院議員、下院議員、地方議会議員、地方行政会議(Juntas Administradoras Locales: JAL)議員、市議会議員、市長の選挙に加え、制憲議会の招集による憲法改正(新憲法の制定)を国民に問う投票を実施することを呼びかけた。市民参加の拡大をねらった憲法改正を推進するグループのなかに、武装解除し「4月19日民主同盟」(Alianza Democrática M-19: AD-M19)として国政に参加するようになった非合法武装組織「4月19日運動」(Movimiento 19 de abril: M-19)の政治ブレーンであったペトロがいた。ペトロは1991年の制憲議会議員として新憲法の制定にかかわることとなった。人権の尊重、国民の権利の保障、宗教の多様化、地方分権化、市民の政治参(参加民主主義)といった社会のニーズは新憲法に反映されることとなった。
ペトロはその後下院議員を3期、上院議員を1期務め、代替民主極党から2010年大統領選挙に出馬し、落選するも、ペトロの名前は全国に知れわたった。その後党内の方針の不一致から同党を離党し、「進歩運動」(Movimiento Progresistas)を創設した。ペトロはこれが母体となった政治団体「思いやりのボゴタ」(Bogotá Humana)からボゴタ市長選挙に出馬して当選し、2012~15年にボゴタ市長を務めた。この政治団体はペトロが2018年大統領選挙に出馬した際の母体となり、そこから発展した「思いやりのコロンビア」を中心とした「ペトロを大統領に」という選挙連合の候補として大統領選挙に臨んだ。
ペトロは左派非合法武装組織の出身でありながら、高い学歴と明解な演説で、市内の経済格差が大きいボゴタ市やカリブ海沿岸の県の貧困層を取り込む政治家といえる。
(3) セルヒオ・ファハルド(Sergio Fajardo Valderrama)「コロンビア同盟」(Coalición Colombia)(「市民の約束」、緑の同盟およびPDA党の連合)候補上記2名よりもはるか前に立候補を表明したのがファハルド候補であった。ファハルド候補は2004~07年にはメデジン市長を務め、2012~15年にはアンティオキア県知事を務めた。また、2010年の大統領選挙では緑の党(Partido Verde)から出馬し、サントス大統領と決選投票を戦ったアンタナス・モックス(Antanas Mockus Šivickas)の副大統領候補として大統領選挙を経験している。数学者として長い間大学で教鞭をとり、クリーンなイメージを売りにする候補であった。ファハルドは2017年12月に自身の政治団体「市民の約束」(Compromiso Ciudadano)の政党登録を行い、中道左派で緑の党を前身とする緑の同盟および左派のPDA党との統一候補となることを模索した。政治的しがらみをもたないクリーンな独立系候補としてのイメージから、選挙戦をリードして3月11日の予備選挙を迎えた。
主要3候補は、何らかのかたちで「新しさ」を有していた。ドゥケ候補は41歳(選挙時)という若さでテクノクラート色の強い次世代のリーダーという新しさ、ペトロ候補は左派のカリスマ候補という新しさ、ファハルド候補は独立系のクリーンなアウトサイダーという新しさを有していた。一方でバルガス候補とデ・ラ・カジェ候補はベテランとして政治経験が豊富である一方、恩顧主義に代表される政治的しがらみの強い候補であった。前者3人の候補者と後者2人の間で明暗が分かれた背景には、有権者の政治離れと政治刷新を求める傾向があるのではないかと考えられる。
二大政党所属の政治家がそれぞれの党から立候補する、いわば第一世代の時代は終わりを迎えつつある。また、元来二大政党に所属していたが、その後別の政党を設立し立候補する、いわば第二世代の政治家(ウリベ元大統領、サントス前大統領、バルガス候補)も、今回は振るわなかった。今次選挙では、二大政党から分離した既成政党から立候補した候補、政治的基盤を持たないアウトサイダーが既成政党と手を組み立候補した候補、そしてポピュリズム色を前面に出し、左派の受け皿として立候補した候補の三つ巴で、第一回投票を迎えた。
2018年3月11日に国会議員選挙と同時に実施された予備選挙の結果、中道右派の予備選挙ではドゥケ候補が、左派の予備選挙ではペトロ候補が1位を獲得し、それぞれ民主中道党候補、「ペトロを大統領に」候補として大統領選挙に出馬することが決定した。この時の中道右派予備選挙には約613万票が投じられ、ドゥケ候補は約404万票(67.76%)を獲得した。一方、左派予備選挙には約353万票が投じられ、ペトロ候補は約285万票(84.70%)を獲得した。今次選挙における有権者人口は約3650万人であり、自由投票制のコロンビアにおける過去数回の大統領選挙の投票率は40%台であったものの、3月11日の国会議員選挙での投票率は上院が48.82%(約1782万票)、下院48.97%(約1787万票)であったことから、大統領選挙の投票率を50%とした場合の推定投票数は1800万票となる。すなわち、当選ラインは900~1000万票であり、それぞれの候補がどれくらいの上積みを必要とするかということが、この予備選挙を通じてみえてきた。
(2) 第一回投票3月11日の予備選挙の結果を受け、実質的な選挙戦は①ドゥケ民主中道党候補、②ペトロ「ペトロを大統領に」候補、③ファハルド「コロンビア同盟」候補、④バルガス「#バルガス・ジェラスの方がいいね」候補および⑤デ=ラ=カジェ(Humberto de la Calle Lombana)「自由党・独立社会同盟連合(Coalición Partido Liberal Colombiano-Partido Alianza Social Independiente-ASI)」候補の5名の間で展開された。なかでも、予備選挙のなかったバルガス候補と、年を越す前の予備選挙で選出されたデ=ラ=カジェ候補は伸び悩み、選挙戦は3名の候補に絞られた。
世論調査では、3月11日の予備選挙以降ドゥケ候補が37%前後で首位となり、以降、傾向が変わることはなかった。ドゥケ候補はウリベ元大統領の所属する民主中道党の候補として、ウリベ政権の延長とのイメージが強かった。そのため、強硬な治安対策、強い政府、和平合意の見直しのイメージと結びつくウリベ元大統領を支持する有権者は、ドゥケ候補を支持するという構造が成り立っていた。また、ペトロ候補も27%前後で2番手の位置を維持した。一方、2018年初めまでトップを走っていたファハルド候補は16%前後で3位、当初は強い政治基盤により有利と考えられていたバルガス候補は、5月に入りやや支持を伸ばしたものの4位の10%前後にとどまった(図1)。
(出所)主要世論調査各社のデータをもとに筆者作成(http://www.wradio.com.co, http://cifrasyconceptos.com/productos-polimetica/, https://twitter.com/Guarumoapps, https://www.semana.com/elecciones-presidenciales-2018/noticias/encuesta-invamer-duque-sobrepasa-a-petro-en-intencion-de-voto-en-bogota-567629, https://www.centronacionaldeconsultoria.com)。
(注)主要世論調査各社の結果を時系列で並べたもの。グラフ横軸の年/月に続くアルファベットは以下の世論調査会社を示す。D=Datexco, C= Cifras y Conceptos, I=Invamer, G=Guarumo, N=centro Nacional de Consultoria
決選投票が確実視されるなか、第一回投票で関心が高まったのは2位争いであった。ペトロ候補は支持層として貧困層を抱える一方、高学歴の若年層を中心とした都市部の有権者が、不満の代弁者としてペトロ候補を支持している部分もあった。投票日当日にどの程度の若者が実際に票を投じるかは不透明であったことから、貧困層だけでなく若年層をどれだけ取り込むことができるかが決選投票進出の重要なポイントであった。
複数の政党の支持を得るバルガス候補は、有権者一般では大きく伸び悩んでいるものの、複数の政党が支持を表明したことから組織票が同候補を押し上げる可能性はあった。ファハルド候補はクリーンなイメージがあり、汚職対策の候補としてのアピールにより一定の支持を保っていたが、広範な分野における諸問題への対応や、総合的な政策の立案能力に欠けるとされるうえ、政治的基盤もなく、伸び悩んでいた。また急進左派思想を嫌う有権者をドゥケ候補と奪い合っており、ファハルド候補の躍進が2位のペトロ候補の票の切り崩しには直接つながらず、躍進は期待できないとみられていた。
しかし、ファハルド候補はボゴタ市では最多得票(得票率は23.78%)を記録し、ドゥケ候補やペトロ候補を上回った。また、出身県であるアンティオキア県周辺の県でもドゥケ候補に次いで2位の得票率となり、全国では2位のペトロ候補の25.09%に迫る勢いであったが惜敗した。全国ではドゥケ候補が39.36%でトップとなったものの、左派の躍進により過半数に届かなかったため、決選投票の実施が決まった。
投票率はここ近年の大統領選挙ではみられなかった過半数を超える53.38%(前回選挙では40.02%)と大幅に伸びた。また白票3は2.07%と、前回の6%から大幅に減り、今次選挙に対する有権者の関心が高かったことが伺える[RNEC 2018]。
(3) 決選投票コロンビアにおける有権者の思想は中道が多いとされるものの、第一回投票の結果は中道右派対急進左派という二極化となり、中道を代表する候補が決選に進まないという状況になった。したがって、右派のドゥケ候補も左派のペトロ候補も、中道の浮動票をいかにして取り込んでいくかが、決選投票に向けた大きな課題となった。ペトロ候補は第一回投票以降、中道の浮動票や無党派層を取り込むため、ポジションを急進左派から穏健左派、そして中道左派に寄せつつ、自ら「和平合意の継続か破棄か」との極論を焦点として俎上に載せ、差異化を図った。一方、ドゥケ候補は左派候補による「ベネズエラ化」「独裁政権化」といったことばで有権者の不安をかき立てて票を獲得する戦略に出た。
第一回投票後、決選投票が右派のドゥケ候補と左派のペトロ候補の戦いになった時点で、穏健な変革を求め、ファハルド候補(「コロンビア同盟」)を支持していた中道の浮動票は投票先を失い、積極的に投票を行う姿勢を失いつつあった。その一部は次善の選択肢、または「極左」を避ける消極的選択としてドゥケ候補への支持に回った。また、ドゥケ候補は第一回投票後、エスタブリッシュメントを維持し何らかの恩恵を受けたい既成政党からは明確な支持あるいは事実上の支持を受けることになった4。第一回投票前からすでに各党の支持は割れており、票数としての上積みはさほど期待できなかったものの、左派政権による経済政策を危惧する企業家団体などからの支持も集めて、全体的な流れはドゥケ候補に向かっていった。
二極化により、個々の政策よりも、政治不信からくる「既成勢力」対「反既成勢力(アンチエスタブリッシュメント)」、「伝統的政治路線」対「既存の政治批判としてのポピュリズム」、「市場開放型経済」対「保護主義的経済」、「和平合意修正」対「最終合意維持」といった争点が有権者の票を分ける要因となったと考えられる。
決選投票日の6月17日はこれまでになく平穏な選挙となった。結果はドゥケ候補が54.03%、ペトロ候補が41.77%で、ドゥケ候補が次期大統領に選出された[RNEC2018]。
今次選挙では、選挙キャンペーンが始まってから決選投票が終わるまでに、焦点となるテーマが移り変わっていったように思われる。当初はウリベ元大統領支持対反ウリベ元大統領、あるいは和平合意修正派対和平履行推進派、既成政党対アンチエスタブリッシュメントが焦点となるのではないかとみられていたが、選挙プロセスが進むにつれ、究極的には親左派対反左派が主軸になっていったように感じられる。終わってみれば、最も特徴的であったのは、左派および中道左派がこれまでになく力をつけた、という点である。第一回投票におけるペトロ候補とファハルド候補の得票率を合わせれば、ほぼ半数となる。それでも中道右派のドゥケ候補を上回ることはできなかった。それはなぜなのか。
(1) 和平合意は焦点だったのか2016年11月24日に最終合意の署名を行ったFARCとの和平プロセスは、合意の法的枠組みを整備するため、「和平合意事項実施のための立法手続き・憲法改正手続きの迅速化を可能とする法律(通称:「ファスト・トラック」)の可決により加速すると考えられていた。しかし、大統領選挙が動き始めた2017年後半は、11月下旬になっても同月30日に時間切れとなる「ファスト・トラック」で可決させなければならない和平特別司法制度(Justicia Especial para la Paz: JEP)実施法案は国会での審議を終えることができず、可決されても憲法裁判所での審査が必要になることから、和平合意の履行にかかる法的保証が付与できるかどうかが不透明な状況であった。和平特別司法制度が始動しなければ、元FARC兵の再統合の障害となるだけでなく、元FARC兵が所属する新党「人民革命代替勢力党(Fuerza Alternativa Revolucionaria del Común)」から立候補する大統領候補および国会議員候補の参政権、被選挙権の有無が明確にならないというリスクがあった。
そのようななか、マスメディアの関心は、和平合意の是非を問う国民投票で反対派に回った中道右派が、和平合意の見直しや、極論では破棄まで訴えるという点にあった。その流れから、予備選挙が終わる頃までは和平合意の履行に関する議論がやや中心的であった。
和平合意の履行に関しては、いずれの候補も和平合意の破棄という姿勢はとっていないが、ドゥケ候補が当選すれば元FARC幹部にとって重要な合意項目である政治参加と特別司法制度(JEP)の適用を見直すことで、和平合意が事実上骨抜きになり、FARCが合意を破棄する可能性も否定できないのではないかとの懸念もみられた。しかし、予備選挙で民主中道党のなかでも限定的な見直しを訴えるドゥケが大統領候補となったこと、また急進左派の成長、汚職対策や環境対策、医療システムや年金システムの改革の公約によりこれらの課題にスポットライトが当てられ、和平合意見直しの是非は一部の地方を除いては焦点から外れていった。決選投票では巻き返しを図るペトロ候補がこのテーマを持ち出して「是か非か」とアピールしたが、急進左派であるか否かという潮流に飲まれてしまった。
和平合意の是非を問う国民投票で反対が優勢だった県では、第一回投票でも決選投票でもすべての県でドゥケ候補が最多得票となったが、それら13県中7県では過半数を超えなかった。(表2)また、賛成が優勢だった県では支持する候補にばらつきがあり、和平合意の是非との観点からは一定の傾向はみられなかった。一方で第一回投票での最多得票獲得候補と決選投票での最多得票獲得候補が異なるのは4県にとどまり、そのうちペトロ候補がドゥケ候補との間で形勢を逆転したのはバジェ・デル・カウカ県の一県のみである。ペトロ候補が決選投票であえてそのテーマを前面に出したことは、選挙戦略上の誤りであったのか、それしか打つ手がなかったのかは分からない。しかし、和平合意の修正というテーマがペトロ候補自身の票の上積み、そしてドゥケ候補の票の切り崩しの切り札とはならなかった。
(出所)Registraduría Nacional del Estado Civil (https://www.registraduria.gov.co)をもとに筆者作成。
(注)ピンク(網掛け)は各投票での最多得票率を示す。斜体は過半数以下を示す。
今次選挙で注目されるのは、左派が躍進したという点である。
これまでのコロンビア近代史上で有力な急進左派候補であったのは、1970年の大統領選挙に再出馬したロハス元大統領(Gustavo Rojas Pinilla。1953~57年在任。)であった。ロハスは、1970年の大統領選挙では38.71%得票したが[DANE 1972]、対抗馬に惜敗した。2006年大統領選挙では、カルロス・ガビリア(Carlos Gaviria)代替民主極党(Polo Democrático Alternativo: PDA)候補が22.02%を獲得するも、ウリベ元大統領が62.35%を獲得し、決選投票は実施されなかった。ペトロ候補が出馬した2010年大統領選挙では、ペトロ候補は9.00%の得票率で4位に終わっていた5。このように、左派が徐々に存在感を増してきているものの、コロンビアではこれまで大統領選挙では左派に大きく振れることはなかった。
そのなかで、弁の立つ急進左派のペトロ候補の公約は魅力的に響いた。一方で、有権者の一部には、ペトロ候補による急進左派思想を警戒するものもいた。ペトロ候補は、かつてチャベス前ベネズエラ大統領と交友関係にあった元ゲリラ組織M-19の元構成員であり、ペトロ候補が当選すれば、ベネズエラ化が起こるのではないかとの懸念が一部に生まれていた。筆者の知人のなかにも仮りにペトロ候補が当選したら、国外に避難することを検討するというものさえいた。大統領の座につく可能性を有した左派候補は、コロンビアの歴史のなかで初めてであったといえる。これまで経験したことのない急進左派の躍進に驚いた有権者の間では、選挙の焦点が当初取り沙汰されていた和平合意の行方から、政治思想にシフトしていったのは、ペトロ候補の支持率が伸びてきた選挙キャンペーンの頃であろう。
急進左派への転換という大きな変化には抵抗は覚えるも、現在の汚職が蔓延する政治は受け入れられないという有権者にとってのオプションは、穏健な中道左派であるファハルド候補であった。市民の声がもっと国政に反映されるべき、汚職のないクリーンな政治を行うべきとの声は少なくない。しかし、ファハルド候補が決選投票進出を逃し、ドゥケ候補対ペトロ候補の対決になったことで、ファハルド候補が支持を集めていた争点を両候補が取り込み、票の奪い合いをする必要が生じた。
(3) レッテルと討論会選挙戦が本格的に始まった時点での各候補のイメージは以下のとおりである。ドゥケはウリベ元大統領の傀儡、ペトロはカストロチャビスモ(CastroChavismo、キューバやベネズエラの思想に共鳴する政治思想を有するとの意)、ファハルドは教育と科学技術以外の政策を知らず、説得力に欠ける弱い候補、というものである。各候補は、いかにして自身のイメージを向上させるか、そしてこのレッテルを強調して対立候補のイメージダウンを図るかに集中していった。
ドゥケ候補にはジレンマがあった。選挙戦が本格化する前の世論調査で、有権者は、候補が誰であろうとウリベ元大統領が支持する候補を支持するとの声が、少なからず聞かれたからである。絶対再選禁止によりウリベ元大統領は立候補ができないが、ウリベ元大統領の政治家としてのカリスマや政策を支持する有権者は少なくない。とくに和平合意に反対していた有権者にとって、和平合意見直しを訴えた候補はドゥケ候補だけであったことから、これに重点を置く有権者の受け皿となり得るのはドゥケ候補だけであった。しかし、ウリベ元大統領にはつねに反ウリベ派の陰がつきまとう。ウリベ元大統領のイメージを担いだ選挙キャンペーンを展開すれば、ドゥケ候補の認知度上昇とともに、獲得しうる伸びしろには限界が生じる。いかにしてウリベ元大統領支持の有権者を囲いつつ、新たな票を取り込めるかが鍵であった。
ペトロ候補は、元ゲリラで極左思想をもつことから、有権者の間でコロンビアがベネズエラと化すのではないかとの懸念が生まれていた。この頃にはベネズエラ避難民の問題は隣国の問題から自国の問題になりつつあった。かつてゲリラや麻薬戦争の時期に、安全で政治的に安定していた隣国ベネズエラへは多くのコロンビア人が避難を余儀なくされた。そのような兄弟国がこれだけ大量の避難民を生み出すようになったのはほかでもない政治の機能不全である。コロンビアに独裁的な政治体制が誕生することを恐れる有権者をいかにして説得し安心させるかが、ペトロ候補にとっての鍵となった。
ファハルド候補は都市部の若年層や高学歴のインテリ左派にとって最重要課題のひとつである汚職の対策を前面に押し出し、クリーンな政治の実現と、自身の経験から、教育と科学技術の強化による経済成長を訴えていた。しかし、それ以外の政策については明確な方針がみられず、一国の元首として国家が抱えるすべての問題に対処する政策と能力があるかを示すことが鍵となった。
各候補にとって、日々の遊説は有権者に直接訴えかける重要な機会であったが、並行して重要であったのはテレビ討論会とSNSによる発信であった。
(4) テレビ討論会とSNS:候補と有権者をつなぐものコロンビアでは選挙実施機関による公式討論会は存在せず、マスメディアや私立大学、商工会議所などの民間団体や企業がそれぞれに討論会を企画する。最初の討論会は4月3日、当地の有力政治誌「セマナ」誌(Semana)とアンティオキア県メデジン市にあるテレビ局「テレ・アンティオキア」(TeleAntioquia)の主催で行われた。テレビ討論会の形式をとった同討論会では、天候の影響によりメデジン市入りすることができなかったデ=ラ=カジェ候補をのぞく4名の候補が出席した。ファハルド候補はシャツとセーター、バルガス候補とドゥケ候補がネクタイなしのスーツ姿であるなか、ペトロ候補はスーツにネクタイ、十字架のついたブレスレットで登場し、大統領という立場にふさわしい候補である、キリスト教を支持するとのアピールをした。討論会のなかでも、言葉に詰まるファハルド候補、つねに制限時間をオーバーし、それでも話し続けるバルガス候補、力が空回るドゥケ候補のなかにあって、落ち着き、他の候補に対する批判を展開することなく、平易な言葉で訴えかけるペトロ候補の姿からは、極左のイメージを払拭しようとする同候補の明確な姿勢がみてとれた。
しかし、その週だけでももう2回、翌週にももう1回と、討論会が立て続けに行われ、遊説の時間が削られた。有権者の関心が低いテーマ設定や毎回同じような内容の討論を繰り返すうちに、候補者と有権者の双方が疲れ、候補者は討論会への出席を見送ったり、開催自体が中止となり、有権者も討論会離れしていった。
一方で、有権者と候補者をつなぐ役割を果たし続けたのがSNSであった。なかでも、ペトロ候補は当地で最も利用されているツイッター(Twitter)を活用し、自身の政策のアピールや他の候補への批判を進めていった。ツイッターのフォロワー数は、世論調査の支持率では1位のドゥケ候補のフォロワーが34万人、4位のバルガス候補のフォロワーが78万人であるのに対し、2位のペトロ候補は315万人、3位のファハルド候補は125万人とフォロワーが多く6、若者人口が多いコロンビアにおいて、SNSは都市部や若年層には一定のインパクトをもったとみられる。一方で、ドゥケ候補のフォロワー数は昨今あらゆる国の大統領選挙で重要性を増しているSNSの活用という観点からすれば、一見すると大きく後れを取っているようにみえる。しかし、4候補のフォロワー数を単純に合計しても550万人程度と、有権者全体の15%にすぎず、選挙結果を変えるほどの影響力はなかったといえる。
(5) ベネズエラ避難民隣国ベネズエラから流入する避難民への対策に関しては、選挙キャンペーン開始当時は国際的な関心はあるものの、国内では現時点では市民の生活に深刻な影響が出ている地域は比較的限定されており、論点の中心とはなっていなかった。しかし、日を追うごとに深刻な数の避難民が国内に流入してきている。2018年6月から9月の正規の入国者、コロンビア国内に居住する滞在合法化プロセス対象者および非合法移民の合計は16万1923人に上る7。第一回投票の直前に開催された討論会では、ベネズエラ避難民問題は国境の県では投票先を決めるひとつの重要な要素としてみられるようになったのではないかと考えられる。一方、ドゥケ候補は、このような大量の避難民を発生させたベネズエラの政治とペトロ候補を結びつけ、有権者の不安を煽ることに奏功した。
2018年8月7日、時折り冷たい小雨と強風が吹き荒れるなか、ドゥケ大統領が就任した。これから新大統領が直面するさまざまな困難を象徴するかのようであった。ドゥケ大統領は就任演説において、あらゆる分野での国民の融和を訴えかけた。
2015年に施行された「勢力均衡法」(Ley de Equilibrio de Poderes)により、次点の大統領候補には上院の議席が、次点の副大統領候補には下院の議席が与えられるようになった。ドゥケ候補対ペトロ候補の戦いは、ドゥケ大統領対ペトロ上院議員という新たなフィールドで展開される。同法律には大統領の絶対再選禁止も盛り込まれており、ドゥケ大統領の任期は4年となっている。この短い任期の中で、自身の公約を進めるのみならず、全国民の大統領として、選挙で二極化した国民のさまざまなニーズに耳を傾け実行に移さなければ、左派の成長を助長することにもつながりかねない。長期的視点からの成果を求めるためには、比較的短期間での成果が必要になってくるだろう。
コロンビアにはいまだ貧困層が多く、中間層は十分に形成されていない。そのため、ポピュリズム的公約が受け入れられやすい基盤がある。また、貧困層に加え、ラテンアメリカの潮流でもあるアンチエスタブリッシュメントや社会正義を重視する若者を支持層とする中道左派や左派が、今回の選挙では存在感を高めた。多くは中間層から富裕層に属し、民主主義や先住民やLGBTを含む人権一般、環境保護などを重視するインテリ左派とも呼べるグループである。彼らは、貧困層の生活ニーズを共有しているわけではなく、大学卒業の高学歴であることが特徴で、必ずしも集団として行動しているわけではないが、SNSを媒体とする結びつきがみられることが多い。コロンビアではまだSNSが選挙に与える影響は選挙結果を決定づけるまでには至らないが、これまで同国では左派の政治的な成長基盤がほとんどみられなかったことにかんがみると、これは大きな変化といえる。今後中長期的な観点でみた場合、カリスマ的な左派候補が登場すれば、支持が拡大する基盤が形成されつつあるのかもしれない。
また、ドゥケ候補が民主中道党から立候補し決選投票に進出したとはいえ、それはあくまでも「ウリベ元大統領の後継者」かつ「反左派」候補としてのドゥケ個人に対する支持であり、民主中道党という政党への支持が後押ししたということではないと考えている。既成政党の組織票は力を失いつつあり、政党とは異なる政治家一個人のカリスマが基盤となってきている流れは、今後も強まっていくのではないだろうか。
本稿は筆者個人の見解を示すもので、大使館や外務省の見解を示すものではない。
”Todo lo que quiere saber sobre la migración venezolana y no se lo han contado” (http://migracioncolombia.gov.co/index.php/es/prensa/infografias/infografias-2018/8693-migracion-venezolana,2018年10月31日アクセス).