マーケティングジャーナル
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特集論文 / 招待査読論文
衰退商業地における新規開業事例に関する研究
― 松山市三津地区におけるワークライフバランス事業者を事例にして ―
山口 信夫
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2019 年 38 巻 3 号 p. 66-85

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Abstract

本稿の目的は,愛媛県松山市三津地区の衰退商業地を事例にして,ワークライフバランス事業者のビジネスモデルに関する仮説的論点を抽出することにある。三津地区において,近年微増しつつあるワークライフバランス事業者は,不動産価格の下落をチャンスととらえ,内装のセルフビルドにより固定費を抑えると同時に,高付加価値商品の提供により収入曲線の傾きを増大させることで,自らのビジネスの損益分岐点を引き下げることに成功している。三津地区においては,人口減少や住民高齢化により,周辺住民の購買力が低下しているため,単なる地域密着のビジネスでは店舗経営が成り立たない。むしろ,高付加価値商品を提供することで,関与度の高い消費者を広範囲から集客することに成功している。上記のようなビジネスモデルは,衰退商業地で収益をあげるための知恵として理解できる。また,衰退商業地は,上記のような商店主を呼び込むポテンシャルを有している。

I. 問題意識と検討課題

中小企業庁の実施する商店街実態調査には,定番の質問項目として商店街の景況感に関する意識調査が含まれている。直近4回(2006年度・2009年度・2012年度・2015年度)の調査において,「繁栄している(繁栄の兆しがある含む)」と回答した商店街の割合は3%台から6%台の間を推移しており,逆に「衰退している(衰退の恐れがある含む)」と回答した商店街の割合は70%前後の水準を維持している(表1を参照のこと)。商店街の凋落傾向は一目瞭然といえよう。とはいえ,この結果は,相対的には健闘している大都市部の商店街も込みにしたものである。大都市の商店街を母集団から除き,地方都市の商店街だけをとりあげるならば,結果はより深刻であろう。

表1

商店街の景況感

単位=%(小数点第二位を四捨五入)

出所 Small and Medium Enterprise Agency(2007, 2010, 2013, 2016)

参考までに,景況感に関する調査結果を,商店街が立地する自治体の人口規模別,および商店街のタイプ別にみておくと(表1を参照のこと),政令指定都市・特別区や人口30万人以上の都市に立地する商店街は相対的に健闘していること,また,それとは逆に,人口規模の小さな都市・町村に立地する商店街や商圏の小さな商店街において,衰退がより深刻であることがわかる。当然ながら地方都市のほとんどは人口10万人未満である。また,そこに立地する商店街も,超広域型ないし広域型に分類されるものはごく一握りで,残りのほとんどは地域型商店街や近隣型商店街である。上記の点をふまえると,商店街の衰退は,地方において一層進展しているものと推察できよう1)

実際,筆者の実感ベースでは,地方における商店街の空き店舗率は,10%前後であればまだ相対的には健闘している部類ではないかと思われる。たとえば,やや古いデータではあるが,筆者が研究フィールドとしている愛媛県今治市における中心商店街の空き店舗率は,20%台で推移している。また,分子と分母に商業機能消失区画も含めて計算した閉鎖店舗率をみると,50%台に達する。つまり,今治市の中心市街においては,かつて商店街として隆盛を誇った街路に面している区画のうち半数以上が,空き店舗ないし店舗以外の用途(駐車場,住居など)に転用されるに至っている。こうした意味で,「行き着くところまで行き着いた」商店街は,地方においては決して珍しくないのである。

表2

今治市中心市街地における空き店舗率および閉鎖店舗率

出所 今治市提供のデータをもとに筆者作成

「行き着くところまで行き着いた」商店街においては,駐車場や住居の存在感が大きくなり,それらの区画数が営業店舗の数を上回りつつある。そうした状況の中で,従来型の商店街活性化策がどれだけ有効なのか,一抹の疑問もある。「行き着くところまで行き着いた」商店街の再活性化をのぞむのであれば,根本的に新しい発想が必要であろう2)

上記のような問題意識から,本稿では,「行き着くところまで行き着いた」商店街に,意外にも新規開業事例が微増しつつある事例を取り上げ,彼・彼女らの価値観やビジネスモデルについて,議論を深める。事例として取り上げるのは,愛媛県松山市三津地区および同地区で活動する若手商店主である。近年,同地区は,新しい感性を有した若手商店主の増加によって注目を集めている(Magata, 2017; Matsumoto & Yamaguchi, 2017)。

以降,次のような順序で考察を進めていく。次節(第II節)で三津地区の概要を確認したうえで,第III節では調査のための視点を提示する。第IV節で調査結果をレポートしたうえで,第V節では調査の含意を議論する。最後に,第VI節で本稿の到達点と課題について整理したい。

II. 三津地区の概要3)

1. 商業地衰退の経緯

松山市三津地区は,同市中心部から北西6 km弱の地点に位置する(図1を参照のこと)。同地区は,江戸時代より,松山平野における政治経済の中心地・松山の外港として発展してきた。1888(明治21)年に,三津駅(現伊予鉄道三津駅)‐松山駅(現伊予鉄道古町駅)間に日本初の軽便鉄道が開通すると,港と三津駅を結ぶ街路に人の往来が増加し,商店の集積が形成された。1963(昭和38)年には,商店街組織(三津浜商店街振興組合)が結成され,アーケードが設置された(Ehime Shinbun, 2002, 2004)。

図1

三津地区の位置

出所 Google Maps(https://www.google.co.jp/maps/)のデータをもとに筆者作成

しかし,海上旅客輸送の需要低下,地区住民の減少・高齢化なども要因となり(表3を参照のこと),1980年代になると,三津浜商店街は停滞期に入った。衰退への危機感が共有されたこともあり,1990年代初頭には商店街を含む周辺街区の再開発計画も持ち上がった4)。2000年代に入るとアーケードの老朽化問題が懸案化し5),三津浜商店街は2004年にアーケードの撤去を選択することになった(Ehime Shinbun, 2004, 20116)。以降,商店街組織も任意団体(三津浜商店会)化された。商店街全体の店舗数は,1970年に132店舗であったものが,2010年には69店舗にまで減少している(Matsumoto & Yamaguchi, 2017, p. 54)。現在では,元々店舗であった物件が住居に建て替えられてしまったケースや,駐車場化されているケースが増加している。少なくとも見かけの上では,三津浜商店街は「行き着くところまで行き着い」ているのである(図2および図3を参照のこと)。

表3

三津地区(三津浜小学校区)における人口の推移

単位=人

出所 Matsumoto and Yamaguchi (2017, p.52)

図2

三津浜商店街東口(西向き撮影)

出所 筆者撮影

図3

三津浜商店街中ほど(東向き撮影)

出所 筆者撮影

2. 若手商店主の増加

とはいえ,三津地区においては,近年,若手商店主(20~40代)による新規開業事例も微増している。2000年代(ゼロ年代)後半以降に三津地区で新たに開業した店舗の数は,2017年1月現在で19店舗にのぼる(図4および表4を参照のこと)7)Matsumoto and Yamaguchi(2017)は,これら19店舗にヒアリング調査を実施し,16店舗から回答を得た8)。それによると,店主の年齢が30代であったのは6店舗,40代であったのは7店舗であった。

図4

三津地区若手商店主調査の範囲

出所 Matsumoto and Yamaguchi(2017, p.52)

表4

三津地区における近年の新規開業店舗

出所 Matsumoto and Yamaguchi(2017, p.48)

2012年には,若手商店主たちを中心にして「三津浜クリエーターズ」が結成された。同組織には,20代から50代までの約15名程度のメンバーが所属しており,補助金に頼らず,オリジナリティや面白さを重視したイベントに取り組んでいる。定例イベントとしては,毎年3月に開催されている「三津の日」,毎年8月に開催されている「三津濱珍踊り」などを挙げることができる。なお,後述する練や正雪の酒井正雪さんは,三津浜クリエーターズのリーダーであり,N’s kitchen**&laboの小池哲さんや,島のモノ喫茶田中戸の田中章友さんも同組織のメンバーである(酒井正雪さんへのヒアリングによる)。

三津の若手商店主たちには共通点がある。とりわけ三津浜クリエーターズのメンバーには,以下のような特徴に適合的な店舗が多い。

1.こだわりの商品・サービスを提供している。決して安売りしない。

2.リノベーション,あるいは内装のセルフビルドを好む。結果的に開業資金を抑えることに成功している。

3.職住一致ないし近接を好む。経営と家族生活との両立を重視する。

4.休業日が多い(例:週3回)。もしくは休業日を柔軟に設定する(例:不定休)。

5.一般的な企業家志向の経営者に比べて,店舗の拡大志向が相対的に希薄である。

本稿では,上記のような商店主のことを,「ワークライフバランス事業者」として把握する。「ワークライフバランス事業者」とは,端的にいえば生活と仕事の調和(家庭と経営の両立)を重視しながらビジネスを成立させている事業者のことである9)

3. 若手商店主はなぜ三津に集まるのか

では,なぜ,三津地区に,ワークライフバランス事業者が集積しつつあるのであろうか。Matsumoto and Yamaguchi(2017)は,彼・彼女らの集積要因に関する出発点的議論を試み,三津地区における不動産価格の低下と,住居兼用で使用可能な店舗の多さを指摘した。

5は,Matsumoto and Yamaguchi(2017)の実施したヒアリング調査の結果である。まず,特筆すべきなのは,三津における家賃の安さである。賃貸物件に絞り込んだうえで平均値を算出してみると43,962円(少数第一位を四捨五入)である。住居付の店舗を月々5万円台で借りている店舗も存在する(MT3とMT6)10)。さらに,地価・家賃相場の低下とも関連するが,三津の新規開業店舗には,開業資金の少なさを指摘することができる。16店舗中8店舗(50%)が,100万円程度かそれ以下の資金で開業することに成功している。このことは,金融機関の利用率の低さにも結びついてくる。開業資金の調達方法について,金融機関や家族・親戚に頼らず,自己資金だけで開業できたと回答している店舗が約7割にのぼる11)

表5

三津地区における新規開業店舗の概要

出所 Matsumoto and Yamaguchi(2017, p.55)

また,職住一致型物件で店舗を経営している商店主の多さも,三津の特徴である。三津地区の新規開業事例の中では,16店舗中5店舗(31%)が住居兼店舗であった。店舗兼住居として使える物件を意識的に探し,三津で条件に合ったものを見つけた事例も3件あった(Matsumoto & Yamaguchi, 2017, p. 56)。

このように,三津地区においては,不動産価格や家賃相場が低下し,開業資金やランニングコストを抑えやすい環境が成立している。もっとも,そもそもそうした状況が生起するのは商業地が衰退しているためである。この点をふまえると,通常の感覚の商店主にとって三津が開業適地になることはありえない。しかし,三津地区の場合,かつて栄えた商店街であるため,職住一致型物件の残存数が多い。そうした地区の家賃相場が下落しているため,家庭と経営の両立をめざすワークライフバランス事業者にとって,開業適地となっている可能性がある。以上がMatsumoto and Yamaguchi(2017)の結論である。

III. 調査のための視点

本稿の目的は,Matsumoto and Yamaguchi(2017)の問題提起を引き継ぎ,ワークライフバランス事業者の行動様式や,彼・彼女らが三津に集まる理由について,さらに深掘りして検討することである。とりわけ本稿では,次の2点を重点的に検討する。

第1に,ワークライフバランス事業者たちのビジネスモデルについて検討することである。Matsumoto and Yamaguchi(2017)の考察によって,地価・家賃相場の低下,および職住一致型物件の多さなど,三津地区に彼・彼女らが集まる要因の一端が明らかになってきた。ただし,地価・家賃相場の低下は,そこが経営に適さない場所であることの裏返しでもある。ワークライフバランス事業者は,どのようにしてハードルを乗り越えているのであろうか。その背後にあるロジックを究明する必要がある。

第2に,地価・家賃相場の低下要因を,明らかにすることである。地価・家賃相場の低下は,一般論としては商業地衰退の必然の帰結である。ただし,明らかに衰退しているにもかかわらず,家賃相場が高止まりしたままになっている商業地も多数存在し,それが地方における商店街再生を考える上でのネックになっている。かつて栄えた商業地の地権者ほど,バブル期の価格水準を意識するあまり賃料の値下げに踏み切ることが難しい。このように考えてみるとなおさら,三津地区ではなぜ地価・家賃相場を落とすことができたのか,新たな疑問も湧いてくる。

そこで本稿では,まず,1つめの問題意識との兼ね合いから,三津地区のワークライフバランス事業者への追加的ヒアリング調査を実施する。ヒアリング対象として,三津地区におけるワークライフバランス事業者の代表例とみなしうる2店舗(N’s kitchen**&labo,島のモノ喫茶田中戸)を選定する。さらに,2つめの問題意識との兼ね合いから,三津地区での新規開業希望者に物件を紹介するとともに,物件の持ち主に対しては,相場にあった適正価格の家賃を提示するよう促してきた人物にも,追加的ヒアリング調査を実施することにしたい。ヒアリング対象としては,三津浜商店会前会長の丸山常一さん(男子専科ヤング店主)を選定する。

IV. 調査結果

1. N’s kitchen**&labo12)

「N’s kitchen**&labo(エヌズキッチンアンドラボ)」は,2011年9月に三津浜商店街内に開業したパンの製造小売店兼喫茶店である。経営しているのは小池哲さん・夏美さん夫妻である。妻の夏美さんはパンづくりを担当しており,夫の哲さんは喫茶ブースを担当している13)。店舗兼住居の物件に,夫妻と長男(13歳),長女(10歳)の4人で暮らしている。この物件は賃借ではなく購入して手に入れたものである。手づくりのパンが好評で,開店時刻間際になると,平日にも関わらず入口に行列ができることも珍しくない。定休日は週に3日設定している(日・月・木曜日)。また,定休日として設定していない曜日であっても,イベント出店や家庭の事情で変則的に休むことも珍しくないという。小池夫妻は,子育てと店舗経営の両立を志向する,ワークライフバランス事業者である可能性が高い。

図5

N's kitchen**&labo店舗外観

出所 筆者撮影

図6

N's kitchen**&labo店内

出所 筆者撮影

N’s kitchen**&laboでは,量産化せず,夏美さん自身による手づくりにこだわり,添加物を使わずにつくったパンが売りである。原材料の小麦は,特殊な製法でつくる場合を除いて9割方は国産を使っている。また,惣菜パンに用いる野菜は,県内産のものしか使わない。パンは,膨張剤を使えば,いくらでも嵩増しすることのできる商品といえるが,夏美さんは,中身の詰まったパンをつくることにこだわっている。そうしてできたパンを200~500円の価格帯で販売している。食事用のパン(食パン,ベーグル,バケットなど)よりも,そうでないパン(惣菜パンや焼き菓子)の製造量が多く,物量ベースでいえば前者が2割,後者が8割程度とのことである。

N’s kitchen**&laboの店内には,パンの販売ブースと喫茶ブースの他に,イートインスペースと,雑貨の販売ブースもある。また,店内で使用している什器や,イートインスペースで活用されている家具(テーブルや椅子)も,購入希望者には販売している。雑貨や家具・什器は小池夫妻の友人の雑貨店(しましま雑貨店)とアンティーク雑貨店(Antique Cocoa)の商品である。雑貨店主とアンティーク雑貨店主は,N’s kitchen**&laboに商品の販売を委託している14)

小池夫妻は,2011年5月に現在の店舗兼住居物件に引っ越してきた。それまでは,松山市内の別の地区に住んでいたという。三津への引越しも,元々は起業を念頭においていたわけではなかった。哲さんの母親の介護が必要になり,母親の出身地である興居島15)に近いエリアで,広めの物件を探していたところ,三津浜商店街で適合的な物件を見つけたのである。それは夫の哲さんにとっても「夢の物件」であった。というのも,住居兼店舗の母屋だけでなく,裏手の倉庫も含めて売り出されていたのである。元々,器械体操の選手であり,現在でも新田高等学校体操部の指導にも関わっている哲さんにとって,自宅に体操ジムをつくることは夢であり,裏手の倉庫であればそれが可能であった。こうした条件にも後押しされ,当初,賃貸物件を探していた小池夫妻は,物件の購入に踏み切った。

三津地区に移り住んだ当初,小池夫妻は常設の実店舗を開業しようとは考えていなかった。夏美さんは,商店街に面した自宅ガレージ(金物店跡の空間)をパンの工房として活用し,イベント出店を中心にパンを販売することにした。しかし,そのうちに周囲から期待の声が挙がるようになった。商店街に面していることもあり,知人や周辺住民からも,常設店舗によるパン店の開業を勧められるようになったのである。そうした期待に後押しされる形で,夏美さんも常設店舗の開業を決心した。

夏美さんは,営業許可をとるために必要な最低限の準備だけで起業に踏み切った。店舗の内装は,できる限り自分たちの手でセルフビルドすることにした。間口全体を覆う壁をつくる作業だけは,業者(工務店)に発注したという。また,店舗経営に必要な道具・器具も徐々に揃えていったという。結果として,開業に際して,短期間の内にまとまった資金が必要になることもなかったという。

開業当初,営業日は週に2日(金・土曜日)であった。しかし,顧客の数が増えてきたため,営業日を週4日(火・水・金・土曜日)に増やすことにした。それに伴い,夫の哲さんも前職を退職し,N’s kitchen**&laboのサポートにまわることにした。こうして2014年5月より,哲さんが喫茶ブースを担当することになった。哲さんが前職を退職したことで,世帯収入はむしろ減ったという。しかし,ストレスは無くなり,今の暮らしには満足しているという。

現在の営業日は週4日であるが,子どもがまだ小さいこと,夏美さんの両親も哲さんの両親も介護を必要としていること,また,パンの仕込みは夏美さん1人でおこなっていることから,営業日数を増やすことは考えていない。営業日を増やすと,パンのクオリティにも悪い影響が出るかもしれないし,何よりパンづくりが嫌いになってしまうかもしれない。夏美さん自身のモチベーションを保つためにも,営業日は週4日に留めている。同様の理由で,N’s kitchen**&laboの2店舗目を出店する予定も今のところない。ただし,店舗の内装をセルフビルドでつくりあげる作業は楽しかったため,そうした過程についてはもう一度経験してみたいという。

三津地区での開業には,子育て面でのメリットもある。周囲の商店主や周辺地区の住民たちが,子どもたちを暖かく見守ってくれているという。こうした環境があるからこそ,子どもたちを商店街で遊ばせておくことができる。また,店舗兼住居の物件を選んだことにより,自分の好きなペースで仕込みができ,子育てとの両立を図ることもできているという。さらに,上記のような環境は,親の介護を考えるうえでもプラスになっている。認知症の母親が三津浜商店街の外に向かって歩いていることを,周辺の商店主の奥さんが知らせてくれたこともあるという。

N’s kitchen**&laboの顧客は,全体の2~3割程度が三津地区内の住民で,残りの7~8割は三津地区外からの来客であろうとのことである。また,夏美さんの実感としては,三津地区外からの来客の内,7割程度が松山市内在住者,残りの2割程度が松山市外の在住者であるという。N’s kitchen**&laboにおいて広域的な集客が可能になっている要因の1つとして,パンブームが挙げられる。パン好きは多少の距離は厭わず,よそのまちまで「パン屋めぐり」に繰り出す。N’s kitchen**&laboもそうした顧客層に支えられているという。また,顧客の間に夏美さんへの共感が拡がっていることも,もう1つの要因である。元々,夏美さんがパンづくりを始めた理由は,前職を退職し,子どもを産んだ時期に,飲食店に出入りしにくくなったことと関連する。外食の機会を減らす代わりに,自宅でパンを焼き,ホームパーティを開催し,焼き上がったパンの写真はブログにアップして発信した。そうした趣味が高じて,次第に地域のイベントにパンを出店するようになったのである。この時期に知り合った友人たちが,開業当初のN’s kitchen**&laboを支えてくれた。現在でこそ,開業前の夏美さんを知らない顧客の方が多くなっているものの,それでも,パンづくりを通して,自分らしい生き方を主体的に選択し,幸せに暮らしていることを表現してきたつもりであるし,そうした生き方に共感する人たちがリピーターとなって地区の内外から訪問してくれているという。

2. 島のモノ喫茶 田中戸16)

「島のモノ喫茶 田中戸(たなかど)」(以降「田中戸」)は,2010年に三津浜商店街内に開業した喫茶店である。店主の田中章友さんは,怒和島出身17)で,高校卒業後,3年間の海外留学,さらに三重県や佐賀県での生活を経験したのち,起業するために愛媛に戻ってきた。現在では,かき氷が店の看板商品となっており,その人気ぶりは県外からも来客があるほどである18)。繁忙期には店舗の前に順番待ちの列ができることも珍しくない。1階が店舗,2階と3階が住居の物件を賃借し,妻の陽子さんと長女(4歳)の3人で暮らしている。水曜日を定休日にしているが,休みは柔軟にとっている19)。本稿では,田中さんを,自分らしい生き方や子育てと店舗経営の両立を志向するワークライフバランス事業者として位置づける。

図7

島のモノ喫茶 田中戸 店舗外観

出所 筆者撮影

図8

島のモノ喫茶 田中戸のかき氷

出所 筆者撮影

田中戸のかき氷の価格帯は650~800円である。シロップは,愛媛県産の果物にこだわり,添加物を入れずにつくっている。もっとも,田中さんに言わせれば,「地元産」,「無添加」といった要素は,もはや「こだわり」ですらなく,「最低ライン」とでもいうべきものである。田中さんは共感できる生産者の果物しか使っていない。また,田中戸のシロップは,生産者が果物を収穫した時点でほとんど完成していて,自分の役割は,砂糖に漬けて少しだけ日持ちが効くようにしたり,氷に合うように少しだけ味を調えることくらいであるという。なまじ調理技術を持っていると,つい手を加えてしまいたくなるが,田中さんの場合,そうした技術を持っていないことが,逆に強みになっているという。なお,軽食やランチは提供していない。

三津地区で起業する以前,田中さんは,佐賀県唐津市で暮らしていたが,若い内に愛媛に帰り,自分のこだわりを表現できるような場を持ちたいと考えた。そこで,2010年から約半年間,概ね月に1度のペースで三津地区を訪問し,開業できる店舗を探した。開業の地として三津を選んだ理由は2つある。第一に,三津地区は田中さんにとって「第二の故郷」であった。田中さんの実家は怒和島ではあるが,高校時代には,四国本島にある高校への通学のために,三津に住んでいたのである。第二に,海外や日本国内を放浪した経験に照らして,三津に高いポテンシャルを感じたことである。港町であること,古い建築物が多いことなど,将来的におもしろいまちになると予想するに足るだけの要素がたくさんあったという。物件探しに際しては,三津浜商店会の会長(当時)であった丸山常一さんに,適当な物件の紹介を依頼している。丸山さんに依頼したことでうまく話が進み,2010年9月に,田中戸を開業することになった。

開業した当初は,提供物はコーヒーとチーズケーキだけであった。田中さんも,小池夫妻と同様,試行錯誤を加えながら,メニューを追加していった。開業から1年が経った頃,故郷の怒和島で,古いかき氷機が発見された。それは,かつて島に1軒だけあったかき氷屋で使われていたものであった。田中さんは,発見時にはとても使える状態ではなかったかき氷機をもらい受け,三津地区の鉄工所に持ち込み,修理してもらった。以降,かき氷は田中戸の看板商品になり,とくに夏場には,松山市内,愛媛県内のみならず,県外からも来客があるほどの有名店になっている。

店舗の経営が軌道に乗り,来店者とコミュニケーションをとる機会が増えると,提供するメニューの改善を納得がいくまで考えるようになったという。前職時代には,消費者の反応を目の当たりにする機会に恵まれなかった。しかし,自らの店舗を開業したことで,来店者の反応を直に確認することができるようになったという。仕事に対する満足度は,前職時代よりも格段に上がったという。

田中さんが入居した物件は,スポーツ用品店の跡地であった。間口の40%程度が商品展示用のショーウインドウで覆われていた。物件の持ち主が1階を車庫代わりに使っていたため,残り60%の部分には壁がなかった。田中さんは,壁をつくり,木製の扉と木製の窓枠を取り付けた。この作業は,友人の大工の助けを借りながら,自分で実施した。このほか,店内の壁に漆喰を塗る作業,床にモルタルを敷く作業も自分で実施した。結果として,ほとんどの作業をセルフビルドでやり遂げた。結果,開業費用を,材料費の100万円程度に抑えることができたという。

田中さんの入居した物件は,1階が店舗で,2階と3階が住居である。子育てはおもとして妻の陽子さんが担当している。しかし,何かあれば,田中さんもすぐに2階にあがることができる。つまり,職住一致の物件で開業したことによって,子育ての労力を夫婦でシェアしながら働くことができている。また,職住一致であれば,店舗と住居を別々に借りている場合に比べて,トータルで負担することになる家賃が安い。ちなみに,田中さんが貸借している店舗兼住居の賃料は月5万円である。

現在の収入は,前職の時よりも低いという。起業してすぐの頃はもっと低かった。しかし,自分の店を持ったことによって,年間を通しての働き方に余裕が生まれ,仕事上のストレスも少なくなった。以前は,年中,ほぼ同じ強度で働いていたが,かき氷の提供を始めてからは,シロップを仕込む春,かき氷を販売する夏以外は,時間に余裕が生まれるようになったのである。趣味に費やすことのできる時間も増加しているという。

三津地区における若手商店主たちの存在も心強く感じている。考え方や趣味がすべて一致するわけではないが,やりたいことを一緒にできる仲間の存在は頼もしいという。しばしば飲み会を開き,情報交換している。そこから,三津浜クリエーターズの主催イベントの新しい企画が持ち上がったこともあるという。

田中戸の客層は,田中さんの実感ベースでいえば,三津地区外からの来客が8割ではないかという。ただし,とくに夏場はかき氷の提供で精いっぱいであるため,それ以上細かいレベルで,顧客の住んでいる場所を把握できてはいない。とはいえ,三津の外で有名になったことで,最近は,地区内からの来客も増えてきているという。

田中さんは,今後,2店舗目を出店することは考えていない。ただし,地区外のイベントに積極的に出店し,これまで出会うことのなかった客や同業者も含めて,多くの人と関わっていきたいという。

3. 丸山常一さんへのヒアリング

丸山常一さん(81歳)は,三津浜商店街中ほどの紳士服店・男子専科ヤング(1956年開業)の店主である。1990年代中頃より2016年11月まで,約20年にわたって,三津浜商店街振興組合およびその後継組織の三津浜商店会を,理事長および会長として引っ張ってきた20)。丸山さんは,三津地区での新規開業希望者に,適当な空き物件を紹介してきた。

近年の若手事業者の微増を考えるうえで,「練や正雪(ねりやしょうせつ)」の開業(2009年)は無視できない要素の1つである。店主の酒井正雪さんは,三津における若手商店主のとりまとめ役であり,三津浜クリエーターズのリーダーも務めている。そして,練や正雪の入居している物件は,丸山さんが酒井さんに紹介したものである。

事の発端は,酒井さんの側が丸山さんに物件の紹介を依頼したことである。丸山さんは,酒井さんに家賃の支払い可能額を尋ねた。酒井さんの提示額は,丸山さんが望ましいと考える家賃水準よりも高いものであった。そのため丸山さんは,酒井さんの提示額の半額の家賃で出店可能な物件を見つけてあげようと考えた21)

丸山さんが目をつけたのは,うどん店の跡地であった。店内には,湯気を逃がすためのフードも設置されているため,練りものの製造に適している。持ち主には,このチャンスを逃すとなかなか入居者は現れないと諭したという。結果,練や正雪は,家賃3.2万円で開業することになったという22)

また,前節で紹介した田中戸の田中章友さんも,丸山さんを窓口にして,賃貸借契約のための交渉に臨んだ。田中さんの入居した物件は,スポーツ用品店の跡地であった。店主であったAさんは,店舗の閉店後,香川に移り住んでいた。スポーツ用品店が閉店した時点で,丸山さんはAさんに「寝かしておくくらいなら,誰かに貸すか売るかしてほしい」と伝えていた。Aさんからすれば,不動産価格の高騰した時代に購入した物件であったため,容易には丸山さんの説得には応じられなかった。しかし,丸山さんとAさんはゴルフ仲間であり,定期的に顔を合わせる間柄が続いていた。そして,さらに2年ほど経ったタイミングで,丸山さんは田中さんから物件探しの相談を受けることになった。

丸山さんは,店を適正価格で貸すよう,Aさんに改めて依頼した。Aさんは,購入時の価格での売買を望んでいたようであるが,丸山さんは,「家賃を月々5万円にするとしても,年間にすれば60万円の収入が得られる」,「寝かしておくよりマシである」と諭し,Aさんを説得することに成功したのである。

このように,丸山さんは,三津地区での新規開業希望者に空き物件を紹介するのみならず,その持ち主に対しては,商店街衰退の実情に照らして家賃を引き下げるよう促してきた。田中さんによれば,田中戸の家賃の額(5万円)が,三津の家賃相場に大きな影響を与えているという。また,丸山さんは,賃貸借のみならず,売買取引に深く関与したこともある。

数年前,商店街内の空き家2階の外壁に,街路側にせり出す形で設置されていたエアコンの室外機が,老朽化し,いつ落ちてもおかしくない状態になった。この物件は,周囲の住民・商店主にとってさえ,誰の所有物かもわからない,いわば「幽霊屋敷」であった。室外機を放置すれば,いずれ落下し,歩行者がケガをしかねない。そこで丸山さんは,まず,行政に物件の持ち主を調べてもらい,併せて,室外機の老朽化問題についても連絡してもらうことにした。この持ち主をBさんと呼ぶことにする。その後,然るべき手順を踏んだうえで,丸山さんはBさんに直接連絡し,対応策を協議した。Bさんは東京在住者であった。協議はすぐにまとまり,室外機については地元業者に依頼して撤去することになった。撤去費用についても,Bさんは迅速に業者に振り込んだ。その話を聞いた丸山さんは,Bさんのことを実直な人だと感じたという。そこで,物件それ自体を誰かに売るつもりはないかとBさんに尋ねた。すると,Bさんは,拍子抜けするほどあっさりと,売却を了承した。しかも,販売額についても,三津地区の現在の相場で決めてもらって構わないという。物件が老朽化していることもあり,丸山さんは150万円でどうかと打診した。Bさんの側には,三津の土地勘がなく,今後,三津に移住するつもりもなかった。件の物件を改装するにしても解体するにしても,相応の金額は発生する。丸山さんの打診した額は破格であったが,Bさんは納得して了承したという。

丸山さんは,Bさんの了承した金額を,件の物件のはす向かいにある楽器工房・ベンテン堂の店主・廣川憲二さんに伝えた。廣川さんは購入を即決した。廣川さんは,一時は駐車場にすることも検討したが,「商店街のためになる施設にしてほしい」という丸山さんの意向を聞き,「住吉楽房」という多目的レンタルスペースを整備した。現在では,歌声喫茶,ギター教室,ウクレレ教室,英語教室など,多彩な使われ方をしている23)

以上のように,丸山さんは,賃貸借契約,売買契約の両面にわたって,三津地区における不動産物件の仲介に尽力してきた。丸山さんは,自身のことを「言いたいことはストレートに言う性格」であると自己評価している。裏表のない性格が,周囲からの人望に結びついている。丸山さんのパーソナリティも,上記のように踏み込んだ仲介が可能になった理由の1つといえる。

V. 考察

1. ワークライフバランス事業者のビジネスモデルに関する仮説導出

前節では,三津地区で活動するワークライフバランス事業者として,N’s kitchen**&laboの小池夫妻と,島のモノ喫茶田中戸の田中さんへのヒアリング調査の結果を掲載した。以下,議論のために重要と思われる点を整理しておきたい。

第一に,小池夫妻も田中さんも,家庭と経営の両立を重視するワークライフバランス事業者とみなしうる。職住一致型の物件をうまく活用しながら,自分らしい生き方を主体的に選択している。

第二に,小池夫妻も田中さんも,三津地区における不動産価格低下の恩恵を受けている点である。小池夫妻は,住居兼店舗の母屋に加えて,時には地域イベントの会場にも活用できるほどの広さを有する倉庫も含めた広大な物件を,破格の値段で購入している。田中さんも,住居兼店舗の物件を,5万円で借りている。

第三に,小池夫妻も田中さんも,店舗の内装をセルフビルドしていることである。両者にとって,内装のセルフビルドは自分らしい店舗づくりのために不可欠の要素であった。また,セルフビルドによって開業資金を抑えることに成功している。

第四に,小池夫妻(とくに夏美さん)も田中さんも,自らの店舗での提供物にこだわりを持っている。夏美さんは,国産小麦粉と愛媛県産の材料を用い,添加物は使用せず,手づくりにこだわりながら,パンづくりに取り組んでいる。「無添加」,「愛媛県産」といったキーワードはもはや「最低ライン」と述べる田中さんは,農家の収穫した果実の味をできる限りそのまま活かすために,糖度の細かな調整を日々研究している。

第五に,上記のようなこだわりが,三津地区内だけでなく地区外からの集客にも結びついている点である。ワークライフバランスを重視する経営スタイルや,提供物へのこだわりは,アンテナ感度の高い消費者の共感を呼んでいる。消費者行動論の用語を借りるならば,N’s kitchen**&laboや田中戸は,高関与商品を提供することによって,広域的集客を獲得することに成功しているのである。

以上が,本稿のヒアリング調査から明らかになってきた論点である。このように整理してみると,両店舗の経営上の特質は,固定費の安さ,高関与商品の提供,高付加価値化といったキーワードで説明することができるように思われる。

三津地区において,不動産価格や家賃の相場は下落している。N’s kitchen**&laboの場合,物件購入のための資金を銀行に頼ることなく調達することができた。そのため借入金返済の必要はない(物件を所有することにしたため若干の固定資産税は必要になっている)。田中戸の場合,住居兼店舗物件を破格の値段で借りている。両店舗は,店舗の賃料が必要ないか,必要であるにしても,他地区で一般的なケースと比べて安いのである。また,両店舗とも,開業に際しては,セルフビルドで内装を整えた。セルフビルド志向が借入金の少なさに結びついているとすれば,それもまた,固定費を押し下げる要因の1つとして評価できる。そして,固定費が下降すると,同様に総費用(支出)も抑制され,結果として損益分岐点は下がることになる(図9を参照のこと)。

図9

固定費の低下による損益分岐点の下降

出所 筆者作成

ところで,地価・家賃相場が下落することそれ自体は,少なからぬ衰退商業地で生起してきた現象である。家賃相場の下落に伴う固定費の削減および損益分岐点の下降という要因だけで,店舗経営が軌道に乗るのであれば,そもそも商業地の衰退問題は深刻化しないはずである。衰退商業地の問題は,人口減少や高齢化により,周辺地区住民の購買力が低下していることと関係していることが多い。したがって,そうした場所では,地区住民だけをターゲットとするビジネスモデルが有効ではない。そこで重要になってくるのが,地区外からの集客である。そして,事例でも確認したように,N’s kitchen**&laboも田中戸も,地区外からの広域的集客に成功している。

N’s kitchen**&laboと田中戸で広域的集客が可能になる理由として,提供物に対する関与度の高い顧客を獲得することに成功している点を指摘できる。それを可能としているのは,提供物へのこだわりと,家庭と経営の両立を重視する経営スタイルである。そうしたスタイルが消費者の共感を集め,関与度の高い顧客を広範囲から獲得することに成功しているのである。

関与度の高い消費者を広範囲から集客できるメリットは,衰退商業地の相場よりも高い価格で商品を販売できる点にある。販売価格を上げることができれば,収入曲線の傾きも大きくなり,またしても損益分岐点が下がることになる(図10を参照のこと)。すると,損益分岐点をクリアするまでに必要な販売量(客数)も減少する。このことは,元々生産能力に限界を有する個人経営・家族経営の店舗にとって都合がよい。また,確実に売り切ることのできる量を生産する程度にとどめ,売れ残りのリスクを抑えることも容易になる。実際,N’s kitchen**&laboも田中戸も,売れ残りの少ない,売り切り型のビジネスを成り立たせている24)

図10

収入曲線の傾斜の増大による損益分岐点の下降

出所 筆者作成

ただし,上記の議論には,留意点もある。パンにしてもかき氷のシロップにしても,一般論としては,高付加価値化を企図するほど材料費が高くなり,変動費の増加,および支出曲線の傾きの増大を招く可能性がある。支出曲線の傾きが大きくなると,損益分岐点も押し上げられることになるが,上記の議論では,その可能性を敢えて捨象している。夏美さんにしても,田中さんにしても,地元産の材料を用いることにこだわりをもっているものの,特別高価な材料を用いているわけではない。むしろ,手間暇をかけて丁寧につくっている点,さらにはワークライフバランスを重視する点が,両店舗の提供する商品の価値の源泉である。したがって,両店舗のビジネスのコスト構造を推察してみると,支出曲線の傾きの増大が損益分岐点を押し上げる力よりも,収入曲線の傾きの増大が損益分岐点を引き下げる力の方が強く作用しているのではないかと,本稿では考えている25)

このように,三津地区のワークライフバランス事業者は,地価・家賃相場の低下を活かし,固定費および支出の削減に成功している。また,提供物へのこだわりと,ワークライフバランスを重視する経営スタイルにより,感度の高い消費者層の共感的支持を集め,自らの商品を高付加価値商品として売り出すことができている。結果として,収入曲線の傾きを大きくし,損益分岐点をさらに引き下げることに成功しているのである。以上のような要因が絶妙なバランスで絡み合うことにより,一般論としては開業不適地とみなしうる,「行き着くところまで行き着いた」商店街において,ビジネスを成り立たせることが可能になっているのである。

ところで,三津地区は松山市周縁部の商業地である。ここで強調しておきたいのは,三津が,「滲出型商業集積」(Sato, 2003)あるいは「新しい街」(Ushiba, 2008)とよばれる,都心中心部の近傍地区ではないということである。都心近傍地区であれば,中心地から流れてくる来街者の存在を期待できる。しかし,三津は,松山市中心部への来街者がついでに足を延ばしてくるような地区ではない。したがって,三津地区で広域的集客を企図する場合,店舗それ自体の魅力を発信しなくてはならない。N’s kitchen**&laboも田中戸も,そうした魅力の発信に成功した店舗として理解できよう。そして,そうした店舗が一定程度集積し始めると,いわゆる集積の利益が発生し,広域的集客力をさほど持たない店舗であっても,集積の集客効果に頼りながら商売を成り立たせることが可能な状況も生まれる。現在の三津地区は,そのような意味での集積効果が生まれつつある過渡期的段階にある。

2. 三津地区における家賃相場の適性化要因

前節でもみたように,丸山さんは,三津地区において,賃貸借物件のみならず,売買物件の仲介にも労をいとわず関わってきた。しかも,単なる仲介ではなく,衰退商業地の実態に合わせて家賃や売価の適正化(値下げ)を図るよう,物件の持ち主にはたらきかけてきた。三津地区では,丸山さんの尽力によって,遊休不動産再活用化の流れが形成された。

丸山さんの実践してきたことは,本人がどれだけ意図しているかどうかはともかく,エリアマネジメント行動として理解できる。丸山さんの取り組みによって,三津地区における家賃の相場感覚が下方修正された。たとえば,田中戸の家賃が5万円であることは,周囲の住民・商店主たちの間で半ば公然化されており,地区内の基準額になっている(田中章友さんへのヒアリングによる)。

丸山さんのパーソナリティも無視できない。「言いたいことはストレートに言う性格」の丸山さんは,「裏表のない人物」として周辺住民・商店主から慕われてきた。人望のある丸山さんだからこそ,通常よりも踏み込んだ仲介が可能になったのである。

VI. おわりに

本稿では,あえて衰退商業地を新規開業の場に選んだワークライフバランス事業者へのヒアリング調査,さらに,彼・彼女らの活動基盤を整えたエリアマネジメント行動者へのヒアリング調査を実施した。

本稿の到達点は,第一に,ワークライフバランス事業者のビジネスモデルについて,損益分岐点にまで踏み込む形で考察を試み,仮説的論点を提示したことである。第二に,ワークライフバランス事業者の開業が容易になる条件を究明しようとの意図から,不動産価格(とくに家賃)の低下要因について検討し,商店街組織の前リーダーによる一歩踏み込んだエリアマネジメント行動の影響であることを指摘した。

三津地区に集積しつつある若手商店主たちは,ワークライフバランスを重視し,提供物の質にこだわり,高関与の消費者の支持を集めることに成功している。これにより,提供物の単価を地区内相場よりも高く設定することが可能になっている。不動産価格の低下やセルフビルド志向によって支出の削減に成功していることも手伝い,損益分岐点をクリアするまでに必要になる販売量も少ない。このことは,生産能力の低い個人経営・家族経営の店舗にとっては,経営上のメリットになる。三津のワークライフバランス事業者たちは,上記のようなビジネスモデルを確立することによって,一般論としては経営不適地とされる地区にあって,経営を成り立たせているのである。結論的にいえば,三津で生起していることは,「リノベーションまちづくり」(Shimizu, 2014)や「小商い」(Hirakawa, 2012)を活用した地区再生の取り組みと,ベクトルを同じくしている。

とはいえ,本稿の議論には限界もある。第一に,本稿で提示したビジネスモデルは,突出した2店舗へのヒアリング内容から抽出した作業仮説である。ワークライフバランス事業者一般に適用できるかについては,慎重な態度が求められるであろう。

第二に,ワークライフバランス事業者の立地要因を,職住一致型店舗物件の多さと不動産価格の低下という2つの要素に還元してしまった点である。おそらく要因はほかにもあろう。今回のヒアリングからも,小池夫妻や田中さんが,元々,三津地区に土地勘やある種の愛着を有していたことが明らかになっている。家賃相場や遊休物件の多寡だけでなく,よりシンプルに「場所への愛着」も重要な立地要因として作用した可能性がある。そうだとすれば「場所への愛着」の源泉について,より踏み込んだ研究が必要になるかもしれない。

第三に,本稿で取り上げた2店舗において,関与度の高い消費者の広域的集客が可能になっているという論点は,あくまで店舗側当事者へのヒアリング調査に頼りながら抽出したものである。厳密を期すならば,実際に来店している顧客へのヒアリング調査が必要になるであろう。この点は今後の課題である。

第四に,本稿で取り上げた若手商店主たちは,製造小売業ないしサービス業であり,物販ではない点である。一般論として,商品に自ら手を加えることのできる製造小売業者・サービス業者の方が,付加価値を生み出しやすく,逆境にも向き合いやすいとされてきた。その意味では,三津地区で突出した店舗を選ぶと,製造小売業(N’s kitchen**&labo)とサービス業(田中戸)に行き着くのは,何ら不思議なことではない。ただし,これまで筆者は,「商業者(再販売購入者)であるからこそできることとそうでないこと」の区別にこだわりながら議論を進める,「商業論的地域商業研究」(Yamaguchi, 2016)の必要性を強調しながら研究を進めてきた。こうした観点からすれば,本稿で抽出したビジネスモデルが,物販(再販売購入者)の場合にも成り立つかどうか,さらなる検討を要する。稿を改めて検討することにしたい。

ヒアリング調査

酒井正雪さん(練や正雪店主)2018年3月25日(日)於・練や正雪

小池哲さん・夏美さん(N’s kitchen**&labo店主)2018年7月13日(金)於・N’s kitchen**&labo

田中章友さん(島のモノ喫茶田中戸店主)2018年5月3日(木)於・島のモノ喫茶田中戸

丸山常一さん(男子専科ヤング店主)2018年3月16日(金)於・男子専科ヤング

1)  もちろん,地方の商店街も,上記のような窮状を何とかしようと,種々の取り組みに着手している。筆者が研究フィールドとする愛媛県下での取り組みについては,Yamaguchi(2014, 2015)を参照のこと。とはいえ,本文中で示したデータは,そうした取り組みがマクロに見る限り大きな成果に結びついていないことの表れでもある。

2)  「行き着くところまで行き着いた」商店街に再活性化策など必要なく,場合によっては住宅街化を甘受すべきであるとの意見もあろう。実際,ある自治体関係者から,そうした可能性も勘案した中心市街地の活用策に関する相談を受けたこともある。とはいえ,かつて栄えた商店街には,まだなお店舗として活用可能な遊休物件が多数残存している。遊休物件の多さは,昨今注目を浴びている「リノベーションまちづくり」(Shimizu, 2014)的文脈に照らしても,地域資源として再評価できよう。本稿が衰退商業地に注目する背景にはこうした問題意識もある,と付記しておきたい。

3)  三津地区の沿革については,Matsumoto and Yamaguchi(2017)でより詳しく触れている。併せて参照されたい。

4)  計画の詳細は,Mitsuhama shoutengai sinkou kumiai & Mitsuhama shoutengai saikaihatsu iinkai(1991)に詳しい。なお,この再開発計画は実現には至らなかった。

5)  三津地区は港町であるため,潮風の影響でアーケードが老朽化しやすいという(丸山常一さんへのヒアリングによる)。最初にアーケードを設置してから20年足らずの1981年にも,架け替えを実施している(Ehime shinbun, 2004, 2011)。

6)  一般論として,商店街に廃業店舗が増えるほど,アーケードの架け替えが難しくなる。架け替えに際して必要になる借入金を少数のメンバーで返済せざるをえなくなるためである。こうなると1店舗あたりの返済額が増大してしまう。このような事情から,老朽化が進んでいるにもかかわらず,架け替えることもできずに放置されているアーケードが,全国各地の商店街に多数存在する。

7)  厳密にいえば,Matsumoto and Yamaguchi(2017)では,若手生業とまち再生研究会の調査データ(2016年8~9月に実施したアンケート調査)を活用しつつ,同会による調査期間終了後に開業した店舗を独自に追加したうえで,19店舗という数字を算出している。なお,若手生業とまち再生研究会は,松山アーバンデザインセンター(UDCM)の研究者が中心になって結成された研究グループであり,筆者もメンバーの一員である。

8)  2016年11月から2017年1月にかけて実施したヒアリング調査である。

9)  この議論は,Kawana(2015, pp. 14–15)の提唱した「ワークライフバランス起業」概念に多くを依っている。詳しくはMatsumoto and Yamaguchi(2017, pp. 47–48)を参照されたい。なお,商業・流通論の文脈に照らせば,上記のような事業者たちは,「自己目的志向」(Komiya, 2003)ないしは「能動的生業志向」(Komiya, 2007)として把握することができるかもしれない。「ワークライフバランス志向」と「自己目的志向」あるいは「能動的生業志向」の異同について,別途検討の必要性を感じている。

10)  紙幅の都合から,本稿では割愛しているが,Matsumoto and Yamaguchi(2017)では,三津地区における家賃相場を,松山市湊町地区の相場と比較した。湊町地区は,松山市の中心商店街である銀天街の裏通りに形成されつつある商業集積で,三津地区と同様,近年,若手商店主による新規出店事例が増加しているエリアである。商業・流通論の文脈に照らせば,「滲出型商業集積」(Sato, 2003)として理解できよう。比較検討の結果,湊町地区よりも三津地区の方が,家賃相場は低かった。

11)  開業資金についても,三津地区の方が湊町地区よりも低い。詳しくはMatsumoto and Yamaguchi(2017)を参照されたい。

12)  本節は,Matsumoto and Yamaguchi(2017)のヒアリング成果を活用しつつも,追加的ヒアリング調査の結果をふまえて,大幅に改稿したものである。

13)  なお,哲さんは,2016年11月より,三津浜商店会の会長も務めている。

14)  しましま雑貨店の店主は週に2回程度,N’s kitchen**&laboに在店する日を設けている。また,Antique Cocoaの店主は,商品補充などの必要に応じてN’s kitchen**&laboに来店する。なお,Antique Cocoaの店主は,2013年より,N’s kitchen**&laboのはす向かいのガレージに週1日営業の店舗Store House(ストレハウス)を開業した。N’s kitchen**&laboに通う内に,三津浜商店街の雰囲気に魅かれてのことである。ただし,この店は,店舗物件老朽化のため,2018年5月に惜しまれつつ閉店している。

15)  三津地区の北西に浮かぶ島である。三津地区やその北隣の高浜地区から簡単に視認することができ,両地区の住民にとって最も身近な島といえる。株式会社ごごしまの運営するフェリーでアクセス可能である。

16)  本節の内容も,Matsumoto and Yamaguchi(2017)のヒアリング成果を活用しつつ,追加的ヒアリング調査の結果を取り込んで,大幅に改稿したものである。

17)  忽那諸島の島の1つである。三津浜港から中島汽船の運営するフェリーないし高速船でアクセス可能である。

18)  全国的知名度を得るきっかけになったのは,おそらく『暮しの手帖』(暮しの手帖社)第4世紀58号(2012年6・7月号)への掲載であろう(Okamoto, 2012)。

19)  たとえば,夏場の繁忙期を終えた秋から冬にかけて,10日前後,家族で旅行に出かけることにしているという。

20)  三津浜商店街では,1963年に振興組合を結成し,同組織を中心にして活性化に取り組んできた。ただし,アーケードの撤去(2004年)と前後して,アーケードの維持管理費を積み立てる必要性がなくなり,ほぼ同時期に振興組合を解散したようである。以降,商店街組織は任意団体化し,「三津浜商店会」と呼ばれるようになった。ちなみに,2016年11月以降,丸山さんから会長職を引き継いだのは,N’s kitchen**&laboの小池哲さんである。

21)  元々,じゃこ天(練りもの)の製造は,三津の基幹産業といっても過言ではないほど,盛んであった。往時の三津地区には相当な数の練りもの店が存在したという。しかし,その後,商店街の衰退によって廃業する店が相次ぎ,酒井さんが相談を持ち込んだ頃には,商店街の中に練りもの店は存在しなかった。丸山さんは,じゃこ天(練りもの)づくりの火が再び灯ることには象徴的な意味があると考え,酒井さんを応援することにしたという(丸山さんへのヒアリングによる)。

22)  なお,その後,火災保険料や屋根の補修費用などが上乗せされたこともあり,2018年9月現在,家賃の額は契約時よりも値上がりしているという(酒井さんへのヒアリングによる)。

23)  ただし,住吉楽房の開所に先立って,外壁や内装の改修が必要になり,結果的には,物件の購入費用よりも改修費用の方が高くついたという。

24)  N’s kitchen**&laboの営業開始時刻は午前11時であるが,午後になるとパンが売りきれることも少なくない。夏美さんが手づくりできる範囲で生産していることも理由ではあるが,それだけでなく,確実に売り切ることのできる量を生産し,売れ残りを最小限に抑えようという意図もある。かき氷を提供する田中戸の場合は,上記とはまた事情が異なる。日持ちがきくシロップを営業日毎に売り切る必要はないからである。もっとも,田中戸においても,かき氷シーズン(5~9月)終了間際になると,少なからぬシロップが売り切れになる。シーズン単位で考えると,確実に売り切ることのできる量のシロップを仕込んでいるとの解釈が成り立つ。

25)  ただし,N’s kitchen**&laboのパンの原価率は,パン業界の中では高い方であるのに対し,価格帯(200~500円)の方は決して高くはないという(小池哲さん・夏美さんへのヒアリングによる)。パン業界の平均的な店舗を比較対象としながら,N’s kitchen**&laboの収支構造を考えると,変動費用曲線の傾斜は大きく,収入曲線の傾斜は小さいことになる。本稿では,三津地区において従来一般的であった商店経営のあり方との比較を念頭において,モデル化を図っていると付記しておきたい。

山口 信夫(やまぐち のぶお)

愛媛大学社会共創学部特任准教授 博士(商学:大阪市立大学)

2012年,大阪市立大学大学院経営学研究科後期博士課程修了。

2012年,愛媛大学法文学部講師,2015年,愛媛大学法文学部准教授を経て,2016年より現職。

専門は流通論,地域商業論

References
 
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