マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
SDGs目標達成に向けたBOP層への新しいアプローチ
― デザイン思考を活用した潜入体験型リサーチ手法 ―
井上 滋樹
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2018 年 38 巻 1 号 p. 7-20

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Abstract

途上国の貧困層向けに商品を販売することで貧困層の生活向上を促そうという「BOPビジネス」への取り組みが日本企業でも進んできた。途上国の富裕層を対象としたマーケティングに多くの経験をもつ日本企業にとっても「BOP」は未経験の対象者であるため,どのような方法で彼らの的確なニーズを把握することができるかわからないケースが多い。

また,「BOP層」の定義は,Hart and London(2011)によると1人当たり年間所得が3000ドル以下の世帯を指し40億人とされているが,そもそも40億人もの多様な生活者をひとくくりに分類するのはマーケティング的にはありえない。「BOP」をビジネスの対象としてみるならば,その全体像をみるのではなく,住んでいる地域や文化,収入などを特定し,そのマーケットと生活者の実態を明らかにする必要がある。

この論文では,Prahaladが「BOP」に着目してから20年を経た今日において,そもそも「BOP」をどう捉えたら良いかを整理した上で,具体的にインドネシアの特定地域に住む「BOP層」を対象にした調査から生活者の具体像を明らかにする。さらに,「BOP層」向けの新商品開発のために実施した調査手法を考察し,「BOP層」のニーズ把握のために開発した「デザイン思考を活用した潜入体験型リサーチ手法 DIVE(Diversity Inclusive Visionary Enhancement)」を示す。

I.  研究の背景と目的

1.  「BOPビジネス」を捉え直す。

Prahalad(2010)は,他国籍企業を含む大規模な民間企業から顧客として扱われていない1日2ドル未満で生活している40億から50億の人々に目を向けさせることを提唱した。「貧困層」を「消費の対象者」としてみるこの考え方が世界に衝撃を与えた。「貧困層」が経済的に自立し貧困から脱却できる道筋が開かれるという期待を背負って「BOP(Base of the Pyramid)ビジネス」が台頭し,ヒンドゥスタン・ユニリーバなどの欧米企業が世界の企業を牽引した。国連開発計画(UNDP)や米国国際開発庁(USAID)といった公的機関からの後押しも加わり,自立を促す持続可能な社会モデルが求められた。

日本でも,2008年ごろから「BOPビジネス」への関心が高まり,JICAは2010年に,日本企業による「BOPビジネス」を支援することを目的に「協力準備調査(BOPビジネス連携促進)」を開始し,2016年4月までに通算で114の案件が採択されている(JICA, 2016)。欧米企業に遅れをとっていた日本企業もこのビジネスに取り組んできており,筆者らも2010年から7年にわたり「BOPビジネス」に取り組んできた。

Prahaladが「BOP」を着想してから20年が経過し,国連の持続可能な開発目標もMDGs(Millennium Development Goals)からSDGs(Sustainable Development Goals)と次の目標に移行している。筆者がアジア,アフリカを訪れ始めたのは,1982年であるが,時代が推移するにつれ,生活者が年々豊かになっている姿を見続けてきた。

SDGsにおいても貧困の解消があげられているが,この10年だけを切り取っても世界の貧困の状況は大きく変わっている。世界人口のうち,極度の貧困ライン未満で暮らす人々の割合は,2002年から2012年にかけて26%から13%へと半減したという(United Nations Department of Economic and Social Affairs, 2016)。

2012年の時点で,全世界の8人に1人が極度の貧困の中で暮らしている事実を楽観視することはできないが,今改めて「BOPビジネス」を捉え直し,国連の持続可能な開発目標であるSDGsを視座にいれ,これから「BOP」をどう捉えるのか,どうのようにビジネスをすすめれば良いのか,そもそもどうしたらビジネスで貧困が解消できるのか,そうした疑問に対しこれまでの研究や調査活動を整理し「BOPビジネス」を捉え直す時期にきていると言える。

2.  「BOP」層は,本当に貧困な人なのか。

「BOP」は1人当たり年間所得が3000ドル以下の世帯で40億人もの人を指す。しかしながら実際に「BOPビジネス」に関する調査を進めていくなかで,筆者はこの考えかたには大きな疑問を持つようになった。

Kobayashi(2011)は,文化や生活習慣の異なる多様な40億人もの生活者をひとくくりに分類するのは,あまりにも大雑把すぎると主張する。また,世帯収入だけでこの層を分類しているが,同じ1ドルであっても地域によってその価値が異なる。また,Prahaladの業績は,彼らを消費者として「再発見」したことであるが,そのために「BOP=消費者」という認識が世界的に広まる事で,「消費ができないほど貧困な人たち」の存在が消し去られてしまっている弊害が起こったとも考えられる。

Yasumuro(2010)は,「貧困層はたしかに経済的には恵まれない。しかし彼らは不幸な人々ではない」と指摘する。日本人からみて貧困だと思われても,その人たちにとってはその生活があたり前であり,周囲も同様の生活水準の人に囲まれて生活をしているため,自らを「貧困」と思っていないことも多い。また,実際に彼らの家庭を訪問すると,笑顔で幸せな生活を暮らしている姿に出会うことも多い。「BOP層」の生活者と数日間一緒に暮らしてみると彼らが豊かとすら思えることがある。

後に詳しく述べるが「BOP層」の人々がテレビやオートバイを購買しているケースが多くみられる。このように,20年前のPrahaladの想像を超えて,「BOPビジネス」という考え方が定着した中で,途上国の経済成長も進みITが発展し,「貧困層」の生活が大きく変化している。

3.  本研究の目的

調査の対象者である「BOP層」は,文盲であることもある。また,初等教育を受けていないなどの理由により,調査時におけるコミュニケーションが円滑に行われない,外国人が質問をしても本音を語らない,などの傾向が見受けられる。途上国の富裕層を対象としたマーケティングに多くの知識,経験,データをもつ日本企業にとっても,貧困層を対象とした調査は未経験であることが多く,どのような方法で彼らのニーズを的確に把握できるのか,調査手法に関して十分な知見がなかった。

しかし,20年前に比べれば「貧困層」の生活者データも公開され,企業のビジネスも実際に動いている状況下で,この論文では,「BOP」40億人という捉えどころのない膨大な人口の中から,ある程度,文化,宗教,生活習慣,貨幣価値の価値基準が類似している特定の国の特定エリアに限定した調査から,「BOP」とはいったい誰のことか,どのような生活をしているのか,その現状を示すことを1つ目の目的とする。

その上で,実際にインドネシアにおいて実施した調査を研究対象として,途上国の貧困層の理解とニーズ把握のためにどのような調査手法が有効か,「BOPビジネス」における調査手法のあり方を探り,その1つの手法として考案した調査方法を導き出すことを,2つ目の目的とする。

II.  インドネシアにおけるBOP層の生活実態

1.  本調査の概要と目的

ここでは,具体的にインドネシアの特定地域に住む生活者を対象にした調査から「BOP生活者」の具体像を明らかにする。まずは,調査の対象国およびエリアの選定理由について述べる。インドネシアを調査の対象国とした理由は,ASEANの中で一番人口が多く,ビジネスの市場として注目されているためである。また,製造,流通,販売,雇用確保が容易などの観点からビジネスを展開しやすい都市圏にあるジャカルタとその郊外を含むグレータージャカルタを対象エリアにした。

先に述べた「BOP層」を年間所得3000ドル以下とすると,インドネシアの平均所得よりも高く設定されているで,この調査ではこの定義を使わなかった。1人当たり年間所得が3000ドル以下の「BOP層」の多くは「貧困」ではないと思われるが,その疑問に対する答えを導きだすためにも,この研究ではあらためて独自の分類を試みた。

この調査がビジネスを目的としたマーケティング調査であることをふまえ,Nielsen Data(2013)を元に,インドネシア人の収入ではなく消費を示す数値として購買額に着目し,A層,B層,C層,D層に分類して調査を実施したので,その分析と考察を次に示す。

1カ月の家計支出において,3万2000円以上をA層,2万円以上3万2000円未満をB層,1万円以上2万円未満をC層,7200円以上1万円未満をD層,7200円未満をE層とした。

日本人の平均1ヶ月の家計支出が,31万円とされており(Statistics Bureau, 2016),その比較においては,日本のような先進国からはC層を「貧困層」と捉えることができるかもしれない。しかし,明らかにするべきは彼らが本当に「貧困」なのか,「貧困でない」のか,貧困であるならばどの程度貧困なのかである。「貧困」の定義も難しいため,ここでは,C層,D層の生活実態を示すとともに,インドネシアで富裕層といわれるA層,B層の生活実態を比較するかたちで考察する。

2.  具体的調査の内容と考察

インドネシアの「BOP生活者」の生活意識・情報意識を調査することを目的に,2013年10月22日から11月12日に,グレータージャカルタにおいて450サンプルの「BOP生活者実態調査」を実施した。

表1

BOP生活者実態調査

以下に調査結果からみえてきたC層,D層の結果を示す。まずは,「経済的な将来の見通し」についての問いに関して,

問1.「1年後の暮らしの経済的な見通し」については,「ずっと良くなる」と「少し良くなる」を合計した数字が87%であった。

問2.「10年後の暮らしの経済的な見通しについては,「ずっと良くなる」「少し良くなる」を合計した数字が86%であった。

問3.「10年後の住まいの広さが2倍以上になっている」を合計した数字が59%であった。

これらの答えからは,「生活に明るい見通しをもっているC層,D層の姿」がみえてきた。

次に「子供の教養・勉強にかけるお金」についての問いに関して

問4.「子供のための教養・勉強に現在お金をかけている」が52%であった。

同じ質問で,A層,B層が52%となっており,A層,B層,C層,D層共に,約半数の人々が「子供のための教養・勉強に現在お金をかけている」ことがわかった。

問5.「子供に自分より高い教育を受けさせたい」が99%であった。

一般的に,「子供のためのお金をかけられる」人のことを「貧困」とはいわないであろう。

次に,「既に購入した商品」についての回答をみていく。

問6.「ブラウン管テレビを保有している」が92%。

問7.「携帯電話を保有している」が81%。

問8.「バイク・スクーターを保有している」が64%。

問9.「電気アイロンを保有している」が85%であった。

この答は,C層,D層がすでに積極的な消費者であることを示している。

次に,「2年以内の購入意向」がある商品については,

問10.「2年以内に冷蔵庫を買いたい」が21%。

問11.「2年以内にパソコンを買いたい」が24%。

問12.「2年以内に液晶/プラズマTVを買いたい」が40%であった。

これらのデータから明らかになったことは,少なくともインドネシア,グレータージャカルタのエリアにおいて「1ヶ月の家計支出が7200円以上2万円未満の生活者=C層,D層」は決して「貧困」ではないことだ。もっといえば,「貧困」とはかけ離れている。

この数字は,「BOP」の定義を根幹から考え直させるデータであるが,実際にインドネシアのグレータージャカルタを歩き,家庭を訪問しそこに住んでいる人たちと話すと,この調査結果に全く違和感を覚えない。むしろ現実とマッチしていると感じられる。さらに特出すべきは,調査の際に会って話した結果,彼らの多くがとても明るく笑顔あふれる人たちであったことだ。

このように,「1年後の暮らしが少し良くなり(87%),10年後の住まいの広さが2倍以上になり(59%),今も子供のための教養・勉強に現在お金をかけていて(52%),ブラウン管テレビ(92%),携帯電話(81%)バイク・スクーター(64%)があり,液晶/プラズマTVが買いたい(40%)と思っている人たち」は,「貧困」とはかけ離れたこれからの消費をリードする人たちであった。

しかし,1ヶ月の家計支出が2万円未満の彼らが,どうしてこんなにも消費ができるのか,疑問に思うだろう。そこには,大家族で家族の多くがそれぞれに収入,副収入を得ているインドネシアの家族形態がある。みんなでお金をだしあって1つのものを購入すれば1人では買えないものが買える。また,同じ家電製品でも中国製などの廉価なものが広く普及している。携帯電話,バイクやスクーターなどは,レンタルが普及し安価なランニングフィーで使用できるといった理由があげられる。

3.  新BOP生活者「ドリームキャッチャー」

これらの結果から,筆者らは「今日よりも必ず明日が豊かになると信じて,子供にはお金をかけて教育の機会を与え,家電製品やバイクなどの商品を購入し,将来をより良いものすることへの高い意識を持つ人々を“夢をつかむ生活者”ドリームキャッチャーと命名した。英語で示すとDream Catcherとなるため,D層,C層の頭文字をとってロゴを作成した。

図1

ドリームキャッチャーのロゴ

本章では企業が「BOPビジネス」をすすめる上で世帯収入だけではマーケットを捉えることはなく,実際の生活者の現状を把握することが必須であるので,その生活実態を示した。

Prahaladの業績は,「BOP」を消費者として「再発見」したことであるが,それから20年の時を経て,筆者らは,「BOP」の一部または多くがすでに「BOP」から脱出して消費を楽しむ人々に変容していたことを発見したといえる。

こうしたことはインドネシアに限らない。Kobayashi(2011)は,インドにおいて,1日1ドル以下で暮らす人々が,テレビ,バイクをもっていると主張する。急成長する複数のアジアの国の都市部,都市周辺部では類似の現象が起こっているものと考えられる。もちろん,同じ1ドルであっても地域によってその価値は異なる。また,国ごとに成長率,携帯電話やITなどの普及率も異なるため,地域ごとに調査をして実態を捉えていかなければならない。

これまで述べてきたように,本章においては,「BOP」に世界が着目してから20年を経た今日において,「BOP」をどう捉えたら良いかを整理した上で,具体的にインドネシアの特定地域に住む貧困層を対象にした調査から「BOP」生活者の具体像を明らかにし,本研究の1つ目の目的である「BOP」とはいったい誰のことか,どのような生活をしているのか,その現状を具体的に示した。また,もはや「貧困」とはいえない人たちを「ドリームキャッチャー」と位置づけた。

今後ビジネスを展開する際に,調査の手法,製品のネーミングやデザイン,生産,物流,販促方法,広告宣伝の表現,さらには,雇用や経営などすべての企業活動に至るまで,「BOP層」のニーズを把握しておく必要があるが,そのための調査手法について,III,IVで考察していきたい。

III.  インドネシアにおける商品開発の調査から

1.  本調査の目的と概要

ここでは,JICAからの委託調査事業として2013年から2015年に,(株)マンダムと(株)博報堂が実施した「BOP層向け経口感染症の軽減を目的とした衛生事業準備調査」(JICA, 2015)で実施した調査を,「BOP層」を対象にしてどのような調査手法が有効であったか考察するための事例研究として考察する。

Khanna and Palepu(2010)は,「BOPビジネス」において,先進国のあたり前は通用しない顧客ニーズ,流通ネットワーク,その他市場を支える枠組みにおいて深い理解が必要と指摘されると主張する。また,Sugawara(2010)は,「BOPビジネス」に成功すると考えられる要因の1つとして,現場主義の重要性を説いている。それでは,「BOP層」の深い理解はどのような調査手法で可能になるのだろうか。

この調査では,衛生環境が悪いインドネシアの貧困層向けに小容量・低価格の殺菌商品を開発・販売する「BOPビジネス」が成立するかどうか検証するための調査を行ったが,この論文では,この調査全体に関わるビジネスの可能性について考察するものではなく,あくまで「BOP層」を対象に実施した調査,手法の有効性について考察する。

ここでは,Nielsen Data(2013)で示されている社会経済クラスをもとにマンダムインドネシアが開発した(A–Eの5階層)の階層を用いて調査を実施した。

この分類に従うと月間総支出において,301万ルピア以上をA層,201万ルピア以上300万ルピア以下をB層,101万ルピア以上200万ルピア以下をC層,71万ルピア以上100万ルピア以下をD層,70万ルピア以下をE層とした。

「BOP層向け経口感染症の軽減を目的とした衛生事業準備調査」全体では,目的別に合計11回の調査を実施した。その中から,「BOP層」のニーズをつかむために,どのような調査手法が望ましいのを考察するために,4つの調査の手法について考察する。

表2

求められる調査手法

2.  調査に関する考察

(1) 弾丸ツアーの有効性

全11回の調査を始める前に実施したのが,ターゲットの生活実態の全体像をつかむための「弾丸ツアー」であった。これに関しては,当初は「調査」とも位置づけられなかったため調査報告書にも記載をしていないが,調査団にとって最も重要な「調査」の1つであったためこれについて述べる。

本調査事業に関わったメンバーは,インドネシアに長年駐在をしているものもいたが,「BOP」の生活実態を熟知しているも人はいなかった。また,メンバーの中には,一度もインドネシアを訪れたことのない人もいた。インドネシア人のメンバーもいたが富裕層であり,必ずしも貧困層の生活実態を熟知しているわけではなかった。

Hart and London(2011)は,インドにおいて白物家電を扱う製造会社であるGodrej & Boyce Mfg. Co. Ltd.が,「BOP生活者」の日常に根ざすことによって人々の生活を向上させ収益をあげたと指摘している。そこでこの調査事業全行程では,「人々の生活に根ざした」調査プロセスを含む「デザイン思考」を活かした開発を試みた。「デザイン思考」については様々な定義があるが,ここでは「人々の生活に根ざし寄り添うことで,その人の課題やニーズを発見し,その課題を解決するアイデアを自由に発想し,拡散と収束を繰り返しながらプロトタイプを作成。プロトタイプの検証を重ねながら課題を解決する思考プロセス。」と定義する。

まずは,調査を実施する前に,調査団員全員で4日間にわたるツアーを実施した。ツアーの内容としては,「BOP層」が居住するエリアを散策し,地域の学校,職場,市場,小売店,屋台,役場,駅,保健所,病院,などをまわることで,そこに生活している人の環境を大雑把に把握しつつ,通行人に声をかけ,家の中をみせてもらうという内容であった。

通常の商品開発のプロセスでは商品パッケージなどを制作するデザイナーは,市場調査の段階から参加しないことが多いが,この「ツアー」にはデザイナーにも参加してもらった。結果として,人に寄り添うことで「貧困とは到底思えない子供たちの屈託の無い元気な笑顔」,「朝から屋台で外食を楽しむ家族」などの現実の生活をみることできた。また,「井戸などの汚染されている水を汚染されていると思っていない」といった衛生改善のための課題も見つかった。調査メンバーは,「BOP層」を貧困と思っているが,「BOP層」は自分たちのことを貧困と思っていないなど調査メンバーと生活者の間の大きなギャップに気づくこともできた。

この「ツアー」を実施することで,調査設計の「前提」となるべき基本的な情報を得る事できたことに加え,その「前提」を調査団員の全員が共有できたため,その後の協議がスムーズになり,全体の調査計画を作成するために重要な役割を果たした。

2年間におよぶすべての調査事業全体では,デザイナー,調査の専門家,日本および,インドネシアにおける商品開発の担当者など,専門や国籍が違うメンバーが,生活者に寄り添うことで課題を発見し,メンバー全員で体験を共有し,課題を解決するプロトタイプを制作し,生活者にその有効性を検証しながら開発をすすめた。この調査事業全行程で「デザイン思考」を商品開発のプロセスに導入したことが非常に有効であったので,この調査を元に調査手法として開発したものをIVで述べる。

(2) 専門家ヒアリング調査の有効性

次に,調査A:専門家ヒアリング調査に関連して述べる。「専門家ヒアリング調査」は,2012年8月から9月にかけて,手洗い習慣の啓蒙や殺菌ジェルの普及手段について,専門家・行政関係者・保健所関係者約10名にヒアリング調査を実施した。

表3

調査A 専門家ヒアリング調査

この論文の2つ目の目的は「途上国の貧困層の理解とニーズ把握のために,どのような調査手法が有効か」であるが,ここでは,この専門家へのヒアリングが有効であった点について述べる。

この調査からは,「BOP層」を対象とした調査から得る事のできない情報が多く得る事ができた。その1つが病気,病名や症状,薬などに関する正確な情報である。「BOP層」は医薬品に関する言葉を知らないケースが多かった。また,初等教育をうけていないため言葉による表現力が劣り,物事を的確に表現することが困難な人もいた。この専門家ヒアリング調査の有効だった点は,「BOP層」を対象とした調査において,曖昧であった情報が補完されたことである。

日本人を対象とした調査ではこのような補完的な情報は必ずしも必要ではないが,「BOP層」を対象とした調査では,高学歴な専門家から正確な情報を得ることが必要なことがわかった。

次に,専門家ヒアリング調査において偶発的に起こったことについて述べる。保健所で医師にインタビュー調査を実施した時のことである。「今日も沢山のマラリア患者がこの保健所きています」と医師が話した時のことである。インタビューをしているその部屋に,沢山の蚊が飛んでいた。調査メンバーは,すぐさまインタビューを中止して,蚊を手で叩きだした。

ここでは,言葉よりも体験が調査メンバー全員にこの地域の現状を瞬時に認識させた。マラリアに悩まされる現地の差し迫った状況を自らの「体験」を通じて感じることができたのだ。何かを目的とした調査でなく,偶発的にでも「体験」したこそがそのチームを動かす。こうした「体験」が有効であったが,これについてもIVで述べる。

(3) エスノグラフィー調査の有効性

次に,調査B:エスノグラフィー調査に関連して述べる。調査Bでは,「BOP層」の衛生状態や買い物行動などの生活情報全般の獲得を目的に,2012年10月に,ジャカルタ郊外にて,15サンプルのエスノグラフィー調査を実施した。

表4

調査B エスノグラフィー調査

「BOP層」の家庭は調査団にとって異質世界の遭遇であり,彼らの生活の理解を促すものであった。以下にC層,D層の家族で実施した調査から1サンプルの結果を示す。対象者は,父(31才),母(31才),長女(2才)であった。エスノグラフィー調査実施後,家族と会話をした内容も踏まえて記載する。

朝,6時に家庭を訪問すると,夫婦はすでに起きていてイスラム教のお祈りを終えていた。8時には父は徒歩圏内の父親が働く近所の食品工場にいく。40度を超える工場で冷房がないので暑そうにみえたが,きくと,「普通」と答えた。彼らはそこで生まれ,冷房のない工場で仕事をしてきたのでそれがあたり前なのだ。日本人からどう思えるかではなく,彼らがどう感じるかが重要だ。家族のために一生懸命稼ぐ夫の月収は,約2万円である。

筆者は午前11時に家に戻り,母,娘の行動を観察する。妻は専業主婦で,育児,掃除,洗濯と忙しく働く。母が娘を抱く姿や表情から,娘を愛してやまない母の姿をみた。住居スペースは4畳ととても狭いが,その部屋には,子供のおもちゃやドレスで溢れていた。夫婦との会話からは,近くのファーストフードのお店で60名集める誕生日パーティーの予定があり,ドレスもそのために買ったことがわかった。

この調査からは,生活者に寄り添いエスノグラフィー調査を実施することで,「BOP層」の実態を知ることができることがわかった。また,エスノグラフィー調査の実施後に家族と打ち解けて会話をすることが,「BOP層」の「生活を知る」ために重要であることを知った。さらに,この調査経験からは,共同生活を体験する調査手法を考案したため,これについてはIVで述べる。

(4) 流通/ワルン業者理解調査の有効性

次に,調査C:流通/ワルン業者理解調査に関連して述べる。

表5

調査C 流通/ワルン業者理解調査

実務において流通調査は必須であり,この調査事業でも勿論実施したが,日本では起きないでき事を多く経験した。ここではその1つの例について示す。伝統的小売店(ワルン)にインタビューにいくと店主が店の中で昼寝をしていたことが何度もあり,こうした習慣があることを知る。また,ワルンの店主に「毎月の利益が幾らか」と質問すると「わからない」という答えが多かった。理由は「帳簿をつけていない」からだという。初等教育を受けていない人は,算数の計算ができない人が多く,帳簿の付け方がわからない,毎日そのような作業をすることが面倒だという人も多くいた。こうしたことはビジネスの観点からはあってはならない事態だが,逆に,日本のあくせくして利益をあげるために血眼になってお金の計算をしている姿に比べると人間的な生き方としていると解釈することもできる。このようにデータからはわからない,また見えてこないことがある。いや,むしろそのことのほうが多い。実際にその人と会話をしてその働いている環境や状態を知り,その人の生活に寄り添うことでその違いを認識する。そうした,文化,多様性への理解なしに,その人たちの課題やニーズを把握することはできない。こうした観察や体験が,文化の違いのギャップを埋める。単なる流通の数字の調査ではなく,リアルな体験が,マーケットを知る上で重要であることがわかった。

(5) 試作品使用評価調査の有効性

本事業調査全体では,ブランド,ロゴ,広告,販促を包含する「デザインマネメント」に関する様々な調査を実施したが,ここではその中から調査D:試作品使用評価調査において,日本人とは,明らかに違う結果が示された事項について述べる。

表6

調査D 試作品使用評価調査

商品のパッケージのデザインに,かわいいと思われる動物のイラスト3点を調査した結果,予想していない結果が示された。イラスト3点は,鳥,オランウータン,ペンギンであった。

鳥のイラストについては,「ガルーダを商品に使用するのはあってならない」という強いネガティブな反応が大半を占めた。ガルーダとは,インドネシアで神様として崇められている鳥である。イラストの鳥は,筆者ら日本人らにはガルーダをイメージするようなデザインではなかったが,多くのインドネシア人がガルーダを想起した。たとえガルーダを想起したとしても悪い印象がどうか知り得なかったが,商品に描くことに対して拒絶反応を示すことがわかった。

また,オランウータンのかわいいイラストに関しても,日本人とは対照的な反応があった。調査団にはかわいいというイメージで描かれたイラストをみて,「オランウータンは怖い」と述べた人が多数を占めた。理由をきくと「人を襲う動物だから」という反応があった。オランウータンは日本人にとっては動物園にいる「かわいい」動物だが,インドネシア人にとっては,実際に森に住んでいる人を襲う可能性のある動物であるためだ。

一方ペンギンのデザインに関しては,かわいいなど日本人と同じようなイメージが想起された。この調査からは,文化的な背景や生活習慣の理解なしにデザインできないことが示された。

この調査に関連して,カラーカードを使用して色に関する調査を実施した,どのような色が好みか聞いてみたが,日本人に比べ明るくはっきりとした色が好みであることがわかった。

ここでの調査からは,「デザイン思考」を活かしたプロセスで現地生活に入り込み,生活者に寄り添うことで,調査団員が共通の体験をすることで多様な文化的な背景をもつ人々の生活実態を理解することができること,また,商品パッケージなどのデザインに関する嗜好性を把握することができることが示された。

IV.  デザイン思考を取り入れた「貧困層」への新しいアプローチ

1.  現地のニーズを把握することの重要性とデザイン思考

Yasumuro(2010)は,「BOP市場」は,製品技術と市場ニーズのミスマッチがあり,この市場が起点となるマーケティング論の知見が不可欠であると主張している。Watanabe, Hiramoto, and Tsuzaki(2012)は,現地の感覚を持っていない日本人が立てる仮説が全て正しいということはありえない,「BOPビジネス」において未知の顧客が自社にとってなぜ重要なのかを明確にし,市場環境を監視し,自社製品を改善することが必要であることを主張している。

これらの主張はいずれも「BOPビジネス」を成功させるために現地のニーズを把握することの重要性を示している。ここでは,これまでの調査を受けて,途上国の「BOP層」の理解とニーズ把握のためにどのような調査手法が有効かについて述べたい。

具体的には,II,IIIで示した結果を受け,筆者らが考案した課題解決のための調査手法である,「潜入体験型リサーチ手法 DIVE(Diversity Inclusive Visionary Enhancement)」について記載する。

DIVEは,従来デザイナーが用いてきた「デザイン思考」を活かして開発された調査手法である。「デザイン思考」は,これまで人間中心のデザインプロセスとして主にデザイナーが使用してきた思考法だが,最近ではデザイナー以外の職種の人にも着目されている。次にDIVEのプロセスと手法について記載する。プロセスとしては,大きくは以下の8つのプロセスとする。A.生活圏の全体像をつかむ,B.リアル生活に潜入体験する,C.課題を発見する,D.アイデアを拡散する,E.プロトタイプを作成し使ってもらう,F.改善する,G.定量調査で裏付けする。H.商品を提供する=課題を解決する。

図2

潜入体験型リサーチ手法 DIVEのフロー

2.  課題解決型デザインのプロセスについて

次に調査の実施手法について述べる。

(1) 弾丸DIVE

「A.生活圏の全体像をつかむ」で最初に実施するのが「弾丸DIVE」である。

この調査の目的は,大きく2つある。1つ目は,全体の調査計画を設計する前に現場で全体像をつかむことにある。2つ目は,調査や商品開発に関わるチーム全員に共通の前提をつくることにある。

弾丸DIVEに参加するメンバーは,調査の専門家だけでなくデザイナーや商品開発の担当者を含む,日本人だけでなく現地の人との混成チームとする。同じ日本人でも駐在員とその国に馴染みのない人がいる,また,同じ日本人でも職種や専門が異なる。そのため,この調査は,チーム全員で同じ体験をして,意見を述べ合い,違いを認識して同じ土俵にたつという意味ももつ。

具体的には,現地の生活者を取り巻く環境,つまりその人たちが住んでいる家庭,通っている学校,職場病院,公共施設,小売店などを3日~7日程度の短期間の弾丸視察で訪問し,歴史,民族,宗教,気候,政治体制などを含めた生活者を取り巻く環境を大雑把に把握する。これが後の調査設計を大きく左右するため最も重要な調査と位置付ける。

(2) 生活DIVE

「B.リアル生活に潜入体験」で実施するのが,「生活DIVE」である。これは,対象となる家庭に滞在する調査であり,可能であれば数日間その家に宿泊し,その家族と衣食住をともに過ごすことで,課題を発見するのが理想的である。それが無理であっても,朝から夜まで密着し,エスノグラフィー調査を実施する。本音をききだすために,エスノグラフィー調査の後に,通訳を通じでも構わないので,家族との会話にはいることが望ましい。

図3

「生活DIVE」実施時の写真

(3) デザインDIVE

次に「C.課題の発見」においては,観察や会話だけでなく「デザイン思考」を活用して実施するのが「デザインDIVE」である。そのためのモジュールとして「人型アイコン」「カラーアイコン」「写真アイコン」などのビジュアルツールを活用する。対象者の中には,文盲者も多く,自分の思いをうまく会話で表現できない人も多いため,絵やビジュアルで相手と考えを共有するのに有効である。例えば,自分のカード,母親のカード,医者のカードなどを用意し,模造紙に親しいと感じる順にカードを並べるなどして,家族や外部の関係者とどのような絆をもつか把握することができる。

図4

「デザインDIVE」で使用したモジュール

また,商品のパッケージの色なども,生活者によって反応が極端に違う。この調査手法を用いることで,実際にパッケージのデザインを制作する前に,カラーカードや写真をもちいて,対象者の好みを知ることができる。

また,「デザイン思考」に基づいた,描きながら考えることでアイデアを生み出す「デザイン発想法」(Inoue, 2017)を用いて「D.アイデアを拡散」して,「E.プロトタイプを作成」して実際に使用してもらい,「F.改善する」。ターゲットとなる人々に10年後の理想の暮らしなどを描きなら考えてもらい,彼らの夢を叶える画期的な商品やサービスを考案するのもこのフェーズである。Cao(2013)は,「BOPビジネス」を成功させるために,市場調査に「BOP層」を参加させることで,彼らの生活実態やニーズを把握するインクルーシブ・アプローチが注目されてきたと主張している。重要なのは,こうしたプロセスに,制作する側だけでなく,調査の対象者である生活者と一緒にアイデアをだしていくことである。日常生活において具体的な課題をもっている彼らと共に解決策を生み出すのが「デザインDIVE」で最も重要なことである。

「G.定量調査」を実施するのは,極端に言えば「H.商品を提供」の直前でも良い。そのかわり,プロトタイプを制作する段階で,生活者に受入れられる商品かどうかを早期の段階で判断し,商品化の可能性が低ければ別の案に切り替えることが必要だ。

DIVEは,「BOP生活者」との生活共有の経験数を増やす調査手法である。サンプル数を追うのではなく,一人の「BOP生活者」との接触時間や訪問回数を増やすことを重視する。長時間にわたり,あるいは何度も同じ人にも会うことで,理解が深まる。初めてあったときは話をしなかった本音の話がやっと聴ける。こうした経験を共有することで日本人には馴染みのない,イスラムのお祈りや宗教行事なども身近なこととして捉えられてくる。定量調査からはみえてこなかった生の情報がたくさん得られるが,それだけではない。その体験から得られることは,「自分の気持ちが動く」ことだ。同じ体験を共有した仲間ともそれを共有できる。

Oouchi, Tham, Watanabe, Takayama, and Nakagawa(2013)は,「BOP市場」では,その国の文化,信仰,慣習,思考様式まで深く認識した製品開発が必要だと主張する。DIVEは1の調査手法にすぎないが,その根底にある考えは,同じ生活者として喜びはもちろん,痛みや苦しみを共有することが最も大切であるということだ。

たとえ数日間であっても生活を共有することで,彼らが「自分とは全く違う貧困な人」ではなく,実は「同じような悩みや喜びをもっている生活者である」ことを知ることができる。その時に初めて,彼らが大切にしていること,そして苦しんでいることがわかってくる。その苦しみを実感した時にこそ,彼らが切実に困っている課題に対して,自分たちができることを必死になって考える力が生まれる。

3.  まとめ

この論文では,「BOP」40億人という捉えどころのない膨大な人口の中から,限定した調査エリアを選定し,「BOP」とはいったい誰のことか,どのような生活をしているのか,その現状を示した。その上で,実際に,途上国の貧困層の理解とニーズ把握のためにどのような調査手法が有効か,「BOPビジネス」における調査手法のあり方を探り,有効と思われる手法を示した。

筆者は,20代の時に6ヶ月をかけてアフリカ大陸をヒッチハイクで東西に横断した。その当時,今でいう「BOP層」と呼ばれる人たちの家庭に無料で泊めてもらう経験をした。泊まり歩いた家庭には,電気も貨幣もなかったが,家族を大切にして,自然に囲まれてつつましやかに生活をしている人たちに出会った。

お金を持っている先進国から来た,と胸をはって途上国の貧困地域にスーツ姿で足を踏み入れるのではなく,彼らと生活を共にし,一緒に汗をかきながら,その痛みや課題を共有し,その解決方法を彼らと一緒になって考える。それこそが,「BOPビジネス」が向かうべき道ではないか。

いや,もはや「BOPビジネス」という上から下を眺めるような言葉を改めるべきであろう。本当に貧困な人たちを含めて営利,非営利の枠を超えて世界の貧困を無くすための課題解決の手法を一緒に模索していくべき時期がきている。SDGsがそのきっかけになるという期待をもちながら,この6年間をかけて途上国の貧困地域に幾度となく通いながら考案した手法についてまとめた。

ここで紹介した手法は,すでに積極的に消費をしている生活者にも有効だが,より貧困な人々にとっても有効だと思われる。そのためSDGsの目標1である貧困をなくすためのアプローチとしてこの調査手法が本当に有効かどうか,継続した研究が求められる。筆者らは,SDGsの課題をデザインで解決していくために,九州大学大学院芸術工学研究院SDGsデザインユニットを2018年4月に立ち上げた。ここで記載した手法をさらに有効なものにするために,より実践的な研究を進めていきたい。

謝辞

この研究は,途上国にいる沢山の友人やパートナー,国際協力機構(JICA),(株)マンダム,(株)博報堂の多くの方の協力によって実施した多くの調査と体験をまとめたものである。また,DIVEは,田中廣,中島一郎,神長澄江,大橋直子,横尾美杉,佐々木圭一(敬称略)の協力により井上滋樹がまとめた手法である。現地で共に汗をかいてきた人たちに心から感謝を伝えたい。

井上 滋樹(いのうえ しげき)

九州大学大学院 芸術工学研究院 教授,SDGsデザインユニット長,芸術工学博士/アートディレクター

マサチューセッツ工科大学客員研究員,Institute for Human Centered Designフェロー,博報堂ダイバーシティデザイン所長を経て現職。「人間中心」をキーワードとした,研究,デザイン制作,教育活動,社会連携事業に従事。

References
 
© 2018 The Author(s).
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