マーケティングジャーナル
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書評
石原武政(2022).『戦時統制下の小売業と国民生活』碩学舎
渡辺 達朗
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2023 年 42 巻 4 号 p. 111-114

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I. 本書の問題意識

石原武政氏は商業者への売買集中原理や商業の社会性を起点とする固有の商業論の構築をめざす生粋の理論家としてスタートした。その後,商店街活性化やまちづくりとの出会いから,現場での実践の理論化に取り組む一方,公設小売市場を皮切りに,歴史関連の成果を多数残してきた。こうした多面的な顔をもつ石原氏であるが,このところ研究の重心を太平洋戦争前(戦前期)から戦時下の流通・商業においてきた。その集大成が本書である。

石原氏は,流通・商業の歴史に最も真摯に向き合ってきた研究者の一人と考えられるが,氏自身は自らを「歴史研究者」と考えたことはないと述べている(Ishihara, 2022)。評者は,このやや意外なコメントを出発点にして,歴史研究とはそもそも何で,どのような意義があり,歴史的事実をいかに掘り下げるかという3つの論点について,本書にどのように反映されているのかについて,方法論的観点から検討することが本書を理解するうえで重要であると考え,別稿の書評を執筆した(Watanabe, 2023)。

これに対して本稿では,視点を変えて,本書の中心的な問題意識を軸に議論していこう。本書「はしがき」において,石原氏は師匠の風呂勉氏による著書Furo(2009)の「まえがき」から「昭和戦時の流通は,我が国の流通研究にとっては,2度と繰り返しては経験できない貴重な学習であった」という言葉を引いたうえで,「私にはそんな大上段に振りかぶった問題意識があったわけではない」(本書,p. iii)と述べている。

しかし,本書を読み進めると,戦前期の自由市場経済のもとでの流通・商業が統制強化によって,いかに変質を迫られたのかについて明らかにしようという問題意識が,「大上段に振りかぶ」ってではなく,石原氏らしく自然体で提示されているように思えてくる。とりわけ,統制の行き着く先にどのような事態が待っているかを実証的に示す点が,本書の白眉といえる。少し先走ってしまった感があるが,ここで本書の構成と内容について整理する。

II. 本書の構成と内容

本書は,2018年から書き継がれてきた6本の論文をベースにしており,全378ページと大部に及ぶが,そのわりに構成はシンプルで,序章「本書の問題意識と課題の限定」,第1章「戦時体制の確立」,第2章「物資統制」,第3章「価格統制」,第4章「小売業整備」,終章「簡単な総括」となっている。各章の内容を簡単に紹介しよう。

序章では,戦時体制に突入し,「戦時に適切な消費生活」とは何かが強く問われる一方で,自由な取引を前提として出来上がっていた流通機構が「機械的な『配給機構』に組み替えられ」たことが確認され,そうした戦時統制の準備,確立,破綻の軌跡を実証的に明らかにすることが,本書の課題であると述べられている。

第1章では,第1節で1937(昭和12)年7月の盧溝橋事件を契機とする日中戦争突入後すぐに,政府が国民精神総動員運動を開始し,生活全般の刷新にかかわる精神主義的な国民運動への動員と,それらの学校教育への持ち込みとして展開したが,1941(昭和16)年12月太平洋戦争に突入するとともに,政界・産業界・国民生活を巻き込んだ大政翼賛会に再編成された経緯が整理される。第2節では,町内会・隣組といった隣保組織が,大政翼賛会による戦争への協力体制を,物資配給制や切符制をはじめとした国民生活レベルでいかに担ったのが,具体的な資料に基づいて明らかにされる。

第2章では,第1節で軍需物資と民需物資の調達にかかわる物資動員計画が,戦時下において実質的に破綻した経過が整理され,第2節では物資動員計画が有名無実化する中で,乏しい消費節約と廃品回収,金属類回収が限界まで進められた過程が示される。第3節では,国民の消費生活にかかわる物資の需要抑制を国主導で行う「消費規正」が厳しく行われる中で,当初の国産品愛用運動から国産代用品愛用運動へと変質させざるを得なかった過程が述べられる。第4節では,1941(昭和16)年物資統制令の下での衣料品の総合切符制度によって,品目ごとに切符の点数が設定されたことの意味について明らかにされる。

第3章では,第1節で戦争がはじまると生活関連の物資の生産縮小,供給減少,価格上昇がもたらされ,これを抑えるために消費節約,配給統制,代用品や廃品の利用といった間接的価格統制が模索されたが,結果として破綻した過程が描かれる。第2節では,国家総動員法と物資総動員計画,それに対応した消費規正のもとで,直接的価格統制として公定価格制が配給統制とセットで導入された過程が,そして第3節では,市場価格の全面停止の歪みが,闇取引・闇相場,買い占め・売り惜しみの横行をはじめとする矛盾として表出される状況が描かれる。さらに第4節では,公定価格導入のための商品の規格化によって,生産者・メーカーの銘柄主義の廃止,個別企業のマーケティング戦略の終わりがもたらされたこと,および生鮮品にまで無理やり規格化が実施されたことによる問題が明らかにされる。

第4章では,小売業整備という名のもとで実施された転廃業について論じられる。第1節では,平和産業に従事する中小商工業者の戦時産業への移動を,当初,自発的転廃業として実施しようとしたのが行き詰まり,半強制的な実施に転換した経緯が描かれる。第2節では,転廃業政策により消費者への配給機構の弱体化が問題となったことから,配給機構の整備が図られたことが描かれる。第3節では,小売業整備がいよいよ戦力強化のための労働力供出のための強制的整理として推進されたことが示され,第4節では,そうした強制的な「整備」実施によって「商業の死滅」がもたらされたことが論じられる。

終章では,要約と総括が行われ,「戦時において真っ先に不要不急のレッテルを貼られた小売業こそ,平和を象徴する産業だった」というメッセージ性の強い言葉で締め括られる。

III. 戦時統制がもたらしたもの

ある会合で本書が話題に上った際に,他分野の研究者から,本書のタイトルに小売業とあるが,小売業が取り上げられるのは4章のみで,このタイトルには違和感があると指摘された。評者は,そのような感覚をもったことがなかったので,正直,意表を突かれたのであるが,あらためて考えてみて,なるほどと思うところがある。つまり,小売業という用語の理解の違いからくる齟齬である。ある人は小売業と聞いて小売店等の実体だけをイメージするのかもしれないが,流通研究者であれば,小売業を実体としてだけでなく,機能としてとらえるのではなかろうか。そうした観点からみれば,4章は実体としての小売業のあり方を論じているが,その議論の前提として,消費規正と物資統制,価格統制を直接のテーマとする2章,3章は,統制による流通・商業の機能の変質,とりわけ消費者との接点にある小売業の実質的機能停止の過程を明らかにしているととらえることができる。

とりわけ,統制の行き着く先として示される,次の2つの互いに重なり合う指摘が注目される。第1は,配給制と切符制の導入によって,品目ごとの規格化を背景に切符の点数が設定され,切符と交換に品物が一律に配給されるようになると,ブランドがなくなり,品目内の品質や生産性の改善努力や,流通段階における商業者の競争や創意工夫が無意味化するという指摘である(第2章第4節)。第2は,配給制等に基づく間接的価格統制から公定価格制という直接的価格統制への移行によって,商品の標準化,規格化が徹底され,生産者・メーカーの独自ブランドないし銘柄主義が廃止されることで,自由主義経済の終焉,個別企業のマーケティング戦略の完全な終わりがもたらされたという指摘である(第3章第4節)。そして,これらを受けて小売業の半強制的な転廃業から強制的な転廃業がが強行され,最終的に上述のように石原氏をして「商業の死滅」とまで言わしめるような状況がもたらされた。

本書の最大の特徴であり貢献は,以上に示した,戦前期の自由市場における流通・商業活動が,統制政策によって単なる配給機構に堕した過程について,丹念に資料を掘り起こして明らかにした点にある。また,戦況悪化による国際経済からの断絶を背景にしつつ,統制強化と並行して進行した物価上昇,絶対的物資不足,配給機構の実質的な崩壊,闇取引の横行といった矛盾の噴出と,政府の半ば場当たり的な対応についても,詳細に記述されている。

周知のように,戦前期を対象にした流通・商業研究は,ここでは文献をあげないが,多くの研究成果の蓄積がある。例えば,百貨店,中小小売商,公設小売市場,酒類・加工食品・日用品・衣料品などの卸売商,生鮮食品の卸売市場,メーカーによる流通系列化,とくに家電,化粧品・石鹸・洗剤,菓子などを対象にした研究があげられる。しかし,それらのほとんどにおいて記述は1941年前後の統制経済下に入るところまでで途切れるか,業種別組合への再編,配給統制会社への再編・統合,産業報国会の傘下組織への組み入れといった点への論究にとどまっている。そうした中で,Ishihara and Yahagi(2004)第7章所収の石原氏自身の論考「中小小売業」は,戦時統制下の記述に同書の中で最も紙幅を割いて1節を当て,戦前・戦時下から戦後の文献・資料に幅広く依拠して,本書の萌芽ともいえる構成で論述している点は特筆される。この論考を徹底的に掘り下げ,敷衍したのが本書ということになろう。

IV. 戦時下の流通・商業研究の意義

本書のもう1つの貢献として,戦時下において商業学分野の「先輩研究者」たちが現実(時局)とどう向き合い,どのような発言をしたのかについて,他の膨大な資料の中に位置づけたことがあげられる。例えば,小売業の転廃業による配給機構整備の方針に関してさまざまな議論が行われている中で,松井辰之助は商業者独自の役割を重視する立場から,配給組織の整備方針に対し「機械主義的な統制経済観」と批判的な発言を行っている(本書,p. 283)。また,消費切符制の導入に関する議論の中で,深見義一は切符制が商品の標準化,規格化を促進するという観点から肯定的な発言を行なっている(本書,p. 134)。

彼らがこのような論陣を張った真意は不明であるが,戦争そのものの賛否は別にして,統制政策を少しでも商業者や消費者にとって好ましい方向に誘導するにはどうするべきかを考えた結果ということなのであろうか。こうした点は,〈いま-ここ〉の現在を生きる私たちにも,研究者としての価値観や倫理観をあらためて問い直す機会を与えてくれている。コロナ禍やウクライナ戦争の影響が私たちの生活に大きな影響を及ぼし,日常と非日常とが背中合わせにあることを実感させられる今日,あえて戦時統制下を扱う本書を読む意義は大きいと考える。そうした意味で,ぜひ手にとっていただきたい1冊である。

References
 
© 2023 The Author(s).

本稿はCC BY-NC-ND 4.0 の条件下で利用可能。
https://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/4.0/deed.ja
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