ラテンアメリカ・レポート
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論稿
ブラジルの性的マイノリティをめぐる権利保障
近田 亮平
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2022 年 38 巻 2 号 p. 73-85

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要約

社会的マイノリティのなかでもLGBTと総称される性的マイノリティに関しては、社会において差別や偏見がより強く脆弱な存在でもあり、国や地域により状況は異なるが、権利の保障は遅れるとともに現在でも不十分である。ブラジルでは1985年の民政移管後、民主主義の定着とともに、社会的マイノリティを擁護する左派の政策や政治勢力が支持されたことにより、多様性を尊重する方向で社会が変化した。本稿はこのようなブラジルにおいて、性的マイノリティの権利を保障すべくどのような制度が整備され、どのようなアクターが行為し、それらがどのように相互作用してきたかを明らかにしようとするものである。先行研究とブラジル地理統計院のデータ、および、筆者が現地で行ったインタビュー調査をもとに、日本よりも先進的なブラジルの性的マイノリティの権利保障の変遷や課題について論じる。そして、多文化主義が民主化後の新憲法で唱導されたブラジルで、セクシャリティをめぐり多様性と排他性が衝突し合っている現状を指摘する。

はじめに

ブラジルは「多様性の国」と形容されることが多く、その多様性には人種や民族だけでなくLGBTと総称される性的マイノリティ1も含まれる。実際に近年のブラジルでは、参加人数が世界最大規模のLGBTパレードが開催されたり(写真1)、同性婚が最高裁で認められたりするなど、性的マイノリティをめぐる先進的な動きがみられる。一方、2017年から2年間ブラジルのサンパウロに滞在した筆者は、性的マイノリティの人々に対する差別や犯罪のニュースを見聞きすることが少なくなかった。そしてこのような実体験から、多様性の国ブラジルにおいて性的マイノリティをめぐる状況や変遷はどのようなものなのだろうか、という問いを抱くようになった。

写真1 参加人数が約300万人に上り世界最多だとギネス世界記録になったサンパウロ市のLGBTパレード(2018年 筆者撮影)。

社会的マイノリティのなかでも性的マイノリティに関しては、社会において差別や偏見がより強く脆弱な存在でもあり、国や地域により状況は異なるが、権利の保障は遅れるとともに現在でも不十分である。ブラジルでは1985年の民政移管後、民主主義の定着とともに、社会的マイノリティを擁護する左派の政策や政治勢力が支持されるようになった。このことにより、ブラジルの特徴として多く言及される多様性を尊重する方向で社会が変化した。本稿はこのようなブラジルにおいて、性的マイノリティの権利を保障すべくどのような制度が整備され、どのようなアクターが行為し、それらがどのように相互作用してきたかを明らかにしようとするものである。

本稿では、はじめに民主化と左派勢力が伸長したブラジルの社会、および、性的マイノリティの権利保障をめぐる変化を概観する。つぎに、性的マイノリティの権利保障に関する制度について、先行研究とブラジル地理統計院(Instituto Brasileiro de Geografia e Estatistica:IBGE)のデータをもとに地方自治体での整備状況を明らかにする。そして、ブラジリア大学の多様性部局(Diretoria da Diversidade-UnB:DIV)LGBT部(Coordenação LGBT)、および、性的マイノリティの当事者であるブラジリア連邦直轄区立法議院2の議員へのインタビュー調査から、アクターの行為や制度との相互作用について論じる。最後に、多文化主義が民主化後の新憲法で唱導されたブラジルで、セクシャリティをめぐり多様性と排他性が衝突し合っている現状や課題を指摘する3

1. ブラジルの社会と性的マイノリティをめぐる変化

(1) 民政移管後のブラジル社会の変化

ブラジルは1985年に軍政から民政へ移管した後、政治において民主主義が定着していき、1990年代には経済の自由化の促進と安定化が実現した。21世紀に入ると左派の労働者党(Partido dos Trabalhadores:PT)政権のもと、好調な経済や大規模な社会政策の実施などにより社会の格差是正が進んだ。つまり、民政移管後のブラジルは政治経済社会的におおむね発展的な変化を遂げた。しかし2010年代、13年以上に及んだ労働者党政権下での一大汚職の発覚や長期の景気低迷により、大規模な抗議デモが頻発するなど国内は混乱し、弾劾裁判で大統領が罷免され労働者党は下野することとなった。その後、新自由主義的な経済改革や右派政権の誕生により、ブラジル社会は保守回帰の傾向を強め2020年代を迎えた。

また、上述したブラジルの発展期の特徴として、左派的な政党が性的マイノリティを含む社会的マイノリティを擁護する政策を推進し、民主主義が定着するなかで、そのような政治勢力が国民に選挙で選ばれたことが挙げられる(Mato 2019)。この特徴を象徴するのが、軍政下で民主化要求運動を主導した人々により結成された労働者党であり、ブラジルが発展的な変化を遂げるなか、労働者党は地方自治体を足掛かりに選挙でより多くの当選者や国民からの支持を獲得していった。中央政府に関しても、左派の知識人で軍政期に国外へ政治亡命を余儀なくされたカルドーゾ(Fernando Henrique Cardoso)の中道左派的な政権が、再選を果たし8年間続いた。そして、2002年の大統領選では労働者党が勝利し、2003年から国政を担うこととなった(近田 2008; 2020)。ただし、多様性を重視する左派の労働者党政権は2016年前半まで続いたが、前述したように、政権末期の混乱により労働者党は勢力を後退させ(図1)、ブラジル社会は転機を迎えることとなった。

(注)直近である2020年の選挙定数は、市議会議員(左軸)が58112人、市長(右軸)が5568人。

(出所)選挙高等裁判所(Tribunal Superior Eleitoral)や労働者党などのインターネットのデータをもとに筆者作成。

民政移管後のブラジルでは、新たに制定した憲法で「いかなる形態の差別なしに、すべての者の福祉を促進すること」や「多文化主義」が唱導された(近田 2012)。そして、21年間にわたる独裁的な軍政期の反動もあり、民政移管から21世紀初頭まで、社会的マイノリティや多様性に関して好意的な世論が形成されるとともに、それを推進する左派的な政策や政治勢力が国政や地方レベルで国民から支持されていったといえよう。

(2) 性的マイノリティの権利保障をめぐる進歩的変化

近年のブラジルでは、性的マイノリティの権利保障に関して進歩的な変化が多くみられた。これらの変化は、LGBT運動と称される市民社会側からの行為や、それに対応するかたちでの司法や医学界の判断、政府の制度整備や施策により実現されてきた。具体的には、エイズHIVが蔓延し性的マイノリティへの偏見や差別が激化した1980年代、ブラジルの連邦医学審議会が同性愛を病気の対象から除外する決定を下した。LGBT運動初の全国組織が結成され、LGBTパレードが主要都市で開催されるようになった1990年代、1996年に政府は抗エイズHIVのジェネリック薬の国内生産と無料配布を開始し、1998年には連邦高裁が同性カップルを「事実上の配偶者」(「sociedade de fato」)4として認めると判断した。

21世紀になると、労働者党政権が誕生した2003年に「LGBT市民権のための議員団」(Frente Parlamentar pela Cidadania LGBT)が連邦議会内で結成され、政府は2004年に「同性愛嫌悪のないブラジル・プログラム」(Programa Brasil sem Homofobia)、2008年に「LGBT人権・市民権促進国家計画I」(I Plano Nacional de Promoção a Cidadania e Direitos Humanos LGBT)などの政策を実施した。そして、2011年に連邦最高裁が同性カップルを法的に承認した後ブラジルで同性婚が実現し、2018年には自認する性別にもとづく名前(nome social)の公的な使用が可能となった(Vergili, Brasil, and Capella 2015; マシャド 2018; 畑 2021)。

ブラジルの性的マイノリティの権利保障をめぐる進歩的変化は、同性婚などが欧米を中心に認められるなど世界の動向と関連しながら実現した。それに加えMato(2019)が指摘するように、多様性の尊重や市民参加型の行政スタイルの普及を推進した左派の労働者党が、国民からの支持を増加させ長期にわたり国政を担った影響が、ブラジルの場合は大きかったといえよう。

ただし2019年、性的マイノリティに批判的な右派で保守のボルソナロ(Jair Bolsonaro)政権が誕生した。同政権下において、2010年に労働者党政権が設立したLGBT国家審議会(Conselho Nacional de Combate a Discriminação e Promoção dos Direitos de LGBT)が廃止されるなど、性的マイノリティをめぐる状況は転機を迎えることとなった。

2. 性的マイノリティの権利保障のための制度整備

本項では性的マイノリティの権利を保障すべく、どのような制度が整備されてきたのかを論じる。その際、Vergili, Brasil, and Capella(2015)が「LGBTをめぐる市民権の三脚」(tripé da cidadania LGBT)として、参加型審議会(conselho participativo)、行政担当部署(órgão no poder executivo)、行動計画(plano de ação)が重要だと指摘している点に注目する。そして、性的マイノリティの権利保障を促進するとされる、これら3つの制度や施策が地方自治体でどれくらい整備されてきたかを、IBGEの「ムニシピオ5基礎情報調査」(Pesquisa de Informações Básicas Municipais:MUNIC)のデータから明らかにする。MUNICは、2020年7月時点で5570ある全ムニシピオの行政の機関やサービスを調査したものである。調査項目は年ごとで異なるが、労働者党政権下の2009年に性的マイノリティを含む「人権」が初めて設けられた。ただし「人権」は、2015~18年まで調査項目から外され、2019年に再び加えられた。そのため、本稿では変遷の様子を捉えるべく2009年、2014年、2019年の3つの年のデータを提示する。

(1) 参加型審議会

参加型審議会6は、前述した労働者党が推進した市民参加型の行政スタイルのひとつで、政府や市民社会の代表が政策立案や予算配分などを行う制度である。このような行政スタイルは、公共の場への市民の参加と議論を通じて、間接民主主義では実現が困難な利益を政治に反映させようとするものである。「審議会」は連邦、州、ムニシピオの各行政レベルで存在するが、実践における市民の参加の仕方や政策を決める議論の方法などの制度的特色から、最小行政区画であり市民にとってアクセスしやすいムニシピオの審議会が、より参加型である可能性が高い(Avritzer 2009)。また、性的マイノリティは数的に少数であるため選挙では自身の利益を政治に反映させることが困難だが、審議会がより参加型であれば、そこへの参加や議論を通じて自身の利益実現の可能性を高めることができると考えられる。

ムニシピオの審議会に関するMUNICでは、年ごとで設問項目が異なるが、特定の分野に関する審議会の有無、創設年、政府と市民社会の代表の割合が同じ(paritário)か否か、審議会の権限の形態、過去1年の開催回数などのデータが収集されている。LGBT審議会は、2009年に全国で4つ(全ムニシピオ中の0.1%)のみだったが、2014年に21(同5.3%)、2019年に49(同2.3%)と増加した。LGBT審議会は他の分野に比べ少ないが、増加率が高いことに加え、性的マイノリティは人口全体に占める割合が児童・青少年や高齢者より低いことを考えると7、性的マイノリティの権利保障の取り組みは近年より積極的に進められているといえよう(表1)。

また、審議会がより参加型であるか否かに関しては、構成員の割合および権限の形態のデータがある。構成員の割合は2019年の49のLGBT審議会すべてが、政府と市民社会の代表が同じ割合であった。また審議会の権限の形態について、MUNICでは強い方から「決議的」(deliberativo)、「規定的」(normativo)、「監査的」(fiscalizador)、「助言的」(consultivo)という4つに分類している。これらに分類された権限をひとつの審議会が複数有している場合もあり、2019年の49のLGBT審議会については、「決議的」が41、「規定的」が38、「監査的」が17、「助言的」が23だった。つまり、LGBT審議会は数的には少ないが、より参加型であり権限の強いものが多いといえる。

(出所)IBGEのMUNICをもとに筆者作成。

(2) 行政担当部署と行動計画

MUNICでは行政担当部署と行動計画について8、それぞれ存在の有無を調査している。LGBTの行政担当部署は2009年に全国で130(全ムニシピオ中の2.3%)、2014年に431(同7.7%)、2019年に822(同14.8%)と増加した。LGBTの行政担当部署は他の分野に比べ少ない方だが、増加率は相対的に高い(表2)。行動計画について、「LGBT」は異なる調査年でも同定が可能だが、他の分野は年により名称が異なり比較ができない。そのため、LGBTに関する行動計画のみとなるが、2009年に全国で126(全ムニシピオ中の2.3%)、2014年に346(同6.2%)、2019年に633(同11.4%)と増加した。

MUNICのデータからLGBTの行政担当部署と行動計画は審議会と同様、数的には少ないが、増加率や性的マイノリティの全人口に占める割合を考慮すると、近年より積極的に整備が進められている制度であることがわかる。

(出所)IBGEのMUNICをもとに筆者作成。

3. アクターの行為や制度とのかかわり

本項では、性的マイノリティの権利保障に関してどのようなアクターが行為し、前項で整備状況を明らかにした制度に対して、どのようにかかわっているかを論じる。ブラジリア大学の多様性部局LGBT部、および、性的マイノリティの当事者であるブラジリア立法議院の議員を事例として、筆者によるインタビュー調査における証言をもとにアクターの分析を行う。

(1) ブラジリア大学の多様性部局LGBT部

公立であるブラジリア大学の多様性部局LGBT部は2013年に創設された。少なくとも筆者が調査で訪問した2019年8月時点において国内で唯一、大学の正規の組織(diretoria)として性的マイノリティをめぐる権利保障や問題の改善に取り組んでいるパイオニア的存在である。LGBT部では、性的マイノリティである学生や職員のさまざまな相談や問題への対応に当たっている。多様性部局はLGBTのほか、女性、黒人、先住民の部(coordenação)があり、黒人部は大学入試のクオータ(人種割当て)制度が導入された2004年に創設された。

筆者がLGBT部の責任者A氏に行ったインタビュー調査9から、性的マイノリティの権利保障と関連するいくつかの証言を以下に提示する。

私たちはブラジリア大学の学生や職員をLGBT部で応対しますが、状況によって私たちは別の行政サービスである特殊社会扶助センター(Centro de Referência Especializado de Assistência Social:CREAS)や社会扶助センター(Centro de Referência da Assistência Social:CRAS)、または警察なども利用しています。

CREASは特殊な社会扶助事業に特化し、CRASは基礎的な事業を担当する公的機関で、労働者党政権下で2005年以降に全国の地方自治体レベルで設置が進められてきた(近田 2020)。多様性部局LGBT部の職員は基本的に学内で活動を行っているが、政府が整備してきた制度も活用していることがわかる。

ブラジリア大学は模範的で均質化された白人エリートの大学だったのです。多様性の論争は、大学にクオータ制ができてから始まっています。障害者、先住民、黒人、そういう人が入ってきてからです。大学は別の顔をもつようになりました。・・・以前は多様性について誰も議論していませんでしたが、とても変化してきたと思います。私は大学に20年いますが、大学の人たちに関しても、また人々の振舞いに関しても、すごくよくなってきたと思います。

大学に長年勤務するA氏の発言から、ブラジルで多様性が尊重されるようになり、社会的マイノリティのひとつとして性的マイノリティの権利保障がめざされるようになった経緯を理解できる。このことは、多様性部局の創設は2013年だが、黒人部の設置は2004年だった点にも見て取れる。

私は10代の時から闘争的な活動家で、学生運動や軍政下の民主化要求運動(「Dretas Já」)に参加しました。私は男にも女にも分類されないノンバイナリーの子の母親であり、多様性とLGBTの人たちの権利のために闘う活動家です。

A氏は軍政下で民主化要求運動に参加し、現在でもLGBT部の責任者として社会的マイノリティや多様性の推進に中心的な役割を果たしている。A氏の経歴は、性的マイノリティのような社会的な弱者の権利保障において、活動家の存在が重要であることを言い表していよう。

ボルソナロが大統領に就任した後、最初に取った方策は、人権、人種問題、LGBT、女性、環境などに関するさまざまな審議会を廃止することでした。・・・今、審議会はどれも動いていません。私たちは、相違や多様性を認めるスローガンの下で前に進もうとしていました。ところが急に、私たちや私たちの取り組みに関して、真逆となる状況を目の当たりにすることとなりました。私たちの多様性に関する活動が、新聞やSNSで幾度も非難の的となったのです。ブラジリア大学はお金を浪費していると文句をつけられました。

インタビューを実施した2019年に発足したボルソナロ政権は、社会的マイノリティに関する連邦レベルの審議会を廃止し、多様性に取り組んでいるブラジリア大学を名指しで非難した。軍出身で右派・保守のボルソナロ政権誕生により、社会的マイノリティの状況は不利な方向へ変化したとされるが、性的マイノリティの問題に取り組む中心的なアクターであるA氏の言葉に、その様子が明確に表れている。

(2) 性的マイノリティのブラジリア立法議院の議員

ブラジリア立法議院のフェリックス議員(Fábio Félix)は、自身が同性愛者であることを公表し、性的マイノリティの権利擁護をはじめとする活動を行っており、自身のウェブサイト10でも情報を発信している。フェリックス議員へのインタビュー調査11から、性的マイノリティの権利保障と関連するいくつかの証言を以下に提示する。

私はブラジリア出身で、16歳の時に社会運動に携わるようになり、LGBTのNGOに参加してとくにLGBT運動に取り組みました。ブラジリア大学に入ってから、大学で初となるLGBTの学生運動を仲間とともに結成しました。・・・私は社会主義自由党(PSOL)の党員です。私の見解ですが、社会主義自由党は現在ブラジルでLGBTを最も擁護している政党で、LGBTを公言して当選した初の国会議員を輩出しました。・・・私は2006年にブラジリア立法議院の議員へ立候補し、790票を獲得しました。2014年の選挙では6257票を得ました。そして、2018年に1万955票を獲得し初めて当選しました。・・・私は選挙運動のなかにLGBTの権利擁護を掲げました。立法議院でLGBTが一議席を占めることになり、私の当選は代表性という点で重要です。

フェリックス議員は10代からLGBT運動に深くかかわり、ブラジリア大学ではLGBT初の学生運動を結成し率先的に活動するなど、リーダー的存在であることが理解できる。社会主義自由党は、労働者党から離党したさらに左派の議員が2004年に結成した比較的に新しい政党で、性的マイノリティの擁護に積極的なことがわかる。このような政党による議席獲得は容易ではないが、フェリックス氏のような現役議員の存在から、性的マイノリティの権利保障に関する法整備などが期待できるといえよう。

私たちはブラジリアでいくつかの実績があります。危機や社会的困難に直面しているLGBTの人々を支援する、多様性特殊社会扶助センター(CREAS Diversidade)という外来診療機関があります。同センターでは、精神科、内科、心理カウンセリングや社会支援などのサービスが無料で受けられます。宗教上の偏見、多様性、人種差別に関する犯罪に特化した軍警察の部署もあり、LGBTを対象にした施策も行っています。そして、地方自治体にはLGBT部局(diretoria)があり、LGBTに関する政策やキャンペーンに取り組んでいます。

フェリックス議員らの活動により、全国各地にある通常のCREASに加え、ブラジリアでは性的マイノリティに特化したセンター(CREAS Diversidade)が整備されたことがわかる。この新たなセンターは、フェリックス議員たちが既存のCREASとかかわるなか、性的マイノリティへの支援を増進すべく制度の機能を拡充して創られたものである。したがって、既存の制度へアクターが行為したことによる制度の変容であり、制度とアクターの相互作用の結果だといえよう。ブラジリア大学の多様性部局の対象が学生と職員であるのに対して、フェリックス議員たちは警察や地方自治体など地域社会と関係性を構築しており、このようなリーダーかつ性的マイノリティの当事者で、しかも政治家である人物の影響力は権利保障の推進にとって非常に重要なことが理解できる。

LGBTのための公共政策を止め、演説でLGBTを蔑み暴力を正当化し、共和国大統領自らが暴力について語っています。・・・ブラジルはLGBTの人々に対して本来的には非常に暴力的な国です。・・・LGBTを嫌悪する人たちの暴力が多発しているにもかかわらず見過ごされています。・・・私たちLGBTの権利を剥奪し、自らが主張する暴力を正当化しようと積極的な連邦政府に立ち向かうという、計り知れない闘いに私たちは挑んでいます。・・・LGBTに対する嫌悪を犯罪として確立することが、私たちの目標です。

これらのフェリックス議員の証言は、ボルソナロ政権発足による性的マイノリティをめぐる状況の変化を物語っている。とくに、以前から問題だった性的マイノリティへの暴力や嫌悪がボルソナロ政権で助長され、現在のブラジルにおいてより深刻な課題となっていることが理解できる。なお、ブラジルでは2019年6月、最高裁が性的マイノリティ嫌悪は犯罪であるとの判断を下した。ただし、同様の法案は2001年に初めて労働者党の議員により提出されたものの、2021年10月時点でも法制化には至っていない。

性的マイノリティへの犯罪について、ブラジルの治安に関して研究やマスメディアで多く参照される民間の研究機関「ブラジル治安フォーラム」(Fórum Brasileiro de Segurança Pública)によると、「殺害」と「レイプ」に大きな変化はみられない。しかし一方で、ボルソナロ政権が発足した2019年から「暴力による傷害」の増加が顕著となった(図2)。また、市民団体「バイーアのゲイ・グループ」(Grupo Gay da Bahia)によると、ブラジルでは性的マイノリティ嫌悪による死者数が2008年の187人から2017年に445人へ増えたとされる。つまり、これらのデータやインタビュー調査から、ブラジルにおける性的マイノリティへの暴力や嫌悪は、右派で保守的なボルソナロ政権の誕生で増発したと考えられるが、性的マイノリティの権利保障が進んできたにもかかわらず増加傾向にあるといえる。

(出所)ブラジル治安フォーラムの「ブラジル治安年鑑」(Anuário Brasileiro de Segurança Pública)をもとに筆者作成。

おわりに

ブラジルでは民政移管後、民主主義の定着とともに、社会的マイノリティを擁護する左派の政策や政治勢力が支持されたことにより、多様性を尊重する方向で社会が変化した。そして、性的マイノリティの権利を保障すべく進歩的な変化がみられた。左派の労働者党政権期には司法により同性婚が認められたり、性的マイノリティを対象とした政策や施策が積極的に実施されたりした。本稿で取り上げた「LGBTをめぐる市民権の三脚」の参加型審議会、行政担当部署、行動計画は、他の分野に比べ数的には少ないが、着実に全国の地方自治体で制度整備が進められている。そしてアクターに関して、リーダーや活動家が中心的な役割を果たし既存の制度と相互作用もすることで、社会的マイノリティのひとつとしての性的マイノリティをめぐる権利保障が試みられている。このような近年の変化が、ブラジルは「多様性の国」であるという認識をさらに広めたといえよう。

しかし性的マイノリティに関して、ブラジルでは多様性が重視されるようになり権利保障が進んできた一方、暴力や嫌悪が深刻な課題となっている。このことは、多様性の尊重や性的マイノリティの可視化が進んできたがゆえの、それらに対する反動だとも考えられる。そして近年、社会的マイノリティの権利を擁護してきた労働者党の衰退(図1)や、本稿で言及した社会主義自由党の誕生などにみられる左派勢力の分裂に加え、右派で保守のボルソナロ政権の発足により、性的マイノリティの権利保障にとって状況はより不利なものへと変化した。つまり、現在のブラジルでは性的マイノリティをめぐり、多様性と排他性が混在し衝突し合っている状況だといえよう(写真2)。

写真2 「存在できるために抵抗する」(resistir para poder existir)と書かれたサンパウロ市内のトランスジェンダーの壁画(2019年 筆者撮影)。

このような現状がブラジルの方向性の転換なのか、または一時的な保守回帰なのか、それを見極めるうえでも、2022年の大統領選は非常に重要だといえる。なぜなら、大統領選ではボルソナロ大統領の再選か労働者党の政権奪還かが注目されていることに加え、近年のブラジルでは倫理観で保守的なキリスト教福音派の台頭もあり、家族のあり方や権利保障という観点から性的マイノリティが選挙において一争点化しているからである。

本文の注
1  LGBTはレズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシャル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字を合わせた言葉であるが、LGBTに含まれない性的指向や性自認の人々も存在する。本稿では異性愛者以外の人々全体を対象とするため、基本的に「性的マイノリティ」という用語で統一し、「LGBT」の表記は固有名詞やインタビューの証言などの場合に用いる。

2  ポルトガル語の名称はCâmara Legislativa do Distrito Federal。本稿ではおもに「ブラジリア立法議院」と表記する。

3  本研究はJSPS科研費 JP19H04371の助成を受けたものである。

4  賠償請求や財産に関して安定した人的結合を認めた関係性であり、詳しくはマシャド(2018)を参照(なお同書では「事実上の組合」と訳されている)。

5  ブラジルの最小の行政単位であり日本では「市町村」に当たる。本稿では適宜「ムニシピオ」または「市」と表記する。

6  MUNICでは年ごとで表記が異なるが、おもに「conselhos municipais」となっている。

7  電通の「LGBTQ+調査2020」(2021年10月27日閲覧)では、性的マイノリティの割合は8.9%とされる。

8  MUNICでは年毎に表記が異なるが、行政の担当部署はおもに「órgão gestor」、行動計画はおもに「programa, política, ação, plano」などとされている。

9  2019年8月6日、ブラジリア大学多様性部局LGBT調整部内で行った、筆者による同氏へのインタビュー。

10  Fábio Felix, deputado distrital do PSOL(2021年10月22日閲覧).

11  2019年8月7日、ブラジリア立法議院内のファビオ議員事務所内で行った、筆者によるフェリックス議員へのインタビュー。

参考文献
  • 近田亮平 2008.「ブラジルのルーラ労働者党政権―経験と交渉調整型政治にもとづく穏健化」遅野井茂雄・宇佐見耕一編『21世紀ラテンアメリカの左派政権―虚像と実像』日本貿易振興機構アジア経済研究所.
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