2025 年 42 巻 1 号 p. 17-31
2024年10月1日、メキシコ初の女性大統領が就任した。与党「国民再生運動」(Morena)の候補であったシェインバウム新大統領は、同年6月2日の大統領選挙において約60%の得票で圧勝し、同時に行われた議会選挙においても、与党連合は下院で特別多数(3分の2以上の議席)を獲得した。本稿では、シェインバウム及びMorenaの圧勝の要因を分析するとともに、AMLO前政権の6年間を総括する。高い支持率とは裏腹にAMLO前大統領の実績には功罪両面が存在し、多くの課題が新政権に残されたことを明らかにする。さらに、政権交代直前に議会で承認された司法改革にメキシコの民主主義を後退させる危険があり、その他の憲法改正項目についても今後、新政権の足枷となりうることを指摘する。一方、最大のリスクと見なされがちなトランプ米次期大統領に対して新政権は落ち着いた対応を見せている。
On October 1, 2024, Mexico's first female president was inaugurated. The new president, Sheinbaum, who was the candidate of the ruling party, the National Regeneration Movement (Morena), won the presidential election on June 2 of that year with about 60% of the vote, and the ruling coalition also won a supermajority (more than two-thirds of the seats) in the Chamber of Deputies in the legislative elections held at the same time. This paper analyzes the factors behind the overwhelming victory of Scheinbaum and Morena and summarizes the six years of the previous AMLO administration. It shows that despite the high approval ratings, AMLO's performance had both advantages and disadvantages, and that many issues remain to be addressed by the new administration. It also points out that the judicial reforms approved by Congress just before the change of government risk setting back Mexico's democracy, and that other constitutional reforms could become stumbling blocks for the new administration in the future. On the other hand, the new administration has shown a calm response to US President-elect Trump, who is often seen as the biggest risk.
2024年10月1日、シェインバウム(Claudia Sheinbaum)がメキシコ初の女性大統領に就任した。与党「国民再生運動」(Movimiento de Regeneración Nacional: Morena)の候補であった彼女は、同年6月2日の大統領選挙において、59.35%の得票(投票率は60.06%)で当選した。制度的革命党(PRI)、国民行動党(PAN)、民主革命党(PRD)の主要3党が相乗りした野党連合が支持する対立候補のガルベス(Xóchitl Gálvez)に約32ポイント差をつけての圧勝であった1。今回の大統領選は女性候補同士の一騎討ちでもあった。シェインバウムは高い人気を誇ったロペス・オブラドール(Andrés Manuel López Obrador: 通称AMLO)前大統領から後継指名を受け、AMLO前政権の政策継続を公約に掲げた。AMLO前大統領の人気と実績を追い風にした選挙戦を繰り広げ、選挙キャンペーン期間中は一貫して60%前後の支持率を維持し、投票日まで世論調査をリードし続けた。
本稿では、主に経済的側面からAMLO前政権の6年間(2019〜24年)を総括することでシェインバウム及びMorenaの圧勝の要因を分析する。今回の選挙結果とは裏腹に、AMLO前大統領の実績には功罪両面が存在し、多くの課題がシェインバウム新政権に残されたことを明らかにする。AMLO効果を最大限に活かして選挙戦を制したシェインバウム新大統領は、国民からの期待と現実の狭間でどのような選択を迫られるのであろうか。また、圧倒的なカリスマ力で政治を動かしたAMLO前大統領の影響力はどのような形で残り、新大統領はどこまで独自性を発揮できる(するつもり)なのだろうか。メキシコの経済成長と民主主義は維持されるのだろうか。これらの疑問に現段階で答えを出すことは難しいが、今後を見通すための材料を提供したい。
本稿の構成は以下のとおりである。次節では今回の大統領選挙および議会選挙について、なぜ与党が圧勝したのかに焦点を当てた議論を行う。与党圧勝の裏で、野党である既存政党が惨敗し、事実上のMorena一党支配が確立されたことも指摘する。続く第2節では、AMLO前政権の6年間を主に経済指標を用いながら振り返り、高支持率を維持した要因を分析するとともに、実は多くの課題が残されていることを明らかにする。さらに、選挙後の新議会のもと、AMLO前政権の最後の1ヶ月で承認に持ち込んだ司法改革を始めとする憲法改正案について議論し、メキシコにおける民主主義の後退が懸念されていることを示す。第3節では、第2節までの議論を踏まえ、シェインバウム新政権の課題を、政治・経済・社会面から分析する。
(1)大統領選挙および議会選挙結果の概要
シェインバウム圧勝を説明する要因としてまず注目されるのは、今回の選挙では、全ての年代、性別、学歴、所得階層、地域において、彼女が高い支持を獲得していたことである。特にメキシコ全32州(メキシコシティを含む)のうち、対立候補のガルベスが接戦の末1位となったのは中西部アグアスカリエンテス州のみで、残りの31州すべてでシェインバウムが勝利した。とりわけ貧困層が多く、AMLO前大統領の支持基盤でもある南部諸州ではシェインバウムが70%以上の票を獲得するケースが目立った2。
一方、大統領選挙と同日に、議会選挙、メキシコ市長、州知事、地方自治体首長および議会等あわせて2万以上のポストが選ばれ、その多くで与党Morenaが勝利を収めた。議会選挙の結果は表1の通りである。両院共に与党連合(Morena、労働党、緑の党)が過半数を獲得し、下院では3分の2以上の議席(特別多数)を確保した。上院でも与党連合は3分の2まであと1議席に迫り、両院ともに与党連合は改選前から議席を大幅に増やす結果となった。両院で3分の2以上の賛成を得られれば憲法改正が可能となる。既存政党である制度的革命党(PRI)、国民行動党(PAN)、民主革命党(PRD)はいずれも下院において改選前から議席を減らし、特にかつては覇権政党として君臨したPRIは議席を70から34へと半減させた他、Morena誕生以前は左派を代表する政党であったPRDに至っては12議席から1議席となり、今回の選挙後に政党登録を取り消されるに至った3。右派のPANは72議席を確保し、野党第1党の地位にはあるものの、結果として与党Morenaに対抗できる野党が事実上不在の状況が生まれたと言わざるを得ない。
(注) 上から3つの政党が現在の与党連合。
(出所)選挙管理機関(Instituto Nacional Electoral: INE)、および、民間調査機関 Polls MX(Antes y Después de las Elecciones Diputados; Antes y Después de las Elecciones Senado)のデータをもとに筆者作成 (いずれも2024年10月20日閲覧)。
(2)なぜ圧勝したのか
シェインバウム新大統領と議会選挙におけるMorenaの地滑り的勝利の要因として、①前政権の生活向上(賃金上昇)・貧困削減の成果、②巧みな選挙戦、③野党連合の戦略の失敗を挙げることができるだろう。まず、①に関してAMLO前大統領は就任時の公約通り、最低賃金を毎年20%前後引き上げ続け、結果として彼の在任中に日額88.36ペソ4(2018年)から日額248.93ペソ(2024年)へと約2.8倍5に上昇した。AMLO以前のPANおよびPRI政権においては、外国投資を呼び寄せる目的で長らく最低賃金が低く抑えられており、実際の賃金額との乖離が指摘されていたため、実際の支払い賃金の増加にそのまま反映された訳ではない。それでも、最低賃金の伸び率は在任期間中のインフレ率を上回るものであり、コロナ禍や世界的なインフレ圧力の影響下にありながら、所得下位10%層の賃金も2倍になるなど、メキシコ国民の購買力を引き上げる結果となったのは間違いない。また、AMLO在任中の2018年から2022年に、貧困人口が500万人以上削減されたという。これは、コロナ禍があったにもかかわらず、過去16年間で最大の削減数だと言われており、その最大の要因が賃金上昇であったと指摘されている。さらには、年金や教育奨学金などの各種給付金が拡充され、同期間に対象家計は27%から39%に増加し、公的所得移転総額も倍増した6と言われている。
次に、②の巧みな選挙戦については、前述の通り、AMLO前大統領からの後継指名を受け、選挙キャンペーン中は一貫してAMLO政権の成果を強調し、その政策を引き継ぐことをアピールすることで、同政権の追い風を最大限に利用した選挙戦が展開されたと指摘できる。ただし、具体的な政策への言及は見られず、大統領就任後にどこまで前政権を引き継ぐのか、どれほどの政策変更があるのかないのかについては未知数であるといえる。この点については第3節で詳述する。
一方、③の野党連合の戦略の失敗であるが、もともと歴史的にライバル関係にあり、イデオロギーも全く異なる既存政党3党(PRI、PAN、PRD)が共闘したために、内部での調整もうまくいかず、有権者へのアピールもままならず、Morenaの勢いに全く対抗できなかった。特にPRIをはじめとして長年の汚職問題のイメージがつきまとう既存政党に対するメキシコ国民の失望感が反映される形で、浮動票を取り込むこともできず、事実上、野党3党は自滅したと言える。ガルベス候補と野党連合の、AMLO政権を批判し、民主主義の危機を訴える戦略は多くの有権者に響くものではなかった。6月8日付El País紙7は、大衆層にとって重要なのは抽象的概念ではなく、所得の向上や社会政策の充実であり、Morenaは結党以来、それまで既存政党が事実上放置してきた大衆層の取り込みに成功したと指摘している。しかしながら、既存政党の弱体化とそれに変わる強力な野党の不在はMorenaの一党支配が強化につながり、第3節で議論する司法改革と併せ、今後の健全な民主主義の維持に不安がつきまとうことになるだろう。
(1)AMLO政権の特徴と高支持の理由
2018年12月、2000年にメキシコが民主化されて以降、初めて選挙による左派政権が誕生した。大統領に就任したAMLOは3度目の正直で2位のPAN候補に対し、地滑り的勝利を収めた。2018年の大統領選挙と同時に行われた上下院議会選挙においてもMorenaが圧勝した(豊田 2019)。AMLO前大統領はこの時、自らの政権奪取によって「第四の変革」(Cuarta Transformación)8を実現すると宣言した。これは1980年代以降、歴代政権が採用してきた新自由主義政策からの転換を意味するものだが、Olvera (2021)は、「第四の変革」の中身は20世紀のPRI政治への事実上の回帰を目指すものだと指摘し、「郷愁的ポピュリズム」(populismo nostálgico)と表現している。「第四の変革」という言葉はAMLO政権で多用されることになる9。
ポピュリズム的な公約から経済悪化、財政悪化、社会の分極化が懸念されたものの、コロナ禍すらも乗り越え、AMLO前政権は6年間を通して平均60%を超える高支持率を維持し続けた。特に不人気な大統領として有名で、最終年には支持率が20%にまで落ち込んだ前任者のペニャ・ニエト(Enrique Peña Nieto)政権(PRI、2012〜18年)と極めて対照的である。高い政権支持の背景要因の一つに、前節第2項で述べた社会政策の拡充および最低賃金引き上げにより、大衆層の生活が向上したことが挙げられる。
高支持率に貢献したもう一つの要因は、AMLO前大統領による早朝会見(las mañaneras)の存在であろう。AMLO前大統領は在任中、平日毎朝7時から大統領府で記者会見を欠かさず行なっていた。その内容はほぼAMLO前大統領の独壇場と言っても過言ではなく、自身の政策アピールのみならず、反対派やエリート層を度々攻撃する場となっていた。午前7時という、多くの人の出勤前の時間に毎朝テレビで会見の様子が生中継されるとともに、その日の前大統領の発言が各種メディアで取り上げられていたことから、政権アピール効果は絶大であったと言える。Zapata-Celestino(2022)は、AMLO前大統領の早朝会見は、大統領と大衆との直接的関係を確立するための政治的コミュニケーションの新たな手段となっていた一方で、政権の透明性や説明責任を果たす場とは程遠く、政策アジェンダや世論に影響を及ぼすためのメディア・コントロール戦略として機能していたと指摘する。結果として、社会の分断と市民同士の対話を喪失させることにつながり、将来的には民主主義の維持を危険に晒すものだと警告を発している。また、早朝会見に代表されるAMLO前大統領の他の追随を許さないナラティブ形成の巧みさと、それに対抗しうるだけの野党リーダーや野党の効果的な戦略の不在がAMLO劇場をさらに後押しした10とも言えるだろう。
(2)経済指標に見るAMLO政権6年間の功罪
①マクロ経済・貿易・投資
図1はAMLO政権期とその前のペニャ・ニエト政権期の経済成長率を示したものである。比較のためにラテンアメリカ・カリブ地域(以下、ラテンアメリカ)の平均値も示す。メキコの経済成長のトレンドは、ほぼラテンアメリカ全体のそれと同様の傾向を示している。しかし、ペニャ・ニエト政権期のメキシコの平均成長率は年率2.2%で、ラテンアメリカ平均(年率1.3%)を上回っていたものの、AMLO政権期には前者が年率0.9%と、後者(年率1.5%)を下回るようになった。メキシコはAMLO政権の実質1年目にあたる2019年にGDP成長率が-0.4とマイナス成長に転じ、そのまま政権2年目かつコロナ禍1年目の2020年のGDP成長率は-8.4%に落ち込んだ。これは、ラテンアメリカ平均の-6.9%を大きく下回る数字であった。コロナ・パンデミックはラテンアメリカ諸国同様、もしくはそれ以上にメキシコを襲い、2023年10月時点での累積死者数は33万人以上、10万人あたりの死者数は260.73人(世界第9位)に上る11。ラテンアメリカ各国が世界に倣い、パンデミック下での財政出動を行うなか、AMLO政権はほとんど財政出動を行わなかった点も大幅なマイナス成長の要因であったと推測できる。2021年以降、メキシコはプラス成長に転じたものの、2024年のGDP成長率は1.5%にとどまる見込みである。
(注)2023年以降は推計値。
(出所)国際通貨基金(IMF)のデータをもとに筆者作成(2024年10月31日閲覧)。
続いて、図2はメキシコの貿易額および海外直接投資(FDI)額のGDP比の推移をラテンアメリカ平均と比較したものである。なお、貿易額は輸出額および輸入額を足し合わせたものである。まず、貿易額のGDP比は、ペニャ・ニエト政権初期(2012年)の64%から同政権最終年(2018年)には80%とラテンアメリカ平均を上回る順調な成長を見せてきた。AMLO政権初期に、パンデミック期(2020年)までほぼ横ばいであったものが2022年には88%まで拡大したものの、2023年には74%まで急落した。なお、メキシコの貿易は基本的に輸入超過である。次に、メキシコのFDI流入は総じてラテンアメリカ平均よりも高く、その傾向はAMLO政権以降も変わっていない。ただし、コロナ禍の影響も考えられるので一概には比較できないものの、ペニャ・ニエト政権時と比べ、AMLO政権時はFDI流入が低調気味になっていたことが窺える。前者(2012〜2018年)の年平均が3.8%であるのに対し、後者(2019〜2023年)の年平均は3.1%である。2022年には一気にGDP比3.9%まで上昇したものの、2023年には2.9%まで減少しており、この点については別途検討が必要であろう。
(注)貿易額は輸入額と輸出額の合計(左軸)。FDIは流入額(右軸)。
(出所)世界銀行(World Bank)のデータをもとに筆者作成(2024年10月24日閲覧)。
AMLO政権は、前述の通りペニャ・ニエト政権までの歴代政権が採用してきた新自由主義政策を転換させ、事実上ビジネス促進政策は行ってこなかったし、むしろ国家主導の経済開発など、逆行する動きも見られた。にもかかわらず、貿易やFDIレベルが堅調であったことは注目に値する。その理由については詳細な検討が別途必要となるだろうが、米国・メキシコ・カナダ協定(United States-Mexico-Canada Agreement: USMCA)12に代表される北米バリューチェーンにしっかりと組み込まれていることで、時の政権の政策如何に関わらず、国際情勢や各国の多国籍企業のビジネス戦略次第で米国市場へのニアショアリング先としてメキシコが選択されていることの表れと考えられるだろう。
AMLO前大統領肝入りの国家主導の経済開発政策のうち、代表的な案件が石油部門とマヤ観光鉄道建設による南部地域開発である。まず、石油部門については、ペニャ・ニエト政権が減産が続く石油産業へのテコ入れを目指し、上流部門(探鉱・開発・生産)への外国資本の参入を認めた、2013年の「エネルギー改革」(坂口 2018)をAMLO政権は撤回し、国家主導の石油開発政策へと逆戻りさせた。AMLO前大統領は、就任当時、日量200万バレル程度であった原油生産量を政権期間中に250万バレルに引き上げるとの目標を掲げたものの、政権期間中を通して(2023年末まで)原油生産高は結局、日量200万バレル程度で停滞したままであった13。2024年4月には過去45年間で最低の水準である日量147万バレルにまで落ち込んだという報道も出ている14。
さらには、過去5年間で国営石油公社(PEMEX)に9000億ペソを超える政府からの財政支援が行われたものの、PEMEX本体の経営赤字を埋めるのに精一杯で、契約企業や下請け企業への支払いには資金が回っていないという。PEMEXは総額1000億ドル以上の負債があるとも言われている15。また、目玉政策として公約にしていた自らの出身州であるタバスコ州でのオルメカ新製油所(通称ドスボカス)の建設は、コストが当初の80億ドルから160〜170億ドルへと2倍以上に膨らんだが16、筆者の知る限り実際の政策効果は確認されていない上に、稼働しているかどうかも定かではない。
南部ユカタン半島の主要観光地を巡る総延長1500キロに及ぶマヤ観光鉄道についても、環境破壊や住民の立ち退きなどで反対派からの批判が噴出し、建設が進んでいなかったところ、政権最終年に軍隊を投入して突貫工事を行い、一部区間の開通に漕ぎ着けた。しかしながら、同鉄道の建設コストは当初の1500億ペソから5000億ペソへと3倍以上に膨れ上がったという。
財政問題については、当初は社会政策への支出増から財政赤字問題が懸念されたAMLO前政権であるが、緊縮財政政策(コロナ禍でも財政出動をほとんど行わなかった)と徴税強化等により、財政赤字はGDP比3.5〜4.5%程度にとどまってきた。しかしながら、同政権最終年であった2024年には一気にGDP比5.9%にまで膨らむ見込みであり、これはここ30年で最大の赤字幅であるという17。これらの問題はシェインバウム新政権に引き継がれることになるだろう。
②貧困
図3はメキシコの貧困率(貧困ラインを下回る人口の比率)とインフォーマル雇用率を示したものである。貧困ラインにはメキシコ政府が発表している基準を用いた。ペニャ・ニエト政権期の2018年までは貧困は漸減し、AMLO政権期には、パンデミック1年目の2020年に貧困率が52.8%まで悪化したが、2022年には一気に43.5%へと10%ポイント近い改善がみられた。パンデミック後の経済成長の回復に加え、AMLO前大統領の最低賃金引き上げ及び積極的な社会給付政策の効果が反映されたものとみて良いだろう。一方、インフォーマル雇用率はAMLO政権期においても55%台で高止まりしたままであり、この数字はラテンアメリカ諸国の中でも高率である。AMLO前政権の積極的な社会政策は貧困を改善させた一方で、貧困の根本原因とも言えるインフォーマル雇用率の改善に繋がるものではなかったと言える。
(注)所得による国内貧困ラインは2021年12月時点で一人当たり月額3,542.14ペソ未満(都市部)、同2,343.50ペソ未満(農村部)である。
(出所)貧困率は国家社会開発政策審議会(CONEVAL)、インフォーマル雇用率は国立統計地理情報院(INEGI)のデータをもとに筆者作成(2024年11月22日閲覧)。
③治安問題
メキシコの最大の懸念事項でもある治安問題について見ていこう。AMLO前大統領は治安対策の要として「国家警備隊」(Guardia Nacional)の創設を公約に掲げ、就任後の2019年6月30日に発足した同隊は、5万3000人の隊員が治安改善が優先される全国150カ所での活動を開始した。しかしながら、この時期は、2018年10月に中米移民キャラバンが形成され、中米からの不法移民が続々と米国を目指していた時期である。不法移民の取り締まり強化を求める当時のトランプ米大統領からの圧力を受け、国家警備隊発足直後にメキシコ南部国境に隊員6000人を配置することになるなど、想定外の事態にも直面した(内山 2020)。とはいえ、AMLO前大統領は任期中、一貫して国家警備隊の役割を強調し続け、隊員を2倍以上に増員するとともに18、後述する憲法改正案には国家警備隊を国防省の管轄とする条項も含まれている。国内の治安維持を実質的に軍が担うことについては、今回の憲法改正のみならず、2019年の創設当時から退役軍人が国家警備隊のトップであったこともあり、国内に根強い批判が存在し続けている。
このように、AMLO前大統領の肝入りで創設・拡張された国家警備隊であるが、具体的な成果は上がらなかったと言わざるをえない。殺人件数が急速に悪化したのはペニャ・ニエト政権期であったが、AMLO政権期において殺人件数は年々わずかながら減少傾向にあるものの高止まりしている。同政権6年間(2024年9月末まで)の合計殺人件数は2000年以降の歴代政権最悪の19万9236人に上ると推測され、ペニャ・ニエト政権時に比べても約4.1万人の増加である19。また、10万人あたりの殺人件数で見ても、2022年時点でメキシコは26.1人であり、ラテンアメリカ平均の19.6人を大きく上回っているが、この傾向は特に2018年以降顕著に見られるものである20。さらにはフェミサイド(女性であることを理由とする殺人)もメキシコにおいて極めて深刻かつ未解決の社会問題であり続けているが、大衆の味方を標榜しているはずのAMLO前政権が有効な手段を講じることは全くなかった。こういった治安状況に対し、世論調査では、AMLO前政権の下で治安状況が悪くなったと回答した人が全体の37%、変わらないと回答した人が26%と、国民の約3分の2が治安対策の効果を感じていないことになる。治安問題は汚職問題とともに、他の項目に比べて国民からの評価が最も低い21。にもかかわらず、AMLO政権の支持率に影響していないのは、国民の中で治安問題は誰が大統領をやっても無理である、という一種の諦めにも似た感情があるためかもしれない22。
(3)AMLO政権の置き土産?―憲法改正と司法改革
6月2日の大統領選挙の結果を受け、それまで堅調にペソ高で推移していたメキシコ・ペソが一気に8%下落し、その後もペソ安の傾向が続いている。その理由は、市場が既に織り込み済みであったシェインバウム新大統領の当選ではなく、Morenaを中心とする与党連合が上下院ともに特別多数(3分の2以上)を確保することが現実的になったためであった(現在のペソ安には米国大統領選挙の結果ももちろん影響しているが)。市場が与党連合の特別多数を警戒した真の理由は、2024年2月にAMLO前大統領が議会に提出していた20項目からなる憲法改正案(表2)であり、その中でも特にAMLO前大統領の悲願であった、裁判官を国民投票で決めることを規定する、いわゆる司法改革(reforma judicial)であった。与党連合の圧勝によって、9月に新議会が発足した後、AMLO前大統領が退任する直前の1ヶ月間を利用して憲法改正の実現が可能になるからである。事実、新議会が発足して間も無い9月初旬、AMLO前大統領が最も重視していた司法改革が早々に承認されたのである。上院は与党連合の特別多数に1議席足りなかったが、PAN議員の一人が賛成に回った23。その他項目も既にその大半が承認されたようである。
(出所)マスメディアの情報24もとに筆者作成。
AMLO前大統領が最重視した司法改革(項目17)とは、具体的には最高裁判所及び地方の各裁判所の裁判官計1600名を国民投票で選出するというものである25。司法改革についての詳細な検討は別稿に譲りたいが、この改革により司法の独立性が損なわれ、結果的に民主主義の後退につながるとして、国内外の識者やメディアから批判の声が上がっている(e.g., Aguiar-Aguilar 2024; Medel-Ramírez 2024)。法学の学士号さえ持っていれば十分な実績がなくても誰でも裁判官候補者になれる上(例えば、5名からの推薦を条件としているが、隣人や同僚でも良いという)、国民投票のための候補者リストの策定には大統領と議員も関与するため、政治的な影響を受けることは免れないと危惧されている(Aguilar-Aguilar 2024)。憲法改革案には司法改革に加え、国家警備隊を国防省の管轄とすること(項目18)やチェックアンドバランス機能を担う独立監視機関の統廃合(項目20)など、民主主義の機能を中長期的に損なう懸念が伴う項目も並んでいる。その他の主な項目は次節で議論する。
前述の大統領選挙結果からは、極めて順風満帆に見えるシェインバウム政権であるが、メキシコの現状をつぶさに観察すると、むしろ課題は山積みであることが分かる。それらの課題を政治、経済、社会面に分けて整理してみたい。
まず、政治面では、カリスマ性のなさが各方面で指摘されている。Morenaは良くも悪くも文字通りAMLOの政党であり、彼のカリスマ性と党員の彼への忠誠心によって一体性を維持してきたと言える。AMLO前大統領は、大統領任期終了後は完全に表舞台から身を引くと繰り返し述べているが、もしそうだとするならシェインバウム大統領の力だけで烏合の衆とも言えるMorenaをまとめて行くことは事実上困難であろうことが予想される。一方で、引退後のAMLO前大統領が何らかの形で「院政」を敷く可能性が皆無とも言えない。その場合、シェインバウム大統領の実質的な権限は大きく制限されることになる。
次に経済面であるが、安定的な経済成長と財政バランスの維持が課題となるだろう。経済成長については、AMLO前政権の下では国家主導の経済政策に効果は見られず、6年間の平均成長率は低水準にとどまった。一方で、対メキシコ外国投資は持続しており、主要産業である自動車産業もコロナ禍及びそれに続く半導体不足の影響からようやく脱し、2022年後半から生産が完全に回復している。しかしながら、メキシコの貿易・投資の要となるUSMCAは2026年に期限を迎え、シェインバウム政権の下で再交渉が始まる。去る11月5日の米国大統領選挙で当選したトランプ次期大統領は、11月25日に自身のSNSで就任初日にメキシコからの全輸入品目に対し、25%の関税を課すことを明らかにするなど26、関係者の不安は高まるばかりである。シェインバウム政権もAMLO前政権で外務大臣を務め、第1次トランプ政権との交渉経験のあるエブラルド(Marcelo Ebrard)を経済大臣に指名し、来るべき交渉に備えている。何より米国・メキシコは既に経済的に深い依存関係にあることは紛れもない事実であり、USMCAの再交渉も含め、ギリギリの妥協点を探ることになるのではないか。
財政問題についても前節で述べた通りであるが、さらには、PEMEXが抱える1000億ドル以上の負債のうち、2025年に68億ドルが償還期限を迎えるという27。加えて、前述の20項目の憲法改正には年金(項目2)や医療の無償化(項目4)等の野心的な社会プログラム関連条項が盛り込まれている(表2)。いずれも憲法で保障されれば長期的に安定的な財源の確保が必要になるが、その見込みが立っているとは言い難く、状況次第で財政収支のさらなる悪化が懸念される。その意味でも安定的な経済成長の実現が欠かせないが、憲法改正案に規定された通り、今後もインフレ率を上回る最低賃金引き上げ(項目10)が継続されれば、企業の収益に影響する可能性も出てくるだろう。また、鉱山の露天掘りおよび油田の水圧破砕法の禁止(項目7)は、環境保護を謳う一方で事実上これらの開発への外国資本の参入を阻むことになりうる。シェインバウム新大統領は自身の専門分野でもある代替エネルギー政策を推進しているが、どこまで経済成長が見込めるかは未知数であるとも言える。
最後に、社会面であるが、なんといっても治安問題と移民問題への対処が挙げられる。まず、治安問題に関しては前節で述べた通りで、カルテル同士の抗争についても沈静化は到底見込めていない。また、移民問題も解決の糸口が全く見えていない。米国国土安全保障省税関・国境取締局 (U.S. Customs and Border Protection: CBP)28によると、パンデミック直前の2019年度(2018年10月〜2019年9月)には約100万人であった米墨国境地帯の不法移民数(拘束数)は、パンデミックが落ち着いた2021年以降急増し、2022年度には約238万人、翌2023年度には約248万人となっている。また、移民の内訳も近年大きく変化しており、メキシコ・中米出身者の割合が相対的に減少する一方、その他の国・地域出身者(主にベネズエラ人、ハイチ人、キューバ人だとされる)が過半数を占めるようになっている。中にはウクライナ戦争から逃れてきた人々や中国人の姿も確認されているという。
一方、米国ではバイデン政権になった後も厳しい移民政策が継続されており、米国に入国できない多くの移民がメキシコの北部を中心に滞留し続けている。トランプ次期大統領は、非常事態宣言を用いた不法移民の強制送還29に加え、メキシコに対する25%の関税については不法移民と麻薬(フェンタニル)の流入がゼロにならない限り継続すると主張するなど、シェインバウム新政権はさらに難しい移民対策を迫られることになるのは間違い無いだろう。
本稿では、2024年6月2日に行われたメキシコの大統領選挙での与党Morenaの圧勝の要因が、AMLO前大統領の高い人気と賃金引き上げや社会給付の拡充に伴う国民生活の向上にあったことを示した。しかしながら、経済指標等を用いてAMLO前政権の6年間を総括してみると、高い支持率や圧倒的な勝利を収めた選挙結果とは裏腹に、低い経済成長、PEMEX赤字問題、財政悪化の懸念、治安問題など、さまざまな課題が存在していることが明らかになった。それらの課題はシェインバウム新政権に引き継がれ、遅かれ早かれ顕在化してくることは間違いない。さらには、大統領選挙と同時に行われた議会選挙において、Morenaを中心とする与党連合は上下院で特別多数の獲得を現実のものとし、AMLO前大統領は退任前の1ヶ月間で新議会のもと、悲願であった司法改革を実現させ、全ての裁判官を国民投票で決める道筋をつけた。2025年には第1回目の裁判官の国民投票が実施される予定であるが30、この司法改革によって司法の独立性が損なわれ、民主主義の後退につながるという懸念は拭えない。
米国大統領選でのトランプの再選はメキシコにとっては試練となるだろうが、現在のところシェインバウム新政権は落ち着いた対応を見せている。また、経済的に言えば、米国市場への最大のニアショアリング先としてのメキシコの価値はそう簡単には揺るがないし、米中経済関係の動向次第で中国からの投資がさらに活発化する可能性も大きい。シェインバウム新大統領は公約通りにAMLO前大統領の政策路線を突き進むのか、それとも独自路線を打ち出せるのか、新政権の今後の舵取りに引き続き注目していく必要がある。