2018年12月1日にロペス・オブラドールがメキシコ大統領について約1年が経過した。同大統領の公約の一つである治安対策として国家警備隊が創設され、組織犯罪や既存の警察組織における汚職や不効率の解決が目指された。中央高原バヒオ地区に集中する日系自動車関連企業もこうした治安問題を注視してきた。公的統計において、2019年は、これら企業の生産拠点、駐在地域となっているバヒオ地区グアナフアト州で国内最多の殺人件数が記録されるに至った。北米自由貿易協定再交渉において日系自動車産業のサプライチェーン再編が検討されているが、バヒオで展開するカルテル間の抗争など治安問題も新規投資に影響を与える重要案件であるため、今後の政権の治安政策の行方に注目が集まる。
中央高原バヒオ(Bajío)地区における自動車関連を中心とした日系企業のメキシコ進出が進んでいる。その数はメキシコ全土で1200社を超えた。ここ数年、これら進出企業の関心の中心となってきた話題として米国トランプ政権の登場やその貿易保護主義がある。同大統領就任以降交渉が続いている北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉の結果如何ではメキシコ進出日系企業のサプライチェーン再編も見込まれる1。また2018年12月1日にはメキシコ史上初の左派政権アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール(AMLO)大統領(MORENA:国家再生運動党)が誕生したが、AMLO自身が重点項目として掲げる治安問題についても、バヒオ地区における急速な治安悪化もあり、企業駐在員間の中心的トピックとして定着しつつあるように見受けられる。それが、急成長するバヒオ地区経済への外資系企業の進出を見越したものか、あるいはこれまで麻薬カルテルの通過地点でしかなかった未開の高原地帯が急速に「マーケット」としての位置を獲得したことによるかなど解釈は多様である。あるいは、カルテル構成員間の縄張り争いにすぎず、もともと日系駐在員をターゲットとしたものではないなど説明は種々あろうが、メキシコ全体を俯瞰しても治安問題が同国における開発や海外投資の隘路となるとの視点は近年の自動車産業の興隆よりはるか以前から存在するものである2。
なかでも2006年に政権についたPAN(国民運動党)のカルデロン大統領における麻薬組織の徹底的撲滅宣言は、その成果はともかくとして内戦状態とも形容される無数の死者を犯罪組織側、政府側、そして一般市民を問わず出してきたと言える。カルデロン政権に続き登場し、メキシコ史上稀にみる低支持率で2018年末に任期を終えたペニャ・ニエト政権(PRI: 制度的革命党)下においても、いっこうに勢力の衰えることない組織犯罪の存在、治安組織の腐敗、汚職、あるいはAyotzinapa事件3に体現される一般市民に対する人権侵害が如実であった[Jaramillo Torres 2018, 7]。既存政党から離れ、清新なイメージとともに社会改革や治安の改善を掲げるAMLO政権は、こうした政権の非効率を原資として当選としたといっても過言ではない。
これにさらに拍車をかけることとなったのが、2019年10月から11月に発生するシナロア州でのメキシコの麻薬王チャポ・グスマンの子息の拘束、その後の釈放問題であり4、同じく北部国境チワワ州で米国系メキシコ人がカルテル構成員と間違われ殺害された事件である。直後にトランプ大統領がメキシコの麻薬カルテルをテロ組織指定すると言及するに至り、AMLO本人が「メキシコへの内政干渉に反対」と反論し、治安問題は外交問題の様相を呈する。世界最大の麻薬消費地であり武器生産国である米国は同時に長らくメキシコをはじめ中南米地域からのおびただしい移民を受け入れてきた歴史がある。ひるがえると、メキシコは常に違法と言われる移民と同時に麻薬や武器、人身売買の通過点であったと言える5。
AMLO政権は、その選挙公約の一つとして明確に治安問題の解決とそれに向けた国家警備隊(Guardia Nacional)の創設を掲げてきた。PRI, PAN政権で放置されてきた治安問題あるいは治安当局による人権侵害を批判して登場した現政権における国境警備軍の創設案は、連日目抜き通りを占拠して行われる抗議行進への早急なレスポンスとして国会審議が進められてきた。
本稿ではまず、与党MORENA政権主要幹部からも「治安維持活動の軍事化」として批判される国家警備隊創設やその基礎となる国内治安法など成立の背景としての治安問題をそれがいかに現代メキシコ政治史にて主題化されてきたかについて整理する。つづいて、AMLO候補(当時)の選挙公約として国家警備隊がいかに形成されたのかをフォローしたい。さらに、憲法改正の動き、国家警備隊の成立、その定義や実態について整理することを通じて、組織犯罪の可視化により焦点化されてきたAMLO政権下でのメキシコ治安政策の課題と今後について理解を進めたいと考える。
シナロア州で発生した麻薬王チャポ・グスマンの子息オビディオ・グスマンの国家警備隊による身柄の拘束および直後のシナロア・カルテルへの引き渡しという事件は、国境地帯におけるカルテルの支配や暴力という側面のみならず、メキシコに蔓延する無処罰処分がAMLO政権でも反復されるとの批判を惹起することとなる。一連のカルテル絡みの事件の責任者として辞任要求されているのはアルフォンソ・ドゥラソ(Alfonso Durazo)治安・市民保護大臣である。選挙運動期間中よりAMLO候補より同ポストに指名されていたドゥラソ氏は、選挙半年前の2018年1月4日にMilenio紙に掲載された「AMLOは治安対策でどのような提案を行っているのか?」という記事の中で、AMLOの治安政策を以下のように整理している6。
(1)治安担当内閣は、国家検察院、内務省、国防省、海軍省、および各州の治安当局を統括する国家治安システム(SNSP)の連絡によって成立する。
(2)連邦レベルの治安制度に倣う組織を各州・自治体にも設置する。
(3)社会的影響の大きい組織犯罪については検察と連邦警察が情報の共有を行う。
(4)約21万人の国防軍兵士および約5万5千の海軍兵士の参加する国家警備隊の創設
(5)連邦警察のもとに観光地区対応警察を設置
(6)犯罪者情報の管理
(7)687万人にも及ぶ失業中の若者を治安部隊要員として訓練する国立治安学校(Colegio Nacional de Seguridad Pública)の設立・運営、
(8)刑務所送りにするだけの政策からコミュニティ奉仕などへの刑罰の多様化
これは2018年11月14日にAMLO次期大統領(当時)および治安担当チームが公表した「平和と治安に関する国家計画2018-2024(Plan Nacional de Paz y Seguridad 2018-2024)」として結実する計画のドラフトと呼ぶべきものである。自身の任期において実現すべき課題としてAMLOは、国家警備隊の創設、組織犯罪撲滅、汚職や非効率排除に向けた倫理規定(Constitución Moral)の整備やそれに基づく公開討論の活発化、一部麻薬の合法化、犯罪の温床となる貧困の解決、恩赦法の検討、麻薬汚染に対する保健・予防教育の充実、などをあげている。確かに、貧困の解決や予防教育が平和をもたらすとの「楽観的」な視点に批判もある7。ゴンサレス[Gonzales 2019, 141]が指摘するように、AMLOにとって治安問題は文字通り最優先の公約である。国家警備隊成立のための憲法改正が早々に議会で承認され、各地にそれらが派遣されていったスピードからもわかるように、政権発足から今日に至るまで特別な重点項目として扱われてきた。
大多数の中間層や貧困層は日々の治安の悪化に晒され、富裕層のように私的な警備員を雇用したり、監視カメラやフェンスで取り囲まれたコミュニティに居住することもかなわないため、治安対策を主要課題とし、治安・警察組織内の人員・モラル刷新を掲げるAMLOの票田と化していったと言える。同時にすでに触れたように、メキシコ国民が暴力や国家による人権侵害、あるいは治安当局の機能不全をもたらすような汚職問題に疲弊しているという事実が、PRIやPANといった既存政党への「お仕置き票(votos de castigo)」として2018年7月1日の大統領選挙で発露したことは間違いがない8。それによる追い風を受けたのが、AMRLOあるいはMORENAである。図1はここ約20年のメキシコ国内における殺人件数の推移を示したものである。PANカルデロン政権以降からの殺人件数の増加は顕著である。豊田[2018, 46]も「対麻薬戦争勃発以前のメキシコ政府(主にPRI政権)は、麻薬 犯罪組織をうまくコントロールしていたといえるかもしれない」と指摘しているが、ここで重要なのは、そうした犯罪組織が実際に存在したか否かよりも、こうした組織の存在がいかに言説化され、「掃討すべき対象」として可視化されたか、という事実であろう9。
(出所)国家統計院(INEGI)のHP掲載情報より筆者作成。
また図2は各州における国家統計院による治安に対する意識調査の結果である。メキシコ麻薬戦争に関する詳細なレポートで焦点を当てられているグアナフアト州における治安悪化への意識が突出して高くなっていることは自明である。同時に、そうした諸州にとどまらず、治安への意識が身近な課題として意識されていることがわかる。
全国レベルにおいて、INEGIの統計が提示する2011年(69.5%)から2019年(78.9%)に10ポイント程度も「治安が悪くなった」との結果が発表されている。その中でもグアナフアトにおける治安悪化に関しては54%(2011年)から88.8%(2019年)と30ポイント以上の激増を見せている。農業や皮革加工業主体の田舎町、安心して訪問できる観光地、との同州に対する見方は激変していると言えるだろう。むろん、統計自体、州内地域差、所得差、性差、年齢差などの偏差については表現していないため、これをもって既述の監視カメラや警備員でしっかりと保護された居住空間で過ごす日系企業社員などが同様の状況に晒されていると言うことは出来ない。ただし、在レオン総領事館からの表明にもあるように、グアナファト州の経済発展の象徴でもある日系自動車産業が「今後の継続的投資に影響を与えかねないような」憂慮すべき被害に直面しているのは紛れもない事実である10。
(出所)国家統計院(INEGI)のHP掲載情報より筆者作成。
こうした麻薬戦争、経済発展に伴う市場としてのバヒオ地区への組織犯罪の侵入、あるいはこれらを許容してきた過去の政権による非効率や汚職に付随する治安悪化を発足まもない現政権の全責任とするのは酷であろう。筆者がシウダー・フアレス国立工科大学のサムエル・ベラルデ教授に実施したインタビューによると、カルデロン政権時に麻薬戦争や女性の人権侵害のショーケースとも言われた国境の街であるシウダー・フアレス市(チワワ州)は、ここ数年平穏を取り戻しつつあった。しかしながら、フアレス・カルテルが競合との抗争のために同地に持ち込んだ配下のギャング団(Los Aztecas)がカルテルの影響力低下とともに、誘拐ビジネス、縄張り争いによる殺人事件、Narcomenudeo(文字通り、麻薬の小売り)と呼べるビジネスに従事し、麻薬を転売したり、質の悪い麻薬を流通させるなど治安を悪化させてきた。シナロア・カルテル配下のLos Artistas AsesinosやLos Mexiclesといったギャング団が2018年夏には対抗勢力との「戦争」を宣言している。或いは同じく北部国境地域のタマウリパス州やコアウィラ州では旧エリート軍人などから組織されたLos Zetasを母体とするノレステ・カルテル配下の「地獄の部隊(La Tropa del Infierno)」が単なるカルテル間の縄張り争いを超えた一般市民への暴力を行使している11。
また2019年12月9日にはカルデロン政権で治安大臣として麻薬戦争を主導したヘナロ・ガルシア氏が米国テキサス州において同国政府に拘束された。シナロア・カルテルからの収賄とそれとの引き換えに同組織を保護するよう治安当局に働きかけていた罪状である12。これを受けAMLOは、連邦警察内部や地方警察が未だカルデロン氏やガルシア氏の影響下にあるとしてその浄化(depuración)を求めているが、このような背景の中でAMLOが独自の治安政策をいかに実行的に遂行していけるかは、とくに野党(PAN)州知事の治めるバヒオ諸州では大きな課題であると言えよう。
すでに触れたように、大統領当選から4カ月ほど経過した2019年11月14日にAMLOは「平和と治安に関する国家計画2018-2024」を発表する。そこでは想定通り、ドゥラソ氏が次期治安大臣として名を連ねていた。とくに道徳を重んじ、教育あるいはそれを通じた貧困の克服、麻薬中毒者の矯正などといった政策に力点を置き、犯罪や暴力への壁を打ち立てようとしているようにみえる。ここで国家警備隊の創設が事実上宣言されることとなる。そしてその創設に向けた憲法第10条, 16条, 21条, 31条, 35条, 36条, 73条, 76条,78条 および 89条それぞれの改正が議論されることとなった。むろん、国家警備隊自体は歴史上1846年より存在している。時の臨時大統領であったホセ・マリアノ・サラス将軍が、米国によるメキシコ領土侵攻に対抗するために創設したと言われている。また憲法上においても1917年憲法よりその像は存在してきた。とはいえ、その実用を担保するような基本法が存在しなかったため、あくまで形上での存在であったと言える。それを具現化するのが2019年5月27日に施行される「国家警備隊法(Ley de la Guardia Nacional)」である。
先に述べた憲法改正の焦点を簡潔にまとめると以下の通りである。まずは暴力の原因となる武器使用を本来国軍や(国家警備隊を含む)予備役の専権事項として国民の保有については連邦法による制限が加えられる(第10条)ものとし、犯罪を目撃した一般市民にも緊急逮捕権を付与する(第16条)。連邦政府、地方自治体の権限を明確化し、同時にその中に中央政府や地方自治体、または国家警備隊を含む治安担当機関は国家治安システム(Sistema Nacional de Seguridad Pública)と協調して治安政策を遂行する(第21条)、予備役である国家警備隊を国民の義務として位置付ける(第31条)。また第35条では、陸軍や国家警備隊が共和国およびその機関の護衛にあたるとあったものが「常在の国軍あるいは予備役」に変更された。同じく36条では、国民の義務としていた国家警備隊への加入を「予備役への加入」へと変更している。73条では21条に基づく人権条項に焦点が当てられ、武力使用に関する国家法(Ley Nacional sobre el Uso de la Fuerza)あるいは拘束に関する国家法(Ley Nacional de Registro de Detenciones)の順守が論じられている。また、76条では国家警備隊の活動について上院議会への報告義務について言及されるようになった。78条と89条については76条改正についての補完条項となっている13。
またAMLOは、平和構築のために、武装解除、動員解除、社会復帰、刑務所施設の改善などとともに、恩赦法や減刑法といった論争的なテーマを取り上げている。いわゆる無処罰処分も同様であると野党から批判される恩赦についてはメキシコ国内でも大変激しい議論が続いている。そして全国を266地区に分けて、そこへ国家警備隊を派遣することにより連邦政府と地方政府との連携によって各地域の治安を担保していくとの提案を行っている。その構成員として想定されているのは、一般公募される文民とともに、軍警察、国防軍、海軍、連邦警察などが挙げられている。むろん、ここでは憲法改正が必要とされているが、こうした組織構成の雑多性や不透明さにより、例えば後にみるように、権能が「かぶる」とされる連邦警察のストライキに発展していくのである。そして警察機能の軍事化が人権侵害の危険性を惹起すると批判の対象となるのである。
とはいうものの、AMLOにとって保健厚生行政などと並ぶ目玉公約であるために、2019年2月21日には、憲法改正案が下院において再可決された。ここでは、最終的に軍ではなく治安省の傘下で「民間主導」という性格、退役軍人をその隊長と据える、人権の尊重や武器使用の制限などが確認された。これら連邦上下両院での可決を経て,同改正案は全国の州議会へと送られる。全32州 のうち17州以上の州議会で承認された場合,憲法改正が可能となるが、結果これらはユカタン州での承認を最後に全32州で3月半ばまでに承認されるところとなった14。これらを経て、同3月26日の官報に掲載されることによって、国家警備隊の創設にかかわる憲法改正の公布に至るのである。
これらの一連の動きを受けて、6月30日には、国家警備隊発足式典が開催されたが、AMLOはまず全国266カ所のうち、150カ所7万人規模の展開がなされると述べるとともに、その後それは、15万人まで増員し、全国をカバーしていくと発表したのである。同時にこれとパラレルに進展していたのが、対米関係を念頭においた移民の米国流入回避に向けた南北国境地帯への国家警備隊派遣のプロジェクトであり、早くも同6月14日にはエブラル外相が「同18日には国境地域に国家警備隊を派遣可能である」と発表しており、前のめりな形で計画は着実に進んでいくのである。
この件についてメキシコを訪問した国連高等人権弁務官事務所は、2019年2月22日付のプレスリリースで、軍事化する治安組織への懸念を上院と協議し、立法府のみならず国民の幅広いセクターでこの件が協議、周知徹底されることを強調した。
こうした懸念に対応するよう、文民統治の見地より、国家警備隊に参加する国軍出身者は5年経過時点で部隊から離れなければならないと規定された。またその5年の部隊での活動について上院への活動報告を行うべきとされている。更には、武器の濫用をいかにコントロールするかの制度設計、軍施設に拘留など不当逮捕・拘束の禁止、被拘束者が外部団体と連絡を取ったり、あるいは、こうした拘留施設に監査のような形態の調査が行われるなど、人権擁護の見地から国家警備隊の見直しが議論されている。
2019年9月1日に発表された第一回施政報告書でAMLOは、2018年12月1日の政権発足後、手を尽くし切れてこなかった2つの重要課題として「保健医療行政」と本稿主題である「治安対策」を挙げている15。内政面での要因として燃料盗難問題がある。組織犯罪によるパイプラインからのガソリン盗難をめぐって政府とのいたちごっこが続き、引火爆発による100名規模の死者を出した事件は、日本も含め国際的に報道された。この事件は、メキシコ石油公社(PEMEX)のグアナフアト州サラマンカの製油所近郊で起きているが、サラマンカにはマツダが工場を有している。トヨタ自動車や本田技研工業の工場も至近である。またこの事件は、組織犯罪が、麻薬・武器・人身売買などに留まらず、ウアチコル(Huachicol16)と呼称される燃料盗難に、政治家などの支援を受けつつ関与していたことを白日の下にさらけ出すこととなった。日系企業進出対応のために日本総領事館が設置されたレオン市(グアナフアト州)を中心に発刊されているAM紙(2019年10月27日付)によると、2019年9月の治安統計では、日系駐在者のベッドタウンであるレオン市、ホンダ工場の所在するセラヤ市、そしてマツダ工場の位置するサラマンカ市という日系最重要都市とも言えるグアナフアト州の3都市が、メキシコ全土の殺人件数トップ10にその名を連ねている。
また、トヨタ自動車が工場設立のための立ち上げ事務所を置いていたケレタロ州ケレタロ市およびその周辺は自動車のみならず、航空宇宙産業も盛んなメキシコ国内屈指の工業州である。治安も良く、オフィスや駐在員の居住地として好まれている。2019年12月末には、そのケレタロにおいても、上述のウアチコルに従事するサンタロサ・デ・リマ・カルテルが、バヒオで競合するハリスコ新世代カルテルとの全面戦争を宣言するに至っている17。これは、メキシコの成長センターへの投資の将来に強い影響を与える事態であり、AMLOにとってのみならず、外資の将来の投資計画を左右する由々しき事態であると言わざるを得ない。そしてなによりもこの報道においても明確になるのが、野党各州が連邦政府の治安対策に非協力的な様子である。本件につきケレタロ州のドミンゲス知事(PAN)も連邦政府主催の治安会議に不参加の姿勢を示している。
またこうした海外からの投資案件にとどまらず、メキシコの主力である伝統的な資源エネルギー企業がウアチコルのように組織犯罪の支配下におかれていることも極めて憂慮される事態である。 2018年の産油量は181万bpd(一日あたりバーレル)と2004年の同340万bpdのピーク時から約45%近く減少している。それにも関わらず、石油関連産業は引き続き政府歳入の20%を占める戦略的最重要産業である[木村2019, 60]。組織犯罪が盗難という形で、こうした重要産業の動向に直接的に関与していたことをAMLOは看過できず、急遽、パイプラインの栓を閉じ、全国的なガソリン供給不足が発生するに至る。パイプラインから湧き上がってくるガソリンを窃盗し、転売するビジネスは旨味のあるものとカルテルから捉えられ、バヒオ地区をそれらによる抗争の地と変えつつある。
各種世論調査における国家警備隊への信頼度は創設以来概して高いと言える。むろん、上述のシナロア・カルテルの一件で、チャポ・グスマンの子息の捕獲・解放劇が国家警備隊に端を発するものであったこと、結果としてAMLOが批判してきた無処罰処分が温存されているようにみえることなどから、今後厳しい視線が向けられることは必至であろう。事実、政権発足当時70.9%をつけていた国家警備隊が「うまく機能している(buen desempeño)」という国家統計院の世論調査は、2019年10月には67.7%と下落している。これは国民の29%のみが国家警備隊を知っていると答えた前回調査から45.9%へと認知度があがったことに反比例していよう。本件世論調査を担当する国家統計院のハイメス・ベジョ(Jaimes Bello)局長も指摘するように、良い意味でも悪い意味でも国家警備隊の名が人口に膾炙することにより、議論が活性化してきたものであろう。ただし、組織への信頼度自体は若干下降しているものの、いまだに74.9%と高止まりしている。州レベル、市レベルの治安担当機関への信頼度がそれぞれ52%、46.2%にとどまっていることを鑑みると、AMLOトップダウンの治安行政は、いまだに国民の大きな期待を背負った目玉政策であると言える18。
同時に国家警備隊が、複雑化する対米国関係という文脈において奇妙な評価を得ている事態も存在する。国家移民庁(INM)のプレスリリースにて発表されている世論調査(Reforma紙およびWashington Post紙による共同実施)では、米国を目指してメキシコに入国する「中米不法移民を強制送還すべき(55%)」という回答が、「米国が滞在許可を出すまでの一時的な居住を認めるべき(33%)」や「メキシコでの居住を認めるべき(7%)」といった回答を圧倒的に突き放す結果が出ている。さらに、こうした「不法移民撲滅」のために国家警備隊が貢献すべきと国民の過半数(51%)が回答している19。本来、国内の治安維持を目的に創設されたこの組織であるが、記述したように「国境で、子連れで越境を懇願する移民を容赦なく排除する」との意図せざるイメージが全国紙やSNSで踊ったことも国家警備隊への国民感情を左右していると言える。
国家警備隊に対する批判の急先鋒は、AMLOの最側近であった。大統領選挙の選挙対策委員長を務め、自らも下院議員となったタティアナ・クルティエル(Tatiana Clouthier)である。その論調を確認する前に、国家警備隊を肯定的、否定的側面から整理した書籍が存在するため、整理してみたい(表1)20。
国家警備隊の創設および隊員の全国各地への大規模な派遣は、対外的にも国内メディア対策としても相当程度の成果を示したということができる。治安に真剣に取り組む大統領という姿勢は公約の実現以前に、日常的な暴力に疲れた有権者には大きなPRとなる。すでに述べた米国の移民対策においても、連日報道される国家警備隊による南北国境における不法移民の「警ら」にはトランプ大統領も及第点をつけており、事実、同大統領がほのめかした「警ら」との引き換えの対墨関税はいったん保留された。
(出所)Gómez Zamudio, 2019, p.131.
とはいうものの、突貫工事で開始された国家警備隊には、すでに上でみた「否定的論調」に該当するような批判や抗議が実際に起こっている。国家警備隊成立以降、連邦警察(Policia Federal)は大統領府付近の歴史的中心街での示威活動やベニート・フアレス国際空港へ通じる幹線道路の封鎖など、経済活動に影響を与えかねない規模の二度の抗議活動を行っている。国家警備隊が今後連邦警察の業務を代替していくなどと報じられたため、同警察のアイデンティティや存在意義が揺らいでいると警察内部で動揺が広がったのはもちろん、これに紐づきリストラや賃金カットというメキシコの警察組織の士気維持の根幹にかかわるような噂がまことしやかに流されたという点が大きい。
チャポ・グスマン子息の国家警備隊による拘束から始まった「麻薬カルテルによる国家統治」あるいは「AMLO政権でも繰り返される無処罰処分」といった大問題が「政争の具」として争われ前向きな治安政策論議に帰結していないことが国家警備隊に関する議論を前進させない大きな要因である。治安政策の進展や内容を横におき、「麻薬戦争」の主役となった元大統領をAMLO側が追及するような状況にある。AMLO政権はカルデロン政権下で「PAN政権もバヒオで今や最大勢力とされるハリスコ新世代(J.N.G.)のトップ「エル・メンチョ」を拘束後に釈放したではないか?(注4参照)」と過去の事例に言及している。カルデロン政権時の治安大臣がカルテルからの収賄で米国で拘束されたことで、カルデロン元大統領自身もパシフィコ・カルテルへの関与が疑われるに至る。
むろん、そもそもこうした「麻薬カルテルの国家統治」や麻薬戦争の基礎を作り上げたPRI, PANが国家警備隊に並びうるような対案を出しているとは言い難い。しかしながら、市民主導(Mando Cívico)を掲げた出来合いの国家警備隊が、さっそくシナロア・カルテル案件や対米関係に起因する国境での移民のコントロール(=排除)に従事させられているとの印象は、政府に批判的なメディアのセンセーショナルな報道を差し引くにしても、事実であるように見受けられる。選挙運動中にAMLOと並ぶMORENAの顔となった前述のタティアナ・クルティエル下院議員も、国家警備隊が中米移民や米国に渡ろうとする同胞の人権侵害のために使われているとして、ムニョス・ロド下院議長を批判するに至る21。彼女の考えの根幹には警察組織の軍事化への懸念がある。軍が治安コントロールを名目に、逮捕、監禁、拷問、殺害といった人権侵害を行うことへの憂慮がある。
国家警備隊の運用につき、各州が個別に運用できるとの自治は尊重されている。とは言うものの、例えば、MORENAの独壇場となっている連邦政府と日系企業が集中するバヒオ地区の野党州知事政権とがいかにこうした治安政策を連携しているのかについては不透明なところもある。AMLOが提案している連邦政府と州政府との治安対策定例会議には野党州知事は出席していないと指摘されている。また、州や市といった地方警察では概してそうした州政府の意向を汲む人事がなされているであろう。或いは、既述のような連邦警察のモチベーション低下が、デモの起きたメキシコシティではなく、地方レベルにおいていかなる影響をもたらしているかについても慎重な議論が必要であろう。2019年12月16日にドゥラソ大臣が発表した内容によると、AMLO就任1年でグアナフアト州がメキシコ国内で最大の殺人件数を記録した。その数は実に3211人に上る。これは全国の殺人総件数の15%にあたるとされる22。バヒオにおいては、主要完成車メーカー及びそのサプライヤーの進出が一巡したとの議論や、トランプ政権以降のNAFTA再交渉のプロセスが暗礁に乗り上げて新規投資案件が凍結されている、あるいは米中貿易戦争を背景に一部日系企業も米国向けの生産をメキシコに移しているなど2020年に向けて様々な憶測が出ている。有望な投資先としての信用をいかに今後も継続していくかAMLO政権最重要課題である治安対策については今後も目が離せないと言える。
AMLO政権発足から約1年となるが、メキシコを取り巻く状況は極めて流動的でAMLOも緊急かつ異例の対応を行わざるを得ない状況に直面している。発足直後からウアチコルという組織犯罪による燃料盗難からパイプラインの爆発に伴う100名以上の死者を出した。就任早々、組織犯罪と治安の問題が前景化される契機となる事件として国際的に注目されることとなってしまう。
外交面をみても、就任早々よりトランプ米政権とNAFTA再交渉の責を担うとともに[Hayashi, 2018; 2019]、メキシコ経由で米国に流入するカルテル、中米・メキシコ移民の阻止を条件に関税引き上げ停止が交渉されるなど内政外交両面において困難なかじ取りを任されることになった。治安問題が両国の外交交渉の人質にとられたとの印象すら与えている。治安についても好ましくない数字が高止まりしている。2019年12月末になって外務省安全情報ホームページで、これまでゼロを維持してきたバヒオの危険レベルの中でホンダ工場の所在するグアナフアト州セラヤ市が危険レベル「1」へと引き上げられた。治安とともに、NAFTA再交渉において米国・カナダ議会での承認が遅滞しており、米中貿易戦争が静かに進行するダブルパンチもあってか、バヒオの日系自動車関連企業の先行きには不透明感が漂っている。
組織犯罪に統治されているメキシコという構図は、巨大消費地である米国と広大な国境を接し、かつ中南米から米国への麻薬運送の経路という地政学上回避できるものではない。しかしながら、ウアチコル被害にあう石油産業、治安最優先の観光、そしてバヒオでここ数年間で急激に進んだ外国投資呼び込みに必要となるインフラとしてのセキュリティなど今後の政権の経済政策の浮沈にもかかわってくる重要課題として治安問題は屹立している。外交か内政かという二者択一で安住できない厳しい政権の船出と言える。