ラテンアメリカ・レポート
Online ISSN : 2434-0812
Print ISSN : 0910-3317
論稿
分断を深めるペルー ―国内における対立が可視化された2021年総選挙
磯田 沙織
著者情報
解説誌・一般情報誌 フリー HTML

2021 年 38 巻 1 号 p. 28-43

詳細
要約

ペルーでは1990年代以降、約30年にわたって新自由主義経済政策が実施されてきた。その過程でマクロ経済は安定したものの、地方を中心に貧困状態が改善されない人々の不満が蓄積されてきた。他方、次々と出現する個人政党が組織化されないまま民主体制が維持され、誰が大統領に当選しようとも新自由主義経済政策が維持される「自動操縦(piloto automático)」であると揶揄されてきた。また、1990年代以降の大統領はすべて汚職などにより実刑判決を受けたり、捜査対象になったり、あるいは捜査の最中に自殺したことで、有権者の政治家に対する不信は強まっている。こうした新自由主義経済政策に対する不満、既存の政治家に対する不信の蓄積により、2021年総選挙において左派の泡沫候補が一次投票を1位通過し、決選投票においても過半数を上回る票を獲得した。本稿では、2021年総選挙の過程でペルーの分断が可視化されたことに関して、フジモリ派と反フジモリ派が二分してきたこと、都市部と農村部の格差が継続してきたことを中心に考察する。

はじめに

ペルーでは、5年ごとに大統領選挙、国会議員選挙、アンデス共同体議員選挙が同日実施され、大統領、国会議員の連続再選は認められていない1。大統領選挙において過半数以上の得票率を獲得した候補者が不在の場合、上位2名による決選投票が実施される。また、国会議員選挙において5%以上の得票率を得られなかった政党は政党登録を失い、たとえ当選ラインを超える票を獲得した候補者であったとしても、その政党から出馬した場合は落選する2

2021年4月11日に実施された大統領選挙では、自由ペルー党(Perú Libre)のカスティジョ(Pedro Castillo)が18.9%を獲得し、首位に立った。しかし、得票率が50%を下回ったことから、2位の人民勢力党(Fuerza Popular)のケイコ・フジモリ(Keiko Fujimori)と決選投票に進出することが決まった(表1)。国会議員選挙においても、自由ペルー党が37議席(28%)を獲得して国会第1党となり、人民勢力党が24議席(18%)を獲得して第2党となった(表1)。他方、2001年以降に政権政党であった政党は、国会議員選挙での得票率が5%を下回ったり、選挙への参加を見送ったことで、政党登録を失う。6月6日に実施された決選投票では、カスティジョが50.1%を獲得し、2位のフジモリとは約4.5万票の差となった。票の集計が終わった後もフジモリ陣営は選挙不正を主張し、7月14日現在、特別選挙裁判所(Jurado Electoral Especial: JEE)が審議しているところである。

過去の総選挙と比較すると、今回の総選挙では棄権率、白票率および無効票率の高さが特徴的である。ペルーでは投票が義務づけられ、違反すると罰金が科せられるにもかかわらず、一次投票では30.0%が棄権した。投票した有権者の12.0%も白票を、15.2%も無効票をそれぞれ投じた。また、決選投票時も、有権者の25.4%は棄権し、白票率は0.6%、無効票率は5.9%をそれぞれ記録した。この背景として、パンデミックで他者との接触を避けただけではなく、投票したい候補者がいなかったことを指摘できる。

もうひとつの大きな特徴は、無名で地方の小学校教師であるカスティジョが、ケイコ・フジモリと互角に戦い、僅差で勝利した点である。背景には、ペルーで恒常化してきた首都と地方の対立や、政党システムの弱体化を指摘できる。そこで本稿では、国内における対立軸をふまえたうえで、2016年以降の政治的不安定性との関係から2021年総選挙を考察する。

(注1)-は未結党、選挙に不参加または選挙戦中に出馬資格停止。

(注2)人民革新は前身の党が2016年、2020年国会議員選挙に参加。

(注3)変革のためのペルー国民は党名変更し、2020年国会議員選挙に参加。

(出所)選挙管理委員会(ONPE)および中沢(2020: 47)にもとづき筆者作成。

1. ペルー政治における分断の形成と継続(1980年から2016年まで)

(1) フジモリ派と反フジモリ派という分断の誕生

1980年の民政移管後のペルーは、経済成長の失速と急進左派から分裂したテロ組織による社会混乱によって特徴づけられる。軍事政権時代からの不況と、センデロ・ルミノソ(Sendero Luminoso)などによるテロ活動に直面し、1980年代の政権は有効な対策を講じることができなかった。とくに、ガルシア(Alan García)政権下における国家主導型の経済政策は機能せず、ハイパーインフレーションと都市部におけるテロ活動の深刻化を招いた(遅野井 1995; Tanaka 1998; 村上 2004)。

1990年選挙で決選投票に進出した大統領候補であるバルガス・ジョサ(Mario Vargas Llosa)およびフジモリ(Alberto Fujimori)は、いずれも政治経験をもたない、いわゆるアウトサイダーであった(磯田 2011: 78)。バルガス・ジョサは知名度の高い小説家であり、フジモリは大学学長で無名の候補者であった。ペルーでは、1980年代の社会経済問題に加え、政党システムが弱体化した結果、既存政党を避ける票がアウトサイダー候補者に集まったのである。決選投票を制したアルベルト・フジモリは、経済立て直しのため新自由主義経済政策を導入し、テロ組織を厳しく取り締まった。その結果、ペルーは経済危機を脱し、テロ活動も激減した。また、フジモリは貧困地区におけるインフラ整備に取り組み、貧困層向けの社会政策を実施することで貧困層からの支持を得た。こうした取り組みにより、フジモリに実刑判決が下された後も、今日に至るまで熱狂的なフジモリ派が存在する。

その一方、フジモリ政権時代の権威主義的な政治手法は、反フジモリ派も生み出した。フジモリは国会で大多数の議席を占める反フジモリ派と対決したため、1992年に軍を動員して自主クーデターを引き起こし、国会閉鎖や憲法停止を決定した。また、テロ組織を取り締まる過程で、テロリスト以外の一般市民も弾圧し、貧困層を減らすためアンデス地域で先住民女性に対する強制不妊も実施した。こうした政治手法により、今日に至るまでフジモリ派に対する反発は根強く残っており、決選投票ではフジモリ派の当選を阻止するため対立候補支持に回る反フジモリ派が存在する。

(2) 都市部と農村部という分断の継続

2000年に憲法違反の3選目を果たした直後、フジモリは側近のモンテシノス(Vladimiro Montesinos)が関与する汚職の証拠を反フジモリ派の議員(Fernando Olivera)によって公開され、自主亡命先の日本から国会へ辞表をFAXで送ったものの、国会がその受け取りを拒絶し、フジモリの職務停止を可決した。その後、中道右派のトレド(Alejandro Toledo)が大統領選挙で勝利した。トレドはフジモリを批判しながらも経済政策は踏襲し、2003年の法令27972/2003号により、公選制の州知事の新設を含む地方分権化に着手した。2006年以降の地方選挙では各地における地方の有力者が優勢となる一方で、国会に議席を有する政党は苦戦を強いられている。地方では選挙ごとに個人同士の同盟(Coaliciones de independientes)が作られ、選挙の終了とともに同盟が解消される事例が多く観察されてきた(Zavaleta 2014: 55-65)。また、トレド政権後の中道左派のガルシア政権、中道左派のウマラ(Ollanta Humana)政権、右派のクチンスキ(Pedro Pablo Kuczynski)政権は、いずれも新自由主義経済政策を踏襲した。とくに中道左派のウマラは、2006年選挙で敗北した以降は穏健化し、前政権からの経済政策を変更しなかった(村上 2012: 30-32)。

1990年から継続してきた新自由主義経済政策により、マクロ経済は安定的にプラス成長を遂げ、首都リマを中心とする都市部では貧困率が減った。しかし、アンデス中央部および南部を中心とする農村部における貧困率の減少率は2013年以降鈍り、都市部との格差は縮まらなかった(図1および図2)。とくに2018年の州知事選挙では、フニン州において左派の自由ペルー党の党首であるセロン(Vladimir Cerrón)が勝利し、アレキパ州やプノ州においても左派の州知事が誕生したことから、都市部と農村部における格差への不満が左派の台頭を促したのではないかと指摘できる。

(出所)国家情報統計局にもとづき筆者作成。

(出所)国家情報統計局にもとづき筆者作成。

また、2009年にバグアで資源開発に反対する住民と警察隊が衝突したバグア暴動(Baguazo)が起こったほか、大型の鉱山開発(カハマルカ州のコンガ・プロジェクト、クスコ州のラスバンバス・プロジェクト、アレキパ州のティアマリア・プロジェクトなど)への反対運動が頻発している。資源開発プロジェクト周辺で暮らす住民は、天然資源の収入の一部が地方自治体に配分されるため開発に賛成するグループと、資源開発に伴う環境汚染や配分される予算の増額を求めて抗議するグループとに二分している3。後者は資源開発による恩恵を感じられず、開発を推進する中央政府の経済政策に不満を抱いている。

2. 2016年以降の政治混乱

(1) クチンスキの辞任

2016年以降のペルー政治は、選挙キャンペーンにおけるクチンスキによる「泥棒の子供は泥棒」発言や、人民勢力党員の決選投票結果に対する疑念が象徴するように、クチンスキ政権と、国会130議席中73議席(56%)を獲得したフジモリ派のあいだで激しい対立が続いた。政権が発足した5カ月後の12月に、国会は教育大臣に対する不信任を決議し、2017年5月には第一副大統領兼運輸通信大臣だったビスカラを、2017年6月には経済財務大臣を辞職に追い込んだ。また、2017年9月には、首相(Presidente del Consejo)の信任決議を否決した。過去の政権においても、首相に対する信任決議の否決や現職大臣に対する不信任決議は行われたが、政権発足1年未満で3名の大臣が辞職に追い込まれたことはなかった。このため、フジモリ派は国会における有利な立場を利用して、政治を不安定化させているという批判がケイコ・フジモリに向けられるようになった。

2017年12月15日、国会はブラジルの建設会社オデブレヒト(Odebrecht)から賄賂を受け取った疑惑により、クチンスキに対する弾劾裁判を開始した。弾劾は可決されると予想されていたものの、ケイコ・フジモリの実弟であるケンジ・フジモリ(Kenji Fujimori)をはじめとする人民勢力党の議員10名が弾劾反対に回り、12月21日に弾劾は否決された。

弾劾回避の3日後、クチンスキが服役中のアルベルト・フジモリに恩赦を与えたため、ケンジ・フジモリは父の恩赦を得るための裏取引に応じて造反したという疑惑が生じ、反フジモリ派を中心とする有権者から猛抗議を受けた。その後、オデブレヒトの元ペルー代表がクチンスキに賄賂を渡したと証言したことから、2018年3月15日に二度目の弾劾裁判が開始された。弾劾採決2日前の3月20日、人民勢力党の議員(Moisés Mamani)が一度目の弾劾時にケンジ・フジモリおよびクチンスキの弁護士から造反を持ち掛けられたと証言し、隠しビデオを報道陣に公開したため、クチンスキは弾劾採決前日の3月21日に辞任した。その後、第一副大統領のビスカラが大統領に昇格した(磯田 2018: 30-32)。

(2) ビスカラの弾劾成立

ビスカラ政権時代も人民勢力党との対立が続いたが、人民勢力党の勢力はクチンスキ政権時代よりも弱まっていた。その要因は、党首のケイコ・フジモリがオデブレヒトから賄賂を受領した容疑およびマネーロンダリング容疑により逮捕されたこと、それにより人民勢力党を離れる国会議員が増えたことである。ビスカラは、ケイコ・フジモリに対する批判を利用し、国会との対決姿勢を有権者に提示することで、政権発足時には高い支持率を獲得した。しかし、2018年7月に国家司法委員会(Consejo Nacional de la Magistratura)委員による汚職疑惑が次々に浮上したため、支持率が下がり始めた。その対策として、ビスカラは憲法を改正する必要があると主張し、国家司法委員会の組織改編、政党への政治献金情報の公開、国会議員の連続再選の禁止、一院制から二院制への変更を含む憲法改正案を国会に提出した。ビスカラは憲法の規定を利用して、憲法改正案の審議が滞った場合は国会解散も辞さないという強硬姿勢を示し、同年12月9日に実施された国民投票で過半数以上の賛成によって憲法を改正した4

2019年には総選挙の前倒しを提起して国会と対決し、同年9月30日に憲法の規定を解釈することで国会解散を正当化した。憲法の規定では、内閣に対して国会が2回不信任を決議すると、大統領は国会を解散して臨時選挙を実施できる。この規定を解釈し、ビスカラは信任決議が審議される前に国会を解散し、大多数の有権者は大統領の決定を熱狂的に歓迎した(磯田 2020:88-89)。その背景には、フジモリ派が過半数を占める国会がビスカラの改革を邪魔しているという国会への不満が存在したのである。2020年1月26日に実施された臨時国会議員選挙では、人民勢力党が2016年の国会発足時の73議席(56%)から15議席(12%)へと大幅に減らし、第一党から第三党になった(表1)。これは、クチンスキ・ビスカラ両政権との対決戦略が有権者に受け入れられなかった結果であった。人民勢力党の議席が減ったため、政府と国会の対立関係は緩和されることが予想された。

しかし、政府と国会の対立は、臨時国会が召集された後もくすぶり続けた。2020年9月18日に、国会は汚職疑惑を理由にビスカラに対する弾劾裁判を実施したが、パンデミック下での政権交代は望ましくないという理由から、賛成32票、反対78票、棄権15票により否決された。同年11月9日に別の汚職疑惑を理由とする二度目の弾劾裁判が実施された際には、ビスカラが弾劾採決前に国会議員の汚職を厳しく追及したことで議員たちが反発し、賛成105票、反対19票、棄権4票により弾劾が成立した。弾劾成立直後から、パンデミック下の政権交代は望ましくないという有権者による抗議活動は激化し、警察との衝突により2名の死者を含む多数の死傷者を出した。このため、ビスカラ弾劾にともない国会議長から大統領に昇格していたメリノ(Manuel Merino)は、「クーデター首謀者(Golpista)」「人殺し(Merino Asesino)」という強い批判を浴び、副議長や大臣が次々に辞意を表明したため、メリノ自身も就任5日後に辞任を余儀なくされた。

メリノの辞任にともない、大統領、副大統領、国会議長ともに不在となったため、国会において議長を選出する投票が行われた。ビスカラ弾劾への抗議活動が強かったことから、国会は弾劾に反対した議員のなかから立候補を募り、2021年大統領選挙で紫党(Partido Morado)から第二副大統領候補として出馬を予定していたサガスティ(Francisco Sagasti)が選出された5。また、メリノに抗議した「独立200周年世代(Generación del Bicentenario)」と自称する若年層のグループは、フジモリ政権が制定した1993年憲法の刷新をサガスティ政権に求めているものの、サガスティ政権はパンデミック対策を優先している。その結果、抗議活動に参加した人々は次期政権に新憲法制定を望み、多くの大統領候補者は憲法の改正や新憲法制定を公約に掲げた。

3. 2021年総選挙:一次投票

(1) 主要候補者の公約

今回の選挙では、有力な大統領候補者が選挙戦終盤で失速する一方で、それに代わる候補者が出現せず、18人が乱立する大統領候補のあいだで票の奪い合いとなった。選挙戦序盤までは、右派でも左派でもない中道候補者として、国民の勝利(Victoria Nacional)のフォーサイス(George Forsyth)が投票意思調査で首位を独走した。フォーサイスは、元ペルー代表ゴールキーパーであるという自身の知名度に加えて、政治家の汚職批判を繰り返すことで有権者からの支持を得て、立候補を表明する前から有力な候補者となったため、党員登録を経て立候補を表明した。しかし、汚職批判の一本調子により選挙戦終盤で失速した(図3)。

(出所)Ipsos Apoyo (2021a; 2021b)にもとづき筆者作成。

左派系の候補者は、一次投票で1位となった自由ペルー党のカスティジョ、人民行動党(Acción Popular)のレスカノ(Yonhy Lescano)、ペルーのために共に(Juntos por el Perú)のメンドーサ(Verónika Mendoza)などであった。彼らは、憲法改正あるいは新憲法の制定、天然資源のロイヤルティー見直しあるいは国有化を公約に掲げた。また、メンドーサは有力な候補者のなかで唯一、人工中絶および同性婚の合法化を公約に盛り込んでいた。

右派の候補者は、2位通過を果たした人民勢力党のケイコ・フジモリ、前進する国家(Avanza País)のデ・ソト(Hernando de Soto)、人民革新(Renovación Popular)のロペス・アリアガ(Rafael López Aliaga)等が立候補した。彼らは憲法、経済政策ともに現状維持を公約に掲げた(表26。デ・ソトは国内外で非常に知名度の高い経済学者であったものの、いずれの政党にも属していなかったため立候補資格がなく、党員登録をしなければならなかった。

(出所)筆者作成。

フォーサイスが失速した後の2021年2月上旬には、国会議員を長く務めた政治経験を武器にレスカノが本命候補者に浮上した。しかし、人民行動党内部の派閥争いや、ビスカラ弾劾を主導したメリノの所属政党という負のイメージを払拭できず、3月下旬から支持率を落とした。その後は、当選圏内に6名が並ぶ大混戦となり、4月11日の投票日を迎えた。選挙直前まで投票先を決めかねる有権者が多く、一次投票の棄権率は30.0%、白票は12.0%、無効票は15.3%をそれぞれ記録した。

国会議員選挙では、大統領を弾劾された後に国会議員選挙への立候補を表明したビスカラが、我々はペルーである(Somos Perú)から招待されて目玉候補となり、同党の大統領候補を後押しするかにみえた。しかし、2021年2月に大統領在職中に新型コロナウィルスのワクチン接種を終えていたことが発覚し、同党の大統領候補への支持には繋がらなかった7。この事件は、ビスカラのほかにも多くの大臣や官僚が秘密裏にワクチンを接種していたことが次々と発覚し、「ワクチンゲート(Vacunagate)」と呼ばれる大スキャンダルへと発展した。この大スキャンダルは、歴代大統領や有力な政治家がオデブレヒトから賄賂を受領していたスキャンダルと重なり、有権者に強い政治不信を植え付けることとなった。こうした政治不信は、政治経験をもたず、地方で小学校教師を務めるカスティジョは汚職と無関係であるというイメージ形成で有利に働いた。

2001年以降の選挙戦の特徴として、「候補者なき政党、政党なき候補者」と分析されるように、多くの政党は人気のある著名人を招待し、立候補させている(Taylor 2007; Levitsky 2018)。今回の選挙戦においても、カスティジョのほか、フォーサイスおよびデ・ソトは、政党から招待されて党員登録を行った候補者であった。このため、特定の政党内部で政治経験を積むことなく、突然政治の場に現れた個人が有権者の支持を得て、候補者になる事象が起こりやすい。

ペルーでは、1980年代後半に政党システムが崩壊した後、政党システムは再構築されなかった(Dietz and Myers 2007; Tanaka and Vera 2010; Vera and Carreras 2019など)。政党システムを構築する代わりに、当選見込みの高い著名人が選挙前に個人政党を結党したり、すでに政党登録を終えている政党の名前を借りて立候補する場合が多い。こうした候補者は、当選後に公約を変更したり、立候補のため選挙同盟を結んだ場合は同盟関係が長続きしないという特徴をもっている。また、そうした大統領が国会で少数派となった場合は難しい国会運営を強いられることとなる(磯田 2018: 30)。その打開策として、フジモリ政権以降の大統領は経済政策を継続することで財界からの支持を得て政権を維持してきた(Vera and Carreras 2019: 173-1768。他方、フジモリ政権終焉後は民主主義を維持するという合意を保ってきたため、2001年以降は「政党なき民主主義(Democracia sin Partidos)」が始まったと分析されている(Tanaka 2005: 28-42)。

(2) 選挙結果概要:決選投票へ進んだ候補者の略歴

上位6名の大混戦を抜け出したのは、投票日直前に支持率を急増させたカスティジョと、投票意思調査で一定の支持を集めてきたフジモリであった(図3)。両者とも得票率が20%以下で決選投票に進んだことは、1980年の民政移管後の大統領選挙で初めてであった。18.9%の得票率で1位通過を果たしたカスティジョは、2017年の教員ストライキで注目を浴びた教員であり、北部カハマルカ出身で一般犯罪の取り締まりなどを担う自警団(ロンダ)のリーダーのひとりである9。2002年から2017年は中道右派の可能なペルー党に所属していたものの、過去に国政や地方選挙で当選した経験を有していない。カスティジョを擁立した自由ペルー党は、2019年に党首のセロンが汚職容疑で実刑判決を受けたため立候補できず、そのほかの候補者を擁立する必要があった。このため、自由ペルー党から招待されたカスティジョは党員登録を経て、同党の候補者として立候補した。

カスティジョは1993年憲法に代わる新憲法の制定や国家の役割の拡大を公約に掲げ、投票数日前から急速に支持率をあげた候補者である。とくに歴代政権の経済政策に関して、1990年代から続いてきた新自由主義経済政策が貧富の格差を是正しなかったと強く批判することで、経済政策の変更を望む有権者からの支持を得た。また、投票直前には、中道左派のメンドーサをエリート左派と批判することで自身と差別化を図り、中絶の合法化や同性婚が認められれば家族が破壊されるというメッセージを出すことで、保守系の左派の票を固めた。最終的には、出身地のカハマルカ、党首が州知事を務めていたフニンのほか、アンデス中央部および南部で最多の得票率となり、1位通過となった10。カスティジョが勝利を収めた地域は、いずれも経済発展の恩恵をあまり受けられなかった場所であった。また、この現象は1990年にアルベルト・フジモリが当選した「ツナミ現象」と重なると分析されている(遅野井 2021: 2)。

13.4%の得票率で決選投票に進んだケイコ・フジモリは、2011年、2016年大統領選挙における決選投票で連続して敗れた元国会議員である。1990年から2000年まで政権を担ったアルベルト・フジモリの長女であり、アルベルト・フジモリの支持層を基盤としながら2010年に人民勢力党を結党し、総選挙に立候補してきた。2011年選挙の敗北後は、ペルー各地における有力者と連携し、父であるアルベルト・フジモリとの違いをアピールすることで2016年4月の一次選挙を首位で通過し、決選投票では僅差で敗れた。大統領選挙では敗れたものの、人民勢力党は国会議員選挙では大勝し、過半数を超える議席を獲得した(表1)。しかし、前述したように、クチンスキおよびビスカラ両政権と対決するという戦略が多くの有権者から批判され、フジモリ陣営に対する反発が強くなった。このため、2021年大統領選挙の際には、2016年大統領選挙とは異なり、当選後は父に恩赦を与えると言及した。ケイコ・フジモリは、2016年大統領選挙時には父と距離をおく姿勢を提示し、2017年12月のクチンスキ弾劾裁判時に弟ケンジ・フジモリと仲たがいしたことでフジモリ派の団結に綻びがみえていたため、再度団結させる戦略に変更したのである。最終的には、国内のフジモリ派の票をまとめ、2位通過を果たした11。フジモリが勝利を収めた地域は、おもに輸出経済で恩恵を受けた海岸部であった。

4. 2021年決選投票

(1) 選挙戦:カスティジョ有利から互角の争いへ

一次投票直後はカスティジョが有利だったものの、ケイコ・フジモリは、リマで最も得票率が高かったデ・ソトと、国外からの得票率が最も高かったロペス・アリアガの支持を取り付けた。また北部ラ・リベルタに拠点をもつアクーニャ(César Acuña)からも支持を得て、徐々にカスティジョとの差を縮めていった(図4)。さらに、カスティジョ陣営が公開討論に消極的であったこと、政策チームをなかなか発表しなかったこと、自由ペルー党の党首が汚職による実刑判決を受けていたこと、カスティジョ自身がセンデロ・ルミノソと関係していた疑惑などを批判し、攻勢を強めた12。その一方で、2016年以降の政権との対決姿勢を謝罪し、人民勢力党が主導して不信任決議を突き付けた教育大臣や首相に対して公式に謝罪することで、自身に対する批判を和らげようとした。これに加えて、選挙戦終盤には、天然資源収入の地域住民への還元率を上げることを公約に掲げ、地方票の獲得を試みた。ただ、アルベルト・フジモリ政権については擁護し、フジモリ派からの票を取りこぼさないよう努めた。また、長年にわたって反フジモリの急先鋒であったバルガス・ジョサが、カスティジョを共産主義者と批判し、共産主義政権の誕生を阻止するためケイコ・フジモリへの投票を呼び掛けた。

(出所)Ipsos Apoyo (2021c)にもとづき筆者作成。

他方、カスティジョは党首のセロンと距離をおき、一次投票前には批判していたメンドーサと共闘することで、「ペルーのために共に」の政策チームの協力を得て、穏健化のイメージ形成に努めた。ただ、新自由主義経済の恩恵を受けなかったと感じてきた有権者にとって、経済政策の転換は魅力的であったため、国家の役割を強化するという姿勢は崩さなかった。その一方で、メディアからセンデロ・ルミノソとのつながりを追及されたため、メディア関係者からのインタビューを避け、各地で政治集会を開きながらSNSを駆使して自身への投票を呼び掛けた13。ただ、明確な公約をアピールできなかったこと、センデロ・ルミノソとの関係や急進的なイメージを払拭できなかったこと、自由ペルー党から当選した議員が「政権に辿り着いたら権力を手放さない」14と発言した録音テープが公表されたことなどが影響し、互角の状態で決選投票日を迎えた。

公開討論会で挨拶するケイコ・フジモリ候補(左)とペドロ・カスティジョ候補(2021年5月30日、ペルー・アレキパ市、代表撮影/ロイター/アフロ)。

(2) 選挙結果概要

決選投票の結果は、カスティジョが50.1%、ケイコ・フジモリが49.9%となり、約4.5万票の差でカスティジョが勝利を収めた(表1)。カスティジョはアンデス中央部および南部を中心とする地方で過半数以上の票を、ケイコ・フジモリは大票田のリマ、北部ラ・リベルタなどの海岸部、在外において過半数以上の票をそれぞれ獲得した15。また、棄権率は25.4%、白票率は0.6%、無効票率は5.9%を記録し、いずれも一次投票より割合を下げた。

投票直後に公表されたクイック・カウントでは、カスティジョの得票率が50.2%と公表されたものの、ケイコ・フジモリが優勢であった選挙区から開票作業が進められたため、最初の公式発表ではケイコ・フジモリが優勢と伝えられた。このため、選挙不正を阻止する目的でカスティジョ支持者が選挙管理委員会(Oficina Nacional de Procesos Electorales:ONPE)前に詰めかけ、バリケードを築いた警官隊と睨みあいとなった。その後、カスティジョ支持者が多い選挙区の開票作業が進むにつれ両者の差が縮み、カスティジョが逆転した。するとフジモリ派が選挙不正の疑いを主張し、人民勢力党は異議申し立てを行った。開票作業が終わった後も、フジモリ支持者は選挙不正に対する抗議活動を続け、ケイコ・フジモリ本人もその活動に参加している。他方、カスティジョ支持者も街頭で集会を開き、両者の対立が続いている。しかし、当選したカスティジョは、選挙戦が終わったため街頭での活動には参加しないことを表明している。

6月22日に公表された世論調査によれば、カスティジョに投票したおもな理由は、変化をもたらす候補者であったからであり、ケイコ・フジモリに投票したおもな理由は、左派政権の誕生を阻止するためだったことが明らかとなった16。その結果から、経済政策の変更を望む有権者と左派的改革を望まない有権者という分断が起きていることが伺える。

おわりに

7月14日時点で、決選投票の公式結果の発表を待つあいだ、フジモリ陣営は選挙不正を主張し、フジモリ支持者も選挙不正の是正を求めて抗議活動を展開している。他方、カスティジョ支持者も街頭に集結し、選挙結果の尊重を呼びかけており、両陣営は街頭で激しく衝突している。また、退役軍人たちは現役の司令官宛ての文書で、全国選挙裁判所(Jurado Nacional de Elecciones: JNE)が選挙不正を適切に審議せず、不正により非合法かつ正統性のない勝者を公表する場合、軍部は憲法を守るためその勝者を大統領として受け入れることはできないという立場を表明した。そのご、サガスティ大統領が記者会見で民主主義の擁護を訴える事態へと発展した。さらに、全国選挙裁判所の判事のひとりが選挙不正に加担できないと主張して辞意を表明し、その後職務を停止された。そのうえ、前述したモンテシノスが、服役中の刑務所から知人に電話で全国選挙裁判所の判事の買収を指示した盗聴テープを2000年同様オリベラが公開したため、有権者の政治不信を深めた17

7月14日の段階ではフジモリ陣営の主張が認められる可能性は低く、7月28日にカスティジョが大統領に就任する予定である。しかし、前述したように、カスティジョはセロンの代わりに立候補した政治家であり、所属政党を統制できるか不明である。また、自由ペルー党の議員は急進的な左派政治家が多いため、決選投票前に同盟を組んだ中道左派に歩み寄れば、所属政党の議員たちの離反を招きかねない。さらに、決選投票結果が僅差であり、かつ白票率、無効票率、棄権率ともに高く、カスティジョが掲げる経済政策の転換に反対する有権者は半数以上存在しているため、選挙を通じて可視化された国内の対立を和解させることは極めて困難である。

決選投票の集計が終わった後、カスティジョは中央銀行総裁の留任について言及し、急進的な改革を警戒する資本逃避や通貨安への対処を図っている。今後、カスティジョは新憲法制定にむけ、10政党が議席を有する国会や分断された有権者とのあいだで難しいかじ取りを強いられるであろう。

(2021年7月14日脱稿)

本文の注
1  1993年から2000年は大統領の連続再選が1期にかぎり認められていた。また、2018年12月の憲法改正以降、国会議員に対する連続再選禁止規定が設けられ、2019年の国会閉鎖に伴う国会議員選挙ではこの規定が適用されず、今回が初めて適用される選挙となった。

2  ふたつ以上の政党が選挙連合を組んだ場合は、5%ではなく、同盟を組む政党数に応じて求められる得票率が1%ずつ加算される。また、5%以上獲得する、もしくは、ふたつ以上の選挙区において7名以上当選しなければ政党登録を失う( https://www.gob.pe/8172-jurado-nacional-de-elecciones-conoce-como-funciona-el-voto-congresal )。

3  地方自治体は配分された予算を効率的にインフラ整備へ利用できていない(遅野井 2021: 6)。

4  ビスカラは、国会が二院制の定員を修正したため、国民に対して二院制への移行に反対するよう呼びかけ、国民投票でも二院制への移行のみが否決された。

5  暫定大統領に就任した結果、サガスティは第二副大統領への立候補を辞退したため、紫党は第二副大統領候補者不在のまま選挙戦に臨んだ。

6  ケイコ・フジモリは、首相や大臣への不信任決議を規定する憲法の条文を一部修正することを提案したほかは、1993年憲法の踏襲を公約に掲げた。

7  ビスカラは国会議員選挙で当選ラインをはるかに超える得票を獲得したものの、選挙後に国会はビスカラの公職資格を10年間剥奪すると決定した。

8  しかし、オデブレヒトの汚職問題が発覚すると、財界は著しく影響力を落とした。

9  ロンダ(Ronda)とは、1970年代にカスティジョの出身地であるカハマルカで始まった、住民による自警団を指す。おもに家庭内における揉め事の調停や一般犯罪の取り締まりを担ってきたが、1980年代以降はセンデロ・ルミノソなどの武装勢力の襲撃から村を守るようになった( https://rpp.pe/peru/actualidad/las-rondas-campesinas-una-mirada-a-su-historia-y-al-rol-que-tienen-en-la-justicia-comunal-noticia-1334634?ref=rpp )。

10  カスティジョは、アマソナス、アンカッシュ、アプリマック、アレキパ、アヤクチョ、カハマルカ、クスコ、ウアンカベリカ、ワヌコ、フニン、マドレ・デ・ディオス、モケグア、パスコ、プノ、サン・マルティン、タクナにおいて最多の票を獲得した( https://resultadoshistorico.onpe.gob.pe/EG2021/EleccionesPresidenciales/RePres/T )。

11  ケイコ・フジモリは、カジャオ、イカ、ランバイケ、ロレト、ピウラ、トゥンベス、ウカヤリにおいて最多の票を獲得した(同上)。

12  ケイコ・フジモリは、カスティジョは共産主義者であり、大統領に就任すればベネズエラのように経済が破綻すると主張し、自身への投票を呼び掛けた。

13  ペルーでは新聞やラジオの影響力が低下し、それに代わってSNSから情報を得る人々が若年層を中心に増加している(村上 2020: 62)。

14  リマ選挙区から当選したベルメホ(Guillermo Bermejo)が、「ペルーで革命を起こすため、権力の座に辿り着いたらそれを手放さない」と発言している録音テープが公開された( https://elcomercio.pe/elecciones-2021/quien-es-guillermo-bermejo-el-virtual-congresista-de-peru-libre-que-habla-de-no-dejar-el-poder-pedro-castillo-vladimir-cerron-peru-libre-dircote-elecciones-2021-noticia/ )。フジモリ陣営は、カスティジョが任期を終えた後も政権にとどまるのではないかと主張した。

15  カスティジョは一次投票同様、アマソナス、アンカッシュ、アプリマック、アレキパ、アヤクチョ、カハマルカ、クスコ、ウアンカベリカ、ワヌコ、フニン、マドレ・デ・ディオス、モケグア、パスコ、プノ、サン・マルティン、タクナにおいて過半数以上の票を獲得した。他方、ケイコ・フジモリは一次投票同様、カジャオ、イカ、ランバイケ、ロレト、ピウラ、トゥンベス、ウカヤリのほか、リマ、ラ・リベルタ、国外の選挙区においても過半数以上の票を獲得した( https://www.resultadossep.eleccionesgenerales2021.pe/SEP2021/ )。

参考文献
 
© 2021 日本貿易振興機構アジア経済研究所
feedback
Top