2019 年 38 巻 3 号 p. 6-16
小売業の地域貢献に多くの注目が集まっている。それは決して小売業の「本来的業務と無関係な余計な業務」ではない。むしろ,店舗型の小売業が本来的のもっていた外部性への正当な評価にほかならない。かつては外部性への配慮は本業と不可分に結びついていたが,チェーン店の登場によってその両者が分離した。外部からの規制はそれを新たな規範として形成するための1つのステップであった。チェーン型の小売業も多くの地域貢献活動に取り組んでいるが,企業単独ではなく,地域の小売業と共に「まちづくり」に取り組むことが強く求められている。
地域商業政策は流通効率化政策と共に流通政策の中で一貫して主要な柱を構成してきた。それは時に流通効率化政策に押されながらも,しかし確実に政策の柱であり続けた1)。私達は今,市場における自由な競争は流通効率化をもたらすと,ほとんど無条件に信じている。しかし,戦前から戦後の1980年代半ばころまで,それは決して無条件に信じられることではなかった。競争は取引相手に対するサービスを競い合う側面をもつが,それは必ずしも効率化とは結び付かず,結果からみれば非効率な取引慣行に基づくサービスの継続をもたらすこともあったからである。実際,コンピュータの導入に伴って情報化が急速に進展したときには,そうした状況は決して珍しくはなかった。
そんな時期には,流通政策は流通効率化において重要な役割を果たした2)。特に,流通は生産性が低く,その非効率性が長年にわたって指摘されてきただけに,流通の効率化を促進することは最大の課題であったし,そのためには流通政策がそれを強力に推し進める必要があった。実際,戦後の本格的な流通政策の始まりとされるされるのは,1964(昭和39)年に通商産業大臣が設置されたばかりの産業構造審議会流通部会に行った諮問であるが,それは「流通機構の近代のために,いかなる対策が必要か」というものだったのである。
しかし,その後,流通過程における競争環境が変化し,取引相手に対するサービスが経済的取引として行われるようになると,競争は次第に流通の効率化を導くようになる。市場における競争が効率化をもたらすわけで,そうなれば政府がことさらに効率化政策を推進する必要は低くなり,それに代わって地域商業政策への関心が高まることになる。近年の地域商業政策への関心の高まりはこうした事情を強く反映している。
そのようにいえば,地域商業政策は流通効率化政策の陰に隠れていたかのようにも見える。しかし,実際にそうだったわけでは決してない。通商産業省の政策ではないためにあまり注目されることはなかったが,例えば1952(昭和27)年に施行された耐火建築促進法は都市の不燃化を掲げ,商店街のハード面からの「近代化」を強力に推し進めた。それは1961(昭和36)年の防災建築街区造成法を経て,1969(昭和44)年の都市再開発法につながっていった。それらは間違いなく都市の中心部における商店街の改造にほかならなかった。以来,ハード面からの商店街整備は流通政策の中で中心的な柱であり続けた。
それだけではない。近年でこそネット通販が伸長してきているとはいうものの,商業は常に店舗商業として物理的な店舗を通して営まれてきたし,店舗商業はほとんどの場合集積を形成し,その必然的な結果として外部にまちをつくってきた。単に物理的な街並みを形成したというだけではなく,地域の伝統・文化を継承するのに重要な役割を果たすと共に,まちの雰囲気を演出し,コミュニティの形成に貢献してきた。私はこれを「小売業の外部性」と呼んできたが3),地域商業政策はこうした外部性を正当に評価しようとするものにほかならない。
流通は広い意味での経済システムの中で理解される限り,生産と消費との間の懸隔を架橋することに意義があり,したがってその効率的な架橋こそが本質的機能だとされてきた。もとより,そのことに疑問をさしはさむ余地はないのだが,商業は決して「本質的機能」のみを遂行してきたわけではない。商業は懸隔の架橋にかかって「副次的」とされたさまざまな機能を遂行してきた。それだけではない。とりわけ,商業集積を形成する店舗型の小売業は,地域の人びととふれあい,地域の人びとを顧客として迎え入れ,商品を提供するという以外のさまざまな側面からも,彼らの生活を支えてきたのである。
近年ではインターネットを活用した無店舗販売が大きく支持を伸ばす中で,郊外に展開するショッピングセンターには陰りが見え始めたようだが,各種の専門量販店は堅調な伸びを示す一方,コンビニエンスストアもまたますますその利便性を強調することによって,1つの店舗で従来型の業種店,数店舗に代替している。こうした流れを推進するのは流通効率化を求める動きであり,この観点からみれば,その中から確実に新しい「業態」が開発されつつあるといってよい。しかし,それによって従来型の小売業が姿を消すとなれば,彼らが果たしてきた外部性も同時に失われていかざるを得ず,それを補完する別の形での外部性が求められることになる。小売業の進化・代替は流通効率化の観点からだけではなく,小売業が果たしてきた外部性の観点からも評価される必要がある。
ここで外部性として評価しようとするのは,商業,特に小売業の活動の結果であることに間違いにもかかわらず,従来の流通論の中ではほとんどまったくといってよいほど考慮されることはなかった側面である。そうした見方からすれば,地域商業政策として小売業のさまざまな取り組みを評価することは,小売業にまったく非本質的な役割を期待することになり,「なぜ,小売業は自分の商売を犠牲にしてまで,そうした余計な業務に取り組まなければならないのか」「小売業は消費者により良いものをより安く提供するという本来の業務に専念すべきではないのか」といった声が聞こえてくる。
しかし,地域商業政策が焦点を当てようとするのは,小売業にとってもともと無関係な役割では決してない。特に店舗型の小売業は,理論がそれをどのように位置づけるかにかかわりなく,ここで外部性と呼んだ役割を果たしてきた。確かに,それらは市場において取引の対象となってはいない。しかし,それは「市場」という評価システムの特性によるのであって,小売業の果たす役割そのものとはかかわりのないことである。小売業が果たす役割を正しく理解しようとすれば,本質的機能や経済的機能だけに着目するのではなく,小売業の活動をそのまま,ありのままに理解する必要がある。
本稿の課題は,こうした問題意識に立って,小売業の外部性について,やや具体的に考察し,その観点から地域商業政策の意味を問うことにある。
今日,小売企業の社会的責任について,「それは企業の本来的活動とは無縁だから,そんなことに手を出す必要なない」という人はほとんどいないであろう。それほど,企業の社会的責任ないし社会貢献への評価は定着してきたといってよい。しかし,それは以前からずっと当然のこととして受け止められてきたわけではなかった。
小売業においても,企業の社会的責任ないし社会貢献に対して注目が集まったことは過去に何度もあった4)。しかし,近年でいえば,この問題がことさら注目を集めるようになったのは2004(平成16)年であったといってよい。2000(平成12)年に戦後,日本の流通政策の中心をなしてきた大規模小売店舗法が廃止され,改正都市計画法,中心市街地活性化法,大規模小売店舗立地法からなる「まちづくり三法」体制がスタートするが,その最初の見直しが行われたのがこの年であった。その見直しの議論の舞台となった産業構造審議会流通部会と中小企業政策審議会商業部会の合同会議では,大型店の社会的責任について激しい議論が展開された。
ちょうどその当時,2001(平成13)年にマイカルが会社更生法の申請を行い,2004(平成16)年には戦後の日本の流通革命を牽引してきたダイエーが経営破綻して産業再生機構の支援要請を決定するなど,大型店の経営破綻が相次いでいた。地域の中で核としての役割を果たしてきた大型店が,経営が困難であるとはいえ,突然姿を消す。中心部に現れる広大な空き店舗や空き地は,中心部の衰退を象徴するように後継店がないままに放置され,それが中心商店街の衰退感を一層高める。そのような事例が各地に現れていた。
そのこともあって,この時点で特に注目を集めたのは,大型店の撤退問題であった。小売業をめぐる環境の変化は激しさを増していた。大型店は出店時にはそこでの長期的な営業を企図していたとしても,途中のさまざまな状況の中で撤退を余儀なくされることはもちろんある。もとより,小売企業が好んで撤退するわけではないが,大型店ともなればその撤退は地域商業に大きな影響を与えずにはおかない。
地元の中小店にとってみれば,かつては大型店の出店に異を唱えたものの,いったん大型店が出店すれば,彼らは間違いなく地域の核となり,その大型店を中心として地域の新たな商業秩序が形成されるようになる。その過程で,既存店の撤退などももちろんあるが,大型店の退店は決してその出店前の状態への回帰ではありえない。大型店が地域の中で一定の地歩を占めれば占めるほど,その撤退の影響は余計に大きくなる。中小小売店は,今度は大型店の撤退に何らかの歯止めや制約を課すことを求め始める。
しかし,いかに大型店の撤退が地域商業に大きな影響を与えるからといって,それを国の法律などによって規制することはできるはずもない。そうなれば,大型店が早期に撤退の意向を地元に伝えると共に,撤退の後に適切な商業の参入を促すような努力を求める声が大きくなる。そして,その声は個々の企業にはもちろん,業界,つまりは大型店の団体に向けられることになる。
そうした声に押されるように,国会でも閣僚から同様の趣旨の発言が行われた。例えば,二階俊博経済産業大臣(当時)は2006(平成18)年5月10日,参議院本会議において,「(業界ガイドラインについては)自らの社会的責任の一環として自主的に取り組むことが望ましいと考えております。経済産業省としても,改正法案において中心市街地活性化のための事業者の責務に関する訓示規定を新設いたしました。この規定を踏まえ,事業者が自主ガイドラインを作成するなど,その責務を果たすように促してまいりたいと思っております。」と述べ5),松あきら経済産業副大臣(当時)もまた,同年5月月30日,参議院経済産業委員会において,「大型店の撤退時の対応,これは非常に事業者の対応は重要でございます。やはりまちづくりに協力することは重要でありまして,社会的責任の一環として自主的に取り組むことが私は望ましいというふうに認識をいたしております。…経済産業省といたしましては,改正法案において創設をいたしました中心市街地活性化のための事業者の責務に関する訓示規定を踏まえ,業界自主ガイドラインの策定を含めて社会的責任を果たすように促してまいります。」と述べた6)。
外部からの規制が行えないとはいえ,業界の側に「自主的」ガイドラインの設定を政府が求めたことになる。これに呼応するように,日本チェーンストア協会「地域商業者等との連携・協働のためのガイドライン」(2006年6月),日本百貨店協会「百貨店の地域貢献活動について」(2006年11月),日本ショッピングセンター協会「ショッピングセンターの地域貢献ガイドライン」(2007年1月),日本フランチャイズチェーン協会「『まちづくり』への連携・協力のガイドライン」(2007年5月,2013年改定)が相次いで発表された。それぞれの団体のガイドラインの内容はそれぞれに個性的であり,まさに「自主的」であって,決して雛形があったわけでもなければ,社会的責任や地域貢献の内容が退店問題に限定されたわけでもなかった。しかし,それにもかかわらず,その制定そのものが外部,それも政府の強い要請によるものであったことは,当時の状況がまさにそれを必要としたものであることを物語っている。
こうした大型店の地域貢献を求める動きが具体化するのは,2004(平成16)年に東京都世田谷区が導入した「商店街加入促進条例」が最初であったと見てよいだろう。伝統的に地域で営業してきた中小小売商は各地域の商店街や商店会連盟などの組織に加盟して,一定の地域活動を行うのが常であった。それには大売り出しなどの販促事業ももちろん含まれるが,ほとんどの場合,地域のイベントなどの活動にも積極的に取り組んできた。これを中小店の純粋な販促活動と見れば,大型店がこれに加入する「義務」はない。販促はそれぞれが独自の販売戦略の一環として行うものだからである。しかし,実際問題として,これらの活動には販促か地域活動かに明確に二分できるものばかりではない。商店会などでは,街路灯や防犯カメラを設置したり,地域の清掃活動を行うほか,神社の祭礼などの催事などの地域活動に取り組むことは決して少なくない。
大型店も地域の中で営業する以上,商店会に加入して,こうした活動の一端を担うべきだというのが世田谷区がこの条例を導入した背景であるが,すでに制定されていた「産業振興基本条例」の中に,第4条第2項「商店街において小売店等を営む者は,商店街の振興を図るため,その中心的な役割を果たす商店会への加入等により相互に協力するよう努めるものとする。」および第4条第3項「商店街において小売店等を営む者は,当該商店街が地域の核としてにぎわいと交流の場となるのに資する事業を商店会が実施するときは,応分の負担等をすることにより当該事業に協力するよう努めるものとする。」という条文追加したのであった。
もとより,これらは大型店の努力を促すものであって強制力を伴うものではない。しかし,少なくとも自治体の意志がこの形で明確に示されたことになる。行政の明確な意志となれば,大型店もこれを無視することはできない。もとより,加入するか否かは依然として大型店の側に委ねられてはいるが,それによって実際に大型店の加入は促進されるようになったという。
その後,この加入促進条例は他の自治体にも広がり,すでに150を超える自治体で導入されているという。大型店の中には,いまや自治体から要請されるから加入するというのではなく,自ら進んで地域企業の一員としての「責務」を果たすという姿勢を明確にしているところも現れている。
小売業のほとんどが規模の小さな地元企業によって営まれている間は,地域貢献の問題は比較的シンプルであった。小売業であるから,業種が異なるだけではなく,商店の歴史も違えば,経営に対する考え方も異なる事業者が集まるのはむしろ当然である。しかしそれでも,各経営者はその地域で事業を営むと共に,自らの生活を維持するのが常であった。地域の商業者は,初めに商業者として組織を形成するのではなく,その前に地域の人びとと共にそこに暮しの場をもった。多くの人びとはそこで共に育ち,共に成長していく。そしてやがて,商業者としてまちに残る者があり,そのまちで消費者となる者があり,あるいは独立してそのまちから巣立つ者があった。他のまちから流入する者ももちろんあるが,彼らはすべてそのまちで暮らすことが前提となっていた。
上で小売業の外部性を企業の活動でありながら市場では取引の対象とならないもので,それでいて外部に対してさまざまな影響をもつものとしたが,それらは上のような状況では必ずしも意識的に取り組まれるものではなかった。商品を販売することは彼らがその地で暮らすための1つの手段であった。彼は商品を取り扱うことによって地域の人びととつながり,人びとのニーズを満たした。やや極端に言えば,彼らはその地にいるからその商品を販売するのであって,その商品を販売するためにその地にいるのではない。
商業者にとって,商品を販売することはもちろん重要であるが,それと同様に店の前をきれいに掃除することも,地域のイベントを盛り上げることも,商店街に賑わいをもたらすことも,学校環境をよくすることも,みんな同様に大切なことであった。そこでは内部性と外部性は,少なくとも意識の上では分かちがたく結びつき,一体であった。いや,地域と共に歩むことは,その地に暮らす者としての当然の生き方であり役割であった。ましてや,時間的にも経済的にも多少とも余裕があるとすれば,そうすることがごく自然であった。そこでは,外部性を意識することをあえて「対外的視線」などと表現することもなく,小売店の行動の中に外部に対する影響が当然のように組み込まれていた。
しかし,チェーン型の大型店が登場するようになると事情は大きく変わってくる。大型店といっても,単に規模が大きくなるだけで,その地に単体で存在する場合には,上とそれほど大きな変化は生まれなかった。商業者にとっての主たる消費者はその地域の人びとであるから,地域が豊かになることは購買力を豊かにすることであったし,快適な生活環境を創造するための努力は,自らに対する評価となって跳ね返ってくることが期待された。かつての地方都市における地元百貨店が典型的にそうであったように,いわば地元の「名士」として,それ相応の役割を果たすことが期待された。
しかし,チェーン店となると事情は異なってくる。チェーン店にとって,そのまちに特別の思い入れがあるわけではない。その地は全国にひろがる立地場所の1つであり,商業を営む上での多くの立地場所の1つに過ぎない。経営者はその土地の暮らしとはもはや何の関係も持たない。店長や従業員の多くはなおその地にかかわる可能性はあるが,彼らに意思決定の権限はない。その地は純粋に企業が事業を営む場所となり,その事業の視点から意思決定が行われるようになる。
そうなると,市場で評価される内部性と,評価されない外部性が分離し始める。それまで深く意義を追求することなく当然のこととして行われていた対外的な「業務」に意義が問われるようになる。なぜそうする必要があるのか,そうすることが事業のプラスの成果と結びつくのか,といった問いが意識的に投げかけられる。小売店が事業であるという一点から見て,その問いそのものを否定することはできない。そして,それに明確な答えが出せなければ,その業務は本来的ではない業務,あるいは非効率な業務として切り捨てられて行く。やや極端に言えば,そうなるのが組織の論理であった7)。
外部性は意識して議論され,そして意味がなければ切り捨てられる。そして,その意味の有無を判断する基準は「市場の論理」であり,究極のところそれが地域の消費者に受け入れられるか否かである。買うのは先の消費者と同じ消費者には違いないが,彼らは商品を買うのであって,残余の外部性を買うわけではない。外部性を切り離し,「本来の」商品だけが効率的に提供され,それを消費者が支持するようになる。そうなれば,小売業はますます効率性を求め,商品の販売のみを強く意識するようになる。対外的視線はもはや自然に入り込むようなものではなく,むしろ意識的に削ぎ落されるものとなっていく。
ここでの議論を規制と規範の文脈において,小売業が小規模であったときには対外的視線はいわばそれぞれの内的規範として共有され,ルールとして維持されてきたと言い直してもよい。それは他の誰かから指摘されるまでもなく,当然のこととしてそれぞれの行為者の中の規範であった。共有された規範はその内部に属する者にとっては強力な行動指針となるが,外部者にとってはしばしば意味の不明な単なる慣習のように見える。しかも,明文化されず,伝承によって継承されてきたものは,その意味を曖昧にし,解釈の余地を与える。内的規範によるルールの維持は決して安定的でもなければ強固でもない8)。
例えば,地元で営業する者にとって,地元の経済商工団体に所属し,応分の負担を行いながら地域の活性化に貢献するというのは,いわば暗黙のルールであった。もとより,全員がそれを誠実に遵守したなどとは言えない。しかし,少なくともそれを遵守することの意義に疑問をさしはさむ余地はなく,それに十分な協力ができない場合には,そのことに対する負い目を感じるのが普通であった。地域活動に取り組めない人びとは積極的に地域活動に取り組む人びとにある種の敬意を表し,それが後者の人びとの社会的地位を高めた。多くの商業者がそうした規範を共有している限り,地域経済団体への参加はおおよそのルールとして受け入れられ,運営されることができた。
しかし,多くのチェーン型の大型店にとってはそうではなかった。外部から入ってくる彼等にとって,それはいかなる意味でも規範となり得るものではなかった。東京都世田谷区から始まった商店街加入促進条例はその点を補完するものにほかならない。それはその必要性を認めなかった企業からすれば,明らかに外部からの規制であり,拘束であるに違いない。しかし,それは単なる外部からの規制ではなく,もともと地元の商店にとっては内的な規範であったものを確認し,公式化したものにほかならない。
こうした外的規制の中でも,法律や条例は議会の審議を経たものであるだけに,その公式性は格段に高くなるが,反面でその公式性がその規制の受容可能性を高める。そのことは,その規制内容が地元団体からの単なる要請である場合と比べれば直ちに明らかであろう。要請される内容に違いがあるわけではない。しかし,いまやそれは地元の一団体の要請ではなく,行政の要請であり,市民を代表する議会の要請となっている。最も公式性の高い法律や条例は遵守すべきだというのも私たちの規範にほかならないが,その規範が条例の受容可能性を高める。「それが自治体の意志であるのなら」として,この条例によって加入企業が増加したというのはそのことを示している。
こうした流れを強調すれば,大型店が伝統的に社会的責任や社会貢献に対して消極的な姿勢を示していたようにも受け止められるかもしれない。しかし,そう言うのがここでの本意ではない。大型店はもともとその「地域の企業」ではないとしても,その「地域で営業する企業」であることに変わりはない。確かに,大型店,特にチェーン店にとっては特定の地域は決定的に重要な地域でなく,多くの立地可能な地域の1つに過ぎないのだとしても,立地可能な地域は無限に存在するわけではない。それだけではない。出店するにしろ退店するにしろ,それには莫大な費用が必要なのであり,経済学が想定するような移動費用ゼロの世界で行動しているわけでは決してない。その意味では,大型店もまた小売業として,その地域に根を下ろすことを目指してきたはずであった。
問題は何をもって「企業の社会貢献」と見なすかにあった。先に指摘した2004(平成16)年の合同会議の席で問題になったのも,実はその点であったといってよい。地域の中小店は大型店に社会貢献を求めるのに対して,大型店は法令順守を含めて社会的責任は果たしていると考えていた。では一体,小売企業の社会的責任ないし社会貢献と何なのか。以下,このことを考えるためにも,さしあたり企業の社会貢献活動を小売業の「本業」に直接かかわるものと,本来の企業活動とは直接関係をもないものに分けて考えることから始めよう。もちろん,この両者は常に明確に区別できるものではないが,そのことはそれほど重要な問題ではない。
例えば,まだ大規模小売店舗法が存在した時代ではあるが,出店に際して社会貢献のあり方を問われたとき,大型店の関係者はしばしば「良い品物を安く,安定して販売することで地域の皆様に貢献します」といった趣旨の説明を繰り返していた。確かに,それも社会貢献活動でないとは言えない。しかし,商品の安定供給はいわば小売業としての「本来的」な事業のあり方そのものであり,市場において評価されるものにほかならない。もともと企業は社会に対して何らかの便益を提供し,その見返りに給付を受けるものであることを考えれば,それはあえて「社会貢献」として強調するまでもない,小売業としての当然の事業内容だということになるはずである。
あるいは,「地域に雇用機会を提供します」というのも,これとほとんど同じことが言える。確かに,地域経済を活性化するためには地域の中に確かな雇用機会,あるいは就業の機会がなければならず,雇用は地域に活力をもたらす1つの重要な機会であることは間違いない。しかし,逆に企業の側から言えば,雇用を確保することなしには企業活動を継続することはできない。その意味では,雇用機会を提供するというのは,企業がそこで事業を継続するというのとほとんど同義なのである9)。深夜営業を行うチェーン店が深夜に点灯するのも,これと同様に考えてよい。確かにそれによって,地域住民にとっての安心・安全は高まる。そのことの意義は確かに大きいが,それは深夜に営業することの必然的な結果であり,あえて「社会貢献」として強調することではないだろう。
こうした企業の本来の活動の対極にある取り組みとしては,メセナやフィランソロピー,各種の寄付などをその典型として挙げることができる。企業はそれぞれに独自のドメインの中で行動し,利益をあげる。その利益は広く社会からの支持で得られたものであるが,今度はその一部を広く社会に還元しようというのである。その還元先は企業の本来的な活動に縛られる理由はない。地球規模で発生している人権問題であってもいいし,国際紛争の解決やその被害者救済であってもかまわない。あるいは,災害時の被災地支援などもこれに含めてよい。直接的な活動だけではなく,それらを実践する機関や団体への寄付などを通しての間接的な支援もこれに該当する。
さらに,これに各種のスポーツや芸術イベントなどへのスポンサーシップを加えることもできる。この場合には,スポーツやイベントの支援そのものだけではなく,それらを支援していることを外部に明示し,それによって共感を得ようとする狙いがもちろん含まれる。その意味で,それは企業の広告・宣伝の一環としての側面が含まれるが,それでもそれなしにはイベントそのものが成り立たないのだから,これを社会貢献と理解することはできるだろう。さらには,これに植樹などを含めて考えることもできる。
これらはいずれも確かに企業の社会貢献に違いない。しかし,それらは企業の本来的活動とかけ離れた分野で,しかも地域ないし場所を特定することなく行われるものである。企業の事業活動から切り離され,立地の縛りもなくなるとなれば,必要なのは資金だけとなり,一定の予算さえ確保すれば「自由に」行うことができる。いま,小売業が特定の地域,特に小売店舗が立地するその地域を中心に行われる社会貢献を特に「地域貢献」と呼ぶとすれば,これらの活動は社会貢献に違いはないが,決して地域貢献であるとは言えないことになる。そして,先の合同会議においても中小小売業者たちが求めたのはこの意味での地域貢献だったのである。
小売企業はいまやさまざまな社会貢献,地域貢献活動に取り組んでいる。その最も代表的なものとして,2017(平成29)年9月,災害対策基本法に基づく指定公共機関に小売業の7法人10)が追加されたことを見ても明らかであろう。それによって,これらの企業は災害時において,地方公共団体等からの要請に基づいて,支援物資の調達,迅速な供給を担うこととなった。2011(平成23)年3月に発生した東日本大震災は私たちの防災に対する考え方の決定的な変化を迫ったが,これはそれ以降,各企業が自治体との間に締結してきた「包括提携協定」などによる支援体制が評価されてのことであり,それによって小売業はまさに「公益的事業を行うもの」として認定されたこととなる。その包括提携協定はまだ増加中であるが,例えばイオンの場合,すでにほとんどすべての都道府県と政令市をカバーするまでになっている。
その他にも小売企業はそれぞれの視点から,実に様々な地域貢献活動を行っている。その活動のひろがりは地域の中小商店がまったく及ぶことのできない範囲に達している。それだけではない。かつてはチェーン店といえば本部の権限が強く,本部の指示に従って各店が行動するものと考える傾向が強かった。そこでは各店の独自性は極小化され,地域の独自性が商品や店舗運営に反映されることはほとんどなかった。しかし,いま店長の権限を大幅に認め,地域の個性に見合った店舗づくりに取り組むチェーン店が増えていることは特に強調しておくに値する。
問題はそれにもかかわらず,地域の側からチェーン型の大型店に対して,なお地域貢献を求める要望が出されるのはなぜかという点にある。考えられる原因はいくつかある。第1は単純に大型店がどのような事業を行っているかが分からない場合である。もちろん,大型店は情報発信をするだろう。しかし,それは地域の人びとに正しく受け止まられるとは限らない。第2は大型店の活動がその地域に向けられず,広域の外部に向けられることが多い点である。だから価値がないというのではもちろんない。しかし,地域の人びとからすれば,それは遠い世界のことのように思え,それだけ関心が低くなる可能性がある。第3には大型店の地域活動の多くはほとんどその企業単独で行われており,他の事業者,特にその地元の関係者を巻き込むことが少ない。そのことが地元の人びとのその事業への関心を引き付ける力が弱くなる。
この最後の点について,もう少し考える。近年,「共創」なる概念が多用されるようになったが,それが意味するところは,商品にしろサービスにしろ,提供者側と需要者側を峻別し,提供者がいかに優れたものを,いかに効率的に提供するかという視点から脱して,提供者と需要者が相互に関与しながら価値をつくり上げていこうということであろう11)。そうすることによって,単に内容的に見て需要者の満足度の高い価値が提供されるというだけではなく,その価値を創り出す過程そのものが重要な意味を持つようになる。
このことが特に強調されるのは,地域商業の関心が「まちづくり」に大きく傾斜してきたことと密接に関連する。「まちづくり」の意味するところは必ずしも明確ではないが,小売業の世界ではほぼ小売業が営まれてきた都市空間における地域の人びとの生活の支え合いを意味するものとして理解されている。そこでは小売業は重要なプレイヤーではあるが,そこには多くの関係者が同時に参加する。小売業起点とはいえ,小売業が一方的に何かを提供して終わるのではない。まさに「共創」する世界がそこにある。
あるいは,自助,公助に対して「共助」の重要性が強調されるのもほぼ同じ文脈である。私たちの身の回りに発生するさまざまな事柄をすべて自らの力で解決することはもちろんできない。だからといって,それを行政が担うことはもはやできない。行政の負担力の低下が顕著となる中で,住民自身による支え合いに期待がかかることとならざるを得ない12)。
いま,地域小売業における最大の関心はこの「まちづくり」に置かれている。その背景をここで詳述することはできないが,かつては商業活動そのものと切り離しがたく結びついていた外部性が切り離され,しかも伝統的にまちを支えてきた商店の商業力が低下することによって,外部性そのものが希薄化せざるを得なくなった。そこから,今一度商業の外部性に議論の焦点を当てることによって,まちなかに商空間を中心とした暮らしの場,交流の場を取り戻そうというのである。ほぼ1980年代後半期に始まったこの動きは,2000年以降本格化しながら,現在さらに深化しようとしている。
商店街を中心としたまちなかの商店によるこうしたまちづくりの活動は,今やきわめて多様な方向に展開している。地域の安心・安全の問題に始まって,高齢化社会と子育て支援への対応,さまざまな地域資源を活用したイベントやアートの創造など実に多彩で,単に地域問題を解決するというだけではなく,地域に新しい価値を創造しようというものもある。さらに,それらは担い手として学生たちを巻き込むことで,多世代の取り組みの発展しているものもある13)。こうしたまちなかでの活動はかつては商業者達の自発的活動として行われていたが,近年ではその活動の範囲が広がり,全体としてのマネジメントする必要性が高まったこともあって,専門的なタウン・マネージャーを採用するところも多くなっている14)。
こうした取り組みを見れば,商店街を中心にまちなかで現在展開されているのは,かつての販促イベントや大売り出しといったものとは性格を異にしたものであることが理解できるだろう。単に集客イベントによって人を引き付けようというのではない。もっと豊かな地域の人びとの交わりと交流の場の創造であり,地域の人びとを広く巻き込んで展開される地域価値の創造である。その場としてまちなかが選ばれるのは,そこが多くの場合都市の中心としての歴史をもち,多くのストックをもち,人びとの記憶の空間であるからである。商業者はそこで活動するものとして,当然のようにその取り組みに中に巻き込まれ,そしてその担い手となっていく。
商業者が担い手となるのだから,当然にそこに事業としての収益が発生しなければならない。全国商店街振興組合連合会の副理事長,阿部眞一(長野県岩村田本通商店街振興組合理事長)は「右手にそろばん,左手にコミュニティ」と表現している15)。個々の活動1つ1つが収益事業となるかどうかは別として,そうした取り組みが地域の人びとに支持され,それが日常の商業活動に還元してくる必要はある。そのことを強調すれば,たちまち「衣の下から鎧」だいう指摘が起こりうる。しかし,こうした地域の活動は誰が行おうと,必ず一定の費用支出を伴うのであり,それを特定の人びとのボランティアによって長期的に維持していくことは絶望的に難しい。むしろ,地域の商業者たちの取り組みよって小さな収益の循環を発生させながら,地元の人たちが共に担っていくことこそが,あるべき姿だというべきなのだろう。
但し,その場合,担い手となる組織は従来の商店街組織と一致するとは限らない。商店街組織は比較的狭いエリアを確定し,その中での共同事業を行ってきたが,まちづくりとなれば,対象範囲は広がり,事業者の範囲も広がる。新たに参入する事業者もそのエリア内に収まることなく,周辺に展開する。したがって,彼らを巻き込むにしても,その組織としての受け皿は既存の商店街組織であることはできない場合が多い16)。すでにまちづくり会社を立ち上げたり,NPO法人を立ち上げるなど,新たな組織づくりの模索は始まっているが,そうした受け入れ態勢をどのように整備するかは,今後の課題となるだろう。
そして,いま地元の商業者たちがチェーン型の大型店に求めているのは,こうしたまちづくり活動の中に共に参加して欲しいということである。既に行われている包括協定も植樹もすべては貴重な地域貢献である。しかし,その上でもう一段,こうした地元の取り組みと共同歩調をとることはできないか。そうすることによって,大型店が真にその地域に根ざした企業となることができるはずである。
小売業に社会的責任を求め,社会貢献や地域貢献を求めるのは,小売業に対する地域からの期待である。期待の内容はもちろん時代とともに変わる。高度成長期には比較的小さかったその声は,やがて大きな流れとなって表現されるようになってきた。「責任」といい,「貢献」といい,本来それらは小売業の自主的な取り組みとして行われるべきものである。しかし,業者側での自発的な取り組みが遅れるとき,外部からの要請が具体的に姿を現す。本稿では商店街加入促進条例にその典型例を求めたが,それは小売企業への大きな期待にほかならなかった。
外部からの期待はこの場合であれば「条例」という形での外的規制として現れた。それは形式的に見れば強制力をもつものではなかったが,それでもそれは公式性の高い規制として,多くの企業にとっては外的規制と映ったはずである。しかし,それを受け入れて行動するうちに,やがてその外的規制が自らの内なる規範として受け入れられていくようになる。まさに「しなければならないことを,したいと欲するようになる17)」のであり,その限りでこうした外的規制にも十分な役割があったということはできる。
そして今,地域商業の現場では「まちづくり」が強調されるようになってきた。特に店舗型の商業者は単に商品を販売するだけではなく,同時に意識的か無意識的かを問わず,地域社会に対してさまざまな働きかけを行っている。小売業の外部性と呼んだそれは,かつてはほとんど無意識的の内に事業活動の中に取り込まれていた。チェーン型の大型店の登場によって失われかけたその側面をもう一度呼び戻そうとする期待がある。今,地域商業の現場では,多くの市民や学生たちを巻き込みながら,さまざまな活動が行われている。その詳細はここではふれられないが,その隊列の中に大型店に参加して欲しい,その期待が今,大型店に寄せられる地域貢献の最も重要な側面となっている。
最後に,1つの逸話をもって本稿の結びとしたい。高度成長期,「流通革命」という言葉がまだ現実的な実感をもって受け止められていた時代である。繁盛店を生み出すための全国的なセミナーが多く開かれていた。そこには小売店としての経営を見直し,経営を近代化しようという意欲に燃えた多くの小売商が全国から集まった。その席で,こんな話が実話として伝えられている。壇上から講師が「この中に,商店街の理事長,PTAや町内会,ロータリークラブの役員などをしている人はいますか?」と声をかける。何人かが意気揚々と手を挙げると,講師はすかさず「あなたの店は潰れます。すぐにそんなことはやめなさい。」と宣言したという。
もちろん,この講師の発言の意図を改めて解説する必要はないだろう。小売業をめぐる環境が大きく変化しているとき,大切なのは消費者に対して何を,どのように提供するかであって,それをこそ第1に考えるべきであり,それ以外のいわば自己満足にも見える「地域活動」などにうつつを抜かすべきではない。それでは「地域の名士」になるのが関の山であるが,そんなことに満足しては小売業として成長できない。それは小売業としての成長を阻害することにしかならない。
おそらくそれは非常なショックをもって受け止められたことだろう。そして,その言葉を聞いて,それに同調した人達は「企業家商人」の道を歩んだ。彼らは自分の商売を見つめ,その革新に人生を賭けた。彼らが追求したのはもちろん「消費者利益」であった。しかし,その消費者はいわば経済学の教科書の中に登場するような,商品だけを評価し,地域を意識しない「無国籍」な消費者であった。
しかし,それに同調できない人達は,決して地域活動をやめようとはしなかった。彼らは地域の中で活動し,地域の人びとに向き合い,地域を支えてきた。彼らは「街商人」であった18)。彼らはまちにこだわり,自分たちが小売業を営む場をつくろうとした。彼等の目線も消費者に向けられたが,彼らが見た消費者は無国籍の消費者ではなく,その地域の中で人びとと共に生活を営む,その地域の消費者であった。
ここで比喩的に表現した無国籍の消費者と地域の消費者は決して別個の人格であるわけではない。それぞれが濃淡の差こそあれ,私たちの中に混然一体となって含まれている。効率化を訴える小売業の働きかけに応えて消費者はその無国籍性を表面化させたが,しかし決して純粋な無国籍な消費者となることはなかった。効率性を求めながらも,消費者はなお地域の中で暮らし続けた。そうした消費者の地域性に応えながら,その側面に強く働きかけることによって,消費者にも地域の人びととしてまちづくりへの参画を求める。そうすることによって真の共創を実現することができる。その輪の中に,チェーン型の大型店にも参加して欲しいという期待がある。
高度成長期から時代は大きく変化した。小売業は対外的視線をもって,地域に溶け込むことが当たり前のようになっている。労働市場も緊迫し,パート労働者も思うように集まらなくなりつつある。優秀なパート労働者を確保するためにも,地域に根ざし,地域の人びとに支持されなければならない。いまやかの講師は前言を撤回してこういうはずである。「地域に支持されなければ,あなたの店は潰れます。」
石原 武政(いしはら たけまさ)
大阪市立大学名誉教授,商学博士(大阪市立大学)
1969年 神戸大学大学院経営学研究科博士課程退学。
大阪市立大学商学部,関西学院大学商学部,流通科学大学商学部の各教授を経て2017年退職。
主著 『マーケティング競争の構造』(千倉書房,1982年),『商業組織の内部編成』(千倉書房,2000年),『小売業の外部性とまちづくり』有斐閣,2006年など。